|
創価学会第三十三回総会 池田会長講演
十周年の意義
( 広宣流布とは“大文化運動” )
今まで私どもは、本尊流布に全力を注ぎ、遂に七百五十万世帯の家庭に御本尊が安置されることになったのであります。また、日蓮大聖人の御威光は全世界に輝き渡り、時代の要望してやまぬ新しき世界宗教の威容を整えつつあるといつても過言ではありません。
これこそ日蓮大聖人以来の法体の広宣流布が果実を結んだというべきであり、即、世界への化義の広宣流布の始まりでもあると確信したいのでります。
私は、この壮挙が再び因となり、末法万年にわたる、より広大な、より深い流れが滔々(とうとう)と万人の胸中に伝播していくことを信じてやまぬものであります。
法体の広宣流布が土台であれは、化義の広宣流布は、その土台の上に築く建て物にたとえられます。すなわち法体の広宣流布が、社会の底流を築く戦いであるのに対して、化儀の広宣流布は現実社会の姿のうえに妙法が反映され、みずみずしい生命の泉が万人を潤していくことにほかならない。
しょせん、宗教は文化の土台であり、人間性の土壌であります。健全な宗教を失ったとき、文化は退廃し、人間性のなかに大きな空洞ができてしまうといえましょう。あとに述べるように、現代の文明、文仕がかかえる病根は、まさしくそこにあると思うのであります。この時にあたり、新しい文化を築き、社会を蘇生させていくことこそ、私どもの使命ではないでしょうか。
私どもも、この本義に基づき、人間生活に最も直接に響く政治に重大な関心をはらってまいりました。しかし、公明党も誕生し、政界に新しい気風を送ったことで、一つの結果をもたらしたといえましょう。
もちろん、政治が社会の全てではない。宗教はもとより、文化全体の根本問題に迫るものであります。私は七百五十万世帯の一人一人が、社会のなかで人間的に成長し、価値を生んでいくことが、本格的な広宣流布の展開であると意義づけたい。
すなわち目覚めたる民衆が万人をリードし、新しい社会、新しい文化を建設していく時代が化儀の広宣流布であるといえるのであります。
私はこの時代の推移のうえから、広宣流布とはまさしく“妙法の大地に展開する大文化運動”であると定義づけておきたいのでありますが、皆さん、いかがでしょうか。
もはや、私どもは社会と遊離した存在であっては絶対にならない。一人一人が社会で活躍し、社会の人々の依怙依託(えこえたく)となっていかねば化義の広宣流布とはもはやいえない。
すなわち、信心しているいないにかかわらず、一切の人々を包容し、一切の人々の協調しつつ、民衆の幸福と勝利のための雄大な文化建設をなしゆく、その使命と実践の団体が我が創価学会であると、ここに再確認したいのであります。
そして、私どもは「会社(ママ)に信頼され親しまれる学会」をモットーに、再びさっそうと、忍耐常く進んでいきたいと思いますが、いかがでありましょうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
「法体の広宣流布」と「化義の広宣流布」という言葉を用いながら、あえてその本義を隠し義をねじ曲げること、「魔がその便(たより)」を得た所行と言うべきなのでありましょう。
日蓮大聖人御書辞典(池田大作監修、創価学会教学部編)をみれば、「広宣流布」とは「仏法を広く宣べ流布すること」として、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃茶等に、其の便を得せしむること無けん」を引いて、「日蓮大聖人は末法に広宣流布すべき法門として三大秘法を打ち立て、在世中に本門の本尊を御図顕され,滅後に本門の戒壇の建立を遺命されている」と、言葉を濁しながらも御書辞典であれば、さすがにその本義にふれているのでした。
もとより本尊抄には、「問うて日く仏の記文は云何答えて日く『後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん』と、乃至
此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支・震旦に未だ此の本尊有(ましま)さず」と、「後五百歳中広宣流布」を承けての「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」が「法体の広宣流布」であることは、「法体の広宣流布が、社会の底流を築く戦い」などと眩惑しつつも、さすがに池田会長といえども否定できないことでありました。
そして「化義の広宣流布」とは、「滅後に本門の戒壇の建立を遺命」(日蓮大聖人御書辞典)の前提として、「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一H・一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え」(撰時抄)であり、「日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし」(報恩抄)であり、「一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か」(法華取要抄)であり、「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か、時を待つ可きのみ」(三大秘法抄)なのでありました。
しかして、「流れそれ自体」やら「文化運動」やら「みずみずしい生命の泉が万人を潤し」やら「新しい社会、新しい文化を建設」とは、「百千万億人」や「日本乃至漢土月氏一閻浮提一同に」や「一四天・四海一同に」や「王臣一同に」を隠して、<一同>ならぬ一部の信徒だけで建てる正本堂を以てして、御遺命の「事の戒壇」・「本門の戒壇」と偽り・ごまかすための<言い訳>であったことが知られましょう。
このウソで塗り固めた正本堂はまた、「久遠元初以来の壮挙」やら「仏教三千年空前の偉業」(発誓願文)と位置づけられもし、この日(昭和四十五年五月三日)細井管長また妙信講の諌訴に対しては真摯にその本心を吐露しつつも、激しい圧力もだし難くして「正本堂は本門事の戒壇であります」と述べ、池田会長に阿諛・迎合したのでした。
以て、「広宣流布とは“大文化運動”」などと語る池田会長の「悪鬼入其身」の言葉をたすけて、今日の宗門の混迷の礎をもたらしたことでありました。
(
平成十四年四月六日、櫻川
記 )
戻る 次
|
|
|