迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和35年 (1960)         _
1月1日
 宗門、宗内一般に『訓諭』。「日達先きに日淳上人より昭和34年11月6日丑寅の刻に血脈相承をうけ、12月2日 日蓮正宗管長の職につき、総本山六十六世の法燈をつぐ」、「身口意三業を謹んで和衷協力・各自その分を尽くして宗門の願行たる戒壇建立に勇猛精進せられんことを」と。(「日達上人御説法集」)
1月1日
 宗門、細井日達管長。「日蓮正宗の僧俗は、共々一致協力して、真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願う」と。(「大日蓮」1月号 )
1月1日
 宗門、細井日達管長、「大白蓮華」1月号に寄稿。「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命であり、本誌大白蓮華の使命であることを忘れてはならない」と。(「日達上人御説法集」)
(※ 「大白蓮華」誌上では「国立戒壇」であった文語が、「日達上人御説法集」では「本門戒壇」に改竄されている。「日達上人御説法集」の発行所は創価学会傘下の鳳書院、発行日は昭和39年1月である )
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「さて昨年は、壱千世帯の誓願のもとに進み、最後11月12月の折伏戦に於て、美事に12月15日を以て誓願を完遂致しました。… 本年は新しき進軍の第一歩であります。日淳上人は、かつて「折伏は鼠算でやるんだね」との御詞を賜つて居りました。本年の折伏に於ては、壱千世帯全部が必ず最底 壱世帯折伏する信念を実行にうつし、以て御法主第六十六世日達上人猊下の御下命の下、講中力のあらんかぎり御奉公申上げる次第で御座います」(「顕正新聞」第9号
1月3日
 妙信講、初登山。
「妙信講初登山会は、好天気にめぐまれた1月3日、326名の参加を持って挙行された。… 東京駅から午前7時34分豊橋行で出発、沼津駅で下車、沼津よりバスで本山に向かった。このコースは、今回が初めての試みである」(「顕正新聞」第10号
1月5日
 妙信講、1月度総幹部会開催。整理班設置、「去る1月5日の総幹部会の席上、新たに整理班の設置の発表が行われ、班長に木内哲三氏、主任に浅井信衛の両名が任命された。新たに誕生した整理班は、講中の主要行事及び登山会等を秩序ある機動性を持って、円滑に進行させる整理の任務を帯びている」
 浅井昭衛本部企画室長、年頭挨拶「退転者の屍を乗りこえて」
「昨年までの足掛三年は、再建妙信講の旗をかかげるに力一杯の姿でした。450世帯から出発した同志が、お互いに励し合い唯一途にやったとはいえ、所詮折伏行進は甘いものでありません。弱き者は落ちました。妙信講精神の心に染らざる者、ごまかしの信心、こういう人達は矢張り退きました。当然の事とはいいながら、厳しい風雪の試練でした。残った人達こそ鉄の意志と節操を備えた、鍛え抜かれた人材だったのです。すべては御仏意の守護と感じないわけに行きません」(「顕正新聞」第10号
1月16日  日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)が、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.で締結された。条約には「日米地位協定」が付属している。
2月16日  法性寺顕本法華仏国会、窪田哲城著『日蓮聖人の本懐 日蓮正宗・創価学会批判』を発行。
