|
顕正新聞 平成十二年十一月二十五日号
第三祖日目上人御報恩勤行会厳かに
常随給仕・巧於難問答の御徳を拝す
第三祖日目上人の六百六十八年御正当の御報恩勤行会が十一月十五日、新本部会館で厳粛に奉修された。
十一月八日に御入仏の儀を終えたばかりの新本部会館ではこの日、地区部長・支区部長・隊長・区長等の代表幹部および有志会員約一千五百名が、夜も明け切らぬ暗いうちから続々と参詣し、荘厳な新本部会館はまたたく間に信心の熱気に包まれる。
全員が真心の唱題を重ねるなか、定刻の午前七時きっかり、浅井先生が着座、直ちに厳粛なる勤行が開始された。
勤行ののち先生は、「日興上人遺遺誡置文」の一節を凛々と奉読された。「一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事」
ついで先生は「第三祖日目上人という御方は、下種の三宝に仕え奉って、御遺命を重しとすることかくのごとくあれかしということを、後世の私どもに身を以て教えて下さった御方である」
「日目上人の御徳については、大聖人御入滅後の五十年間にわたる御振舞いを、先般の特別講義『富士大石寺の源流』において拝させて頂いた。
本日は、それ以前の、大聖人に仕え奉った時における二つの徳、一つには常随給仕の徳、二つには巧於難問答の徳について話したい」と述べられたのち、日目上人の御恩徳を偲び奉り、一については身延において大聖人に対し奉り七箇年にわたり毎日薪水の労をとられた、その行体堅固のお姿を挙げて、また二については御入滅近き大聖人に法論を挑んできた二階堂伊勢法印を閉口頓首せしめた池上問答の御事跡を、約十分問にわたり、一語一語かみしめるように指導された。
あたかも日目上人の尊い御振舞いを目の当たりに拝するような先生の指導に、場内には大感動がみなぎる。
最後に先生は、大聖人御葬送の折の日目上人のご決意が、滅後五十年にわたる死身弘法となり、四十数度の国主諌暁となり、そして最後天奏における「日目、先師の地望を遂げんがために…」の御文となつていることを示され「日目上人が仰せられた『先師の地望』すなわち大聖人の大願たる広宣流布・国立戒壇建立は未だ実現されていない。いま広布の最終段階に生まれ合わせた顕正会員こそ、力足らずとはいえ、何としても御本仏日蓮大聖人、二祖日興上人、三祖日目上人に応え奉らなければならない。いよいよ本日の御報恩勤行会を機として一段と赤誠を尽くし切ろうではないか」と力強く結ばれた。
先生の気魄こもる指導は参列者一同の命に深く染み入り、熱涙のなか死身弘法の燃えるような決意がみなぎった。
広布御供養に真心の参加を
|
|
戻る
|