迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 宗門、細井日達管長、「年頭のことば」を「大白蓮華」1月号に寄稿。
「つまり、創価学会員は日蓮大聖人様のお使いであり、大聖人様の所遣として、大聖人様の事を行じているのであります。さすれば、創価学会員は日蓮大聖人の子であり、一分である、と考えられるのであります。すなわち、創価学会員こそ即身成仏の人々であると申すのであります」
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭、「新春の祝い」
「われら妙信講は上に血脈付法の大導師、六十六世日達上人を大師匠と仰ぎ勇躍本年も驀進する。… 再建五年目、基礎ようやく固まらんとしている。本年は昨年に倍する信心の情熱をもつて、いよいよ将来の構想実現のくさびを打ち込む建設の年であります」(「顕正新聞」第22号
1月1日  百華苑、布教研究所 (編集) 「創価学会の検討」発刊。
1月3日
 妙信講、初登山会。(総本山)
「快晴に恵まれた1月3日、年頭恒例の初登山会が、360名の参加をもって盛大に挙行された。当日、午前6時出発。池袋駅東口前からバス8台を連ねて、一路総本山大石寺へと向かった。… 午後1時30分、御出仕された総本山六十六代日達上人猊下の大導師のもとに、厳粛な御開扉が始まり方便品、寿量品の読経、唱題が行われた。… 午後3時、高鳴る折伏の斗志を秘めて大石寺に別れを告げ、勇躍下山の途についた」(「顕正新聞」第23号
1月5日
 妙信講、総幹部会、新春祝賀会開催。
「本年前進のトップをきって、定例の総幹部会が、去る1月5日夜、音羽会館に組長以上の幹部130名が集って開かれた。… 午後6時、本部より御本尊を迎え、講頭先生の導師のもとに全幹部が打揃った初の本部勤行が行われた。… 最後に感動につつまれた面持ちで立たれた講頭先生は別項のような気合のこもった講演をなされ、万雷の拍手に包まれた。終わって後、直ちに新春祝賀会に移り、和やかな1時間を過ごし最後に万歳三唱をもって本年の完勝を誓い定刻9時に閉会となった」(「顕正新聞」第23号
1月8日
 妙信講、1月度男子部会開催。「勝ちとるぞ建設の年 先陣をきって百名結集」
1月23日  創価学会、池田大作会長、渡印歓送会で「私どもは、全部猊下の家来でございます。このたび家来を代表させていただき、また、日蓮正宗の信徒を代表させていただきまして、日達上人を外護申し上げ、東南アジアの旅行に行ってまいります」と。(『「僧俗平等論」の誤りを破す』)
「今回の山本伸一のアジア訪問の目的は、日蓮大聖人の御予言である、"仏法西還"の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった。… もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄となってしまったにちがいない。その先駆けの歩みを、伸一は会長に就任して迎えた新しき年の初めに、踏み出そうとしていた」(『新・人間革命』第3巻 )
(※ "月氏国ヘ正法が流布していく歴史的先鞭をつけたのはオレだ"、と自賛 )
1月 日
 宗門、細井日達管長、「今回、創価学会会長池田大作先生の道案内によりまして、東南アジア方面へまいることになりました。まことに身に余る光栄と存じておるのでございます」
「この大聖人様の仏法を、不肖私が創価学会の案内で、今あの釈尊の悟りを開いたブッダガヤの地へまいりまして、大聖人様の『三大秘法抄』をもってそこに埋蔵し、再び化儀の広宣流布と、この印度に到達する時を希って、今回行って来たいと思うのでございます」と挨拶。
 1月28日~  2月14日
 宗門、細井日達管長、池田大作会長の案内で渡印。ブッダガヤに『三大秘法抄』一巻、『法華経』要本一巻、願文一通等を埋納する。
「御法主上人猊下には随行早瀬理事並びに学会池田会長他5名の一行を従えさせられて東洋広布を御身以て示され給うため来たる1月28日羽田空港発午前10時の飛行機にて印度へ御下向遊ばされることとなりました。御帰国は2月14日の御予定であります。唯授一人の御法主の尊き御身としてかかる有難き陣頭指揮の御事は前代未曾有でましまして宗門旭日昇天の発展に伴い巨大なる足跡を留め給うことを拝するものであります。… 尚、御渡印中総本山の法務は柿沼総監御代理をせられます。(大日蓮より)」(「顕正新聞」第23号
2月1日
 妙信講、2月度総幹部会開催。