「去る昭和35年、私は「日蓮聖人の本懐」を発行した。これに対し学会は大白蓮華の122号・126号でとりあげ、さらに最近に至って「日蓮正宗創価学会批判を破す」という単行本を発行した。この本は「身延派・国柱会・仏立宗・顕本法華宗・その他」とある様に、日蓮門下各派の学会批判に答えたものである。そのうち顕本法華宗の処に"狂論「日蓮聖人の本懐」を破折す"と、拙著をとりあげている」(「日蓮聖人の本懐」窪田哲城 1965年8月第三刷 )
「ともあれ、窪田哲城ごとき頭破作七分の輩のたわごとを、まともにとりあげて論破するのも大人気ないがかかる悪書が世に横行するのをだまってみすごす理由もないので、その狂論をとりあげて破折し、もって妄執の根をたち切らんと思うものである」「本述相対さえもわからぬ窪田哲城ごときには、一生かかってもこの質問には答えられまい。釈迦を本仏とするような狂学で、天下の創価学会に太刀打ちしようとしても、労多くして益なきことを知るべきだ」(「日蓮正宗創価学会批判を破す」創価学会教学部編 )
2月23日  浩宮徳仁親王(第126代天皇)、御誕生。
2月25日
 妙信講、3月度から講中挙げて「目覚まし運動」展開。
「2月度の支部長会において、この運動の活動方針が企画室より明らかにされた。それによると
(一)目覚まし運動の精神の徹底を持って活動に入る事
(二)如何なることを強調し指導するか
  (イ) 御本尊様のまつり方及び御給仕は正しく出来ているか
  (ロ)朝夕の勤行が行われているか
  (ハ) 信心即生活を根本として、前記の2点を中心に相手の良き相談相手になって、正しいやり方に力をかしてあげること
  (ニ) 組織の中に溶け込ませる手がかりを作ってあげる
  (ホ) 最後の結論は、正しくご本尊様を受持すれば必ず無量無辺の功徳がいただけること
    そして4月度に行われる御代替りを知らせ、その意義を強調して一人でも多く参加を進める
(三)どのような組織形態で活動するか
  (A) 組単位で、組長を中心に常時活動されている組員並びに青年部員の協力のもとに、二人ないし三人のグループ活動を促す
  (B) 班長は、それを適時適切に応援し、その結果を必ず支部長迄に報告をする
等で、3項目にわたる具体案が示された」(「顕正新聞」第11号
3月5日
 妙信講、3月度総幹部会、「成果に現れた気の緩み」
「3月度の総幹部会は、去る3月5日午後7時より本部に約100名の幹部が出席して開かれた。まず最初に前月度の折伏成果が司会者男子部長より5世帯と発表され、これで昨年よりの累計1千26世帯となったが、この折伏成果は妙信講再建当初における最低の折伏成果をかろうじて一世帯上回るという、近代にない低調な成果であった。したがって幹部会の焦点は、3月度から一斉に展開される目覚まし運動の問題とともに、この折伏成果に現れた幹部自身の信心に強い反省が加えられ、講頭先生より厳しい指導が行われた」(「顕正新聞」第12号
3月8日  厚生省公衆衛生局環境衛生部長、墓地問題(墓地・埋葬等に関する法律 第13条の解釈)につき新通達、"改宗を理由に埋葬拒否はできない"とし、1949年の通達を事実上破棄した。
「各地の寺院で、離檀していった学会員家族の遺骨埋葬をめぐって、はげしい争いが起こっていた。そしてこの争いに対し、昭和35年3月8日、厚生省は通達を出して「依頼者が、他の宗教団体の信者であることのみを理由として、この求めを拒むことは、"正当な理由"によるものとはとうてい認められない」という解釈をしてきた」(『第三文明の宗教創価学会のめざすもの』 高瀬広居 )
3月10日  創価学会、男子青年部。約千名が鼓笛隊を先頭に気勢を上げ、身延山久遠寺に威勢行動。
3月15日
 妙信講、初級講習会開催。
3月28日
 宗門、第一回年分(少年)得度者 22名。
4月1日
 妙信講、4月度総幹部会。「今ぞ剛毅の折伏精神に立て」
