昭和30年 (1955) _ |
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1月1日 | 法道会、早瀬道應主管「新春賀詞」。
「昭和三十年度、法道會の全體は、異體同心の組織と編成のもとに、なんとしても折伏體型を綜合して一本化さねばならぬ年である。十人十色で、考へはいろいろあらう。… さあ、同志諸君、お互ひにかたを組んで行かう! 始終一貫!」(「法之道」1月7日号 )
「法道会は、現在の法道院(東京都豊島区)に本部を置いた、大石日應上人(大石寺五十六代)が明治期に設立した信徒組織である。…「法之道」の創刊は昭和二十九年一月で、発行は「法之道社」である。その発行兼編集兼印刷人は、「浅井昭衛」となっている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ) |
1月1日 | 創価学会、小平芳平著 「日蓮正宗教学問題の解説」発刊。 |
1月 日 | 創価学会、戸田城聖会長、青年部幹部の夫妻を集め、恒例の食事会。 「戸田先生の縁結びで一緒になった青年部幹部の若夫婦が総勢15、6組。毎年1月、東京・南甫園へ食事に招待され、いわば戸田子飼いの若い家族が一堂に会した。… 戸田会長は毎年決まって同じ言葉を繰り返していた。『長男はツギオで、次男がダイサクだぞ』… この頃はだれもが石田を戸田二代会長の跡継ぎだと考えていた。池田自身もそうだったから、彼の石田に対するオベッカ遣いは凄かった。… 池田は石田に対してだけは懸命にゴマをすった。石田が腰を上げると見るや、池田は素早い。パッと立って、石田の手荷物を持とうとするのである。いくら相手が次期会長候補とはいえ、宗教団体の創価学会でそこまで媚びを売る人間はほかにいなかった」(「池田大作の素顔」藤原行正 ) |
1月 日 | 法道会、講頭會議開催、多岐に亘る昭和30年度の指針を打ち出す。
「折伏誓願目標の決定、組織の中樞としての總擔當・補導部の確立、法華講の一列として各講の在り方、組織の整備充實、講頭・支部長・班長・組長のあり方、次いで各講の實狀報告、等があり、本因妙講の支部制等の發表も見た。信仰即生活を徹底する様に、一人前にかせいで一人前に折伏する様 生活指導を、講頭はやって欲しいといふ意味が、特に御主管より強調された」(「法之道」2月7日号 ) |
1月16日 | 創価学会、男子青年部第3回総会開催、戸田城聖会長「しかして、この私に言わせれば、(広宣流布は)この年から25年のあいだでなければできない。来年や明後年にできるものではない。… 私も、ことしで、もう56になった。25年でできるとしても、加算すると、どうなる。81ではないか。それまで、生きているわけにはいきません」 (※ 27年後の昭和57年10月、浅井昭衛会長は第23回総会開催(日本武道館)で「あと25年で広宣流布せねば日本は滅亡」と叫んだ。 「浅井昭衛会長の思考には、現世利益の強調、在家主導の布教活動、仏教の世俗的解釈、教学の振興、組織拡大路線、登山・御開扉の重視、国立戒壇志向として、戸田思想が形を変えて受け継がれている。浅井昭衛会長こそ、戸田氏の思想的後継者であると言えよう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )) |
1月24日 | 宗門、蓮華寺事件発生。創価学会員、蓮華寺前でピケを張り参寺を阻止。
「時の会長戸田城聖の意をうけた宗門の庶務部長は、管長の諒解もとらずに、崎尾(正道師)を檀家もほとんどない田舎の寺に左遷しようとした。その辞令に押された管長印は、庶務部長が盗用したものといわれている。…
崎尾はこの左遷辞令を拒否、事態は硬直したまま御法主上人の代が替った。新御法主・堀米日淳上人は、この辞令の破棄を命ぜられて、崎尾は元通り蓮華寺住職の身分を保証された」(「私は創価学会のスパイだった」下山正行 ) |
1月30日 | 創価学会、豊島公会堂で第1回本部財務部員会開催。参加財務部員4千余と幹部が一緒になり、会場に入れず帰宅した者が出る程の盛況であった。 戸田城聖会長、「此の度財務員会に、この様に多数集られたことは恐懼の至りです。財務員バッチを2千個作っておけば間に合うと思ったが、間に合わなくなった。学会は金がないのが自慢である。… お蔭で大威張で地方に行くことが出来る。厚く御礼申し上げます」と。 |
