迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 法道会、法之道巻頭言、早瀬道應主管「学会の人々に遅れじ」と、五ヶ年計画の四年目にあたる今が分岐点であると述べ、安逸を誡めている。
「折伏を忘れた過去の講中の安逸や、お寺ののどかな雰囲気は、釈迦仏法の摂受であつて、今、末法、日蓮大聖人の真剣な仏法ではない。… 不惜身命の者でなくては、正しい宗教と正しい政治の冥合した、住み良い国家は建設出来ぬ。… わが法道会法華講は、本部を中心として、縦の支部、横の地区、この二門の十字砲火をもつて折伏戦に望む覚悟である」(「法之道」1月7日号
「"学会の人々に遅れじ"との言葉に、早瀬主管が強く創価学会を意識していることが知られる。そして、「のどかな雰囲気の寺」と「折伏を忘れた安逸な講中」を、明確に否定していることは注目に値する。「二門の十字砲火」「折伏戦」等の言葉は、法道会が折伏弘通の戦闘組織であることをよく示している。法道会時代に入信した妙信講の先輩幹部は、信心決定して授戒を受けた後、勤行と会合参加の半年間の活動を経てようやく本尊下附を受けたと、当時の思い出をわたしに語ってくれた。法道会の弘通は厳格であり、入信後の指導も行き届いていた。対して、当時の創価学会には強引な本尊下附が一部で行われ、戸田会長は何度もそれを戒めている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月3日
 法道会、青年部新年総会開催。6月の法道会総会に、360名の精鋭結集の目標を掲げる。(「法之道」2月7日号
1月29日  創価学会、戸田城聖会長、六十四世水谷日昇師の隠退の報に接し「信者の大精神に立て」と論述。
「学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。… どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として私は、水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」 
1月31日  創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長 "御肉牙"について語る。
「このお肉は、しだいにふえて、歯を包んでいる。私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチ棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。
 次の機会には私は行かれず、先代の牧口先生が行かれたが『まだ包まってはいないが、上のほうにイボのようなものが出ていたよ』と言われた。
 ところが、七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。ただ、裏のほうの歯が見えていた。裏はまだ包まれていなかった。今度はどうなったかわかりませんが、これがですね、ガラスの中に入れてあり、それを金で作った宝塔の中に入れ、それをまた箱の中に入れ、それを、もう一つの箱の中に入れ、長びつの中に入れてある。なにも御飯などあげるわけではないのですが……。たしかに生きている。まことに不思議である」
2月1日
 法道会、全支部の名称を統一。旧来の妙信講第一、本因妙講第一等を廃し、第一支部から第十支部の名称となった。また、横の組織である地区は、都内を10地区に分けていたが、28地区の編成となった。(「法之道」2月7日号
2月8日
 宗門、堀米日淳師、第四十五代大学頭となる。
2月16日
 宗門、堀米日淳著「日蓮正宗聖典について」刊行。
2月26日  創価学会、聖教新聞、戸田城聖会長「私は仏ではない 大聖人のみが仏様」
「私は創価学会の会長でありますけれどよく私のことを”仏様だ” ”生仏様だ” “神様だ” “教主様だ”とか言うが、いつ私がそんな片輪になったというんです。そんな仏様、神様なんか皆片輪者である。御本仏だけが仏様である。今生きている人で大聖人様以外のぞいて、人間でクソをたれている者は凡夫である。私は立派な凡失なんですから、お金もほしい うまい物もほしい 酒ものみたい」
