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        日蓮正宗妙信講 第十四回総会

 浅井本部長講演
    “たとえ妙信講をつぶすとも
            正義は取り入れて頂きたい”

      ( 見逃し難き誤り

 だが悲しいかな、その時は用いる所とはなりませんでした。しかし仏法に相違あらば、大聖人は許し給わず。
 その後数ヶ月を経て、あの「聖人展」の当時には想像だにも出来なかった、兆しが現れて参りました。更に本年三月、妙信講は法義上の重大なる問題に付き、講中の命運を賭してその歪曲を糺すべく、関係方面に建白いたしました。

 しかるに、今月五月三日、大衆の面前で、しかも世間注視の中で、法義上の重大なる発言があった。
 之を見るに又、見逃し難き誤りがある。これ大聖人の御遺命にももとり、更に猊下の御本意にも反するものであります。すで妙信講から条理を尽して諌めた後でもあり、而も一国注視の中の発言であれば、若しはっきりと訂正しなければ仏法が曲る。仏法が曲れば日本の国が持たない。よって本日ここに総会の席上に於て、妙信講の見解をはっきりと述べ、之を訂正せしめんとするものであります。

 聞く所によれば、宗門究極の目的である広宣流布と事の戒壇について、発言があったとの事であります。そして云く、「今日現在がすでに広宣流布であり、四十七年に立つ正本堂が事の戒壇である」と断定されたそうであります。これば何かのあやまりではないかと思う。
 だが、云く。「広言流布とは決してゴールインを意味しない。広宣流布を特別の終着点のように考えるのは仏法の根本義からして正しくない、広宣流布とは流れの到達点ではなく、流れ自体である」と。そして更に「
すでに現在が一往の広宣流布の完成である」だから事の戒壇が昭和四十七年に立つとの事であります。更に云く「これこそ大聖人が“時を待つべきのみ”と云われた宗門七百年の宿願・三大秘法の成就である」との事であります。

 まず私は糺したい、なんで今が広宣流布なのか。

 広宣流布とは事の戒壇建立の大前提であり、宗門七百年の究極の大願である。しかるに現在はいよいよこれから、未法濁悪の真っ只中に入らんとしている乱れの最中ではないか。だから国にガス爆発などの不詳の災難が並び起り、人に三毒は益々強く、前代未聞の気象異変が相つぎ、これ等は自界叛逆・他国侵逼の大災難を日本が将来招かんとしている前兆とすら思われる。
 しかも未だ国中には謗法充満し、邪正肩を並べて正邪決せず、かかる現状がなぜ広宣流布と云えるのか。

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