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第十三回寺族同心会大会 細井管長説法
昭和四十五年五月三十一日
( 動揺されず翻弄されず ) 於 大講堂
近頃いろんな文書に依って宣伝されて動揺され、或はその文書に賛成した様な手紙を出してみたり、或は反対をした様な手紙を出してみたり、それは結局我々僧侶の自分の信心が足りないからである。自分と云うことを忘れておるからである。
自分の信心が確固として本山の戒壇の大御本尊を中心として生活し信行を励む時には、外部において如何なる手紙をよこそうともアンケートを取ろうとも少しも動揺することはない筈である。
ちょっと言葉のうまい事を言ってくれば、そうだそうだと云って手紙を出して賛成してみたり、或は反対してみたり、そう云う事に動揺されず自身の信心を励んで宗門の発展を来し、大聖人の弟子としての本分を尽くして戴きたいと思うのでございます。
どうか皆さんにお願いする事は、こういう世の中には外部からも誘いが来ます、或は色々と不平の分子も出来て色々のことを言います。
其等のことに動揺されず翻弄されず、ただ偏えに大聖人様の弟子として六万恒沙の一分として折伏に励み、自分の本分を遂げん事をお願いして今日の御挨拶とする次第でございます。(文責在速記者)
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
細井管長が云われる、「その文書に賛成した様な手紙を出してみたり」とは、妙信講の正論に対し賛同した僧侶があったことを指しているのでありましょう。
それより細井管長ご自身が、なにより「動揺されず自身の信心を励んで宗門の発展を来し、大聖人の弟子としての本分を尽くし」、貫首として「自分の本分を遂げ」ていただきたかったことでした。
この月の三日、第三十三回創価学会本部総会において国立戒壇を否定したのみならず、「本門戒壇の大御本尊安置のところは、すなわち、事の戒壇であります。乃至、その時は正本堂は本門事の戒壇であります」と池田会長に諂い・大誑惑を述べ、二日前の二十九日には創価学会が妙信講の正論に閉口すると見るや「正本堂は三大秘法抄・一期弘法付嘱書に御遺命された戒壇ではありません。まだ広宣流布は達成されておりません。どうか学会は訂正して下さい」と命じられたのでした。
これ、「動揺されず翻弄され」ることなく「大聖人様の弟子・六万恒沙の一分」として、「本分」を尽くされたことだっただろうか。
池田会長に諂いその誑惑を助けたこと、宗史を汚す痛恨の一事でありました。「外道悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし」(佐渡御書)と。
(
平成十四年六月二十三日、櫻川
記 )
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