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創価学会の宮本議長宅電話盗聴事件判決
第三 証拠
三 言論出版妨害問題及び学会、公明党と共産党の対応
(二) ( 竹入委員長の事実無根談話 )
(1) 公明党の竹入委員長は、昭和四五年一月五日、言論出版妨害問題について、その事実を否定する談話を発表した。
(2) これに対し、共産党は、同日、議員団総会会長春日正一が、言論出版妨害問題を国会審議においても追及する意向を明らかにするとともに、松本代議士が竹入委員長談話を非難し、言論出版妨害問題を徹底糾明する旨の談話を発表し、翌八日の赤旗紙上に松本代議士の談話の内容を掲載した。
原告も昭和四五年一月七日、言論出版妨害問題を国会で追及していく旨の談話を発表した。
(3) 他方、言論出版妨害問題の指摘に伴い学者らによって結成された「言論・出版の自由に関する懇談会」(以下「懇談会」という。)は、前記竹入委員長談話を受けて、昭和四五年一月六日、公明党に対し具体的な説明を強く求めていく旨の声明を発表した。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
では、その言論出版妨害問題において、実際にどのような<事実>があったのだろうか。その当事者であった、藤原行正都議(当時)に聞いてみよう。
「私が東京世田谷の弘達氏宅を一人で訪ねたのは同年八月三十一日の早朝だった。(略)二時間後の午前九時に再び訪れ、迷惑そうな弘達氏と一時間ほど話し合った。この初回訪問の時、私は弘達氏への五つの依頼項目を用意していた」(池田大作の素顔)。
その内容をまとめれば、
1) 近く選挙もあるので、できれば本の出版を取り止めてもらいたい。
2) それが無理なら、『創価学会を斬る』という刺激的な題名を変更してもらいたい。
3) 出版時期を延期してほしい。
4) それも駄目なら、事前に原稿を見せてほしい。
5) 最後に、池田会長(当時)について本文中で言及するのを遠慮してもらいたい。(これが、最重要の依頼項目)
というものであったと言われます。藤原弘達氏は「不快の表情」を隠さず、上記五項目にすべて「ノー」と答えました。
続いて藤原元総務はその四日後に都内のホテルで、出版元の日新報道の代表者二名と会談を持ち、同様の五項目の依頼・要求を試みた(池田大作の素顔)のでしたが、これも不首尾に終わったのでした。
これだけの圧力をかけ妨害工作をしておいて、公明党の竹入委員長は昭和四十五年一月五日に、言論出版妨害問題について池田会長の厳命のまま心ならずも、その妨害工作の事実を一切否定する
「事実無根」談話を発表したのでした。
この 「事実無根」談話の一過間前、昭和四十四年十二月二十八日に第三十二回衆議院議員選挙が行われ、公明党は前回議席を上回ること二十五議席を獲得。結果、衆議院における勢力を四十七議席と大いに伸ばし、その余勢を駆っての強気の記者会見ではありました。
しかして、この竹入委員長の 「事実無根」談話に、藤原弘達氏は大激怒。そして日本共産党も、やすやすと納得するわけはありません。徹底的に国会で追求する、との姿勢をただちに明確にしたことでした。
(
平成十四年二月七日、櫻川 記 )
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