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第十三回寺族同心会大会 細井管長説法
昭和四十五年五月三十一日
( 本山にも来なければよろしい ) 於 大講堂
今振り返って我々が戒壇を論ずる時、三大秘法抄・一期弘法抄に云う処の戒壇は理想の大戒壇である。それは望ましい戒壇である。
然し今我々は現実に帰り、この戒壇の御本尊在します所は即ち常寂光・真の霊山であると云う深い信念の下に御本尊を信じて行かなければならない。
もし、現在のこの戒壇の御本尊在します所が、事の戒壇でなければ、所謂義の戒壇であるならば、ただ理論上のことだけになってしまう。それならば、何も本山まで貴い時間と金を費やしてお参りする必要はないことになる。
もしどうしても三大秘法のあの立派な戒壇を望んで、それが最高の戒壇として、そこに於いて成仏を遂げようとするならば、それまで本山にも来なければよろしい。
それまで成仏しなければ宜しいし、ただいつ来たるか判らない未来の世界に耽っておるよりも、現実のこの世に於いて我々は信心の誠を捧げて行かなければならない。また折伏して行かなければならない。
大聖人様は諸法実相抄に「三世異なる事なし」と仰しゃっておる。必ず未来のそういう立派な戒壇が来るのは即ち現在に在るのである。三世は異なる事はないのであるから、過去に於いてのあらゆる事も現在の姿に於いて判る、未来の事もこの現在に於いて判るのである。
だから三世異なる事のないこの現在を大事にして、我々は行を励み信心を旺んにして、そして宗門を発展し広宣流布の大願を成就しようとする決心を僧俗共に持って戴きたいと思うのであります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
細井管長は云われます。「もし、現在のこの戒壇の御本尊在します所が、事の戒壇でなければ、所謂義の戒壇であるならば、ただ理論上のことだけになってしまう。それならば、何も本山まで貴い時間と金を費やしてお参りする必要はない」し、「本山にも来なければよろしい」し、「成仏しなければ宜しい」と。
正系門家の貫首として、何という..粗野・粗忽のお言葉であろうか。
寛尊の法華取要抄文段を拝すれば、「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理・事の戒壇に当るなり。経に云く『当に知るべし、是の処は即ち是れ道場』とは是れなり。乃至、故に当山は本門戒壇の霊地なり」と。「当山」は本門戒壇の霊地であり、その故は「本門の本尊所住の処」なればこそであり、よって富士大石寺を以て「義理・事の戒壇」と仰せられているのでした。
さらに寿量品談義には、「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存す上は、其の住処は即ち戒壇なり」と。「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無し」であり、その上で「其の住処は即ち戒壇」と述べられる意義は、<義理(道理)において事の戒壇>ということでありました。義理・事の戒壇に当る所以は「事の御本尊存す」ゆえであって、その文意は先の法華取要抄文段と同じでありました。
富士門徒なら誰でも知っている、これほどに赫々として明々たる「義の戒壇」と「事の戒壇」の法義・化法をして、あたら貫首の職責にありながら細井管長は、自己保身の為に「国立戒壇」を否定せんとする池田会長に媚び諂い、「ただ理論上のことだけ」やら「本山にも来なければよろしい」やらと、悪言を発せられるのでありました。
さて、「未来の事もこの現在に於いて判る」とは、まさしくその通りでありました。現在の御遺命歪曲の咎の故に、未来・細井管長は大事の御相承を授けることなくして、無念の急逝という自業自得果を得られたことでありました。そしてかかる師敵対のゆえ、現在・あれほどまで媚び諂った池田会長と、未来・宗門は修羅と悪竜の死闘を演ずること、となるのでありました。
(
平成十四年六月二十一日、櫻川
記 )
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