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学会の常套手段=盗聴・監視・尾行の先がけ
“宮本邸盗聴事件”
(略)
それでも池田大作は世間に対して全面謝罪し、政教分離等を口にせざるを得なかった。
この時、創価学会攻撃の急先鋒だったのが日本共産党であった。創価学会と共産党はまるで天敵同士のようにいがみ合っていた仲だったので、この時は、共産党にいいように攻められてしまった。(略)
それで、“眼には眼を”といった感情と、必要に迫られて、共産党情報収集の一環として、宮本邸電話盗聴が計画され、実行されたのである。
池田大作の承認のもと、北条浩副会長(当時)の決裁で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして作った裏資金の提供を受け、私が学生部幹部数十名を動員して実行に移したのである。 私が総指揮を執り、実行責任者は広野照夫氏と竹岡誠治氏だった。二人とも、今は創価学会の幹部である。
昭和四十五年五月から約三か月にわたって行なわれたこの作戦では、二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの、発信器の不調によって発覚するところとなり、共産党は東京地検に告訴した。
この刑事告訴は、犯人不明のまま迷宮入りとなり、実を結ばなかったが、しかし、五十五年八月、私の内部告発手記を契機に、共産党は改めて北条氏らを相手どり損害賠償請求訴訟を起こし、事件は最高裁まで持ち込まれたが、共産党側の完全勝利に終わり、創価学会は百万円の損害賠償を支払ったのである。
というわけで、この盗聴作戦自体は、百%成功というわけにはいかなかったのだが、ある程度の成功は収め、そして、何よりも撤退と証拠湮滅が完全だったことが、首脳に高く評価された。
以後、池田大作によってさらに重用され、このとき以降、盗聴・電話盗聴・監視・尾行は創価学会にとって欠かすことのできない手段となり、妙信講の造反事件等、対応を誤れば大事に至るような事件が起こるたびに、盗聴・尾行・スパイの送り込み等、ありとあらゆることを行なってきたのである。
こうした活動は次第にエスカレートして、ついには創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査も行ない、いざという時に備えるようになった。もちろん通り一遍の調査ではなく、スキャンダルや人間関係まで詳しく調べ上げているのである。
山崎元顧問弁護士の証言により、一般の創価学会員があずかり知らぬ、創価学会中枢の卑劣な謀略体質が暴かれています。
いま・また創価学会は、躍進著しい顕正会を怖れ・怨嫉して、盛んに謀略攻勢を仕掛けています。
その手口は大別して三つ。
一つは、顕正会を「オウム」のような危険な教団だとする、出所不明のビラやチラシによるものです。さて、どうでしょう。盗聴・電話盗聴・監視・尾行・スパイの送り込み等、ありとあらゆることをして憚らないのは、いまも体質の全く変わらない創価学会(一部中枢)自身でありましょう。
二つには、警察への誣告・告訴です。近くは秋田県警、遠くは神奈川県警への、虚偽の申し立てによる告訴によって顕正会を貶めよう、とする悪質な謀略が繰り返されています。
三つには、そうした不当な告訴を以て顕正会をして、危険・過激な教団と印象づけるべく、マスコミ対策・誘導でありました。
また、そうした創価学会の謀略による顕正会への悪宣伝に、手を叩いて悦ぶ一部法華講員諸氏の心底、また無慚でありました。
しかして顕正会は 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし、魔競はずは正法と知るべからず」(兄弟抄)と励むばかりです。
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