3月29日
 宗門、堀米日淳師、管長就任。
3月30日
 宗門、水谷日昇師、法を堀米日淳師に付す。
4月1日
 宗門、堀米日淳管長、訓諭す。「野衲ココニ本宗管長ノ職ニ就キ三月三十日未明日昇上人ヨリ血脈相承ヲ受ケテ総本山第六十五代ノ法灯ヲ嗣ギマシタ … ネガワクハ一宗ノ緇素コノ微衷ヲ諒セラレテ三業ヲ正シ和装協力各自其ノ分ヲラズ宗門ノ為ニ寄与セラレンコトヲ願ウテ止ミマセン」(「日淳上人全集」上巻 )
4月1日  創価学会、学生部結成。大白蓮華、巻頭言「国立戒壇の建立こそ創価学会の唯一の大目的」
 池田大作青年部参謀室長「戒壇御本尊奉安殿設置は正しく広宣流布への第一実証を意味するのであります。国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります。即ち三大秘法抄に云く、『戒壇とは王法仏法に冥じ(中略)時を待つべきのみ事の戒法と申すは是なり』云々」(「会長講演集」第4巻
 戸田城聖会長「弘安二年十月十二日に、戒壇の御本尊を建立遊ばされた。この御本尊は、一閻浮提総与の御本尊であり、大聖人の極説中の極説である。…
 しかして、在世のなかに、事の戒壇たる国立戒壇が、なぜできなかったということについては、われら凡夫においては、ご仏智は、計りがたいが、もし国立戒壇の建立あるときは、化儀化法の広宣流布が、一時に成り立って、むしろ民衆の信仰を永続させえないと、深くご思慮遊ばされたのではなかろうか。…
 この国立戒壇は、当日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない。さればこそ、日蓮宗内に七百年近くの間、ただ夢のごとく言いならされてきて、大部分は単なる理想境とし、実現不可能事とせられているのである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
4月1日  創価学会、仙台支部旗返還授与式(仙台市公会堂)、「"御肉牙"について」
 戸田城聖会長「今度の4月20日から、お山においても、御肉牙の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。… 生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います」
4月8日  創価学会、関西連合総会開催、「化儀の広宣流布、すなわち国立戒壇の建立」
 戸田城聖会長「民衆救済こそ、日蓮大聖人様の弟子たる者の覚悟でなければならないと信ずるものであります。しこうして、大聖人様は、化法の広宣流布をなされた。すなわち、大聖人様の広宣流布は、法体の広宣流布でありまして、後のわれわれ弟子に向かっては『化儀の広宣流布、すなわち国立戒壇の建立』を御命令であります。今まさに、その時です。断じて、われわれの手で、広宣流布をしなければならない時がきているのであります」
4月16日
 宗務院、創価学会地元幹部から目の敵にされていた法宣寺(北海道・中愛別)八木直道住職へ、転任を命じる。
「しかもなぜか、後任の住職の発令もなかった。… たまりかねた法宣寺信徒が宗務院に対し、7月、後任住職の派遣を願う『嘆願書』を差し出した」(「妙教」第49号 )
4月20~30日
 宗門、堀米日淳師代替法要、大石寺参詣者に "御肉牙" の拝観を許す。
5月1日  創価学会、大白蓮華、巻頭言「国立戒壇の建立は日蓮門下の重大使命」
 戸田城聖会長「国立戒壇の建立とは、日蓮門下の重大使命であることを論じた。しかし重大使命であるとしても、もし、国立戒壇が、現在の状態で建立されたとしたら、どんな結果になるであろうか。一般大衆は無信仰であり、無理解である。単に国家がこれを尊重するとするならば、現今の皇大神宮や明治神宮の如き扱いを受けるであろう。しからば「かかる日蓮を用いぬるとも、あしく敬はば国亡ぶべし」との御聖言のように、国に災難がおこるであろう。
 ゆえに、国立戒壇の大前提として、本尊流布が徹底的になされなければならぬ。日本全国の津々浦々まで、この御本尊が流布せられ(中略)最後の国立戒壇の建立、すなわち三大秘法の本門戒壇の建立は、本尊流布の遂行とともに、当然完成されることは、いうまでもないと信ずる。また、このことは至難事中の難事中であることも、いうまでもない。…
