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--- 国立戒壇の名称放棄の公式決定なる誑惑
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池田会長を擁護
今日、世間の多くの人々は、日蓮正宗の教義の本質を見極めず、また、創価学会の信心のあり方を曲解し、種々の非難を会長池田先生の一身に浴びせております。
池田先生がこれらのいわれなき非難にひたすら耐えておる姿を見る時、私は仏道修行のためとはいいながら、実に気の毒でなりません。
学会の皆さん、一致団結して、この会長を守り、更にきたるべき十年へ向かって前進し、広宣流布の大願を成ぜんことにご精進願いたいのであります。このようにお願いして、本日の私のあいさつといたします。
「いわれなき非難」とは、また謂われなきことでありました。
池田会長自らが、慢心の故に自ら招いた「言論出版弾圧問題」を端緒として、国会の場においても追求の機運あって、国立戒壇をめぐって池田会長の国会証人喚問の動きがあったことでした。
しかして当時の宗内においては、池田会長の権威の絶大たること、あたかも転輪聖王の如し。 妙信講の諌訴をうけながら、かかる檀那への無慚なる諂いの言、また未来久しく残るところでありましょう。
そしてまた、「国立戒壇放棄」と、正本堂を「事の戒壇」とする誑惑の目的が、「会長を守り」にあったこと、この結びの言葉にも鮮明でありました。
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