2月1日 | 創価学会、大白蓮華 2月号発行。男子部幹部の論文として、「本門戒壇を建立する関係はどの様にすればよいか。三大秘法抄に仰せの如く御教書即ち国会の衆議院の議決が最も必要である。そのためには日本一国の民衆を日蓮正宗に帰伏さすことである。これは日々の折伏闘争において日々行っている所である。この衆議院の議決は実質的には日本国憲法第二十条の宗教の自由条項の改正を行わなければならないのである。宗教の自由は現在認められているけれども、邪宗教を信じて不幸になる自由など与える必要は毛頭ないのである。日蓮正宗をもって日本一国の国教とするのである。憲法改正のその時こそ衆議院の四分の三は創価学会をもって固めなければならない。しかも国会の議決だけをもってこれを定める事は出来ないのである。茲に国民投票が必要であります」と。 |
2月6日 | 創価学会、聖教新聞 第1面に「大阪に鬼入其身の見本!! 蓮華寺・崎尾正道」「全御本尊の返却迫る 宗門唯一、広布妨害 学会は同人追放迄斗争」のトップ記事掲載。 |
2月13日 | 創価学会、聖教新聞 第1面に「宗門追放 崎尾師問題、俄然反響呼ぶ」「全国寺院に意見御伺 派遣青年部幹部に積極的賛意表明」「御法主猊下へ御願言上 蓮華寺からは常住御本尊御下渡し差止め決定 崎尾住職の策謀これで完封」等の記事掲載。 |
3月4日 | 宗門、細井精道庶務部長と早瀬道應教学部長。創価学会本部に戸田会長を訪ね、小樽での法論に協力を要請。 戸田城聖会長「実に重大なことである。法論の日取りは十一日で、先方は身延本山から法論者が派遣され、北海道在住の身延の僧侶が全部集まるということであり、日蓮正宗側から妙光寺の柿沼尊師、法道会の早瀬教学部長の二人が法論の当事者として、先方へ明示されているとのことである。しかも、当日は日蓮正宗法主水谷日昇上人が北海道御親教の途路、小樽へ立寄られる日である。両尊師の御心配も当然の事である。そこで私は、事重大でもあるし、且つはまた信仰も哲理もない似非日蓮宗身延山が法論を仕掛けるのは、片腹痛いと思った。そこで即座に『この法論は私がお引受けいたしますから、心置きなく法主上人の御供をしていただきたい』と申し上げた」(「小樽問答に大勝利を得て」戸田城聖 ) |
3月6日 | 法道会、第八支部結成式開催、「折伏系統による縦の線が、着々と實狀に即して整備されつつある現在、ここに百世帯を単位とした新支部結成に葛飾方面の講組が異體同心に合同した事は五ヶ年計畫の完成に向って大きな新局面を開いたものと云える。大講中に於ては既に支部單位制が布かれている、即ち一昨年妙信講に於て三支部の分化が行はれ、本年一月には本因妙講にも三支部が設けられ、それぞれ約百世帯を一単位としている。こに葛飾方面の正信講、篤信組、里見組がそれぞれの長所を生かし、更に各講の發展存續の為に合同して支部結成をなし、前記大講中の支部と共に本部の力強い指導下に入る事は、まことによろこばしい事である」(「法之道」3月7日号 )
「昭和三十年の法道会の弘通目標は、千六百八十世帯。妙信講はその中で、九百世帯という高い目標(「法之道」第13号 )を掲げている。ちなみに本因妙講の目標は、二百世帯であった。高い弘通目標が立てられた所以は、創価学会という強力なライバルの躍進を横目でにらんでのことである。このような法華講は、当時として宗門に法道会を除いては皆無であった。大石日應上人が、帝都弘教を志して設立した法道会であればこそ、凄まじいまでの心意気が伝えられていた。法道会では、早瀬主管の強いリーダーシップのもとで僧俗一体の実を得、講中組識の改変が行なわれて行った」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ) |