 しからば、文化活動の内容はいかにというに、まず政界に、国立戒壇建立の必要性を、十分に理解させることである。しかして、この理解の成就は、一般大衆の支持からくることはもちろんである。一般大衆の支持をうけるためには、言論界の理解を根幹とすべきである。… これまた、至難事中の至難事である」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
5月3日  創価学会、第14回春季総会を開催(両国日本大学講堂)、3万人が参加。
 池田大作参謀室長「三類の強敵を迎え撃たん」と題し、「国立戒壇建立を20数年後にひかえ、第一類の俗衆増上慢はすでに数年が間、雑誌新聞および世間の人々の学会に対する悪口罵詈等に激しく現われ、また第二類の道門増上慢は新宗教連盟の結束および既成宗教・既成仏教等の学会誹謗はいよいよ狂乱の姿をみせており、第三類の強敵・僭聖増上慢は一部評論家等の啓蒙によってはじまりゆく学会弾圧をなさんとするさきがけでございましょうか。…
 われら会長先生の弟子たる学会人は、三類の強敵をふりおこす、勇ましき信心に立ち、三類の強敵の出現によって、ますます強盛なる大信力、また三類の強敵の出現あらば、いよいよ広宣流布の間近かなるを自覚して、異体同心の信心に立って、強く前進してゆかれんことを切望して講演にかえます」(「会長講演集」第三巻
5月31日
 宗門、細井精道師 総監となる。高野日深師 重役となる。
6月 日  多磨書房、安永弁哲編著『板本尊偽作論』を出版。大石寺の戒壇本尊を日有師の作とする。
6月 日
 法道会、早瀬道應主管の念願であった統一組織なる。「新講頭に浅井甚兵衛氏 単一な陣容で驀進」
「新たなる法道会法華講は、名実共に全法道会が打つて一丸となつた組織であり、御主管の御指導のもとに一人の講頭に帰したすつきりとした陣容を整へたものである。この新講頭には浅井甚兵衛氏が御主管より任命され、当日御法主上人よりの認証状を頂載した。強盛なる信心を以て立つ新講頭を迎えて、法道会には新しい空気が漲るであろう」
 浅井昭衛青年部長「陣容は整つた。進軍あるのみ」
「法道会は広宣流布の土台石になればよい。捨石になればよいのだ。その他に何がある。大聖人様のおほめを受ける御奉行をして行くのみではないか。人材よ出でよ … 男女は問わぬ、老若は分たない。踵を接して人材の出ぬわけがない」(「法之道」6月7日号
「ついに甚兵衛は法道院講頭の地位を手中に収め、甚兵衛の妻が婦人部長、昭衛が青年部長という浅井一家の春を迎えたのです。そこで持って生まれた増上慢を一気に爆発させたのです。… しかし、法道院は主管の力が絶大であり、いくら逆立ちしても主管には勝てません」(「元妙信講問題について」浜中和道 )
7月8日  第4回参議院議員通常選挙。保守合同による自由民主党の発足と、社会党再統一後、初となる国政選挙。第3次鳩山内閣は改憲を公約としており、1955年の第27回総選挙に引き続き、改憲に必要な2/3の議席を占めるかが争点となった。
 創価学会、全国区に原島宏治統監部長、辻武寿青年部長、小平芳平教学部長、北条雋八(しゅんぱち)文化部顧問。東京地方区に柏原ヤス指導部長、大阪地方区に白木義一郎関西総支部長の、計6名を立てる。6名中、辻・北条・白木の3名が当選。
7月12日  創価学会、戸田城聖会長、一級講座で "王仏冥合" について講演。
「まず、三大秘法の王仏冥合の哲理からいって、王法、仏法ともに冥合する時に戒壇の建立があるということが、日蓮大聖人様の御予言であります。… 広宣流布と、口ではかんたんに言うけれども、自分がやってみると、つくづくむずかしいと感ずる …
 まず一般の人は、創価学会が議員の全体を占めて日本の政治を左右するという、とんでもない間違った考えをおこしているらしい。われわれは、勅宣ならびに御教書を申し下してという、ただそれだけを行なわんがための政治です。なにも日本の政治をどうする、こうするのというのではないのです。また、国立戒壇の決定は、日蓮正宗一色にするという考えがみえているけれども、それも違った話である。ただ日本民族が納得して、大聖人様の教えのとおり戒壇を建てなければ、日本の国のほんとうの安定はないのです」
