冨士大石寺顕正会の基礎知識


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  沿革: 講中設立試練と忍従七千即一万確認書誑惑訂正
       解散処分本門寺改称阻止誑惑崩壊国家諌暁


 八、誑惑崩壊

 本門寺改称の陰謀が破綻するや、阿部管長と池田名誉会長は互いに罵りあいをはじめました。そしてその中で、宗門と創価学会が二人三脚ですすめた正本堂の誑惑は、ようやく明白になって来ました。

 阿部管長は、「
その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、たしかに私も藤本総監も、ズバリとは言っていないが、それに近いようなことを実際に言っており、『大日蓮』にきちんと残っている。今、それは大いに反省しております。しかし、その時は、そのような空気が宗門を巻き込んでいった。その一番元は、池田大作名誉会長が、大聖人の御遺命の達成であるという意味で、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇であると指名したことであります」( 全国教師指導会、平成三年一月十六日 )と述べ、その罪を池田名誉会長一人になすりつけ、自らは「大いに反省」の一言で逃れようとしました。

 罪を一方的に押しつけられては、創価学会が憤るのも当然です。よって長文の反論書を阿部管長に突きつけたのでしたが、それに対し阿部管長はこう答えたのでした。
 「
顧みれば、あの当時、正本堂を何とか御遺命の戒壇として意義づけようとする池田会長と学会大幹部の強力な働きかけや、妙信講の捨て身の抗議があり、その間にあって宗門においても、正本堂の意義がいろいろ考えられました( 中略 )しかし、今顧みれば、あの時の正本堂は広宣流布の時に三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇となる 』という趣旨の教学部見解は、宗祖大聖人の御遺命たる本門戒壇の正義よりみれば、適当でなかったと思います」( 平成三年三月九日付の回答書 )と。

 
ここに、昭和四十年二月十六日の細井管長の説法以来、二十七年の長きにわたって正系門家を支配し続けて来た正本堂の誑惑が、池田会長の協力者だった阿部管長自身の言明により崩壊したのでした。
 
 しかして大御本尊は未だ、誑惑の殿堂たる正本堂に居え奉られたままでありました。

 浅井会長は平成四年十一月、三十万達成を機に「
顕正会の連々たる諌暁により誑惑すでに破れたるにも拘らず、阿部管長には、未だに大御本尊への不敬を解消し奉らぬこと、痛憤に耐えぬところであります。( 中略 )直ちに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉るべし、御遷座こそ誑惑の完全なる清算なり」と、強烈の諌訴状を阿部管長に提出しました。
 また平成七年一月の阪神淡路大地震を機に、重ねて浅井会長は「
大地震の切迫に鑑み、急ぎ免震構造の新御宝蔵を建設し、速かに正本堂より戒壇の大御本尊を遷座し奉るべき」旨の建白書を提出しました。

 ここに平成十年四月五日、阿部管長の決断あって本門戒壇の大御本尊は、ついに清浄・堅固なる新奉安殿にご遷座あそばされました。この願いに願ったご遷座の報に接し、顕正会員悉くひとたびは驚き、次には滂沱の涙を押さえることはできませんでした。
 続いてまた阿部管長により、池田会長の自己保身と政治野心・そして三大秘法成就の栄誉を得んとする野望のために建設された誑惑の殿堂たる正本堂は、ついに解体されたのでした。




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