3月11日 | 創価学会、小樽問答、身延派日蓮宗と公開法論。会場、小樽市公会堂。 創価学会側 司会:池田大作(参謀室長) 講師:小平芳平(教学部長) 辻武寿(青年部長) 日蓮宗側 松井義海(宗会議員) 室住一妙(身延山短大教授) 長谷川義一(元顕本法華宗統合宗学林長) 会場は定員千人で、双方の席は半々との取り決めであった。警備は創価学会の青年隊員であり、会場はほぼ創価学会員に占拠され、会場の外にも溢れんばかりの状態となった。結局、会場の席は7割以上が、創価学会で占められた。 創価学会側講師の登場とその論説には大声援と大拍手が送られ、日蓮宗側講師に対しては罵詈雑言が容赦なく浴びせられた。最後の30分ほどで、多少の問答らしき講師間における質疑応答があったが、喧噪の会場を日蓮宗側は引き上げてしまった。その後、会場では狂喜した創価学会員が、「勝利の万歳」に躍り上がった。 |
3月12日 | 宗門、水谷日昇管長。戸田城聖会長以下、小樽問答関係者を招き慰労の宴を設ける。
水谷日昇管長より「諸君の奮闘に感謝する」というお言葉をいただいて、一同は感激をあらたにした。
「その時、戸田先生は立上って『将来、御本山の命令があれば創価学会はいつ潰してもよい。学会は潰してもいいが、日蓮正宗は絶対潰してはならない』と、御法主上人にお誓いする形をとりながら、勝利の美酒に酔っている学会幹部に対して厳しく将来に向って学会のあり方を、示された」(「有徳王」龍年光 )
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3月19日 | 第二次鳩山内閣発足、鳩山一郎、第53代内閣総理大臣に任命さる。 |
3月23日 | 法道会、第十支部結成式開催、早瀬道應主管「私は今回の支部結成には心魂を傾け眞劍勝負の氣持をもつている。支部については結成の當初でもあり、不明な點もあらうが、私を信じて欲しい。… 思うに今の宗門の動きはすでに居眠りを許さない。私共は小たりと云へども卑下する事は少しもない、堂々たる確信を持とう。そして組織を通じて信心を燃やして行く事を忘れてはならない」(「法之道」4月7日号 ) |
4月3日 | 創価学会、聖教新聞社説、「文化部員の政界進出」掲載。 「即ち文化部の目的としてはこれ等の活動は全部広宣流布完成への目的の下にこの目的へ集約されて来なければならない。… 文化部員が何故政治に進出し、教育界に活動し、経済や労働問題に乗り出すか、… 広布の終点は国立戒壇建立である。その為には国会での決議が必要だ、すると宗教の正邪に対して確たる信念を持ち国立戒壇建立を願う人々の代表が、国会議員として多数居なければならない事は論をまたないのである」 |
4月6日 | 宗門、大石寺宝物殿建立。 |
4月11日 | 宗門、大阪・浄妙寺落慶式。創価学会が、蓮華寺に代わる寺として寄進。 |
4月17日 | 創価学会、「聖教新聞」社説、「立正安国実現の国立戒壇建立」掲載。 「この国立戒壇とは、日本の全国民が宗教の正邪に目覚めて大聖人の真の仏法を信仰する様になった時に建てられるべき、仏法の一大根本道場である。… では何故国立の戒壇を実現しなければならないのか。もちろんこの様な大問題の御仏意は到底測り知る所ではないが、浅智をもってその一端をうかがい奉るならば、その必要は立正安国論にはっきり御示しあるものと信ずるのである。… この戒壇を実現する為にはたゆみ無き折伏が必要であり、その最後に正法を理解し国立戒壇の必要を痛感する人々を国会に送って、その議決を獲得しなければならないのである。正法を信ずる者の中から政治家出でよ、学会員から政治家出でよと要望されるのも、唯この国立戒壇建立の為であって政治そのものを左右する為ではないのである」 |
4月 日 | 創価学会、18万4千世帯となる。 |
4月30日 | 第3回統一地方選挙。 創価学会、「公明選挙」「政界浄化」をスローガンに、文化部員が地方議会へ初進出。東京・市区議会議員に33名全員当選、その他の市議会議員に18人当選。合計、全国で51名の創価学会員の地方議員が誕生した。 龍年光、品川区議にトップ当選。森田悌二、横浜市議会(鶴見区)でトップ当選。 |
5月1日 | 創価学会、戸田城聖会長、女子青年部総登山における三門の挨拶で「広宣流布は20余年間に、成し遂げられることを私は確信いたします」と。 |
5月1日 | 宗門、大橋慈譲師(正継寺)、「蓮華寺崎尾住職を非難する書」を聖教新聞に寄稿。 |
