迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 宗門、堀米日淳管長「正法による国教樹立こそ必要」と指南。(「日淳上人全集」下巻 )
1月1日
 法道会、早瀬道應主管、年頭の辞。「折伏の誓願とか、事業の面や、その他の事は、本部から打ち出して参ります。私としては、第一次五ヶ年計画の、仕上げの年として、世の中に出て行く、準備の良き年として、事実をもつて同志の諸君と俱に、信、行、学、を行じ度いと思います。 謹みて、諸賢の最上の幸福を祈ります。…
 総会3千世帯結集を期す、第2回は5月19日に行われ、第3回は11月17日。会場としては豊島公会堂が予定されている。すべての行事の最たるものである。単独登山会は、8月17、8日。大御本尊様にお目通りと同時に、結集と訓練をかねたもので、異体同心の実をあげるために、一人でも多くの参加が望まれている。
 本年は法道会創立六十周年にあたり、その記念御講が12月12日に行われる。第二期斗争を展開中の青年部は、1月20日、第二期結集大会が開かれ、第三期斗争に突入し、6月下旬、その結集大会がひらかれる。その間、3月下旬、全部員を糾合して、登山会が催される」(「法之道」1月7日号
「昭和三十二年新年号の「法之道」には、五月と十一月に総会開催予定が発表され、結集目標は三千世帯とされた。三千世帯達成予定が四月であるが、その翌月には三千世帯を総会に結集しようというのである。驚くべき勢いである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月20日
 法道会、青年部第二期結集大会開催、6百名が結集し誓願を完遂。当日は御主管を始め、講頭、本部役員、各班長も出席され盛大を極めていた。これより青年部はいよいよ第三期斗争に入るが御主管の直属部隊としての見事な斗争を展開して行く事が期待されている。
 早瀬道應主管訓示「法道会を日應上人が建てられて法道会という妙な名前をつけられて、皆から時々法道寺とか法道院とか何とかしてくれと云はれる。… 何故法道会というふうに、名前をつけたかというと、日應上人のお心の中には、普通の寺じゃない。広宣流布への、本当に信心をきたえてゆく道場として、作戦本部として、この法道会を建てられた。…
 私は常に日應上人の思召しを拝して、その夢を行いたい。法道会の在り方が、広宣流布に向つて、組織を持つた斗争の第一線部隊として、その実体を本当に実現していき度い。…
 法道会でも、半期半期に目標を立てる、又五ヶ年計 画を立てる、更に第二次五ヶ年計画もある。これをあくまでも団結した力で、開基日應上人の御理想を実現するという事を、いつでも目標とする。… 日應上人の御理想を、将来に本当に実現するのは誰か、それは諸君しかない。本部から出される所の指揮に従つて諸君の徹底した団結心が、日應上人より授けられた私の夢を実現するものだ、こう考えております。しっかりとたのみたいと思います」
 浅井昭衛青年部長、「よき師を得たるは我等の福運」と題し「法道会は、唯授一人の血脈をつがれた時の猊下日應上人が、止むにやまれぬ法憤の故に東京に大折伏して築かれた法城であります。その当時の東京には、田中智学等の偽日蓮宗の悪侶がはびこり、三大秘法の光をさえぎつておったのです。日應上人はこの状態をじつと御覧になり、『正統の嫡流に浴する者、豈に此の状態を観て誰か法憤を発さざらんや』と、決然として東京に折伏せられたのです。この法道会の伝統は、今第三代の御主管がうけつがれ、厳然と立つておられるではありませんか。我々は実に、徳高き師匠を戴いております。これはとりもなおさず、我等青年部の福運です」(「法之道」2月7日号
「帝都弘通の作戦本部、信行錬磨の道場、折伏弘通の前線部隊である法道会の特徴が、明瞭に説明されている。言わば「闘う法華講」である。当然のことであるが、妙信講は多くのものを法道会から受け継いだと言える。… 現在は、顕正会員が浅井会長を「無二の師匠」と仰いでいるが、法道会にいれば在家が「師」と呼ばれることはあり得ない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月25日  石橋湛山首相、軽い脳梗塞を発症、「政治的良心に従う」と潔く退陣表明した。
2月16日
 宗門、佐藤覚仁師(日照)・貞広祐覚師(日文)・漆畑孝純師(日広)、能化となる。
2月24日
