迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    第九章 四、顕正会の行く末



    自語相違


 浅井会長は、自ら述べた言葉に自ら背いている。これを「自語相違」という。これまで本書で指摘して来たことを、振り返ってみよう。

   「信徒は金集めの道具」と批判、
   主管を「権勢」と批判、
   「美田を残さず」、
   「魚は頭から腐る」、
   「法を下げた折伏は功徳にならない」、
   「正義だけは取り入れて頂きたい」、
   「全国民注視の中で大聖人の精神を訴える」、
   「国立戒壇是非の論議継続」、
   「御書全集を発刊する」、
   「法廷闘争で悪の根を絶つ」、
   「宗教法人格は不要」、
   「あと二十五年で人類は絶滅」、
   「国立戒壇建立が唯一の目的」、
   「日本第一の教学部を築く」、
   「十万人の国会請願デモを開催する」、
   「御遺命守護完結」、
   「血脈相承否定は大謗法」、
   想定外の「地方会館の建設

 迷走を始めてからの淺井昭衞氏は、自身の言葉を自ら否定し続けて来た。
 あと二十五年で人類は絶滅と述べて「一点の疑いもない」と言い切った責任を、淺井昭衞氏はどう考えているのだろうか。その無責任さは、ほとんど常軌を逸していると言っても過言ではないだろう。浅井会長の精神構造はどうなっているのかと、嘆息せざるを得ない。
 淺井昭衞氏の言葉は、軽くそして虚しく響く。いざとなれば、思いつきのその場限りの発言を真に受ける方がおかしいと、開き直るのだろうか。
 妙観講から訴えられた裁判で、顕正会は「顕正新聞の記事を読んでも信ずるような法華講員などいない」と、機関紙の信頼性を自ら否定する論述をしたという。淺井昭衞氏の言葉を信じるほうが悪い、そういうことなら辻褄が合う。

   死に至る病


 どれほど有能な人でも、トップの座には賞味期限があり、ワンマン経営者は自らの賞味期限が判らなくなる。「お山の大将」であり続けるため、自分を追い落とす可能性を持つ人材の芽を摘み、自分にない能力を持つ者も力をつける前に排除する。
 こうしてその組織では、トップの能力と権力が絶大となり、それ以外はイエスマンだけが残る。さまざまな能力ある人材を揃えた競合他社と比べ、力の劣る組織になるのは当然である。
 唯々諾々と命令に従う「ポチ」で側近を形成するから、後継者には一段と能力の劣る人材しか残らない。こうして幹部の能力低下が、いつまでも繰り返される。

 長期独裁の組織は、規模の大小を問わずモラルハザードを起こし、衰退への一本道を突き進む。顕正会は絵に描いたような姿で、破綻への道をたどろうとしている。
 さらに、老いによる性格特徴の尖鋭化として、倹約家はけちになり几帳面な人は回りくどくなり、一般に怒りやすく疑い深くなるという。かつては英雄だった権力者は、いつの間にか憎まれる老人となる。政治家や財界人として現役で活躍している人が、初老期に気まぐれな人事や経営方針の変更を次々に行い、あるいは金銭的にだらしなくなる事例を、小田晋氏が「権力者の心理学」で紹介している。

 浅井会長に、あと十有余年間の指揮が取れるとは、誰も思わないだろう。一身に権威と権力を集約した浅井会長が不在となれば、顕正会は崩壊の一途をたどるしかない。
 「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」(ジョン・エメリック・アクトン)とは、古今を問わず真実である。組織にとって不治の病・死に至る病とは、長期独裁権力による私物化である。

   浅井克衛主任理事の失脚


 浅井克衛氏の失脚について、当初は新設の教学室長として教学関係の活動に専念していると本部では言っていたが、さすがにそのような言い訳はもう通用しなくなった。克衛氏は平成十六年九月に教学室長に就任したが、その後から徐々にフェードアウトして総幹部会の壇上の幹部席からもやがて姿を消した。
 顕正会のナンバーツーであり、そして浅井会長の後継者だと誰もが思っていた人物の失脚について、会員には何ら理由も知らされずその後の消息も一切語られない。顕正会では、克衛氏について質問することはタブーである。共産圏の独裁国家と、幹部失脚のパターンがよく似ている。

 なぜ浅井克衛氏が失脚したか、それは犀角独歩氏との接触未遂による。犀角独歩氏と言えば、浅井会長が「魑魅魍魎」と呼んで顕正新聞にも何度かその名が登場した人物であり、わたしの除名の理由も独歩氏と交流したからだとされた。独歩氏は、「必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別」という研究書を出している。
 浅井克衛氏はジャーナリストの大木道惠氏と十数年来の親交があり、大木氏を本部に招いて大石寺や創価学会や日蓮門下について、広範に渡る話し合いをしていた。大木氏は意見交換の一環として、犀角独歩氏本人からスライド等で直接説明を受けることを提案し、克衛氏もそれを承知した。独歩氏は日蓮門下の研究会等で多くの講演を行っており、求められれば顕正会本部で話をすることにも異存はない。

 では、いつ犀角独歩氏が本部に行くかという日程を決める段になって、突然大木氏から克衛氏への連絡が一切つかなくなってしまった。大木氏が本部を訪ねたところ、浅井城衛氏が対応して「二度と本部に来るな!」と、出入り禁止になってしまったという。克衛氏が表舞台から姿を消した時期は、まさにその直後である。これは、大木道惠氏への取材でわたしが聴取した事実であり、その経緯を本書に記載することも了解を得た。

