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闇の帝王、池田大作をあばく
「いざ鎌倉」に備える国家公務員
「過日の学生部総会の席上、池田先生は、“絶対に革命は成功させなければなりません。私どもの時代、諸君の時代に、かならず広宣流布を成し遂げるという、りんりんたる勇気をもって進んでいただきたいと思うのであります”と指導された。われらはこの指導をガッチリ受止めて、妙法の革命児にふさわしく、たくましく前進していかなくてはならぬ。(略)常に池田先生のもと、本部職員として戦っているのだとの決意、自覚をもって、仕事、学業、アルバイトにぶつかって行くことこそ大事なのである。
池田先生は“どこの世界でも同じだが、とくに仏法の世界においては、『いざ鎌倉』というときに、はせ参じられる人が真の人材であり、信者のなかの大信者なのである……。『いざ鎌倉』というときには、自分が率先して学会を守り、学会を推進していくのだという幹部にならなければいけない。この心構えさえあれば、ふだんの行動に自然とにじみ出てくるものである”と指導されている。われわれは “いざ鎌倉”の精神で戦うことを決意しょうではないか」(学生部副学生部長、神埼武法)
創価学会に一朝ことがあったとき、学生部出身の判事、検事、国家公務員は何をさておいても、学会を守るという働きをしなくてはならぬということである。私達はこの人達の“イザ鎌倉精神”に安易に寄りかかりすぎたきらいがあった。
宮本顕治宅盗聴事件の後始末、妙信講問題のときの理論的、作戦的支援など本来、国家公務員としてかかわるべきでないことに、この人達を用いた。頭脳が優秀であるが故に、教学上の出版などにはその力を借りたことも再三であった。
国家公務員の人達からも、こうしたことの他、大規模開発の際などには何かと知恵を借りたり、便宜をはかってもらったりした。しかし、何よりも重要なことは情報であった。創価学会は言論問題以来、マスコミと権力に対して過敏になっていた。弾圧やら干渉を未然に防ぎたい、--
そういう気持から法学委員会出身の情報は極めて重用された。
検事のグループは、「自然友の会」という世を忍ぶ仮りの名前をつけ、年に何回か池田氏をかこんで会合をもち、直接の情報交換をする。外交官は「霞会」というグループを形成している。
池田氏の天下とり構想は、このように用意周到に気長く組立てられているのである。この他、大新聞社、大出版社に学生部員を送りこむ「マスコミ委員会」がある。やはり、情報収集と学会に不利な記事をつぶし、有利なことを書かせるためである。
この世界に潜入する学生部員は、巧妙にカムフラージュさせる。親元から離れさせ、形式上脱会させたりして、学会員の“におい”を消して入社させる。入社後は、つとめて学会員らしくなくふるまう。(略)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
これはすでに司法試験を通って、司法研修生となっていた神埼武法・学生部副学生部長(当時)が昭和四十二年に記した文章で、「学会を守りるためには “いざ鎌倉”の精神で戦う」という決意を、熱く語っていたのでした。
その五年後の昭和四十七年、東京地裁判決でも事実認定された妙信講と創価学会代表との常泉寺における論判を盗聴し、会場の向かい側の一室で広野輝夫・竹岡誠治・桐ケ谷章(弁護士)・八尋頼雄(弁護士)等とともに、盗聴電波を受信・録音する役目を果たしていたのが、ほかならぬ国家公務員たる神崎武法検事でありました。
神埼武法検事にとっての、あの“いざ鎌倉”の精神は、こうして約束を違えずして発揮されたのでありました。
さて平成五年にはこの電波盗聴実行の当事者が、不思議なめぐり合わせで細川内閣の郵政大臣となったのでした。
この年の十月の衆議院予算委員会において、越智道雄代議士(自民)や野中広務代議士(自民)や宮沢弘代議士(自民)等が、神崎郵政大臣の宮本顕治邸盗聴事件への関与を集中質問し、加えて山崎元顧問弁護士の証人喚問を要求したのでした。
当時、野中議員はその予算委員会において
「神崎郵政大臣。あなたの所管である電話、電波の盗聴についてお伺いをしたいのであります。かつて創価学会は、共産党宮本議長宅の電話を盗聴した事件がございました。これは警察事件になったところです。あなたはかつて創価学会の法律担当だった」、「盗聴事件に関与したとマスコミに報道されておる方が電話、電波を所管される大臣である。この報道につきまして、恐らくみずから否定をされますならば、神崎大臣は抗議をするなり名誉回復の手だてをされましたか、これをお伺いいたします」、「報道のとおり、現職の所管大臣として、たとえ時効でもそのような盗聴事件に関与があったとすれば、大臣の適格性において非常に問題であります」と、質したことでした。
このとき、昭和四十七年の常泉寺における盗聴関与を問われなかったことは、神崎郵政大臣にとって、大いに幸いしたことでしょう。
また、同じく十月十四日
週刊新潮(十月二十一日号)は、その記事のトップに山崎元顧問弁護士の手記
『神崎郵政大臣は「盗聴仲間」だった』 を掲載したのでした。
そして時はめぐって世紀末の一九九九年十月五日、自自公三党連立の小渕第二次改造内閣が発足。このときの公明党代表は神崎元郵政大臣、自民党の幹事長はその神崎元郵政相を弾劾した、仇敵の野中広務幹事長でありました。
(
平成十四年三月七日、櫻川 記 )
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