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     闇の帝王、池田大作をあばく

 終章 宮本顕治邸盗聴事件の新事実

  
偽証の崩壊

 去る(昭和五十六年)九月二十八日、私に対する恐喝事件の検察側証人として出廷した広野輝夫は、証言の中で、学会側の人間として、はじめて盗聴行為を認めた。

 諸般の状況から、もはや、実行行為の否認は不可能と判断したのか、それとも盗聴事件を認めることによって、その他の、私に対するつくりごとの証言の信憑性を増そうと考えたのであろうか。
 しかし、「
山崎の命令で、私と竹岡誠治でやった、資金は、山崎から五十万円受けとり、百万円を竹岡誠治が工面した。学会とは関係なく、山崎が独断でやったことだ」と、行為は認めるが、あくまで私の独断でやったことだとして、池田氏、北条氏、および創価学会の責任を回避させる作戦に出た。

 当時の私の創価学会内における地位は、昭和五十年当時とは異なり、一存でこうしただいそれたことをやることのできるほどの権限をまかされていなかった。また、創価学会の浮沈にかかわるような大事を、一存で行うわけもない。それに、当時、大学生にすぎなかった竹岡誠治に、百万円もの大金の調達が出来ようはずもない。
 反対尋問で、江口、M・A、Nらの関与の事実を突きつげられ、また、その後の情報活動への従事と、それに対する資金供給について創価学会の関与の
(ママ)認めざるを得なくなり、広野輝夫の偽証はもろくもくずれていった。

 これから先、裁判の進行につれて、新事実が次から次へと明らかにされていくだろう。私を、国家権力の手をかりて口封じし、その間に、ウソの上ぬりで問題を処理してしまおうという池田氏の作戦は、必ず失敗におわる。そのとき、池田氏のボロかくしに加担した人達の陰謀も、すべて出てくるに違いないと確信している。
 「
バレなければかくし通そう」という、信仰者にはおよそふさわしくない池田氏の精神構造が、世間の人々の前に明らかにされたとき、宗教者池田大作は、この世から滅失するのではなかろうか。

 “
形勢悪し”と見た池田氏は、このところ組織内に、「池田先生に、最大の法難がふりかかる。何がおこっても動揺しないように」「池田スキャンダルは、無いと云い切って行くことが信心だ」と、動揺を防ぐための根まわしにけんめいである。
 しかし、次第に真実に目ざめてきた会員達を、このような詐言であざむきとおすことはいまや困難となりつつある。


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 ここで偽証とは、日本共産党が指摘したように宮本邸盗聴事件裁判の当初 「北条会長等は事件について知らないし一切無関係との態度をとった」こと、を言うのでした。

 しかし、創価学会が山崎元顧問弁護士を恐喝で訴えていた別の事件で 「広野が山崎の有罪を主張する立場から、自分が盗聴実行行為に参加していたことを証言するにいたり、それを受ける形で、この事件でも、裁判開始から一年以上も経た一九八一年十一月にいたって、ようやく広野、竹岡の二被告が盗聴の“実行犯”であることを認め」、北条会長も 「盗聴準備段階からの関与は認めるにいたらなかったものの、山崎の前記恐喝事件での東京地検の検察官への供述調書のなかで、宮本宅盗聴事件が創価学会学生部員によっておこなわれたことを一九七〇年七月にすでに知っていたと八一年二月に供述していた」ことが、明らかとなったのでした。

 こうして 「学会側被告がそろって裁判所をも欺く態度をとっていた」ことが明確になり、最終的に東京地裁判決においては、宮本顕治邸盗聴事件は創価学会の組織的犯行であり、最高幹部たる北条副会長(当時)の関与が、明確に認定されたことでありました。

                          ( 平成十四年三月十三日、櫻川 記 )


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