8月1日  創価学会、大白蓮華、巻頭言「王仏冥合論」
 戸田城聖会長「われらが政治に関心を持つ所以は広宣流布にある。すなわち国立戒壇の建立だけが唯一の目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法禀承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである。…
 以上の御書を分析すると
 一、戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して(総じての王仏冥合論)
 二、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(人法論)
 三、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時(時を論ず)
 四、勅宣並びに御教書を申し下して(国立戒壇論)
 五、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か(所を論ず)
 六、時を待つべきのみ 事の戒法と申すは是れなり(未来への付属論)
 七、三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり(国立戒壇の功徳即一国の平和論)」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
 この号から昭和32年4月まで大白蓮華に、戸田城聖会長の『王仏冥合論』を9回に渡り連載。

「七百年の間ただ夢のように叫んできた広宣流布を、「どうすれば広宣流布ができるのか」と問うて、実現に向けて具体化を進めたのは戸田会長であった。「こうした同宗の戒壇論を、具体的なタイム・テーブルの上にのせたのは戸田であった」とは、西山茂・東洋大学教授の指摘(「教義解釈の変更をめぐる一仏教教団の葛藤過程」、西山 茂著)するところである。日蓮正宗に「国立戒壇」が浸透して行くのは、ここからなのである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月 日  創価学会、戸田城聖会長、信濃町の創価学会本部で倒れ、数日間療養。
8月10日
 宗門、妙霜寺(岡山市)の落慶法要、創価学会寄進の10番目の寺院となる。
 戸田城聖会長、数日前に倒れたにもかかわらず、落慶法要に出席。法要後の懇談で、堀米日淳師に「今後、創価学会が大きくなって、宗門に内政干渉したり、いろいろなことを言ったら、猊下、即刻、解散を命じて下さい。猊下の命令一つで解散を命じて下さい」と述べる。
9月1日
 宗門、大日蓮「悪書板本尊偽作論を粉砕す」特集号発刊。(「同」第127号 )
9月1日  創価学会、大白蓮華、「王仏冥合論」における「人法論」
 戸田城聖会長「国とは、今時の世界情勢からすれば、全世界のことであるが、いまただちに、この一大秘法の大法を理解させることはできない。ゆえに、この深秘の一大秘法に縁があり、かつは、その理解がなされる民族の国、すなわち日本国を意味することになる。この日本国に、一大深秘の大法が発生して広宣流布し、しかるのちに、全世界が救わるべきものとなる。…
 いってみれば簡単なようであるが、『王臣一同に……』という、すなわち、民衆全体がこのあり方を信ずるようになるということは、実に困難なる事実である。いまさらながら、法華経の『難解難入』『難信難解』のことばが、うなずかれるのである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
9月8日  保田妙本寺、日蓮宗より離脱して単立となる。
9月10日  創価学会、池田大作参謀室長「言論界の誤報を破す」と題して論説。
「現在はなばなしく行われている新聞雑誌の学会誹謗の働きは俗衆増上慢であるが、しかしこれは第三の強敵・僭聖増上慢に通ずる働きと考えて間違いないと思う。すなわち彼らは戒壇建立の闘争段階に入ったいま、学会をめぐる世論を喚起させてやがて弾圧してくる」(「会長講演集」第四巻
9月30日
