迷走する顕正会を斬る
淺井昭衞会長の足跡と変節
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日蓮誕生 — いま甦る実像と闘争
日蓮誕生 — いま甦る実像と闘争
論創社から昨年、「日蓮誕生 - いま甦る実像と闘争」(江間浩人著)が発刊された。
これまで "日蓮大聖人伝" は、<信仰者> としての弟子の立場で「御抄」の記述と後代の弟子の "伝承" をもとに、多くが編纂されてきた。 したがって、中世を専門とする歴史学者なら当然熟知している "吾妻鏡" や、幕府発行の "文書"・貴族の "記録" 等は、ほとんど顧みられることがなかった。 北条得宗家の執権政治体制の完成期において、「日蓮が一門」に "将軍家" に近い人々が多くいたという、著者(江間浩人)の指摘は刮目に値する。名越氏、千葉氏、工藤氏、平賀氏等と、大聖人が強い繋がりを持っていることは知られているが、その政治的立場には関心が向けられて来なかった。 「大豆御書」(文永七年/弘安三年、富士大石寺)の宛先は、「御所御返事」である。また、「初穂御書」(弘安元年、身延曽存)の宛先も「御所御返事」である。 従来の "御所" の解釈では、漠然と "幕府の高位の武家" や "幕府直々に仕えている高位の人" や "波木井一族" などとされてきた。 「宗祖御遷化記録」(日興、西山本門寺)の "御葬送次第" には、大聖人の棺の最も近い処に「源内三郎 御所御中間」と記されている。当時、"御所" と云えば「鎌倉殿」の御所であり、「将軍家」に他ならない。将軍家の使者が、宗祖の葬列を飾っていたのである。 これまで日蓮門下では誰も、「
御所」がただちに「将軍家
」であるとは、思ってもみなかったのだ。 本書は、史学の立場から新たな視点で大聖人の出自、弟子・檀那との姻戚関係、将軍家との関連等を考察した、画期的な書である。(櫻川 記)
櫻川 忠 ( tadashi@sakuragawa.qee.jp )