 宗門、堀米日淳管長、第1回園遊会を開催。大石寺蓮葉庵の梅林に、戸田城聖会長ほか創価学会幹部を招く。
2月25日  岸信介内閣発足。岸信介、第56代内閣総理大臣に任命さる。
3月1日  創価学会、大白蓮華、巻頭言「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である
 戸田城聖会長「広宣流布については、二つの意義がある。それは、化法の広宣流布と、化儀の広宣流布である。… 化儀の広宣流布とは、国立戒壇の建立である。この広宣流布について、大聖人のご予言及びその思想の根底となるべきものは、左の御書にうかがい知ることができる。…
 三大秘法稟承事にいわく、『戒壇とは王法仏法に冥じ』…。
 また、一期弘法御書にいわく、『日蓮一期の弘法』…。
 以上二つの御書において、深く考えてみねばならぬ個所がある。すなわち、戒壇の建立の付嘱は、別しては日興上人にのみあり、総じては弟子壇郡一同に対してあったのである。… かくして、付嘱を受けたる弟子檀那が、七百年近くの間、ただ夢のごとく、広宣流布、広宣流布と叫んできたのである。どうすれば広宣流布ができるのか」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
3月5日  西山本門寺、日蓮宗より離脱し単立となる。
(※ 上条大石寺、重須本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成、京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」 )
3月30/31日
 法道会、青年部登山会挙行。青年部 "第三期斗争" における、三大目標の一つである第1回登山会、250の部員が参加して盛大に行われた。(「法之道」2月7日号
4月1日  創価学会、戸田城聖会長「王仏冥合論」の結論。「国立戒壇の功徳すなわち平和論」と題し「ここに、日蓮大聖人が、政治と個人の幸福とは一致しなければならぬと主張あそばされたのが、王仏冥合論である」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)と。
4月2日
 法道会、4月度定例幹部会開催、組長以上約百余名が参集。
 浅井甚兵衛講頭「信心が強ければ、魔が現われる。然し必らず、勝つのである。御本尊様の大功徳を信じ、修行に励まなければならない。愈々来月は、第二回法道会法華講総会である。今月一杯、三千世帯達成に各班とも馬力をかけて折伏し、誓願目標完遂、広宣流布のために精進して貰いたい」(「法之道」4月7日号
4月3日  立正安国会、山中喜八編「日蓮大聖人御真蹟」刊行。
4月7日
 宗門、大石寺御影堂において、保田妙本寺・末寺4ヶ寺の帰一奉告法要を執行。
4月22日  創価学会、「大阪事件」。参議院大阪補欠選挙の前日、候補者名を書いたタバコと候補者の名刺を添付した百円札を、創価学会員がばらまいた。「それが行われたことはまぎれもない事実である」(池田大作著、『人間革命』第11巻)
4月 日
 法道会、3千世帯達成。
4月28日
 宗門、保田妙本寺において、帰一奉告法要を執行。
 創価学会、戸田城聖会長、奉告法要の席で「しかるに石橋君が7票で勝った。… このまま彼が総理をつとめれば、日本の国に災いがある。彼が病気で倒れたのは、それから3日目だ。そうして、岸君が総理の位置についた」と。
5月18日
 法道会、第2回総会開催。1千7百余名が参集、3千世帯達成の歓喜にわく。下半期の本部指導強調点として、「教学の研讃・組織の強化・供養の精神」の三点が、本部幹事より示された。
 浅井昭衛青年部長「必ずや次代の双肩をになつて斗争していく」、浅井甚兵衛講頭「自他ともの幸福は折伏以外ない」と。
 早瀬道應主管「宗門に於ては、今や将に創価学会が戸田会長さんの下に僅か6ヶ年にして60万世帯の折伏が成し遂げられ、更に猛烈な折伏を展開せられつつ有る時、法道会法華講は数十年の歴史をもち乍らも、未だ足踏みをしていることは御本尊様にも、御開基日應上人にも申訳けのない事だと思つて居ります。… 又、この度は御聞き及びの通り、敢て折伏目標を立てません。要するに無限折伏だと御承知願います」(「法之道」6月7日号
