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             破邪新聞 昭和五十年一月二十四日号 (第4号)

             特集 妙信講 デマと歪曲の数々
    特集2  学会の圧力云々のデッチ上げ

 浅井ごときが“猊下の御内意をきいた”というだけでは、だれも信用しません。そこで考え出したのが“猊下は学会の圧力で無理矢理に意に反したことを云わされている”というこっけいな論理です。

 第六十六世細井日達上人猊下がどのように公平な、そして剛毅大胆なお方であらせられるかということは、宗内でおよそ知らない人はありません。“浅井父子が血を流す” “実力行使する”と脅迫したのに対し、自らのり込んで“殺すなら私を殺しなさい”と一かつした事実を見てもそれは明らかであります。

 そのようなお方が、他から圧力があったといって、何で一千七百万信徒を、ひいては世界中をあざむくような公式発言をされましょうか。猊下が僧侶であろうと学会であろうと法華講であろうと、法主というお立場から随自意で御指南なされることは、浅井もよく知っていることです。
 浅井昭衛は、“さもなくは猊下のおっしゃることが二つに別れるはずはない”と云っていますが、もともと猊下のお言葉は一つしかありません。猊下の公式の御発言は一貫しており、違っているのは浅井がデッチ上げた“御内意”だけです。
 ということは、とりもなおさず、浅井のいう御内意がデッチ上げそのものという証拠でもあります。

 しかも、“以前国立戒壇を云っていた”という論議は、又、別であります。猊下は、理由を述べられて“宗門では以前は云っていたが、今後は云わない”と宣言されてるのであって、それ自体が一貫していることであります。

 この点について、ある学会幹部は、次のように話しています。

  「
昭和四十七年九月、学会代表と浅井父子が討論したとき、学会代表が“圧力云々は何を根拠に云うのか”と鋭く迫めたところ浅井は『根拠はなく、あくまで推論である。直接の圧力はなくとも、学会の存在に猊下が気がねして調子を合わせているようで、それ自体圧力だというのだ』と、とんでもない事を言い出し、『それでは、流血の惨を云ってせまるのは圧力ではないのか』と切りかえされ、『自分達の圧力は良い圧力だ』などと開きなおる始末です。
 これでは、結局、学会がやることはすぺて悪い、妙信講は何をしてもよいという論法であり、こんなばかな考えをもった者と話し合ってもしかたがないということになりかけて、結局、浅井は『今後二度とこういうようなことは云わないで、誠意をもって話し合おう』と約束しました。
 ところが、昨年五月頃、学会幹部と浅井昭衛が常在寺で話し合った際、またしても『学会の圧力で妙信講が登山停止された』というので、こちらが『とんでもない云いがかりだ。こちらは、昨年末、妙信講もできれば登山させてやってほしいとそれとなく骨折っているくらいだ。根拠を明かせ』とせまると、結局、『お山が学会に遠慮しているのだろう』とか何とか云いのがれようとしました。しかし、結局、浅井もそういう事実はないと認めざるを得ず、最後は、『学会側で、できるかぎりの口添えを、という好意は受けよう.すなおにそのことは感謝する.学会が本山に圧力をかけているということはないのはよくわかった.お山自身の権威の問題である』とはっきり発言しています。これには、証人も証拠もあります
」。

 ところが、そのあと文書は、相かわらずぬけぬけと学会の圧力云々ということを書いているではありませんか。このように、浅井昭衛という人は、会って話すとものわかりのよい話をするが、一たん別れると平気で別のことをいう二重人格者です。話合いの内容を平気でひっくりかえします。

 以上明らかなとおり、学会の圧力云々ということは、単なる推測、いわゆる下司のかんぐりにすぎないわけです。そして、いわゆる御内意なるものが、つくりごとである以上、それを正当づけるための圧力云々はまったく存在の余地がないわけです。

 それにしても、正本堂の御供養が行われてから四年たって、言論問題のおこりかけるころこれにインネンをつけ、御本山が登山を許さないという回答をしたのが昭和四十八年春であり、その後一年間何もいわずだまっていて、会館をつくり松本をたぶらかして妙縁寺の重宝御本尊を持ち出し、用意周到宗門と学会の仲をさくチャンスをうかがい昔のことをむしかえしてインネンをつけるという手口は、たいした戦略家です。口先のきれいごととは裏はらの野心まるみえといったところです。

 浅井としては、どんなに矛盾を指摘されても自分のつくりごとの御内意を正当化するとともに、“敵は本能寺”の学会攻撃をするためにどうして捨てきれないのが、この“学会圧力論”なのです。
 しかし、浅井が万が一にも宗内に同調者を期待してこのようなこと云っているとしたら、それはまったくの当てはずれになることだけは明らかです。
 なお、浅井らはさかんに、破邪新聞についてまで、“黒幕は学会”云々とわめいています。私達は猊下の弟子であり、猊下のおおせのままに行動しているだけです。本当に笑止千万な、卑劣なことを考えるものです。

 自分が“実力行使”で宗門に圧力をかけたり、時代遅れのもうろくした老僧をあやつったりしているのだから、他人もそうしているにちがいないと思っているのかもしれません。そして、自分で無茶をやり、失敗しておいて、それを学会のせいにするのだから、始末におえません。



 
学会の圧力云々のデッチ上げ とは、これまた、デマと歪曲の数々「よくもここまでぬけぬけとうそが言えたもの」とは、このことでしょう。

 後に山崎氏自身がすでに、「
いまは、私はすっかり立場を異にしているが、当時、力をかけて苦しめた一人として、事実はありのまま正確に述べる』(盗聴教団)と述べたことでしたし、さらに「学会側は、北条副会長が総本山に行って日達上人にお目通りし、『「解釈文を出されるのは結構だが、その内容によっては大変なことになる』などと陳情し、圧力をかけた」(同)と語ったことでした、
 阿部管長また「
顧みれば、あの当時、正本堂を何とか御遺命の戒壇として意義づけようとする池田会長と学会大幹部の強力な働きかけや、妙信講の捨て身の抗議があり」」( 平成三年三月九日付の回答書 )と、語っているのでした。
 
 さすがに、いま顕正会を怨嫉し闇の帝王・山崎正友氏の衣鉢を継いでネット上で盛んに悪口・中傷をくり返す諸氏にしても、もはや学会の圧力云々をしてデッチ上げとは言えないことでしょう。

 しかして、ここで許し難いのは「時代遅れのもうろくした老僧」との、松本尊能師への誹謗であります。卑劣なことを考えるもの」 「始末におえません」とは、山崎正友氏よ..あなたのことでありましょう。



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「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