 宗門、日蓮正宗布教会、細井精道著「悪書板本尊偽作論を粉砕す」刊行。
10月1日  創価学会、大白蓮華、「王仏冥合論」で「時」を論ず。
 戸田城聖会長「『有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時』とは、国立戒壇建立の世相をお説きあそばされたもので、有徳王・覚徳比丘の乃往とは、立正安国論に涅槃経の文をひいてお示しになっている。…
 しこうして、この経において結論していうのには、禿人といって、職業僧侶すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現われたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう。… 要するに、大聖人がこの御文をひいて、国立戒壇建立のときの世相を予言せられたものである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
10月12日
 法道会、御会式奉修、堀米日淳管長御親教。
 早瀬道應主管挨拶「本日は、御法主上人猊下の、御出ましを賜りまして、宗祖大聖人様の、御会式をつとめさせていただきましたことは、身に余る光栄と存じます。唯今、お掛け申し上げてをりまする御本尊様は、宗祖大聖人弘安三年五月九日比丘日禅御授与の御本尊様でございまして、開基日應上人以来本日まで法道会に護持申し上げる御本尊様でございます。本日はこの御真筆の御本尊様を御開扉申し上げて、尊くも御法主猊下の御親教を賜りまして、まことに一生に記念すべきところの、良き日であると存ずるのであります」
 堀米日淳管長、「国立戒且建立こそ究極の大事」「邪宗には絶対解釋出來ぬ三大秘法」。
「御法主猊下には三大秘法に就いて御懇篤なる御教示を下され。折伏弘数の活溌化に伴い、寄せ来る邪宗の論難に対し三大秘法を如何に正しく拝し奉るか、終究の目的は国立戒壇建立にあり、七百年来嫡々伝承し来った正法を今こそ弘めよと、約二時間に亘つてお説き下された。連日の御説教にもかかわらず、少しのお疲れの色もなく御説法の終りに近づく程お声も高く、熱のこもられた御姿はまことに尊く拝せられた」(「法之道」11月7日号
(※ 堀米日淳師は、三大秘法を二重に拝察すること、本覚法門との差異、本門戒壇を一番の根本において解釈すること等を説示されたが、国立戒壇という文語は一度も用いられていない。"国立戒且建立こそ究極の大事"とのタイトルは、浅井昭衛発行・編集人が加増したものである。櫻川 忠 )
10月19日  日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言)、鳩山一郎内閣総理大臣がモスクワで署名し同年12月12日に発効、両国の国交が回復し外交関係も正常化した。
11月1日  創価学会、大白蓮華、 巻頭言「国立戒壇論
 戸田城聖会長「『勅宣並に御教書を申し下して』とは守護付嘱の謂である。この守護付嘱の意が明らかになれば、この『勅宣並に御教書を申し下して』の御文の意が、諒々として明らかであろう。… もし、これを平易にいうならば、時の権力者および国民大衆に、三大秘法の最高善なることを納得させることであろう。…
 また『霊山浄土に似たらん最勝の地』とは、現在の富士大石寺ではあるまいか。後に富士山をひかえ、前に広ばくたる平野をもち、はるかに駿河湾をのぞんで、清浄にして広大なる感じをあたえるではないか。また、『戒壇を建立す可き者か』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
11月4日
 法道会、法華講第1回総会、講員約1千8百名が参加し豊島公会堂で開催。場内には左右に「法華講精神」「火の玉折伏」と大書したビラが掲げられ、法道会一丸となった火の玉の様な総会が繰り広げられた。明年度上半期の指導目標が発表され、半年先に3千世帯の明確なる目標がうち立てられた。
