冨士大石寺顕正会の基礎知識

概 要 (冨士大石寺顕正会とは)

 さまざまな視点による、顕正会についての記述を紹介します。

 1)「顕正会本部」:顕正会が開設している公式サイトの、「自己規定」を紹介します。
 2)「公安調査庁」:直接の名指しこそないものの、「顕正会」と想定される記述内容です。
 3)「ウィキペディア」:客観的な視点の記述ですが、やや粗雑な記述が散見されます。
   拙著「迷走する顕正会を斬る」を、参照願えればと思います。
 4)「日本百科事典」:顕正会についての一般的な記述です。

  上記はいずれも、平成22年1月時点の記載内容です。                
 

1) 顕正会本部

 

仏法の正統「富士大石寺」


 日蓮大聖人は、末法の全人類を、三大秘法という根源の仏法を以てお救い下さる「下種(げしゅ)の本仏」であられる。
 大聖人はご入滅に際し、あまたの弟子の中から日興上人を選んで三大秘法を付嘱(ふぞく)されると共に、日本一同が「南無妙法蓮華経」と唱える広宣流布の時いたれば、一国の総意を以て、富士山に本門戒壇(ほんもんかいだん)(国立戒壇)を建立すべき旨を御遺命(ごゆいめい)された。
 このことは次の御付嘱状に明らかである。
 「日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興に之(これ)を付嘱(ふぞく)す。本門弘通(ぐずう)の大導師たるべきなり。国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事(じ)の戒法と謂(い)うは是(こ)れなり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり」と。
 日興上人はこの国立戒壇建立の御遺命を奉じて、広宣流布の礎(いしずえ)たるべき本寺を、正応三年(1290)に富士山麓の大石ヶ原に建立された。これが世界唯一の仏法の正統「富士大石寺」である。
 爾来七百年、富士大石寺は国立戒壇の建立を、唯一の宿願・悲願として三大秘法を弘通してきた。
 

顕正会と創価学会


 富士大石寺には五百余の末寺がある。これを包括する宗教法人の名称を「日蓮正宗」という。顕正会はこの日蓮正宗の信徒団体として、昭和三十二年八月に「妙信講」の名称を以て発足した。
 そしてまた、創価学会も同じく日蓮正宗の信徒団体であった。ゆえに創価学会も当然、国立戒壇建立を唯一の目的としていたことはいうまでもない。このことは池田大作第三代会長(当時)の
 「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華第59号)の言に明白である。
 

創価学会の御遺命違背


 ところが、政治野心を懐いた池田大作は、〝国立戒壇は憲法違反と批判されて選挙に不利になる〟として、自ら「国立戒壇」を否定した上に、大石寺境内に俄(にわか)に建てた「正本堂」を「御遺命の戒壇」と偽った。
 このたばかりは、日蓮大聖人の一期(いちご)の大事たる御遺命を破壊せんとするもので、とうてい許されざる悪行である。
 しかるに、この悪行を制止すべき日蓮正宗(しょうしゅう)の高僧らは、学会の金力と権力に諂って、この大悪事に協力したのであった。
 これを見て顕正会は御遺命を守らんと、学会・宗門を強く諫め続けた。悪事露顕を恐れた学会は,、ついに宗門を動かし、「宗門が禁じた国立戒壇を主張するゆえ」との理由で、顕正会を解散処分に付せしめた。このとき顕正会は会員数一万二千人であった。
 この処分がいかに理不尽なものかは、宗門の細井日達管長自身が、管長就任当時には冨士大石寺の伝統教義のままに「冨士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華104号)と述べていたことからもわかる。
 細井日達管長と次の阿部日顕管長は二代にわたり、学会にへつらい、その傀儡(かいらい)となって、御遺命破壊の悪事に加担したのであった。
 

厳たる御仏意


 だが大聖人は、このような御遺命破壊の悪事を許し給わなかった――。
 まもなく学会と宗門の癒着に亀裂が生じ、それは激しい抗争へと発展した。この自界叛逆(仲間われ)こそ御遺命違背の罰であった。その凄まじさ――池田大作が阿部日顕管長の醜行をあばき立てれば、阿部管長は池田を信徒除名処分にすることで応じた。そして瞋恚(しんに)のおもむくところ、阿部管長はついに、池田が誇りとしていた正本堂を、打ち壊してしまった。
 この成り行きを仏法の上からみれば、すべては大聖人の御仏意である。すなわち、大聖人は御遺命破壊の大悪を断じて許し給わず、ゆえに顕正会をして立たしめ諫暁せしめ、さらに諸天をして自界叛逆せしめ正本堂を打ち壊わしめ給うたのである。
 