6月1日  創価学会、大白蓮華 6月号巻頭言、戸田城聖会長「国立戒壇建立こそ遣使還告の役目であり、地涌の菩薩のなすべきこと」、そこに折伏の意義があり、学会の使命がある」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
6月 日  北海道炭労、第10回定期大会で、組合からの創価学会員締め出しの具体的な計画や指令を検討。
6月16日  週刊サンケイ、「衝突した"現世利益" 炭労と創価学会」の記事掲載。(「同誌」6月 日号 )
6月30日  創価学会、麻布公会堂で学生部結成大会。500名が参加。
7月2日  創価学会、小泉隆理事長、大阪府警に出頭、百円札バラまきによる買収を指示した容疑で、逮捕・勾留さる。
7月3日  創価学会、戸田城聖会長、妙悟空の筆名で小説「人間革命」を発刊。「日蓮正宗の潰れることを恐れて、なにになる!仏法の力によって、日本を栄えさせてこそ、大聖人はお喜びになる。… 総本山の安泰のみ願うのは、弟子の道ではない」
7月4日  創価学会、池田大作参謀室長、大阪参院補選の最高責任者として大阪府警察本部に出頭。戸別訪問教唆の疑いで15日間留置、後にこれを7月3日と改竄し身を飾る。「奇しくも、戸田城聖が2年間の獄中生活を終えて出獄してから、12年後の同じ日であった」(「人間革命」第11巻 池田大作 )
7月9日
 法道会、講頭・浅井甚兵衛、青年部長・浅井昭衛、法道会の一切の役職を辞任
「この度、講頭浅井甚兵衛氏から、一身上の都合から辞任の申し入れがあり、去る九日、御主管から班長会議に其の旨をはかられ、辞任を受理する事に決定した」(「法之道」8月7日号 )
「浅井会長は父・甚兵衛初代講頭を懐古し、「昭和三十一年、所属の末寺住職の要請により、妙信講を発展的に解消し、同寺全信徒で結成する法華講の講頭に就任された。しかしその後、末寺住職の広宣流布を忘れた腐敗堕落を見て、苦難の中に妙信講を再建された」(「冨士」248号、昭和五十九年六月)と、妙信講再建の経緯を言葉少なに語っている。ここで、末寺住職とはもちろん早瀬主管のことであるが、「広宣流布を忘れた腐敗堕落」とは、一面的な見方からの言い様であろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月12日
 法道会、臨時本部役員会開催。「浅井講頭辞任に伴う後任講頭及び会計補充の件に関して会議した。席上、御主管より新講頭に赤沢猛氏を、会計に阿部唯七郎氏 田島栄一氏を推す旨発言があり、満場一致をもつて赤沢氏を新講頭に、阿部、田島両氏を会計に決定し、御法主上人猊下の認証を仰ぐことになつた。また法道会法華講としては、来る九月十二日に講頭就任式を行う」(「法之道」8月7日号 )
「昭和三十二年当時、広宣流布を目指して折伏弘通を推進していたのは宗門にあって、法道会だけであったといっても過言ではない。広宣流布を忘れるどころか、早瀬主管が「学会の人々に遅れじ」として「のどかな雰囲気の寺」と「折伏を忘れた安逸な講中」を明確に否定していたことは、既に見て来た通りである。五ヶ年計画を自ら指揮・推進し、昭和二十九年当初には五二五世帯であった法道会をして、三年半後の昭和三十二年四月には三千世帯を達成し、翌五月の総会には千七百余名が参集しているのである。五十余年後の今日の宗門法華講から見ても、刮目すべき実績であることは間違いない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月12日  創価学会、蔵前国技館で東京大会。2万名参加。
7月17日  創価学会、池田大作参謀室長。全面自供で釈放。
「拘置所入りして、21日間の拘留満期まで頑張り通さず、全面自供して17日に出てきた。だから、この後しばらくは会内でもきわめて低姿勢を貫いて… 」(『内外一致の妙法 この在るべからざるもの』石田次男著 )
7月17日  創価学会、大阪大会開催(中之島中央公会堂)、戸田城聖会長「今度は、学会としては、事件を起こしまして、理事長や、参謀室長が、10日か15日はいってきました、… 新聞社なんていうのは、自分のつごうの悪いことは書かないよ。みんな、インチキばかり書いている」
7月29日  創価学会、参議院大阪区補選の公職選挙法違反容疑で、池田大作参謀室長ら幹部が起訴さる。起訴事由は、池田参謀室長らが大阪府下の約6万世帯の学会員を動員し、戸別訪問にあたらせたこと。
 この事件では最終的に、創価学会関係者 65名が起訴された。昭和37年1月25日、池田大作容疑者は無罪、他の創価学会員ら2人は 罰金・公民権停止等の有罪判決となった。
