御遺命守護資料館


home

 御遺命
 御遺命守護
 資料室
  顕正会
  宗門
  創価学会
  その他
 談話室
 Q&A
 メール
 本館
 更新


             破邪新聞 昭和五十年一月二十四日号 (第4号)

             特集 妙信講 デマと歪曲の数々
    特集10 追いつめられ、猊下に対し牙をむく

 
浅井昭衛は、何とか本質をすりかえて学会のせいにしようとしていますが、どうしてもそれでは元講員を納得させられないとみたか次第に猊下に対する冒涜を始めました。それも擯斥処分を受けた松本日仁、八木直道の口をかりておこなうのですから手がこんでいます。

 
去る、十一月二十五日号顕正新聞二面には八木の手記として、猊下の御説法に対する非難中傷が書き立てられています。細い点は省略するとして、実に重大な歪曲だけを指摘します。
 まず手記の中に、『今一つの重大問題の四十七年の「訓諭」についても、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と仰せられているが、この一事こそ大聖人の御遺命を冒涜するものであると申し上げた』。との記載があります。
 しかし、宗務院の記録と証拠によれば、そのような発言はなかったことが明らかです。

 次に、猊下が、『すでに千余人の離脱者があるやに聞き及ぶ』といかにもはったりめいた御発言をなさったように書かれているが、そのような御発言はありません。
 更に、猊下のおおせに対し『「国立戒壇を心で思ってもよいから」との猊下の仰せは、すでに猊下御自身もその内心においては国立戒壇正義と認めておられるが、ただ学会を憚って言えぬだけであると小生は強く感じた』と勝手なことを書いております。

 これが、まったく事実に反する推測であることは、その直前のくだりに八木氏が『浅井にお目通りの御印可をとお願いしたところ、ここには公表を憚るが、まことに卒直、御正直の御心情をもらされた』と書いている。
 “公表を愕る”内容を明かせば明らかになります。猊下はこのとき、「浅井に会ってもこちらの言うことをきかず、言いたいことを言い、私の言葉を都合のよいようにねじ曲げるから困る.私が国立戒壇が正しいといったとか、浅井が私を言いまかしたとか言う。妙縁寺のときもそうだった。歪曲して富士にかかれた」とおおせられたのであります。

 そして、そういうことがおこらぬよう、はじめから立場をはっきりさせるなら会おう、とおっしゃって条件をつけられたのであります。これだけはっきりおおせられたことをかくし、一方的なことをさも本当らしく推量形で書くなどとは、とんでもないことであります。
 都合の悪いところをかくしたり、切り文にしたりすれば、どんなすりかえでもできます。
 これで明らかなとおり、宗内では、浅井が正しいから、或いは浅井が恐いから会わないのではありません。無法な、勝手な男であり会えば暴言をはき、相手の講の内容を歪曲して発表するがために、“誰も相手にしない”だけであります。元講員の人達はこのことをよく肝に銘じてほしいのであります。

 又、昭和四十九年十二月十日には、松本が裁判所に申請したものの主張がとおらず取下げを余義なくされた仮処分申請の上申書でもってとんでもない歪曲と猊下に対する誹謗を行っています。元々、松本日仁の二重人格性、うそつきな性格は、宗内にも知れており、又ある寺院の住職になれなかったことで、猊下に対しいわれなきおんしつをいだいていた僧侶であります。
 上申書にいわく、「本山の日達管長には定見なく、ある時は妙信講に、ある時は学会にと軍配を上げていた」 「訓論は誤りがあるから訂正を約束」「学会の圧力に属せぬ決意を辞世の句で」「創価学会は非を認め」云々、よくもまあ、これだけ恥も外聞もなくぬけぬけとうそが並べられるものです。

 まあ、松本日仁に対する処分の経緯については、又改めて特集し、細微にわたってそのすさまじいうその実態を明かすつもりです。裁判所も、松本の見えすいた嘘を見破ったからこそ、久保川住職の仮処分申請に軍配を上げたのです。浅井らも、さすがに自分の口で云うのは、はばかられてか、松本の名で言わしめているのでしよう


 
 まさしく 「
都合の悪いところをかくしたり、切り文にしたりすれば、どんなすりかえでもできます」とは、この破邪新聞のことでありましょう。

 そして、『上申書にいわく、「本山の日達管長には定見なく、ある時は妙信講に、ある時は学会にと軍配を上げていた」 「訓論は誤りがあるから訂正を約束」「学会の圧力に属せぬ決意を辞世の句で」「創価学会は非を認め」云々、よくもまあ、これだけ恥も外聞もなくぬけぬけとうそが並べられるものです』とは、まったくもってよくもまあ恥も外聞もなくぬけぬけとうそが並べられるものです。


 
後に山崎氏自身が事実を述べれば、こういうことでした。「日達上人は、もともと、正本堂を御遺命の戒壇と断定すること(将来そうなるということもふくめて)を大変しぶっておられた。また、ときに応じて大胆な発想転換の発言をなされることがおありである。浅井父子にくいさがられて、面倒くさくなったり、つい本音が出たりして、訓諭を否定するようなご発言があったら、すべてがブチこわしになってしまう。できるなら、多少のさわぎがあろうと、このまま妙信講を処分で押し切ったほうがよい、というのが、北条、秋谷両副会長はじめ私たちの意見だった」(盗聴教団)と。

 
しかして、財も地位も名誉もその一切を抛って妙信講の御遺命守護を擁護された松本尊能師への 「二重人格性、うそつきな性格は、宗内にも知れており、又ある寺院の住職になれなかったことで、猊下に対しいわれなきおんしつをいだいていた僧侶」などという誹謗こそ、許し難いことでありました。



                戻る 


「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