冨士大石寺の清き源流に立つ


 その後、顕正会は解散処分の弾圧に屈することなく、かえってこの弾圧を機に、いよいよ冨士大石寺の清らかな源流たる日興上人・日目上人の御精神に立ち還った。そして一筋の死身弘法は平成十五年十一月、ついに百万人に達した。
 そしていま、日本の亡国を眼前にして、日蓮大聖人の「立正安国」の仏勅(ぶっちょく)のまま、国立戒壇建立をめざし、身を捨てて立っている。
 一方、学会と宗門は、正本堂が崩壊したのちも改悔なく、共に犯した「国立戒壇放棄」の大罪を隠すため、あらゆる虚言を構えて、国立戒壇の正義を堅持する顕正会を陥れようとしている。現在、インターネット上で、おびただしい数の卑劣な讒謗(ざんぼう)が並べられているが、これも御遺命に背いた学会・宗門の怨嫉の只ならぬを示すものである。
 いま日本国において、日蓮大聖人の御遺命を命かけて奉じ、日興上人・日目上人の御精神のままに戦っている清浄の団体は、「富士大石寺顕正会」以外にはないのである――。

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2) 公安調査庁

 特異な主張を展開し,注目を集めた特異集団(平成十七年)
 勧誘活動や資金集めの過程でのトラブル発生が懸念〉

 このほか,特異集団の多くは,一般通念と異なった主張に基づいた活動を展開する中,会員拡大や資金集めなどに取り組むことで自派勢力の伸張を図っている。このため,こうした過程での強引な勧誘などをめぐるトラブルが発生している。
 とりわけ,11月までに会員100万人達成を目指した集団は,高校生を中心とした若年層への勧誘に力を注ぎ,「末法思想」を前面に打ち出して若者特有の不安感をあおるなどしながら強引な勧誘を行ったため,教育関係者とのトラブルを続発させたほか,勧誘活動の過程で,軽犯罪法違反事件や強要未遂事件などをじゃっ起した。
 今後も,こうした会員勧誘等をめぐるトラブルが発生するものとみられる。また,その特異な言動にも注目を要する。
 

3) ウィキペディアの「顕正会」紹介

動向


 教義及び折伏と称して布教活動が行われている。
 友人や初対面の人から電話番号やメールアドレスを聞き出し、後日誘い出して飲食店で伝道師と一緒になって折伏するパターンが多い。
 共通していることは、最初は顕正会の勧誘であることは口にしない(宗教団体の勧誘かと問いただしても否定する)。勧誘する際、待ち合わせ場所に仲間の信者が居たり飲食店からメール・電話等で仲間の信者を呼んで、初対面の人でやたら個人情報を聞いたり、しつこく「会おう」「いつ休み?」などと食事に誘う場合は注意する必要がある。拠点の最寄り駅を初めとするランドマーク(埼玉では大宮公園、名古屋では金山駅周辺か名駅、広島では新尾道駅や広島インター近隣等)に呼び出そうとする。
 中学や高校、大学で休憩の合間に声をかける。
 イベント会場等で同好の士を装って声をかける。
 駅構内で鉄道ファンを装って声をかける。上野駅、東京駅の構内や首都圏の鉄道会社の車両基地公開イベントでも勧誘していることが多い。
 コミックマーケット等同人関連のイベントでは、一般参加者として参加し、サークル参加者に勧誘を行う事もある。

 上下関係が厳格・また絆が固く折伏の容易な警察官、自衛官の中に会員が増加していることを重く見た公安調査庁は、「この特異団体の今後の動向には注意を要する」と発表している。
 皇族への布教・信者化を目論んでいる事を公表している[1]事、教団主導の憲法改正を主張している[2]から監視対象になっているという見方も存在する。
 機関紙「顕正新聞」には「法戦」と称される期間(概ね一ヶ月〜四ヶ月単位、年数回)毎に、折伏成果(入会会員数)が記載されている。創価学会員や他宗教の熱心な信者だった人物を引き抜くことに成功した場合、その成果も大々的に誇示される。
 伝統的に女子部が活動の主体となっているため、内部での力関係の是正を目的に高校生、大学生等若い男子会員数の増加を目論んだ活動が、首都圏の多くの高等学校、大学等で波紋を呼んでいる。
 批判側の活動にもいくつか問題や欠陥があり、創価学会や日蓮正宗関係者が運営するHPでは“この団体を信じていると地獄に落ちる”や、意図的に団体名称に当て字や比喩表現を行なうといった礼を欠いた記述、運営母体関係者が創価学会員主体の顕正会被害者の会が立ち上がるなど(このグループは、日蓮正宗関係者が運営する。なお、冨士大石寺顕正会も含めた所詮富士門流諸派は反セクト活動に対しては実績がないばかりか、創価学会のように他の宗教団体の批判者からモルモン教やサイエントロジー、統一協会と提携していると取られる活動を行なっている[3]。

