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総本山客殿新築落慶大法要 御法主上人猊下御説法
( 本門戒壇の大御本尊御遷座と正本堂解体の事由 )
( 正本堂の名称は現状では不適切 )
しかし既に、彼らは正本堂に関して論ずべき資格も理由もなく、また三箇の秘法建立の意義を示す正本堂の名称は、現状では不適切と思われます。そして従来述べてきた池田らの大謗法を敢然として破折するためにも、今や正本堂より能う限り速やかに大御本尊様を御遷座し奉ることこそ、『革新の年』たる本年に最も相応しいものと思うのであります。
すなわち宗門における今後の広布の段階として、このたび拡張しまいらせた奉安殿に本門戒壇の大御本尊を御遷座し奉ることが、正法護持と広布へ向かう真実の出発点として目下の再重要事であり、これを直ちに断行するものであります。今回とりあえず拡張した奉安殿は全部畳敷きであり、約三千名の収容礼拝が可能であります。
池田らがかつてこの上なく自慢しながら、しかも大聖人の戒壇の本義に背いた正本堂より、清浄なる法華講の皆様の外護のもとに拡張して明るくなった奉安殿に大御本尊様を御遷座申し上げ、皆様方の信心による御内拝の功徳を確実にお積みいただきたいと願うものであります。
それがまた仏祖三宝尊、そして御歴代上人特に日達上人の御嘉納あそばすところと確信いたします。それは日達上人が御歴代上人の正法護持のお心とともに、今日の池田創価学会の大謗法を絶対にお許しにならないと信ずるからであります。
「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えない」との日達上人のお言葉は、何より今日の学会の在り方を指摘あそばすものであります。
また山桃の実に法華講を譬えられ、「山桃の実は小さくも身を守り広布の願ひ萌えいづらむ」と詠われ法華講の成長を深く期待された日達上人が、今日の法華講連合会の隆々たる正法護持・自行化他・広布への前進の姿について、寂光土において御覧あそばされどれほどのお喜びであろうかと拝するものであります。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
池田会長の“走狗”として、「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」なる二冊の”悪書”を著した阿部管長自身が、池田会長の意に迎合して“戒壇の本義に背いた正本堂”を、どれほど擁護・弁護して来たことでしょう。
自ら、「昭和四十三年に着工大法要という法要が行われた。その時において池田名誉会長は『三大秘法抄』の戒壇の文を引いて、『この法華本門の戒壇たる正本堂』ということをはっきり言っております」、「その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、たしかに私も藤本総監も、ズバリとは言っていないが、それに近いようなことを実際に言っており、『大日蓮』にきちんと残っている。今、それは大いに反省しております。しかし、その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった」(平成三年一月十日・教師指導会)と、述べた通りでありました。
池田会長の、戒壇の本義に背いた”正本堂の誑惑”に加担し、“そのような空気の中に巻き込まれ”て、“それに近いようなことを実際に言って”、平成三年にはついに“大いに反省”したのでしたが、所詮は懺悔のない“口先だけの反省”でありました。
“そのような空気が宗門を巻き込んでいった”ときに、ただひとり身を捨てて御遺命を守護し奉った妙信講を、その一切の経緯と意義を克明に見ながら知りながら、身の栄達の為に池田会長に“心を売って”迎合し、“大いに反省”しなければならぬ二冊の悪書をはじめとして、妙信講を誣告・中傷したのは、余人ではありません。
仏祖三宝尊・並びに歴代上人は、池田会長の大謗法はもとより、「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を推く可き事」の遺誡の重き責務を果たし得なかった細井管長ならびに阿部管長を、“お許しにならない”ことでありましょう。
( 平成十四年十一月二十七日、櫻川 記 )
顕正会の「御遺命守護」に関わる部分のみ、御遺命守護資料館の貴重な資料として抜粋して紹介しました。著作権者からの指摘・要請があれば、相応の対応を検討します。
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