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創価学会第三十三回総会
池田会長講演
正本堂の本義
(
本門戒壇は国立である必要はない
)
私がこう申し上げるのも、後世のために、現在の責任者として、全ての路線を明確にしておく必要があることを痛感し、皆さん方に確認しておきたいからであります。
まず第一に、本門戒壇は国立である必要はない。国立戒壇という表現は、大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来ともに使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましようか。
第二に、国教化は、一閻浮提という世界宗教の意義からはずれ、その宗教の力なきことを意味するものであり、かねてからこれを否定してきた、私どもの意思を更に高らかに宣揚したいと思いますが、その点もいかがでしょうか。
第三に、将来、国会の議決によって国立にするのではないかという疑惑に対しても、本門戒壇は、どこまでも、純真な信心を貫く民衆のちからによって築かれ、意義づけられることを明らかにしておきたい。戸田前会長も私も、国会の議決ということを民衆の要望をあらわすものとして、真剣に考えたこともあります。しかし、それは、憲法の精神からいって不適当であり、私どもとしても、はるか以前にこの考えを捨ててしまっております。私は、歴史上、尊い試練を経て確立された信教の自由、そして、それを定めた憲法をどこまでも遵守していきたいのであります。
また、国立でないからといって、いささかも戒壇建立の本義を曲げるものではなく、むしろ、どこまでも純真な信徒の総意によって推進されていくことのほうがはるかに大きい意義がある。ゆえに絶対に、国会の議決等にはよらぬことを明言しておきたいと思いますが、いかがでしょうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
第一に、「
国立戒壇
」の表現が御書にないように、「
民衆立戒壇
」の表現とても、御書にはないのでした。
「
国立競技場、国立美術館、国立公園等も、すべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、
国立戒壇として建立されることは、必然
でなくてはならぬ
」(国立戒壇の建立と学会員の前途)というかつての明快な論理は、どのように否定されたのだろうか。
そして第二に、三大秘法有縁の妙国・日蓮大聖人の本国であり、「
仏法必ず東土の日本より出づべきなり
」にして
本化国主まします日本の広宣流布こそが、
一閻浮提広宣流布の契機となるのでありましょう。
「
日蓮大聖人様の仏法は世界の仏法である。宗教に国境はありえない。大聖人様の戒壇は、日本国だけではなく、世界に通ずる戒壇であると信ずる。その
第一段階として、日本国が王仏冥合して、政治上に、本宗の正義を用いることは当然
であろう
」(同)でありました。
また第三に、必要条件である「
勅宣・御教書
」の発布の為には現憲法の改正が不可欠で、そのためには各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し国民投票(又は国会の定める選挙の際行われる投票)における過半数の賛成という定められた手順を踏むことは当然でありましょう。
「
主権在民の政治に移り、最高の世論が議会に反映されていく方式が、初めて正しい仏法を守り、流布していくことになるのである。それには、同志をたくさん議会に送らねばならない
」し「
広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時
」を目指して「
御教書を下すべき礎
としての法戦
」(同)であり「
国立戒壇建立のためにどうしても通らねばならない関所
」であると、選挙において檄をとばしたことはウソ偽りであったと謝罪すべきでありましょう。
( 平成十四年四月十一日、櫻川 記 )
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