教義


 日蓮の説いた三大秘法の国教化(この教団以外の存続を国家が認めないこと)を目指している。日本国の「真の国主」を天皇と規定し、広宣流布の暁に天皇の詔勅と国会の議決、すなわち国家意思の表明を経て、天ヶ生原に本門戒壇の大御本尊を安置する国立戒壇を建立することこそが、日本を滅亡から救い世界平和を実現する唯一絶対の法であると主張しており、非国立の戒壇、すなわち国家意思を否定して私的に本門戒壇を建ててよいと容認する一切の動きに反対する。
 なお、以前は「天母山(日蓮正宗総本山大石寺より東に4kmほど離れた場所にある)に国立戒壇建立」と主張していたが、近年、その主張が崩されたため、歴史的にも現在も実在しない「天ヶ生原」という曖昧な場所を主張するように変説した。
 法華宗各派の祖として知られる日蓮を崇め敬い、大石寺にある本門戒壇の大御本尊を最高にして絶対の本尊と敬っている。日蓮正宗や創価学会などの他の富士門流各派と同じく、日蓮本仏論の立場から、「日蓮大聖人」と称している。
 富士門流各派にとっての「バイブル」である「日蓮大聖人御書」について、当時と現代との時代や社会の仕組み等の違いを勘案した解釈をすることを決して許さず、日蓮仏法の原典にどこまでも忠実であろうとする。いわば、原理主義教団である(敵対団体である創価学会からは「時代錯誤の右翼集団」とも呼ばれている)。
 会員は、創価学会や日蓮正宗等に見られるような入会と同時に本尊授与をされることはなく、よって各会員は朝夕の勤行に於いて、自宅より遠く戒壇の大御本尊を直接拝み参らせる遥拝勤行に徹しているのも本会の大きな特徴である。(顕正会の会館や、信者が拠点として所有する物件には、破門前に授与されていた本尊が安置されている)
 戦争勃発への危機感が頻繁に説かれ、これを防ぐには広宣流布以外には無いとして信者を勧誘に駆り立てている。会長・浅井は説法のたびに、中国脅威論や北朝鮮脅威論を唱えている(かつてはソ連脅威論だった)。
 「日蓮大聖人御書全集」の発刊を1985年(昭和60年)に顕正新聞にて発表するが発刊されていない[4]。更に、1995年(平成7年)にも顕正新聞にて“御書発刊”を発表するが、未だ発刊はされていない[5]。
 

