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日蓮大聖人の御遺命
三、大石寺歴代上人の文証
創価学会も曽ては国立戒壇
創価学会も日蓮正宗の信徒団体であったから、曽ては当然のごとく国立戒壇を唯一の目的としていた。
ゆえに同会第二代戸田会長は「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(太白蓮華五十八号)、「我等が政治に閑心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華六十三号)
また三大秘法抄を講義しては「『戒壇を建立すべきものか』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(大白蓮華六十六号)等と述べている。
さらに特記すべきは、御遺命破壊の元凶たる同会第三代会長・池田大作ですら、曽ては「仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず、『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華五十六号)
また「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)等と言い切っていたのである。
以上を見れば、冨士大石寺門流七百年の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあったこと、天日のごとく明らかであろう。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第九章より
)
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