「4月度の総幹部会は、2月3月と続いた意外な折伏成果の不信に絞られ、去る1日午後7時より本部で開かれた。… ここで前月度の折伏成果が司会者より、4世帯と発表された。一瞬 場内は沈黙、各幹部ともあまりの低調さに強い自責の念に打たれた。… 最後に講頭先生が登壇され、別項のごとく慈愛あふるる中に厳しい指導が行われた」
 浅井昭衛企画室長、「摂受的安逸は退転の第一歩」と。
「さて今の妙信仰は、壱千世帯を達成して、やれよかったとエンコしてしまい、なんとなくこのやわらかい摂受的な気風が流れているように見られる。"自分の支部は和気アイアイです"等と言って、これでよしとしていったならば大聖人様にきびしく叱られます」(「顕正新聞」第13号
4月2日  創価学会、戸田城聖第二代会長の3回忌法要。(大石寺)
4月4日  創価学会、女子部幹部会(台東体育館)、参加人数 1万名。池田大作総務「七回忌には大客殿が出来上がって、そこで大法要ができる段階になっていると考えられます。『それが終わったならば、すぐに正本堂を作りなさい。いまの御影堂の裏に世界各国の粋を集めて世紀の建築をしなさい』と、このようにも会長先生は御遺言なされております」(「会長講演集」第四巻 )と
4月17日
 宗門、東京法道会を「法道院」と改称。(「大日蓮」第173号 )
4月19日  創価学会、池田大作総務の第三代会長就任を決定。
 池田大作会長「願わくは、早く次の偉大なる会長にバトンを渡すまで、しっかりがんばっていきたい」、
「私にはなんの力もありません。なんの確信もない私でありますけれども、そういう先生方に守られ」、「あくまでも学会員の小使いみたいな立場でいかねば、いけない」、「変わったことはなんにもありませんし、変わることもありません」と。(「会長講演集」第四巻
4月19日  大韓民国、大統領選挙の不正が問題となり国民の批判が公然化、不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突し死者186人を出す。( 4・19 学生革命 )
4月20~30日
 宗門、第六十六代細井日達師御座替り慶賛奉告大法要。
 細井日達管長「今日は朝からはげしい風雨でございます。このはげしい風雨こそ私が宗門の棟梁として行く前途のあらわれである、ということを堅く信じている次第でございます。… どうぞ皆様の御協力、ますます折伏をはげしくして大聖人様をおよろこばしたてまつりたいと存ずるのでございます」(「顕正新聞」第14号
4月20~22日
 妙信講、総登山、303名が参加。
「日蓮正宗総本山第六十六代細井日達猊下の御代替慶賛奉告大法要は、去る4月20日午後2時からの代替報告大法要を皮切りに、11日間に亘る幕が切って落とされた。妙信講からは、第一陣として講頭先生以下29名が20日、21日の両日に亘って代表登山し、この御儀に参列した。翌22日は、第2陣として佐藤財務部長以下274名がバス5台を連ねて総登山し、日達上人猊下の御登座を謹んでお祝い申し上げた。それと同時に、宗門秘宝の大聖人様の御生骨内拝が特別に許されて、参加者全員がその栄に浴した」(「顕正新聞」第14号
4月28日
 宗門、大客殿建立委員会を宗務院に設置。
5月1日
 妙信講、浅井昭衛本部企画室主任、顕正新聞のコラム「大鉄輪」に記す。
「悪い時は悪いと、良い時は良いと、自らの組織をありのままに見つめる勇気は常に持ちたいもの。戦中の大本営発表の如きは愚の見本。妙信講は、何でもありのまま行くのだ。ハッタリも不要、敗北主義はなおイカン。前途に大いなる確信あればこそ、現実の足元をありのままに見つめ得るのだ」と。(「顕正新聞」第14号
