御遺命守護鉢巻
御遺命守護鉢巻
昭和49年10月3日、何度目かの信濃町抗議デモ集会の召集があり、男子青年部の一班長として参加(「迷走する顕正会を斬る」p205)した。事前に「携帯するものは小銭と数珠のみ」、という指示があった。
信濃町駅前で、「
御遺命守護」と赤字で書かれた鉢巻が何故か支給され、全員が額に締めて創価学会本部に向かった。本部前には、ジュラルミンの盾を構えた数十名の機動隊員が、すでに待機していた。
これまでの抗議デモ集会とは少し様子が違うと感じたが、いつものようにシュプレヒコールを挙げて解散するものと思っていた。妙信講の代表が、北条副会長に面会要求をしていた。
突然、一男子部員が小生の目の前で門扉に飛びつき、よじ登った。「何ということを…」と思ったが、一瞬のことで事情がのみ込めない。彼は門扉を乗り越え、内側からカンヌキ錠を外し門を開けた。同時に妙信講員が、創価学会本部敷地内になだれ込んだ。
小生も続いて入ったところ、人の気配がなかった前方の暗闇からいきなり強烈な放水が来て、もろに顔面に浴びた。鉢巻の滲みは、そのときのものである。