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創価学会第三十三回総会 池田会長講演
創価学会の体質問題
( ブロック、ヨコ線を基調とする )
これと関連して、第二点として、これまで学会は、紹介者と入信者というつながり、すなわちタテ線を基調として前進してまいりました。だが、ここに完ペきな基盤ができあがりましたので、地域社会と密接なつながりをもつという意味からも、これまでのタテ線を基調としたのと同じく、これからはブロック、すなわちヨコ線を基調としていきたい。
とりあえず、昭和四十七年十月ぐらいまでを一つの区切りとして、ブロックの体制を基本にしながら、伸びのびと、仲良く、楽しい信心をしていきたいと思いますが、この点もいかがでしょうか。
ともあれ、今後は社会を大切に、そこで尊敬され信頼されていくことが大切であります。社会に根を張れるか否かで、学会の将来は決定してしまうのであります。それができなければ、広宣流布の進展は絶対にありえぬ時代であることも銘記したい。
第三点は事故を起こした人の問題であります。仏法は、慈悲が根本精神であり、いかなる社会の片隅の人をも救っていく使命があります。虚栄であってはならない。最高に寛容であり、包容性に富んでいかねばならない。ただし、学会員でありながら、折伏や選挙にさいして事故を起こし、世間を騒がせ、同志にも迷惑をかけた場合には、いかなる幹部であっも、解任または除名処分にしていく以外にない時代であると思う。この点についても、今後、厳格に臨んでいきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
第二点の「タテ線からヨコ線への転換」とは先にも指摘した通り、従来の「折伏中心路線」から新たな「選挙中心路線」への、教団組織の基本構造の大変革でありました。
そして、「伸びのびと仲良く」とか、「今後は社会を大切に」とか、「尊敬され信頼されていくことが大切」と言うのは、要は従来の「国立戒壇建立」と「強面の折伏」は放棄して、今後は選挙での一票獲得のため周囲に「愛想よくせよ」、ということだったのでした。
第三点の「事故を起こした人の問題」とは、そもそも「問題」をスリ替え言うことでした。組織が起こした問題の責任は、その長にあることは言うまでもないことでしょう。況や宗教組織において、独裁的な指導的立場にあった池田会長においては、なおさらその長としての責任は重いはずでありました。
しかも池田会長は自らの責任はさておき、「事故を起こし世間を騒がせた」幹部は解任・除名すると述べたのでしたが、それは実は自分に反逆した者は「解任・除名」だけに止まらずいつまでもどこまでも「イヤガラセを続けるぞ」、と言う意味であったのでした。
このとき共に「国立戒壇放棄」に加担し、後にそれぞれの立場から池田会長の<責任>を問うこととなった、原島元教学部長や山崎元顧問弁護士や藤原元総務や阿部元教学部長や、事実の一部を公表した竹入元公明党委員長等に対して、機関紙における常軌を逸した執拗な弾劾・誹謗が絶えないのは、そのことを物語っているのでしょう。
「仇討ち」が口癖(池田大作先生への手紙)で執念深い池田会長から、「慈悲の根本精神」や「最高に寛容」や「包容性に富んで」などと聞くのは、笑えないブラックジョークでありました。
(
平成十四年五月一日、櫻川
記 )
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