5月3日 | 創価学会、第12回総会開催。年頭に戸田城聖会長から宗務院へ出された、"御宝蔵建設請願書" が宗会の認可を経たとして、計画と募金の発表がなされた。
戸田城聖会長「ここにおいて私は宣言する。これは迂遠のように考えられ、遠い先のようにも考えられているが、宗教を根底としなければ、真の幸福はないということであります。その宗教のなかでも、日蓮正宗でなければ絶対に日本の幸福はない、日蓮正宗でなければ日本の国に幸福というものをもたらすことはできないのだという提案を、日本全国に向かって宣言するものであります」
水谷日昇管長「布教の困難は唯々困難な仕事であるとつくづく感ずる次第であります。仏法を修行しつくした菩薩もなお、このことにおいて最後の難しさを思い、その適切な方法に迷うといわれております。私共はこの困難な仕事に当面し、日夜よりよき方法の発見につとめ、無用な衝突や誤解を排除し、一人も多く信仰の恩恵に浴せしめなければならないと思います」
創価学会版「小樽問答誌」刊行。 |
5月15日 | 創価学会、聖教新聞 第1面トップに「御宝蔵建設募金始まる 学会挙げて御奉公 一世帯百円見当 二千万円で鉄筋建築」「信心根幹に募金」の記事掲載。 理事室談、「今度の大宝蔵建設は、広宣流布の時まで大御本尊様を御安置申しあげておく場所をお造り申し上げるのであり、信徒としてこの上ない名誉であり、我我の福運である。… 熱心のあまり借金してまでも出すような事があってはならない。どうかこれらの諸点の注意して大事業達成に協力されたい」 寸鉄欄、「今募金中の大御宝蔵の奉納式、本門戒壇大御本尊様の旧宝蔵よりの御遷座は、広布の暁の正本堂への御出ましをほうふつとさせるものがあろう。御供養の出し惜みしてその時後悔してもおそいぞ。御供養は額の多少ではない。他人とのつり合いなど考えて見栄で出しても功徳にはならんぞ。もち論出し惜みは論の外だ」(※「寸鉄居士」とは、戸田城聖会長である ) |
5月 日 | 創価学会、4月の選挙でタテ線の非効率性が明らかとなり、急遽、東京からブロック制の導入を開始。(※ 全国的にブロック制移行が完了したのは 1962年 ) |
5月25日 | 宗門、小笠原慈聞著「日蓮正宗入門」出版。
前書きに、「その抱負の偉大なるため、永年沈衰してゐた本宗も俄に活気を帯び生き吹き還すに至り、今や全国で正宗信者の無い土地は無く、広宣流布の魁をなすに至つたことは、只管ひたすら感激の外はありません。自分は不徳にして一時調子に乗り、その為学会と論争の不幸を醸した事のありました事は、誠に遺憾の至りでありました」と。 |
5月29日 | 創価学会、男子部一万名登山。 |
5月31日 | 創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長「このたびの奉安殿建設には、金銭の大小を問わず、大御本尊様広宣流布までのお住まいを御供養しましたことは、日蓮大聖人様のお目にとまり、生々代々、住む家に困らないと確信いたします」 (※ これまでの "御宝蔵" から、呼称が "奉安殿" に変わっている。) |
6月16日 | 宗門、総本山綜合大改修計画委員会設置、委員長に高野日深師就任。(「大日蓮」第112号 )
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7月1日 | 創価学会、大白蓮華、戸田城聖会長が本尊について指導。 「心構えが一切衆生の為なら、勝手に御本尊を書写しても御利益があると思い込んでいるから、やたらにニセマンダラがとび出すのである」(「大白蓮華」7月号 ) |
7月7日 | 法道会、「法之道」巻頭言。早瀬道應主管「法道會法華講五ヶ年計畫も今なかばである。異體同心に前進すべきである。… 思ふに個人には限度がある、良き御本尊とよき信心によき師を得て總合的に前進しなければならぬ。小さなワクに執着し小善にこだわり廣宣流布の大善のさまたげをしてはならぬ、個人も支部講組も總てを生かしてあくまでも團結し異體同心でなければならぬ、一部講組も法道會法華講の中の細胞であり法道會の前進をはなれて存在しない事を自覺し一體となつて前進しよう、さなくば脱落するであらう。…