(※ 自身の「自らの組織をありのままに見つめる勇気は常に持ちたい」との言葉を、存命中に浅井昭衛会長の耳に届けたいものである。「大本営発表の如きは愚の見本」「妙信講は、何でもありのまま行く」と述べたこと、もうすっかりお忘れになっているだろう。浅井昭衛会長は、目的(国立戒壇)のために手段を選ばず、やがて目的が「自己保身」「組織防衛」にすり替わってしまった。"ハッタリ" と "大本営発表" と "情報隠蔽" と "危機の予言" と "会員への不誠実" を重ね続け、今年(令和3年)90歳となる会長の余命は幾ばくであろうか。これまで為して来た「ハッタリ」と「大本営発表」等の "数々" について、この「顕正会年表」はその検証のための "根拠" を提示して行こう。櫻川 忠)
5月3日  創価学会、第22回本部総会 (日大講堂)。池田大作第三代会長の就任式挙行。
 池田大作会長「創価学会は、全大衆の味方であります。敵は邪宗教です。… 再び門下生一同は、邪宗教撲滅に猛然と襲いかかっていきたいと思うのでございます」「私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下に御奉公申し上げることが学会の根本精神であると信じます」「恩師である戸田城聖先生の、総本山に忠誠を尽くされたその心を心として今、私は全学会員を代表して日達上人猊下により以上の御忠誠を誓うものでございます」と。
 細井日達管長「宗祖大聖人様の仏法は、順逆二縁ともに成仏せしむるところの大慈悲の仏法であります。大聖人様の正法をつぐわれわれ日蓮正宗は、一度縁につながったら、その人がたとえあとでそむいても、慈悲の上から、それを救ってやろうとするのが、正宗の心でございます。しかも、それをいっそうひろげて、乃至法界平等利益におよび、そして、無縁の大慈悲におよぶというのが、本当の仏教であります」と。
戸田城聖先生 巻頭言集」発刊さる。
5月6日  創価学会、池田大作会長「いま創価学会の私どもは、日夜、朝な夕な、不幸の人々を救おうと折伏に励み、また教学に、座談会に、支部結成に、総本山を、日達猊下をお守り申し上げているその精神、その姿、その方程式こそ、有徳王の精神であり、姿であると私は信ずるのであります」(『聖教新聞』5月6日号 )」
5月8日  創価学会、池田大作会長、関西総支部幹部会で「関西の邪宗教の牙城」である「天理教を総攻撃せよ」と号令。
5月10日  創価学会、池田大作会長、男子部幹部会(東京体育館)で「立正佼成会を撲滅せよ」と号令。
5月29日
 妙信講、第6回総会開催。(山口ホール)
「妙信講第6回総会は、さる5月29日午後2時 から台東区御徒町山口ホールで盛大に開かれた。この日、集まつた妙信講員は719名、… 今回の総会は、再建3年目、そして本年から 妙信講本来の広宣流布の使命に向つて、五カ年計画三千世帯折伏達成の進軍に踏出した講想実現の第一年目として、五カ月間の斗争中に迎えた総会であり会場も始めて外に移す等、新しい息吹が随所に展開 … 」
 浅井昭衛青年部長、「仏語に妄語なし 今ぞ戒壇建立の時 使命を自覚して猛進」と題して講演。(「顕正新聞」第15号
5月  創価学会、140万世帯。
6月1日  創価学会、「大白蓮華」109号。池田大作会長、「化儀の広宣流布とは、国立戒壇建立のことである。(略) 一閻浮提の一切衆生の信行の中心道場であり、依所依託となるべき国立戒壇建立が、大聖人様御入滅後の弟子に残されたのである」と。
「戒壇の研究」と題する記事では、「今日の戦の仕上げは、戒の流布、すなわち、国立戒壇の実現であると決定された。ここに初めて、あと20年後には、大聖人の仏法も完成をみんとするわけである」、「創価学会は、今や、第三代会長池田先生のもとに、あと19年、ひたすら国立戒壇の建立に前進をつづけている」と。
「いうところの国立戒壇とは、「三大秘法抄」「一期弘法抄」における「御遺命の戒壇」であることが明白である。とすれば、国立戒壇を二十年後に建立するということは、取りも直さず、二十年後に御遺命の戒壇を建立するということに他ならない。(中略)しかし、「自ら」や「自らの団体」が、戒壇の建立主であることに固執することは、我執と言うべきではないだろうか」(『正本堂に関する御指南の真意』日蓮正宗時局協議会 )
