|
顕正新聞 平成十五年五月二十五日号
冨士大石寺顕正会 典礼院の御入仏落成式厳修
「 もう後顧の憂いなし 」に大歓喜
浅井先生の講演
先生はまず、落成した典礼院を、広宣流布の新しい役割を担う機関として位置づけられたのち、その意義を職業僧侶の腐敗堕落の姿と対比して次のごとく示された。
「邪宗の坊主の実態を見なさい。ハゲタカみたいではないか。葬儀につけ込んで、カネを儲けようというだけだ。……本宗の僧侶も、その心根においては全く同じ。だから、葬儀、戒名、塔婆を僧侶の特権として、やはりハゲタカのごとく貪ってる。これらの禿人(とくにん)には、成仏のこと広宣流布のことなどは眼中にない。これを『法師の皮を著たる畜生』という。このような輩に、どうして広宣流布ができようか」
「そこに広布の前夜、地涌の流類の大集団に、自然と時に適った形ができて来たのである。それが顕正会における、清らかな儀礼室であり、この完璧なる納骨堂なのである。もう職業僧侶も、戒名もいらない。すべからく本質に立ち戻らなければいけない。御在世の信心に立ち戻らなければいけない」と。
--- すべてを御在世の清浄な姿に立ち還らせんと、葬儀・納骨のあるべき形まで整えて下さった先生のご配慮とご慈愛にふれ、全幹部は命の底から感動を覚えた。
ついで先生は、この日、全国から本部会議のメンバーが一堂に会したことから 「ここに集まった地区部長・支区部長・隊長・区長は、まさに組織の要、広宣流布の命を継ぐ立場である。ゆえにその立場にある者として、技術的なことはさておき、何より大事な基本的な心構えを、ここでしっかりと、つかんでほしい。それは一言で云えば『確信と温かさ』である」と述べられ、このことを開目抄や如説修行抄の一節を引いて諄々と指導されたのち、最後に自宅拠点を全国に網の日のように設置していくための新しい構想を打ち出されたが、一国広布を限りなく進めんとされる先生のご決意が、改めて全幹部の胸に迫り、場内には“いざ戦わん”との全く新たな闘志がうず巻いた。
冨士大石寺顕正会 典礼院
|
|
戻る
|