私は無智無戒にして云ふに甲斐なき貧僧である、だがみにくい凡身を御法に生かされて同志と肩を組み異體同心に前進する。同志よ君等は己れの任務をしっかりと覚悟し總合して一丸となつて前進しよう、外には謗法を突破し內には結束を固め、はるかなる廣宣流布に前進だ。同志よ異體同心だ」(「法之道」7月7日号 )
「早瀬主管の五ヶ年計画とは、昭和二十八年を初年度として従来の講中組識の統合をはかり、昭和三十二年に精鋭三千世帯を達成するというものである。昭和二十九年八月当時、法道会は八つの講と四つの組からなり、本部には幹部二〇名、補導二名、布教部三二名、会計部二名、地方部三名、報道部一〇名、婦人部委員七名、書記部五名、青年部運営委員六名、中等部少年部委員四名が置かれていた。妙信講の浅井甚兵衛講頭は、このとき法道会の総講頭を務めている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ) |
8月23日 | 創価学会、蒲田支部函館地区総会開催、戸田城聖会長「紫宸殿御本尊と広宣流布」 「広宣流布の暁には、大聖人様が御存命中に、広宣流布ができたならば、紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。… この紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然と奉持し奉っているのです。この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです」(「戸田聖城先生講演集上」) |
8月24日 | 創価学会、北海道地方折伏講演会開催(札幌市商工会議所)、戸田城聖会長「弘安二年の御本尊」 「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(「戸田聖城全集第4巻」) |
8月27/28日 | 宗門、法華講登山会。法道会は、370名の登山者。
水谷日昇管長「殊に一ヶ寺院教会として三百五十有余の一団体の登山は宗門未曾有の事であり、これ一に主管早瀬道應師の熱誠なる教導の下に幹部の指導尽力に依る事で、定めし法道会開基五十六世恩師日應上人を始め奉り、二代日轟大徳も霊山浄土に於て御照覧、御満悦の事と存じます」
早瀬道應主管「開基日應上人より受けつぐ法道会の歴史を見るに、今迄は只なごやかではあつたが、何か力の弱いものであつた。… この第一回登山を期して、今後は団結の力強さを持つて名実共に折伏の第一線に立ち上つて頂きたい。創価学会は戦後の第一回夏期講習会には、わずか三十数名であつたと聞いている。それが現在では三十万世帯にまで大発展した。実に私はその努力を尊敬します。… 法道会の信徒は力を協わせて全国法華講のさきがけとして力強く広宣流布の土台石となろうではないか」(「法之道」9月7日号 )
「日昇上人の師範が日應上人である。当時として、三百五十名の一団体の登山は宗門未曾有のことであり、法道会は宗内の法華講において抜きん出た存在であった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ) |
9月12日 | 宗門、堀米日淳著「日蓮聖人と法華経」刊行。 |
9月30日 | 法道会、青年部臨時総会開。三班体制の新組織が制定され、青年部長に浅井昭衛が就任した。「新組織は青年部の現段階に即応した態型が強く打ち出され、組織の簡素化と共に内容充実に重点を置いて、更めて青年部が力強き第一歩を踏み出した」
早瀬道應主管、訓示「青年部が新しい組織を組み立て、発足するに当つて一言、去る日運営委員の諸君が私の所に来て一同の輿論として組織の改革を願い出た。私はその内容を聞いて法道会の青年部もよくここまで成長したと思つた。全法道会の組織に於いてひとり青年部が旧来のからを脱皮して革新したことは非常にうれしい」(「法之道」11月7日号 ) |
10月16日 | 毎日新聞(茨城版)、「正教か邪教か。無理に入会させる。結婚も信徒以外はダメ」の記事掲載。 |
10月27日 | 宗門、堀米日淳著「初心者への指針」刊行。
富士学林研究科特別講義、大石寺に開講。 |
10月27日 | 山形新聞、「強引な布教に非難。神だなや仏壇焼く創価学会。県警で動向注視」の記事掲載。 |
