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《特別手記》 池田大作とのわが宗教論争
《解説》 はじめてつづられた日蓮正宗
--- 創価学会・妙信講の深刻な対立
今春四月、東京地方裁判所で争われていた一つの民事訴訟が“和解”した。この裁判は創価学会などの総本山として有名な日蓮正宗が、その信徒組織の一つの妙信講を訴えていたもので、
1) 妙信講本部会館の本尊返還訴訟、2) 妙信講が日蓮正宗の名称を使用することをさしとめる訴訟などが、併合審理のかたちで争われていた。
裁判は、日蓮正宗という宗門と、その信徒組織である妙信講が当事者というかたちで争われたが、日蓮正宗側の弁護団は、創価学会の弁護士で構成されており、事実上は、創価学会と妙信講の裁判とみることができる。
裁判は、二年六ヵ月にわたって審理をつづけ、今春、日蓮正宗側が、妙信講側に三つの条件
--- 1) 妙信講本部会館の本尊に対する返還請求を今後、永遠におこなわない、2) 妙信講が日蓮正宗と名乗ることを妨害せず、今後再訴しない、3) 妙信講のために一箇寺を建立し、寄進する --- を提示して、訴訟をとり下げたため、実質的に妙信講側の主張が認められた形となった。
では、日蓮正宗(あるいは創価学会)と妙信講はなぜ対立してきたのか
---。この問題を知るためには、昭和四十年当時までさかのぼらなければならない。
この年二月、本山から大石寺正本堂の意義が発表されたのだが、妙信講は、これは日蓮正宗の伝統的教義である「国立戒壇」建立の悲願を歪曲しており、創価学会・池田大作会長は日蓮大聖人の御遺命に背いたと主張した。
この大石寺正本堂建設は、当時、創価学会員の寄付金額が約三百五十億円を突破したと話題になったもので、ご記憶の方も多いと思う。この「国立戒壇」について、妙信講側は日本国一同が日蓮正宗に帰依したとき、一国の総意をもって国家的に建立されるべき戒壇のことであって、日蓮正宗はこの「国立戒壇」を唯一の目的としてきたこと、創価学会の政界進出もじつはこの「国立戒壇」が目的ではなかったか --- と主張する。
一方、創価学会側は“国民の三分の一が日蓮正宗を信ずれば、そのときが本門戒壇(「国立戒壇」)建立の時であり、いまは主権在民の時代だから、民衆立の戒壇こそ、御遺命の戒壇である。日蓮大聖人の大悲願は、創価学会員の手による正本堂建立をもって、完全に終了する”と主張するのであるが、当時、創価学会は“言論出版妨害”問題をめぐって大揺れに揺れ、民社党・塚本三郎代議士からは、選挙妨害をめぐって創価学会池田会長の国会喚問要求、共産党・谷口善太郎代議士からは「国立戒壇」の違憲性(国が国立の宗教施設を設置することは憲法違反ではないか)についての質問書などをつきつけられ、創価学会としても「国立戒壇」論を含む日蓮正宗の基本教義についての公式見解を打ち出さざるをえないハメに追いこまれていた。
創価学会側は、谷口代議士の質問書に応じておこなわれた政府の照会に対して、公式に「国立戒壇」論を否定し、建設中の正本堂が日蓮正宗悲願の「本門戒壇」にあたるという回答書を政府に提出したわけで、以降、日蓮正宗の基本教義をめぐる創価学会と妙信講の論争は、今日にいたるまではげしく続いているのである。
(
陶郷栄一・記 )
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
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