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第1号とはうって変わって破邪新聞 第2号では、全面がいわゆる「学会本部襲撃事件」一色となりました。 「暴力団顔負けの集団なぐり込み」と、是が非でも妙信講を暴力集団と印象づけるために、二面・三面には三十六枚の写真を載せ、四面には警視庁四谷警察署長宛の「暴力行為等処罰に関する法律違反等告発事件」なる告発状を、そのまま掲載しています。 当時、妙信講男子部首脳がなんとしても創価学会に抗議書を手渡すため、面会ができなければ「創価学会本部内に強引に入ってでも」とする強い意志があることをあらかじめ熟知していたSCIA長官・山崎顧問弁護士は、その日 四谷警察に機動隊の出動を要請、証拠写真を撮るべく大量のカメラマンを創価学会本部の各所に配置、そして武道の達人を選りすぐった牙城会の面々を多数待機させ、放水の準備まで万端整えて待ちかまえていたのでした。 山崎顧問弁護士が後に語った、「妙信講作戦では、盗聴もさることながら、スパイの活躍が効果的であった。(略) 妙信講のあらゆる行事の発言内容、主な支部の実態と、正確な行動、主な幹部一人一人の言動、浅井昭衛氏、長岡、村岡といった人物の言動が、毎日、正確に私のもとに伝えられてきた。(略) 妙信講のなぐりこみや、宣伝カーの出動も前日には情報が入り、指揮者やメンバーまでわかっていた。そうなると、こちらの作戦は、撃退するよりワナにかけるという余裕が出てくる」 (盗聴教団)とは、このことでした。 巨費を費やして、謀略・暴力・デマ・中傷・諜報・訴訟・破壊等の工作を自ら妙信講に仕掛け、却って純信の妙信講を「宗教に名を仮りた暴力集団」と喧伝した、かかる無慚の自らの所行。山崎正友氏よ、いま心をしずめて想い給え。 さて、こうして山崎顧問弁護士が仕掛けた「罠」は大成功に終わり、妙信講を暴力集団とする評価は、宗門・学会にしっかりと定着しました。 しかし却ってそれはまた、平成二年の「本門寺改称」の際には、皮肉にも逆に彼らを縛ることにもなったのでした。護法の一念強き妙信講は、あたら「口舌の徒」ではない、と..。 あの頃のこと (第十二回) 山崎正友、妙信講が学会本部襲撃を計画 あの頃のこと (第十三回) 山崎正友、実力行使で自分の首絞めた妙信講 戻る 次ぎ |
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