 早瀬道應主管「これが今から五十九年前に法道会を設立せられた日應上人の御姿である。現在、法道会の法華講衆二千数百、日應上人を知り奉るものは一割もない。更に上って、百分の一位ではあるまいかと思う。まあ、しかし、つねに法道会の信徒が日應上人の御徳をかたり、日應上人の御心意を深く拝し、三大秘法広宣流布の仏道に団結して、結集して、精進しておる事は、私といたしまして誠に喜びにたえません。 日應上人が、手塩にかけた寺は全国にいくつもあります。その中で、少数の同志をたよつて御自身の命を託された道場が法道会です。また、日應上人の御慈悲を載いた法華講は、数え切れない程たくさんあります。しかし、自ら心魂うち込んで、本因妙講を始めとし、妙道講、妙典講、だんだんと講中を育てられてまた更に、私の師匠伯耆阿闍梨慈雄房日轟大徳の代に、更に、私にいたつて十数余の講中、組が出来ておつたのでございます。その講中、組を折伏闘争の第一線に配列するために、本年六月、日應上人の御正当を期して、二千余の中から、浅井甚兵衛氏をぬきんでて、選挙でもない、相談でもない、私がはつきりと任命して御本山に申請して、この十幾つかの講、組を大政奉還して、法道会法華講を設立した次第であります。その、第一回の総会はまさに、大聖人様の御慈悲を載き、日應上人の御心意を拝し出発するところの、出陣の首途での日なりと私は存じております」(「法之道」12月7日号
「早瀬主管の五ヶ年計画は、昭和28年を初年度として従来の講中組識の統合をはかり、29年には納骨堂の落成と一千世帯達成、31年は法道会御宝蔵建立と法道会講中の統合と、着実に実をあげつつあった。実力ある幹部諸氏の尽力はもちろんであるが、主管のリーダーシップが卓越していたことは疑いない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
12月10日  創価学会、池田大作参謀室長の父、子之吉 逝去。真言宗の八幡山密嚴院に葬られる。
「父親が死んだとき、池田は折伏を推進する参謀室長として、青年部ナンバーワンの地位にいた。だが父親は真言宗徒で、ガンとして宗旨変えをせず、葬儀も真言宗で行われた」(「週刊実話」2000年11月16日号 )
12月17日
 法道会、青年部、本門仏立宗と法論。
「仏立宗がまたまた巣鴨方面に於て青年部に法論を挑んで来た。… 乗泉寺の教務吉田日邦、仏立宗内で一応教学の権威といわれる田中日広、ならびに土屋慎一の二名をも加えて正式に申し込んで来た。…
 青年部は、仏立宗の邪義を破折する絶好の機会とばかり、即日これに応答、書類を交換の上12月17日夜、増田光義氏宅に於て正式に対決した。ところがである。いざ対決の場に臨むや、仏立宗側は従来の傲慢ぶりはどこえやら突然態度を豹変し、遂に正邪決着を恐れてか法論に入らず、逃ぐまくつて了つた。…
 田中日広氏は仏立宗教学院学頭等の肩書を持ち、先般、『創価学会破折十二問答集』を著し、すばらしい珍説を披露した僧侶、一応仏立宗内では教学の権威で通つているらしい。吉田が口を開けば必ず「田中日広上人」と奉つている御当人である。青年部よりは浅井昭衛、小牧祥一、荻須輝彦、田島豊年、木内純一郎、木内哲三が出席、机をへだてて向きあつた。…
 尚当日の経過は約二時間、その対論の始終はテープレコードに記録してあり、仏立僧の無恥と臆病の軌跡は明々確々として残っている」(「法之道」32年1月7日号
12月18日  国際連合総会、全会一致で日本の加盟を承認。日本は80番目の国連加盟国となった。1933年の国際連盟脱退から、23年目に国際社会に復帰した。
 昭和27年6月、日本は国際連合に加盟を申請。同年9月の国連安全保障理事会で圧倒的多数の賛成を得たが、ソ連が拒否権を発動したため否決されていた。
12月21日  創価学会、40万世帯となる。
12月23日  石橋湛山内閣発足。石橋湛山、第55代内閣総理大臣に任命さる。
(※ アメリカ追従を主張する岸信介が自民党総裁選に立候補、石橋湛山は他の共産圏とも国交正常化することを主張し立候補した。第1回投票では岸が1位であったが、石井光次郎と2位・3位連合を組んだ決選投票で、岸に7票差で競り勝って総裁に当選した。
 内閣発足後、福祉国家建設、対米自主外交、世界平和確立の「五つの誓い」を掲げ、池田勇人を大蔵大臣に抜擢し「1000億円施策、1000億円減税」の積極財政路線を取った )
 

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