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顕正新聞 平成十五年九月二十五日号
東海・東南海・南海地震 同時発生も
「M8.7、死者2万8000人、損失81兆円」
中央防災会議・被害想定
政府の中央防災会議の専門調査会は 九月十七日、「東海」「東南海」「南海」の三つの地震が同時発生した場合の被害想定を 初めて公表した。
それによると、揺れ・津波による被害は国内最大級で、死者は約二万八千人、日本列島の太平洋側の多くが被災地となり、経済的な被害は
今年度政府予算の一般会計に匹敵する八十一兆円に達するという。
「南海トラフ(浅い海溝)」で発生する地震は、震源域が静岡県下から浜名湖沖の東海地震、浜名湖沖から潮岬沖の東南海地震、潮岬沖から足摺岬沖の南海地震の三つに区切って想定されている。
それぞれマグニチュード八クラスの巨大地震で、この三地震は過去、同時発生や短い間隔で
地震が続く場合がほとんどだった。
三つの地震が同時に起きた時のマグニチュードは 八・七という超巨大地震になることを想定しており、神奈川県東部から九州宮崎県までの広範囲で、震度六以上の揺れが起きる。死者数が多いのは、ほとんどの人が家にいる午前五時発生の場合で、約二万八千三百人。
三地震とも海洋型であるため大津波が発生、想定死者数の四割以上の約一万三千人が津波被害によるものとされる。倒壊する建物が多いのは、午後六時発生の場合で、火災などで約九十六万棟が全壊する。
三つの地震が同時に発生した例としては、一七〇七年の「宝永地震」がある。マグニチュードは八・四と推定され、二万人以上が死亡。東海道、伊勢湾沿岸、紀伊半島などが激しく揺れ、約六万棟の家屋が倒壊。紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を津波が襲い、約二万棟の家屋が流失したといわれている。
また東海と東南海地震が同時発生した直後に 南海地震が発生したケースは、安政地震(一八五四年)。幕末の嘉永七年(安政元年)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM八・四という安政東海地震が発生(東海と東南海地震の同時発生)、その三十二時間後には同じくM八・四の安政南海地震が発生。広範囲に甚大な被害をもたらしたため、元号を嘉永から安政に改めたほどである。
東海地震は、この嘉永七年の同時発生以来 約百五十年間発生しておらず、多くの地震学者から「いつ起きても不思議ではない」と指摘されている。東南海・南海の震源域も前回の発生から六十年近くになり、今世紀前半に発生する可能性が高いとされる。
中央防災会議専門委員会の土岐憲三座長は 「東海地震が起きた後に東南海、南海地震が発生すると思われている向きもあるが、東海、東南海地震同時、あるいは三地震同時に発生する可能性もあることを
知っておいてほしい」と話している。
八月度総幹部会において浅井先生は、幕末のわずか三年の間に四回に及ぷ巨大地震が連発したのち、日本が長期にわたる戦争に引きずり込まれた歴史的事実を挙げて 「いま広宣流布の前夜を迎えて、どうして大地震の連発がないことがあろうか。それはもう、いつ始まってもおかしくはない」と指摘されたが、今回の中央防災会議の報告を見るにつけ、“大地動乱近し”を実感せずにはいられない。
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