6月10日  創価学会、中部総支部幹部会。
 池田大作会長「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから、政治団体ではありません」と、学会政治部の衆議院進出を否定。
6月15日   安保闘争激化、東京大学の女子学生、樺美智子が死亡した。共産主義者同盟(ブント)の活動家として、安保闘争に参加。
6月28日  創価学会、大宮支部幹部会。池田大作会長、『破和合僧』をテーマに講演。「御僧侶であっても、創価学会をバカにし、創価学会の団結を破壊した場合には、地獄に落ちるのです」と。
6月29日  大韓民国、李承晩大統領、ハワイに亡命。建国以来、12年間続いた独裁体制が崩壊。
7月1日
 妙信講、「顕正新聞」第16号発刊。この号には「日本人の宗教観は間違っている」「仏法とは何か」「世界唯一の正法 日蓮正宗の歴史」が掲載されている。(「顕正新聞」第16号
(※ これらの論文に署名はないが、浅井昭衛 本部企画室主任の手になるもの。後に「冨士」4号、「冨士」63号に結実し、さらに「折伏理論解説書」、「基礎教学書」に引き継がれて行く )
7月 日  創価学会、150万世帯。
7月15日
 妙信講、御書「学習会」に青年部だけでなく、全妙信講員の参加が可能となる。
「教学の研鑽として毎月15日、30日の2回にわたって開かれている青年部の学習会は、回を重ねるにしたがって益々盛況で、一般講員の参加要望の声も強く聞かれるので、7月から一般講員の参加も自由ということになった」
7月15日  創価学会、本部に海外係を設置。( 海外の信徒世帯数:北米 232、南米 108、東南アジア 96、欧州 6 )
7月19日  池田勇人内閣発足、池田勇人、第58代内閣総理大臣に任命さる。
8月7日
 宗門、総本山大講堂で全国法華講講頭と創価学会幹部との懇談会開催。
「去る8月7日に総本山富士大石寺で、御法主上人猊下の召集により学会幹部と全国法華講々頭との懇親会が行われた。当日の参加は、本山御僧侶、学会幹部、全国法華講々頭を合わせて120名であった。妙信講からは淺井講頭先生、高山副講頭が出席された。この席上、最初に立たれた御法主上人より「大聖人の平等の弟子としてお互いに堅く提携して、本山を厳護し広布の日まで強く精進していただきたい」とのお言葉を賜り、一度を堅く広布への団結を誓った」(「顕正新聞」第17号
8月21日
 宗門、忠正寺(富士宮市)、日蓮宗より帰一。
8月27日
 妙信講、夏期登山会で初の教学試験実施。
「妙信講恒例の夏期登山会は、絶好の快晴に恵まれた8月27・28日の両日、日蓮正宗総本山富士大石寺に450名の参加をもって盛大に行われた。… 向こう4年間の斗争指針も "猊下をお迎えして文京公会堂に3千名結集" が力強く打ち出され…」
「第2日目は、午前8時からの教学試験で始まった。青年部員と一般の幹部級が約150名参加」
「登山会の講演会の席上、淺井本部企画室長より突如として、今後4年間の大目標が次のごとく発表された。『3千人の大結集は今までも夢のごとく言われてきたが、その実現をはっきりと昭和39年とする。しかも、もったいなくも法主上人猊下には講頭先生の熱願に応えられて御来臨の御内意を賜った。妙信講一門の名誉、これに過ぎるものはない。再建以来の苦闘を思えば、胸が一杯です… ついに猊下がお出ましくださる この戦いに勝てば、もう何時死んでもよい、勇気百倍、歓喜雀躍です』」(「顕正新聞」第17号
9月5日
 宗門、富士年表作成委員会設置。柿沼広澄師、委員長に就任。
9月10日  カラーテレビの本放送開始、世界で3番目にカラーテレビの本放送が開始された。
9月23日  創価学会、青年部第3回全国体育大会 "若人の祭典" を開催。細井日達管長、来賓として臨席。
