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国立戒壇論の誤りについて
再刊後記
( 血脈の上の御意にして
下種仏法を所有したもう権限 )
以上両書の御金言により、戒壇建立の聖意を現代の広布相の上に拝する時、これはある特定の一時点のみを指されるものでなく、国主たる民衆の中に正法が浸透してゆく時間的経過の中にあることが明らかである。
またその広狭、因果、可否の判断は法主上人の血脈の上の御意によることであり、下種仏法を所有したもう権限にあらせられる。
以上に明白なように「広宣流布の暁」を国土全体の全員の改宗の後と考えるならば、それは永遠の未来であり、理想となる。御遺命の文は、その理想は理想として、現実の建立を示されており、従って全体の改宗を建立の条件とされているのでない。
故に現在の広布の相はまだ謗法者が多く、充分とは云えない。しかし、戒壇建立を願う多くの民衆が輩出しているので、未来の本門寺たるべく志願するところの建物を建立し、やがて未来にその完成を待つとの御意が、昭和四十七年四月二十八日の訓諭の精神である。これが御遺命の一期弘法抄、三大秘法抄の御文に違背なきはもちろん、進んでその聖意を奉顕あそばすものと信ずるのである。
さらにもう一つの主張として「御遺命の戒壇につき御金言には、一国総意の国家的建立を定めたもう」という見解がある。これも独断であることは関連の上に、すでに述べたことである。当時の政治上、宗教上のあり方において「国主此の法を云々」の御文もそれが厳密に、一国総意ということは出来ない。
また大聖人の御意が全民衆の救済を目的とされつつも、むしろそのためにこそ厳密に一国総意でなければ戒壇をたててはいけないと仰せになっていないのである。故に現代においても、一国総意にこだわる意味はなく、主権者たる国民の中に正法信仰の根強い潮流が出来上り、広布の現実が世にあらわれた時代と拝されるのである。
国立戒壇論者がこのようにあくまで国家にこだわることは、大聖人の仏法があらゆる世間の時代的変遷と地球上の地域、言語、風俗習慣等の差異を超越して、永遠に世界全民衆を救済する大宗教であることの道理に暗いからである。
現代の日本の憲法によれば国家として宗教に関与出来ないのであるから、かかる時代に国家の建立でなければ御遺命の実現が出来ないということはありえないのである。一期弘法抄、三大秘法抄の御文の意義すべて正法による民衆の全体的救済を目的としたまう上の戒壇建立の大慈悲である。国家とか数の如何をその条件とせねばならぬことは文の深意の中には拝せられない。
故に、一国総意の国家的建立などという見解は一に御金言の文に村し奉る現実の広布相の明確な検討を怠り、二に過去の仏法上の事例に暗く、三に御書の各文より帰納される聖意を我見で断ずるもの、といえるであろう。
つまり、いつが現実的な「暁」であるか、さらに広布の時機とその建物建立の前後等の決定は、一に法主上人の御判断によるべき処であり、依って正本堂に関する訓諭こそ、法主上人が大聖人の御金言をそのままお受けあそばされ、現実の広布相によって示された戒壇の御指南と拝されるのである。
これ以降、阿部教学部長の “再刊後記”への言及は、再刊後記らしく もっぱら
後の阿部管長“ご自身”の言葉を拝聴すること、を以てしましょう。
阿部教学部長(当時)は本書において、現憲法の<他義>によって 耳にタコができるほどさかんに、“国主たる民衆”と語り続けたことでした。
しかるに近年・阿部管長は、かつての“自らのその言”をなにやらこうして
さりげなく撤回しています。
“『一期弘法付囑書』における戒壇建立は実に宗祖大聖人一期の御大事であり、三大秘法の御化導における究竟の御指南であります。そしてこの御文の戒壇建立については、国主が『此の法』を立てられる時が条件となっております。その『国主』とは、時代の推移はあっても仏法と世法の道理の上に、常に仏智を根幹として拝し奉ることが肝要であります。国主でない者や国主の意義に値しない者が、仏法上の『国主』を僭称することは大謗法であります。またこれに関連して、戒壇建立に関する歪曲・専断の解釈を弘める者は、戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者であります”(総本山客殿新築落慶大法要、平成十年四月)と。
現憲法に基づいて“国主たる民衆”という以上 日本国民なら誰だって“国主”であり、仏法上においても「王臣一同」は“民衆一同”であるのだと、阿部教学部長はこの「国立戒壇論の誤りについて」において、云い貫いて来たことでした。
ところがその後・突如として掌を返しては、“国主でない者や国主の意義に値しない者”やら“仏法上の『国主』を僭称”やらと述べて、阿部管長は「国立戒壇論の誤りについて」における自説を批判します。
加えて、国主でない・国主の意義に値しない“民衆”をして『国主』などと僭称する論を為す輩は、“戒壇建立に関する歪曲・専断の解釈を弘める者”にして、“戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者”だと、過去の「民衆国主説」たる自説を最大限の言辞を以て、全面的に“自己否定”したのでした。
もとより 阿部教学部長は自説の「民衆国主説」など、微塵も信じてはいなかったのでしょう。
阿部教学部長は、池田会長への媚び諂いから 心にもない“誑惑の言説”の数々を、この「国立戒壇論の誤りについて」で
展開したに過ぎません。だからこそ、かつての唾棄すべく・抹殺すべき「自説」を、弊履の如く容易に投げ捨てることができたのでありました。
そして、怯懦・阿諛の阿部教学部長は管長職を継いでも、その“如是性”はいささかも変わることがありませんでした。かつての「民衆国主説」たる自説、総じては
本書・「国立戒壇論の誤りについて」で展開した数多の邪説こそ、“大謗法にして戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者”であったという
深刻な反省も後悔も懺悔も、いささかも持ち合わせてはいないことでした。
その“仏法中怨”の姿を鏡に照らせば、教学部長当時は「本書」の邪義の責任を“唯授一人の血脈を持たせたもう法主上人の内鑑の御境地による”やら“血脈の上の御意”やら“下種仏法を所有したもう権限”等と管長に押しつけ、今日においてはその“大謗法・反逆・弓を引く者”の責任の一切を池田名誉会長一人に押しつけ、自らの重大窮まりない<責任>にはいささかも思い及ばぬこと、たしかに終始一貫・本末究竟して力作因縁また等しいことでした。
さて この自ら否定するに至った「民衆国主説」は、その大誑惑の<邪説>のほんの一例に過ぎません。「国立戒壇論の誤りについて」において
阿部教学部長が為した邪知の誑惑・歪曲の数々は、“大謗法”の“戒壇の大事への反逆”にして、まさしく“大聖人の御化導に弓を引く者”に中りましょう。これ私の言葉ではありません、“内鑑の御境地”の御言葉でありました。
( 平成十五年五月九日、櫻川
記 )
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