11月1日 | 創価学会、大白蓮華 11月号。小平芳平教学部長の「創価学会批判の妄論を破す」を掲載。 |
11月3日 | 創価学会、第13回秋季総会開催(後楽園球場)、参加人数 7万人。 池田大作参謀室長「親衛隊の決意」と題し、「わが日蓮正宗創価学会が、絶対唯一の宗教であると断言するゆえんのひとつには、じつに世界最高の教学、すなわち民族救済の永遠不滅の哲学をもっているという事実であります。 第二に、末法の御本仏・日蓮大聖人様の御確信であり、予言であり、御命令である仏国土の建設、すなわち真実の世界平和の実現たる、広宣流布への一大目的に、身命をささげて邁進しているという事実なのであります。… 進んで、一国本尊流布の終了にともない、御予言たる『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つ べきのみ、事の戒法と云うは是なり』(身延相承書) と申されし、日本国の、いな東洋の黎明たる国立戒壇の建立がなされるのであります。… 仏意仏勅にこたえまして、戸田会長先生のもと、われら青年部三万名の同志は、会長先生の親衛隊として、仏勅実現の日まで、いかなる法戦に臨んでも、見事な、そして壮烈なる闘争を展開して、必ずや闘争することをお誓い申し上げるしだいでございます」(「会長講演集」第三巻 ) |
11月6日 | 法道会、青年部秋季大会開催、145名結集。
早瀬道應主管、訓示「私がまだ深川に居た頃、今から見ればもう古い昔になるがその当時の信者の人達はただ「時を待つべきのみ」と云つておとなしく信心をしていた。… 集つてお経を上げて自分だけが満足して御馳走を喰べて好い気になつていると云う姿だつた。…
実にこれは変ったお寺です。形式にこだわるお寺ではない。… 世の為人の為になるならば遠慮なしにどんどん動ける、形式にしばられない寺なのだ。この様に私は御法の為、国の為になるなら遠慮なしにひつこしでもなんでもやつて行く考えである。したがつて法道会の中枢を為す所の青年部諸君もまた遠慮なんか要らない、正しい仏法の上に立って伸びる為だつたらこだわらずに組織でもなんでも変えてぐんぐんやりなさい」(「法之道」12月7日号 ) |
11月13日 | 宗門、法道会妙信講総会開催。天高く晴れ渡り、900名が道場を埋め尽した。
早瀬道應主管「皆様が日頃真剣にやつている事が今日の集りで証明されています。大聖人様の仏法が盛んになるにつれて、次第に悪口、批判、邪魔もまた活発になつて来ます。世間の悪口は折伏が盛んになつて来た証拠です。…
皆さんは広宣流布に向った信心をして下さい。まず第一に御本尊への給仕をよくし、勤行をしつかりやる、そして化他の折伏を修行する、幸福は必ず掴めます」(「法之道」12月7日号 ) |
11月15日 | 自由民主党結成、神田の中央大学講堂(当時)にて結党大会が開かれた。党規・党則・綱領・政策活動大綱・党役員が満場一致で可決・承認され、近代政治史上初の単一保守政党が成立した。 |
11月23日 | 宗門、奉安殿落成法要奉修。大御本尊、御宝蔵より御遷座、御儀厳かに挙行さる。創価学会の建立・寄進による。 |
11月25日 | 創価学会、「創価学会批判の妄説を破す」を発行。 |
11月26日 | 毎日新聞、法務省公安調査庁 藤井長官の「学会の折伏行進は破防法にひっかかる」との講演(千葉市公会堂)記事掲載。 |
12月13日 | 創価学会、関西本部落成入仏式奉修、水谷日昇師書写「大法興隆諸願成就」と脇書のある常住本尊を安置。
戸田城聖会長「大聖人のおせられるのは、祈りは必ずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめなのです。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私はひじょうに光栄とするものであります」
水谷日昇管長「先年(1951)は、本部の御本尊といい、ここにまた関西本部の御本尊をお認めすることは、私は実に何たる幸福で、人生の幸福、大満足に感謝にたえません」 |
12月23日 | 創価学会、30万世帯となる。創価学会青年部、他宗への過激な折伏闘争が社会問題化。 |