歴史


 第二次世界大戦下の1942年(顕正新聞では1941年とする記載もみられ、一貫性をみない)、日蓮正宗妙光寺(東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身。
 戦後の東京妙信講の存在を証明するものは何もないが、浅井親子らは妙光寺から豊島教会(現・妙国寺板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えたが、法道会法華講と合併するため、発展的に解散。
その後、法道会から離脱(日蓮正宗では寺院を離脱することは日蓮正宗信徒の資格を失うことを意味する)し、独立を企てて妙信講を組織する(顕正新聞社刊「顕正会の歴史と使命」参照)が、日蓮正宗第六十五世法主日淳師の配慮によって妙縁寺(東京都墨田区吾妻橋)を所属寺院として妙信講は認証されたが、やがて創価学会が起こした言論出版妨害事件や折伏大行進への社会的な批判による広宣流布についての教義解釈の変更と、創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。
 1974年8月12日に日蓮正宗より講中解散処分を受けた。この件について顕正会は、「非国立の戒壇を作るという、日蓮正宗と創価学会の教義逸脱行為を諌めただけなのに、仏法者にとっては死罪にも匹敵するとされる破門・講中解散処分という不当弾圧を受けた。」等と主張している。なお、10月4日には、山崎正友を主体とした創価学会関係者による工作により暴発する形で創価学会本部に襲撃(顕正会の言い分ではあるがこの件は抗議活動を捏造されたとしている。)、11月4日、浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛理事長(いずれも当時の役職名)らの旧・妙信講幹部は、日蓮正宗の信徒除名処分を受けた。
 1975年、「宗教法人・顕正寺 顕正新聞社」の成立に伴い、妙信講はその信徒団体として再出発し、第2代講頭に浅井昭衛が就任。
 1977年、総会を開き、団体名を妙信講から顕正会にする事を決定する。
 1997年 第1回目 一国諫暁
 2003年11月6日 顕正会総会員数が“公称”1000000人に達する。此れをもって2度目の一国諫暁の準備が本格的に始まる。
 2004年 第2回目 一国諫暁開始 4月28日、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」という本を会長である浅井昭衛名義で発行。5月16日、全国の高校生活動家3万人を国立横浜国際会議場に結集して初の「全国高校生大会」を開催。会場に入りきれなくなる者が多数出るほどの高校生活動家が参集し、週刊誌など一部マスコミからは社会問題として報道された。浅井会長は「創価学会のデマ・中傷の煽動に乗った高校の理不尽な迫害・デマ・中傷のなか年若き高校生が毅然とけなげに信心を貫く姿を見るとき私は胸に熱きものが込み上げてくる。迫害は学会の仕業。」と演説をした。
 2005年 新潟県民10000人を謳い文句に朱鷺メッセにおいて「新潟大会」を行った。9月4日、男子部内から選抜された活動家13000人を横浜アリーナに結集して「男子部幹部大会」が行われた。
 2006年5月14日 関西在住の活動家10000人を結集して「関西大会」を行なった。沖縄県在住の信者3000人を結集して「沖縄大会」を行なった。浅井会長は、中国の軍事力増強と覇権主義の脅威を解説し、「隣国の怨敵、かくの如き念を興さん。四兵を具して彼の国土を壊るべし。早く日蓮大聖人の仏法を根底にした新しい日本を築かなければならない。さもなければ取り返しのつかぬことになる」と発言。9月4日、男子部において幹部の地位にある信者5千人を大宮ソニックシティに 結集して「男子部臨時幹部会」が行われた。
 2007年1月11日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察と厚木警察署が顕正会本部を家宅捜索した。顕正会は会員に対する逮捕について、不当逮捕であると主張。また、顕正会側の発言や公式発表をマスコミが一切報道していないこと、意図的に自称している名称の『冨士大石寺顕正会』の『冨士大石寺』を省いて報道したことを「池田大作の指揮による」(→報道におけるタブー#鶴タブー)と主張している(宗教法人法に基づく名称は『宗教法人顕正会』)。8月26日、長野県のエムウェーブに活動家の中から選抜した代表者30000人を結集して、「顕正会発足50周年記念幹部大会」が行われた。
 2009年1月9日 脱会しようとした男性にけがを負わせたとして、新潟県警察警備第一課などが傷害の疑いで、会員の同県長岡市の専門学校生の少年を逮捕し、新潟県内の2施設を家宅捜索した。新潟県警によると、顕正会の勧誘や脱会に関するトラブルの相談が2008年だけで約200件あったという。 また、この事件では浅井昭衛と加害少年は新聞で「不当逮捕」と言い張っている。 8月23日 長野県のエムウェーブにて、「富士大石寺 顕正会 男子部大会」が行われた。
 

主要役員、年間行事、会員数等


 主要役員
 会長 浅井昭衛(浅井甚兵衛の長男)
 主任理事・兼男子部長 浅井城衛(昭衛の次男)
 総合女子部長 大沼千恵美
 壮年部長 横田高明
 総合婦人部長 湯浅悦子
 顕正新聞発行人 小峰勝彦
 公称会員
 約130万人。
 年間行事
 1月教学試験
 5月顕正新聞推進
 10月御大会式(おたいえしき)日蓮大聖人の入滅日である13日
 12月広布御供養(金額:下限1万〜上限8万)。
 

参考文献


 淺井昭衞,『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(2004,冨士大石寺顕正会)
 『週刊新潮』2008年1月24日号 (掲載ページ調査中)顕正会VS創価学会水面下の信者争奪脱会バトル。(創価学会信者による被害者支援偽装サイトリストの掲載)
 『週刊新潮』2005年9月29日号(掲載ページ調査中)島田裕巳 「創価学会」も恐れる過激な原理集団 「顕正会」研究(創価学会批判の一部として記載されたもの)
 『週刊新潮』2004年8月12/19併合号(P58-59) 「自衛隊」幹部に浸透する信徒100万「顕正会」
 軍事研究2007年5月号別冊『ワールド・インテリジェンス』第6号(P127-131) 公安当局もマークする「反社会的勢力」!? オウム事件以後も増殖する日本のカルト宗教(P131)自衛隊に浸透する顕正会
 教祖逮捕―「カルト」は人を救うか ISBN 4796617191 月刊『現代』1999年12月号に掲載された記事の親鸞会関連の記述も含めた加筆版が掲載されている。
 別冊宝島編集部 編 『「カルト」の正体。』 ISBN 4796616853 「救い」の正体。の文庫化
 『「救い」の正体。』(ISBN 4796694617) 下記記事から冒頭部を除いて親鸞会関連の記載を削除し、顕正会関連記事に特化した物が掲載されている。
 月刊『現代』1999年12月号(P190-204)米本和広 東大、早稲田などで急伸する「浄土真宗親鸞会」、高校生に広がる「顕正会」ってなに?--若者を魅きつけるラディカル仏教「終末論」
 

