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闇の帝王、池田大作をあばく
終章 宮本顕治邸盗聴事件の新事実
( 最後の敵は共産党だ )
翌朝十時頃、私は、東京へ帰る準備をして、池田氏に出発する旨の報告書を提出して、許可を待っていたところ、池田氏より部屋へ来るように、との指示が届いた旨、第一庶務から告げられた。第一庶務員の案内で、私は、生まれてはじめて箱根研修所の池田専用施設に入った。
二部屋あるうち、池由氏が居間につかっており、壁ぎわに、“留言集”(池田氏の、一種の遺言集みたいなもの)などが入れられているケースがある部屋で、池田氏は、“今、おきたはかり”といった、少しハレぼったい顔で安楽椅子に座ったきり、私を迎え入れた。
頭に氷のうをのせ、寝巻かわりのゆかた姿のまま座っている池田氏のわきには、美人のほまれ高い第一庶務の本田章子嬢(吉田良祐氏と結婚、その長女は、池田氏が我が子のようにいつも連れて歩き、マジックインキで顔にいたずらしたりした)が立っていて、肩口から手を差し入れて、池田氏の左胸をさかんにさすっていた。
私は、日のやり場にこまって視線を下におとしたが、肩口から胸に手を差し込まれたまま、両足を開いて座っている池田氏のゆかたのスソが乱れ、いわゆるステテコが目に入った。私は、池田氏の顔の吉田嬢(ママ)のいない方のナナメ横を見ながら、固くなって話をした。
池田氏は、「原稿は、あれで良いか?」と念を押したあと、「共産党は、どう出るか。大丈夫か?」とたずねた。
既にその年の二月頃から、私が、共産党関係の情報収集と分析を担当しており、五月三日の議会(ママ)準備原稿作成に当たっては、それまでの共産党の批判が、どのような理論と根拠にもとづいて行われていたかを分析した資料を、原島崇氏に渡していた。これにもとづいて、以後、共産党の追求がかわせるよう充分配慮して、政教分離、その他の内容を、草案に盛り込んだのだった。
私は、共産党の出方について、概略的な見解を述べたあと、「大義名分はあくまで大義名分であり、本音とは別です。共産党の本音は、やはり、学会を長期的な敵とみて、何とかやっつけようとする姿勢は変らないと思います。決して油断も楽観もできません」と答え、そして、共産党の出方を正しくとらえ、適切な対応をするために、徹底した情報活動が必要であることを強調した。
池田氏は、「わかっている。最後の敵は共産党だ、今度は、やられた。いつか、かたきを討たなくてはならない。情報のことは北条さんから聞いている。徹底してやってくれ。喰うか喰われるかの戦いだ。必要なものは何でもつかってよい。何か足りないものがあるか」とたずねた。
私は、「必要な資金は、北条副会長からいただいています。人材は、学生部の精鋭を、思い切って投入したいと思いますので、お許しをいただきたいと思います」と云った。
池田氏は、その場で、本田嬢にいいつけて原島崇氏を呼ばせて命令した。「学生部長に、私の命令として、今後、学生部から必要な者を友さんの指揮下に配属するよう伝えなさい」
さらに、池田氏が、私の生活のことや家族のことを聞いて、報酬の支払いを北条氏に出したあと、池田氏は、“疲れた疲れた”と云いながら本田嬢といっしょに部屋に入り、私達二人は、引き下がった。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
東京へ帰るためにも、池田会長にいちいち文書でお伺いをたて、その許可がでるまでは待っていなければならないという内部事情が、こうしてうかがえることでした。独裁者たるもの、部下の一挙手一投足にこまかく目を配り・支配することは、当然のことであるのかもしれません。
そしてまた当時の北条副会長とても、池田会長に対して子細にわたって報告と許可を得ることが必要だったことは、云うまでもないことでありましょう。副会長といえども、勝手な判断をして後でそれが池田会長に知れて逆鱗に触れたなら、どのような総括が待っていることか。部下の独断は、独裁者にとっては権威への裏切りであり、背信でありました。
いわんやまた、当時の最高幹部すべてが
「池田氏を御本仏の再誕とあがめ、池田氏を護って馬前に散ることが最高の名誉と心得ていた」という、特異な教団内の信仰構造があったことでした。
東京地裁は、宮本顕治邸盗聴事件判決で北条副会長(当時)の関与を認定したことでした。もとより原告の主張が、池田会長の関与にまで踏み込んでいなかったことから、池田氏の関与自体は争点にはならなかったことでした。
しかし、裁判の場と違って歴史や思想や御遺命守護の視点からみれば、北条副会長の関与は必ず池田会長の指示・命令を受けてのことでありましょう。山崎元顧問弁護士の、「共産党は、どう出るか。大丈夫か?」、「わかっている。最後の敵は共産党だ」、「情報のことは北条さんから聞いている。徹底してやってくれ」、「喰うか喰われるかの戦いだ。必要なものは何でもつかってよい」と、池田会長から直々に共産党対策の指示を受けたとの証言は、その時の池田会長の様子のディテールをも含めて、事実を語っていることでありましょう。
また、山崎顧問弁護士に対する報酬の支払い指示の決済書類を、その場で池田会長が北条副会長あてに発したことも知られます。
さて こうして山崎顧問弁護士による、共産党からの創価学会批判の理論と根拠の分析に基づいた、共産党からの追求回避の対策こそ、「政教分離」であり「国立戒壇放棄の公式決定」であったことでした。
(
平成十四年三月十一日、櫻川 記 )
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