|
国立戒壇論の誤りについて
四、国立戒壇論における国家観の誤謬
( 今日の国立戒壇論における時代錯誤の結論 )
ところで、以上述べたような抽象的国立戒壇論の他に、今日具体的な考え方として、国立戒壇を主張するものが、ごく少数ではあるが存在する。その主張するところは、
一、戒壇は、日本国を単位として、国家的な次元で正法帰依の為された時に、国家的公事として建立されるべきものである。
二、戒壇建立は、国家的意思の表明として天皇の詔と国会の議決(又は行政府の決定か、いずれともとれるが)にもとづいて、国家の手で行なわれるべきである。 … というものである。
その根拠は、
一、三大秘法抄にある王法とは、国家の統治主権と解釈するべきである。
二、この統治主権を人に約せば、即ち 国主=王 つまり(現時においてもなお)天皇である。主権在民といっても、よくよく本質をみれば決して国民が統治をしているのではなく、国家そのものに統治権がそなわっているのであって、ただ、この統治主権に民意を反映せしめようとの指向を主権在民というだけである。(( )内は筆者)
三、三秘抄にいう“王臣一同”の王は天皇、臣は、直接政治にたずぎわる大臣に万民を摂するものである。
四、三秘抄にいう“勅宣”とは、現時においても天皇の詔であり、御教書は、政府意思の決定と解すべきである。今日、国事には、議会の議決だけでなく、天皇の承認が必要となっていることからして、これは決して不可能ではない。まして、国事の中の大国事である戒壇建立には、当然天皇の詔と政府意思の決定が必要である。 … というものである。
この、今日における国立戒壇論は、政治と憲法の上から、極めて幼稚な誤りを犯し、それによる現実の社会に対する認識の誤りが、まことにこっけいな時代錯誤の結論を導いていると思う。これらの点は、いずれも教義以前の社会認識の誤りの問題が多いのであるが、論をすすめるに当って、二、三指摘しておきたい。
この 「今日具体的な考え方として、国立戒壇を主張するもの」とは、当時の妙信講(現・顕正会)のことでありました。
ここで阿部教学部長が示した“二つの主張”と“四つの根拠”は、まさしく顕正会が当時から今日に至るまで一貫して述べていることでありました。阿部教学部長は、顕正会の“主張”と“根拠”をねじ曲げることはせず、ここに提示しています。
ただし「王法」を「国家の統治主権と解釈」とのみするのは、あまりに“狭義”の言いようでした。王の威光勢力すなわち国主の統治権・国家権力・政治・国法等を意味するのであって、国家の統治に関わる諸概念以外に「王法」の意は全くない、というのが顕正会の言うところでありました。
しかして、その顕正会の“主張”と“根拠”について阿部教学部長は、「幼稚な誤り」であり「時代錯誤の結論」だ、ときっぱりと宣うのでした。
では、その「幼稚な誤り」にして「時代錯誤の結論」だ、とする阿部教学部長の論理・論拠をして「教義以前の社会認識」などの「他義」を基にするのではなく、
「仏法の解釈としては他義をまじえず、あくまで大聖人の御真意を誤まってはならない」の“指針”を<鏡>として、以後・みていくこととしましょう。
( 平成十五年二月三日、櫻川
記 )
戻る 次
|
|
|