4) 日本百科事典


 冨士大石寺顕正会 ( ふじたいせきじけんしょうかい ) は、埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1に本部を置く、日蓮正宗系の新興宗教。
 宗教法人法にもとづく正規の届出名は「宗教法人顕正会」。現在の代表役員は会長・浅井昭衛。
 折伏と称して行われる勧誘活動の方法が悪質との評判で有名な団体である。顕正会信者が同級生・友人・知人を言葉巧みに誘い出し飲食店で勧誘するパターンが多いが、断られた場合は必ず脅迫まがいの言動をするよう、顕正会の内部では指導が行われている(「罰を言い切れ」と表現している)。
 また、断っても勧誘電話をしつこくかけてきたり、実際に家にやって来てまで勧誘することもあり、実際に暴力沙汰に発展して刑事事件になった例が多数報告されている。近年は特にトラブルが多くなり被害を訴える人々も増え続けている。
 公安調査庁が2004年2月に公開したプレスリリースで、動向を監視している事を公開した。
 

教義


 国立戒壇の建立と天皇国主化を広宣流布の絶対必要条件として強硬に主張し続けており、非国立の本門戒壇を容認する一切の動きに反対する。また、日本国憲法の国民主権の原則を認めていない。
 法華宗各派の祖として知られる日蓮を崇め敬い、大石寺にある本門戒壇の大御本尊を最高の本尊と認め、日々の勤行の義務付けや他の宗教に対する自己中心的な攻撃を行う等の要素は、日蓮正宗や創価学会と共通する。
 宗教学的評価としては、日蓮正宗系宗教団体の中で最も日蓮大聖人御書原理主義の傾向が強い団体であるとの指摘がある一方、現在ではむしろ会長である浅井昭衛への個人崇拝を本質としたカリスマ教祖型新々宗教の一つとしてオウム真理教・統一教会・千乃正法などと同類視する見方もある。
 終末論的予言、会員への徹底した情報統制、表面的な「功徳と罰」の理屈づけによるマインドコントロール等の要素により、カルト宗教団体であると言える。
 

歴史


 第二次世界大戦下の1942年、日蓮正宗妙光寺(東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した妙信講が前身。
 戦後の妙信講は、妙光寺から法道院へ、さらに妙縁寺へと所属寺院を転々と変えていたが、やがて創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐって日蓮正宗と激しく対立するようになり、1974年8月12日に講中解散処分を受けた。
 なお、同年10月4日には、創価学会本部を標的とした集団暴行テロ事件(街宣車を門扉にぶつけて破壊し乱入)を決行したため、同年11月4日、浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛理事長(いずれも当時の役職名)らの旧・妙信講幹部は、日蓮正宗の信徒資格そのものを剥奪されている(信徒除名処分)。
 1975年、「宗教法人顕正寺」の成立に伴い、自称日蓮正宗妙信講はその信徒団体として再出発し、第二代講頭に浅井昭衛が就任。その後、自称日蓮正宗顕正会を経て現在に至る。
 

主要役員、年間行事等


 主要役員

• 会長 浅井昭衛(故・浅井甚兵衛の長男)
• 主任理事 浅井克衛(会長の長男)
• 男子部長 浅井城衛(会長の次男)
• 総合女子部長 加藤礼子
• 壮年部長 大野耕太郎
• 婦人部長 湯浅悦子
• 顕正新聞発行人 小峰勝彦(会長の娘婿)

 公称会員

• 約100万人。
 1998年・公称60万人の時点で、会の法人申告所得は5億5000万円(宗教法人部門で日本国内3位)であったとのデータがあり、顕正新聞の年間購読料等から考えて、この時の実働会員数は多くとも70000人を超えなかったものと推定される。
 現在の実動会員数については、公称約100万人の時点で2〜3万人しかいないとの説、公称約100万人の時点で50万人もいないが30万位は居るとの説など、諸説入り乱れている。

 年間行事

• 1月教学試験
• 5月顕正新聞勧誘
• 10月御大会式(おたいえしき、と顕正会では読んでいる)
• 12月広布御供養
• また、平成14年までは各部毎の合宿が毎年行われていた(時期は毎年異なる)。





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