迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

      誓約書


    論判誓約書


 


 昭和49年、創価学会は「第二次妙信講戦争」(「迷走する顕正会を斬る」p207)を仕掛けた。山崎情報師団は妙信講壊滅作戦の一環として、妙縁寺から入手した檀信徒名簿(同 p193)を元に、妙信講員宅に理論武装した集団を送り込んだ。
 妙信講本部にその連絡が入ると、本部から男子部幹部に緊急指令があって、小生も何度か現場に急行し代表として論判に応じた。
 その際に、先方が出してきた「誓約書」が、これである。
 
「大聖人の御遺命の戒壇について論判」である。妙信講幹部は戒壇論のエキスパートであるから、堂々と論議で圧倒した。
 論に詰まった山崎師団は議論をすり替え、最後は「猊下に背くのか!」という切り札しか残っていない。
 妙信講幹部は、「それは猊下の御本意ではない」「妙信講は御内意を承わっている」(同 p212)と応ずるが、水掛け論に終わる。
 彼等としても「誓約書」に署名捺印したからには、却って負けて帰るわけにはいかないのである。

 山崎情報師団の奮闘虚しく、妙信講壊滅作戦で妙信講から宗門・学会に行った者はほぼ皆無、逆に創価学会から妙信講に来た人は多くいた。