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創価学会の宮本議長宅電話盗聴事件判決
第三 証拠
三 言論出版妨害問題及び学会、公明党と共産党の対応
1 ( 学会、公明党と共産党の対応 )
(一) ( NHKの二党間討論 )
昭和四四年一二月一三日、NHKの二党間討論(公明党、共産党)において、共産党所属の衆議院議員松本善明(以下「松本代議士」という。)が、同年一一月一〇日に発行された藤原弘達著「創価学会を斬る」(「日新報道」刊)等の出版にあたり、学会による妨害行為がなされたという問題(言論出版妨害問題)を指摘した。
そして共産党は、右討論における松本代義士の発言を、昭和四四年一二月一四日発行の同党の機関紙「赤旗」に掲載し、その後、同紙上において言論出版妨害問題を含む学会、公明党批判のキャンペーンを開始した。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
これが、いわゆる言論出版妨害問題が世間に公になったところの、そもそもの発端でありました。
この昭和四十四年十二月から、昭和四十五年五月三日のいわゆる「国立戒壇放棄の公式宣言」まで、わずか半年の間にどのようなことが起きていたことであったのか。よい機会ですから、東京地裁判決文の事実認定に従って、しばしふりかえってみることとしましょう。
藤原行正・元創価学会総務の「池田大作の素顔」によれば、かれは昭和四十四年八月末、「学会本部で池田から一つの仕事を命じられた」と証言しています。
創価学会本部応接間に北条・秋谷の両名が同席の上、池田会長(当時)から
直接 「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」、「藤原君は彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」と。
言論弾圧・妨害事件のすべての始まりは、ここにあったのでした。
藤原元総務は、なぜあのとき池田会長が自分をその役目に用いたのか、と..いろいろ思案をしつつも測りかねていますが、すくなくとも妨害工作の「鉄砲玉」として使われ・送り込まれたという<事実>は、疑いようのないことだと当時から自認をしていたことでした。
( 平成十四年二月六日、櫻川 記 )
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