 ここからは、わたしの推測である。浅井克衛氏と大木道惠氏との長い親交について、そして大木氏からもたらされた情報は、克衛氏から浅井会長に報告されていたはずである。主任理事といえども、会長の承認なしに勝手な行動は許されない。克衛氏は、犀角独歩氏を招くにあたって事前に会長の了解を得ようとしただろうが、そこで浅井会長の逆鱗に触れてしまった。
 克衛氏としては、批判するにしても正確な情報を得ることが必要だと考えたのだろうが、浅井会長からすれば大御本尊の真偽問題にふれること自体、許しがたい不敬であると映ったかもしれない。これが最後の引き金になった。

 大木道惠氏によれば浅井克衛氏は、合理的な考えの持ち主だという。また次代の会長を継ぐ者として、顕正会の将来像を模索していたことだろう。淺井昭衞会長と同じようなカリスマ性を、自分が維持できるだろうか。将来への体制をどうのようにしたらよいのか。真剣に考えれば、行き着くところは宗門復帰かもしれない。
 しかし浅井会長は、御遺命守護完結と言いながら宗門への誹謗を強め、唯我独尊の教団維持を選択してしまった。そして組織を、いつ沈むかわからない泥船のように、疲弊させてしまった。そんなものを押し付けられては、たまったものではない。克衛氏にそういう思いがあれば、いろいろな局面で浅井会長との路線対立が兆していたことは、想像に難くない。
 そうは言っても、克衛氏は浅井会長にとって最愛の長男であり、他の有能な人材を排除してしまった以上、余人を以って替えがたい存在である。よほどのことがなければ、克衛氏を切ることはあり得ない。しかし、犀角独歩氏の件で相互の路線対立がむきだしとなり、あり得ないはずのことが起きてしまったのだろう。

 もう一つの背景として、淺井昭衞氏の昭和四十九年の理事長就任は、講頭の父から昭衛氏が実権を剥奪したクーデターであったと思われる節がある。
 もしそうだとすれば、自分が父にした同じ事を息子からされるかもしれないと、警戒するのは当然だろう。昭衛氏は四十二才のとき、齢七十の父から全権を委任され、理事長職に就いた。このとき浅井甚兵衛講頭は自ら、「麒麟も老いれば駄馬に劣る」と述べている。
 そして克衛氏が失脚したのは四十一才、昭衛氏が七十二才のときである。
 浅井会長がこうした思いにかられていた時、たまたま犀角独歩氏の件が発生し、これを口実に克衛氏を切り捨てることにしたのかもしれない。

   戒壇建立へのプロセス


  平成二十年四月に発行された慧妙編集室編の「誰にでもわかる顕正会の誤り」の最後「むすびにかえて」には、このように記載されている。

 「これら日顕上人の御指南に示される戒壇建立へのプロセスを以下に概括して述べておく。

   一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一国広布の時を待つべきこと
   二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏するが故の一重の大難が起きるであろうこと
   三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に帰依する(広宣流布が成就する)こと
   四、しかして、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇が建立される。(略)

 今や学会も顕正会も共に宗内にはなく、正本堂も平成十年に解体されて姿を消した以上、これに関する慰撫教導の必要も一切なくなつた。
 そうして第六十七世日顕上人が示された、右のような戒壇建立への御教示は、まさに誤解・曲解の入り込む余地なき日蓮正宗宗門の真意であるといえるであろう
」(「誰にでもわかる顕正会の誤り」、平成二十年四月六日)

 ここで言われている事は、顕正会が求めて来た国立戒壇の意義と、ほとんど違わない。日顕上人は、「王仏冥合して王臣、王様と一切の国の重要な立場にある人、ことごとくが三大秘密の法を持つということはまさに順縁広布の時であります」(平成七年六月十一日、観心本尊抄講義)と指南している。
 かつて淺井昭衞氏は、「もし妙信講が憎いとならば、潰したらよい。しかし正義だけは取り入れて頂きたい」と述べていた。その「正義」とは、一国帰依の上で公的に建立される本門戒壇という、ただ一点である。妙信講が捨て身で求めた、「正義だけは取り入れて頂きたい」の願いは、すでにほとんど成就している。
 しかし浅井会長には、顕正会員にそのことが知られては困る。自分が顕正会々長として君臨し続ける根拠が、失われてしまうからである。

 今の淺井昭衞氏は、かつての栄光の美酒にいつまでも酔っていたいのであろう。そして無謀なノルマを会員に課して、職場や家庭にでの会員の生活基盤を崩し、多くの顕正会員の人生を狂わせ、かけがえのない時間を奪っている。
 そして、「あと十有余年」等と展望のない口先の小細工で会員を謀り、使役し続けている。
 淺井昭衞氏が過去の栄光に耽溺したいなら、自分一人でそうしていればよいのである。前途ある青年を巻き添えにすることは、もう止めてもらわなければならない。
 広宣流布には、人材の育成と鉄石の組織の構築は欠かせない。「人は石垣、人は城」(武田節)である。会員を消耗品・道具としか見ない路線・組織で、どうして御遺命の戒壇建立の大事がなし得るだろうか。浅井会長のご都合主義と専制支配が、ついに発足五十年にして顕正会を破綻の淵に至らしめてしまった。

 浅井会長は慢心と執着によって、自らせっかくの功績を台無しにしてしまった。
 顕正会の目的は一国広布・戒壇建立、目的達成の方途は教学研鑽・異体同心である。この肝心の目的と手段を、浅井会長は違えてしまった。
 先年、わたしは「諌言」を言上して諌めたが、浅井会長に方針転換をする意思がないことを、残念ながら確認した。
 宗門に本来の戒壇義が示されるいま、顕正会はすでに存在意義を失ってしまったと言わざるを得ない。