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     三類の強敵を迎え撃たん

 仏法は勝負であります。魔と仏との闘争であります。自己の生命の内面には三障四魔となって成仏をさまたげ、外面には三類の強敵となって広宣流布をさえぎらんとなすものでございます。

 『
末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐(おわ)せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ、三類の強敵来らん事疑い無し 』(如説修行抄五〇四ページ)と、日蓮大聖人様はお述べでございます。

 法華経勧持品に説かれた二十行の偈は、正しく三類の強敵出現の予言であり、大聖人様のお出ましによって釈迦の虚妄罪はのがれたのでございます。
 一方、大聖人様の御予言たる広宣流布に向かい、創価学会に三類の強敵が現われることは仏法の方程式であり、仏意仏勅をこうむっている立証でなくして、なんでありましょうか。
 『
当に知るべし此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す 』(観心本尊抄二五四ページ

 
国立戒壇建立二十数年後にひかえ、第一類の俗衆増上慢はすでに数年が間、雑誌新聞および世間の人々の学会に対する悪口罵詈等に激しく現われ、また第二類の道門増上慢は新宗教連盟の結束および既成宗教・既成仏教等の学会誹誘はいよいよ狂乱の姿をみせており、第三類の強敵・僣聖増上慢は一部評論家等の啓蒙によってはじまりゆく学会弾圧をなさんとするさきがけでございましょうか。

 
いかなる姿で現われるかは私は存じませんが、正しく会長先生が、第三類の強敵おこれるとお叫びになったときこそ、いよいよ広宣流布の日は熟したと自覚すべきではないでしょうか。
 釈迦も九横の大難をえて最後に法華経二十八品の弘法をなし、天台大師も南三北七と戦い、最後に像法の法華経たる摩詞止観の広宣流布をなし、日本の伝教大師もまた六宗と戦い、出世の本懐たる鎮護国家の戒壇を建立されております。
 そして末法の御本仏・日蓮大聖人様は、五濁爛漫の末法の世情を永遠にお救いくださんがために
三類の強敵と戦い法体の広宣流布をあそばれたのでございます。

 そして、いまここに、
化儀の広宣流布に断固指揮をとられる戸田会長先生に、三類の強敵が怒涛のごとく寄せきたることは明白であり、これ大聖人様の御予言をば意のままに申し上げている姿を物語るいがいになんでございましょうか。
 われら会長先生の弟子たる学会人は、三類の強敵をふりおこす、勇ましき信心に立ち、三類の強敵の出現によって、ますます強盛なる大信力、また三類の強敵の出現あらば、いよいよ広宣流布の間近かなるを自覚して、異体同心の信心に立って、強く前進してゆかれんことを切望して講演にかえます。
                                 (当時、参謀室長)
                                  昭和三十一年五月三日
                                  創価学会第十四回春季総会
                                  両国・日本大学講堂
                                  参加人員 三〇、〇〇〇名


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 これ、池田参謀室長(当時)の理路整然、意気軒昂の講演でありました。しかして池田参謀室長は、自己の内面の「三障四魔」という言葉だけは知っていたことでしたが、その本当の意味を知らなかったのでしょう。
 そしてこの「
国立戒壇建立を二十数年後にひかえ」というフレーズは、この頃の池田参謀室長の強い思い入れ・お気に入りであったのでしょう。各方面で繰り返し、自身に満ちた言葉で語り続けたことでした。

 さて興味深いのは、第三類の強敵・僣聖増上慢について「
いかなる姿で現われるかは私は存じませんが」と述べているところでしょう。
 当の本人は謙遜のつもりで語った言葉だったかもしれませんが、後に宗門の中に於いてきわめて重き地位を占めた池田会長が御遺命破壊に果たした役割は、まさしく僣聖増上慢に値することでありましょう。

 淳師は、「出家の二衆は..偏に上慢を起す。在俗は矜高にして多く我慢を起す」と、述べられたことでした。この原則からは、池田会長は俗衆増上慢に他なりません。
 しかして、池田会長は在俗にあって一人、宗内では自他共に許す別格の存在でありました。法要の席以外の場では貫首と対等・同等の席次を獲得したというその一点を以てしても、池田会長こそ第三・僣聖増上慢にふさわしいことでありましょう。
いわんや側近をして、「池田本仏論」を高唱させるにおいてをや。

                           ( 平成十三年十二月二十九日、櫻川 記 )


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