10月2日  創価学会、池田大作会長、北條浩副理事長、秋谷栄之助青年部長、石田次男理事、柏原ヤス理事、小平芳平理事の6名、ハワイ・南北アメリカ9都市指導に出発。初の海外指導、世界広布への第一歩となる。( 訪問国:アメリカ、カナダ、ブラジル )
 英文による創価学会紹介書「ザ・ソーカガッカイ」発刊。
10月12日  浅沼稲次郎・日本社会党委員長、日比谷公会堂で "3党首立会演説会" の演説中に、反共主義者の山口二矢に暗殺された。
10月16日
 妙信講、青年部第2回結集大会開催。(板橋医師会館)目標の320名をはるかに上回る、380名の結集となった。
 浅井昭衛青年部長、「猊下御来臨の総会目指し 怒涛の進軍開始せよ」と題し講演。
「世間の人は宗教と言うと、何か迷信だと思う。確かに日蓮正宗以外は、邪教であり迷信です。なぜならば、科学的なる裏付けがないからです。宗教も冷静に道理に立って科学的に見るならば、正しいか誤っているか一目瞭然に分かるのです。科学科学と言うけれど、科学とは何か、原因と結果を追求して、その法則性を生活に活用することです。例えば医学というものは、人の健康を対象として、原因と結果を追求するのです。… 但し社会がどうやれば栄えるか、不幸の運命に泣く人がいかにしたら自分の宿命を転換するか、… 生きる苦しみ、死ぬ苦しみ、こういう事を奥深く探求したものは、日蓮大聖人の仏法以外にありえないのです。単なる理論であっては、私たちの役に立ちません」
「大聖人様は、自分亡き後は、この御本尊様を護持する法主上人を自分と思へ、と仰せになっているのです。その御法主上人が、昭和39年の妙信講総会にわざわざお出かけくださるのです。これを聞いて奮起せぬものは青年ではない。(拍手)」(「顕正新聞」第20号
10月23日  創価学会、アメリカに総支部結成。総支部長に北條浩、総支部婦人部長に柏原ヤスが就任。
 ブラジルとロサンゼルスに支部結成。
10月31日  創価学会、本部に海外部を設置。
11月13日
 宗門、一月寺(松戸市)改宗入仏式奉修。
11月27日
 宗門、「日淳上人全集」刊行。
11月27日  創価学会、学生部機関誌 『第三文明』を創刊。
11月30日
 宗門、総本山御会式。妙信講では班長以上の幹部が代表登山。
12月11日
 妙信講、講中御会式。妙縁寺本堂改修遅延のため、常在寺で実施。
「去る12月11日午後7時より、池袋常在寺において妙信講御会式が厳修された。定刻きっかり松本諦雄師の導師のもと、御住職佐藤舜道尊師のご臨席を仰いで式は始まった。勤行の直後、異例ではあるが講頭先生が立たれて御宝前に進み、大御本尊様へ本年の折伏闘争完遂の奉告文を読み上げられた」
奉告文)「… この時に当り我ら妙信講一同また広宣流布に一分のご奉公を誓い、日淳上人より再建妙信講の大旗を賜りてより今日まで、同志糾合し但一途、微力ではありますが勇猛に折伏闘争に挺身して参りました。ここに三年、大前進の基礎漸く固まり、本年より5カ年を以て三千の流布を計るに至りました。…
 上に、日達聖人を大師匠と仰ぎ、賜った法華講支部妙信講の大旗を汚すことなく前進するならば、必ずや我ら信心の大願も成就するの確信に立つものでございます。願わくは我らの信心、もし仏意に違うなくばこの進軍を御照覧給い御守護賜らんことを、本日ここに本年の誓願完遂を報告し奉るとともに、今後の精進を誓い御報恩の一端に供えんとするものであります。昭和35年12月11日 日蓮正宗法華講支部 妙信講々頭 浅井甚兵衛」(「顕正新聞」第22号
12月13日
 宗門、蓮光坊・心教坊・法善寺・忠正寺(富士宮市)、帰一入仏式奉修。
12月21日  創価学会、172万世帯。
 

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