8月2日
 宗門、堀米日淳管長、覚林房日如師に上人号追贈。(「大日蓮」第139号 )
(※ 覚林日如師は、元文五年(1740)奥州磐城黒須野(福島県いわき市)に生まれ、細草檀林に学び日真上人の弟子となり、仙台法難で入牢・流刑等の弾圧を受けた )
8月3日
 妙信講、法道会にて再建総会を開催。 法道会法華講から離脱し、380世帯の講員を以て一年ぶりに、妙信講を再結成した。
(※ 妙信講再建時の人数については、350名、380名、450名と諸説あり。浅井昭衛会長が、異なる数字を述べている。)
8月9日
 法道会、班長会議、浅井甚兵衛・浅井昭衛の役職辞任を受理。(「法之道」9月7日号 )
「広宣流布を目指す浅井昭衛氏が内に吉き師を求めるなら、早瀬主管こそその人に他ならなかった。さればこそ「この法道会の伝統は今第三代の御主管がうけつがれ」、「我々は実に徳高き師匠を戴いて」(「法之道」第35号)と、当時の浅井青年部長は述べていたのである。そうしてみると、少なくとも「末寺住職が広宣流布を忘れた」などと言うことはできない。三千世帯達成後の下半期方針、教学の研讃・組織の強化・供養の精神において、前の二つに何ら問題はない。最後の「供養の精神」についても、「腐敗堕落」とは言い過ぎであろう。現在の顕正会でも「広布御供養」という名目で、同様に供養の精神を説いているのである。
 広宣流布に向けて粉骨砕身して来た早瀬主管からすれば、「広宣流布を忘れた腐敗堕落」などという侮辱的な言葉は、思いもよらないことであっただろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月28日  創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長「今月の折伏の数がひじょうに多い。これは一面まことに喜ばしいことでありますが、半面またひじょうな憂いをもつものであります。それは、この多い入信者が、ほんとうに最後まで信心していけるかどうかという憂いであります」
8月30日
 宗門、日向定善寺において、本末六ヶ寺(定善寺・本善寺・本建寺・本照寺・本蓮寺・法蔵寺)の帰一法要執行。
9月6日  創価学会、聖教新聞に池田大作参謀室長の「遺誡置文講義」掲載。「広宣流布の時には参議院議員、衆議院議員もいてさ。皆な財布の中には少くとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、一つ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら、広宣流布出来やしませんよ」
9月8日  創価学会、第4回東日本・体育大会開催(横浜・三ツ沢競技場)、戸田城聖会長、「原水爆禁止宣言」。「これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。… それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります」
9月12日
 法道会、講頭就任式開催、新講頭に赤沢猛が就任。
9月13日  創価学会、池田大作参謀室長「このような世界情勢の中にあって、上行、無辺行、安立行、浄行の四菩薩は、最高の文化の建設である国立戒壇の建立を間近にして、必ずや出現せられていることと確信するのである」(「会長講演集」第四巻 )と。
10月14日
 宗門、第六十四代水谷日昇師 逝去。
10月19日
 妙信講、法道会において第2回総会開催。
11月8日  創価学会、第17回本部総会開催。
 細井精道総監、「この予証を真実ならしめるところの、一閻浮提広宣流布を着々と実践されておりまする創価学会のこの活動はまた釈尊の教典を、真実ならしめるものである」と挨拶。
11月17日  法山閣、松本和道著「尋勝論」刊行。
11月23日
 宗門、第五十九代堀日亨師 逝去。
12月6日  創価学会、第6回男子部総会開催(東京都体育館)、参加人数 2万人。
 池田大作参謀室長「一生成仏めざせ」と題し、「会長先生の御意思を体し、断じて、われわれは国立戒壇建立に、会長先生のもとに続いていかなければならない」(「会長講演集」第三巻
12月25日  創価学会、76万5千世帯。
 

                前年   一覧    翌年