|
顕正新聞 平成十一年一月五日号
「あと十五年」の誓い 弥々堅し
年頭の辞 あと十五年
冨士大石寺顕正会会長 浅井昭衞
顕正会四十一年の歴史において、昨年ほど“有難かった”年はない。まさに凡夫の思慮を絶した「不思議の還御」を仰ぎ見て、全顕正会員が紅涙を流し続けた一年であった。
思えば正本堂のたばかりは、第六天の魔王が広布前夜の正系門家を襲い、御本仏の大事の御遺命を破壊せんとしたものに他ならない。魔は池田大作の身に入り、「御遺命の戒壇」と偽る正本堂を建てしめた。学会の金力・権力に諂う宗門は、あたかも犬が主に尾を振るごとく、この大それた誑惑に賛同加担した。
もしこの大誑惑が罷り通れば、御本仏の一期の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立は泡沫に同ずる。これを知り、これを見ながら、もし黙止すれば、大聖人への不忠これに過ぎるはない。ゆえに顕正会は必死の諌暁に立ったのである。
連々の諌暁実に二十八年
---。しかし学会・宗門一体になってのたばかりは岩のごとくで、容易に崩れるとも見えなかった。
その中に、御在世以後の最大といわれる平成九年の大彗星が出現した。これ御本仏を流罪・死罪に処し奉り、七百年を経ても改悔なき日本国が、いよいよ時来って亡びるの前相である。ゆえに平成九年七月、「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」の一書を以て、日本国民にこれを告げ知らしめたのであった。
だがこの時、心にかかっていた一事は、大聖人の御法魂たる「戒壇の第御本尊」が、未だに誑惑不浄の正本堂に居えられ奉っていることであった。しかしながら、一国謙暁に立つべき時はすでに来ていた。止むなく奉告文に「その恐れ多さを思えば身は縮み、未だ御奉公の足らざること、己れの非力、ただ羞じ入るばかりでございます」と謹んで記し、一国諌暁に立ったのであった。
しかるに、御本仏の絶大威力たるや、諸天をして、学会・宗門の間に叛逆を起こさしめ給うた。ここに池田大作の悪罵・中傷・陥穿は阿部管長を憤激せしめ、ついに正本堂撤去の決意を堅めさせた。
かくて昨年四月五日、戒壇の大御本尊は堂々と還御あそばしたのである。まことに凡夫の思議を絶するこの「不思議の還御」を仰ぎ見れば、ただ紅の涙頬を伝うるばかりである。
そして伏して拝するに、この「不思議の還御」こそ、広宣流布が近きにあること、ゆえに身命を捨てて法を弘むべきを命じ給う御本仏の告勅でなくて、何であろうか。
誑惑に加担してなお懺悔なき無道心の禿人、邪教化した学会の輩には、この厳たる仏勅は聞こえまい。ただ御遺命を死守し奉り忠誠を貫き通した顕正会だけが、この仏勅を命で感じ、命で受け、いま御本仏日蓮大聖人に「あと十五年」 の誓いをなし奉っているのである。
この十五年は、広布の前夜なるがゆえに、新尼抄に御教示のごとく、必ずや大変動の時代となるであろう。だが大聖人は「此の五字の大曼茶羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と仰せられる。そしてこの三災七難の中に、三大秘法広宣流布は駸々と進むのである。
急がねば、日本の亡国に間に合わない。すでに他国侵逼のハシリは、北朝鮮のテポドンミサイルとなって現われているではないか。
本年の六十八万が成れば、平成十四年の百万は必ず成る。百万が成れば、一千万は必ず成る。そして一千万が成る時、日本の広宣流布は決定的となるのである。
お出ましの戒壇の大御本尊は、顕正会のこの戦いを、じっと御覧あそばす。御馬前の戦いとはこれである。
あと十五年 ---。地涌の菩薩の面目にかけて、大聖人様への堅き誓いを、断じて果させて頂こうではないか。
平成十一年元旦
|
|
|
戻る
|