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国立戒壇論の誤りについて
一、序論
( 正本堂の意義についての重大な訓諭 )
末法の本仏宗祖日蓮大聖人の大仏法は、今日嫡々の付法に依って第六十六世日達上人まで継承せられ、金口の血脈は厳然として末代の世に清浄無染の法水を伝えている。また近年創価学会による不惜身命の折伏の功は、日本国中、津々浦々に及ぶのみならず、遙か太洋を越え、雪嶺を凌いで、世界各地に本因下種の大御本尊を流布せしめている。
かかる仏法興隆の事実は、もとより直達正観の仏法の勝妙と、正系血脈の伝持によるところではあるが、歴代創価学会会長の卓越した信心行学と指導の賜であり、また大御本尊の功徳を確信した信徒各位の、歓喜に燃えた信行折伏の熱誠の結果に外ならない。これこそ、新しき民衆仏法の黎明といわずして何であろうか。
そして、法華講総講頭池田大作先生の発願と、八百万信徒の一致団結の供養によって建設中の正本堂は、世界に冠たる平和祈願の大殿堂として、本年十月十二日に完成の運びとなっている。
かかる時に、日達上人には、本年四月二十八日、立宗七百二十年の佳日を選び、「後代の誠証となす」として、正本堂の意義につき、重大な訓諭を発せられた。即ち「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との御指南である。
茲に、霊峰富士の麓に聳え立つ大宝塔の意義彰顕なる。日蓮正宗の僧俗は、この訓論に込められた猊下の御精神を体し、異体同心に広布の大道に邁進すべきである。
蓋し、日蓮大聖人の仏法は、本来世界的大宗教である。正本堂に御安置される本門戒壇の大御本尊は、末法万年、全人類の闇を照らし晴らす法体である。然しながら、法の尊貴は、その法を伝持、弘通する人によって、はじめて顕揚せられることも疑いない。故に、日蓮正宗は、妙法の光の到来を待つ全人類にとってその希望の存在でなくてはならないと信ずる。
この「国立戒壇論の誤りについて」が発行されたのは、昭和四十七年六月十二日のことでありました。そしてその十日後の二十二日、宗務院からの詰問に対する妙信講の「断じて御遺命を守り奉る」とした“回答”を見るや、阿部教学部長は早瀬総監と共に猊下に辞表を提出し、失踪したのでした。
( 平成十四年十二月二十一日、櫻川
記 )
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