「2月1日午後7時から本部で行われた2月度総幹部会では、最近の急テンポの前進から「年間組で5世帯の折伏完遂」「教学はまず患部から」「座談会の心構え」の3点が取り上げられ、斗争の先陣を切る幹部の信心充実が急務であると指導があり、集まった130名の一同に深い自覚を促した」(「顕正新聞」第25号
2月6日
 妙信講、班長会開催。参加者、50名。浅井昭衛企画室長、「班長の任務」について。
「まず講中の組織構成を知る事が強調され、組長は5世帯に一人、班長はこの組が5つ集まって出来る25世帯に一人、支部はこの班が5つ集まって出来る100世帯以上であると原則論が示され、ついで具体的な班長活動に触れて次の5点が取り上げられ指導があった。
 一、班長は組長を通じ、また自ら足を運び担当班員がどんな信心をしているか、功徳の生活をしているかを常に見守って知っている事。
 二、広布の斗争に役立つ人材の発掘を心構ける。
 三、座談会は折伏と信心指導の場。組座談会、末端の折伏中心者は斑状である。したがって中心者の気構えを身につける。また座談会は形式にとらわれず、御本尊の功徳を語る場、折伏の場を作ることが肝要である。
 四、組織の動脈硬化をなくす。支部長、班長、組長の連絡の密度を深める。末端の出来事がその日のうちに本部に報告され、指示を受ける受けられるような態勢にする。
 五、班長は、実践教学を身につけ、豊富な斗争体験を持つ事。それによって滲み出てくる厳しさと、暖かさを身に付ける事」(「顕正新聞」第25号
2月28日
 宗門、日達猊下帰国歓談会開催
「意義深い渡印を終えられて無事帰国された日達猊下御一行を祝して、去る2月28日午後1時から総本山大講堂で「帰国歓談会」が行われた。当日、猊下の御招待で全国から御僧侶・学会幹部・法華講々頭が歓喜に満ちて参加。我が妙信講からは浅井講頭先生が出席された」(「顕正新聞」第26号
3月12日
 妙信講、教学部 第1回登用試験実施、116名参加。
「注目の妙信講教学部第1回登用試験は、去る3月12日文京区の社会福祉会館において午後6時から8時までの2時間にわたって行われた。昨年8月夏季登山会で行われた模擬試験以来2度目にあたる教学試験ではあるが、今回は正式な教学部の登用試験であり受験者の態度は極めて真剣であった。また受験率は申し込みの70%で、116名が参加した。… 試験の答案は直ちに本部企画室に集められ、浅井企画室長によって採点されている」(「顕正新聞」第27号
3月25日
 妙信講、本部会議開催。第1回登用試験、合格者発表。教学部員は17名、基準点数に近い教学部員補は22名となった。(「顕正新聞」第28号
4月15日
 妙信講、教学部結成式開催、「将来の大教学部へ 終始厳格の気満つ」
「妙信講教学部の結成式は、去る4月15日午後7時より本部で行われた。… 最後の指導に登壇された講頭事先生は、教学部員となった以上、おざなりな勉強を止めての血のにじむような研鑽にはげめと厳しい精進を要請され、全身を耳にしてきく一同の肺腑をえぐり、感動も頂点に達した」(「顕正新聞」第30号
4月16日
 妙信講、婦人部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「結成以来初めての大会とあって、喜びと感激のうちに迎えた第1回婦人部会は、去る4月16日午後2時から文京区社会福祉会館で盛大に開かれた。… 私鉄の春闘ストで、一部に出足をそがれたところもあったが、堂々220名を結集。妙信講前進の陰にある婦人部のたくましい姿を示し、列席された講頭先生をはじめ本部役員並びに全支部長の目を見張らせた」(「顕正新聞」第30号
5月1日
 妙信講、5月度総幹部会開催。
「冒頭の4月度成果の発表は別項の通り19世帯で、累計総数は1,283世帯となり、1,300の線にあと一息と迫った。… この後登壇した浅井企画室長は、戦い前に流れる全幹部の安易な勝利感を強く誡めて、順風満帆に心許すなと別項のごとく厳しい指導があった」
「みんなで歌おう "時来たる"
 妙信講では、いま「時きたる」という歌が各会合で合唱されています。この歌は昨年8月の夏期登山会で発表されたもので、広布の使命にひたすら邁進する妙信講の姿をあますところなくとらえて力量感があふれています。近ずく第17回総会には全員で合唱することになっております…。
 一、我は、日本の柱なり 見よ本仏の大確信 法水瀉瓶、七百年 いざ黎明の光さす
 二、今や広布の時来たる 夕べに死すとも悔いなきと 鋼を溶かす情熱は 妙信講の誇りなり
 三、獅子は、百獣恐れずと 獅子の子もまた是くのごと 大聖の弟子自覚あり これ折伏の大精神
 四、血涙にじむ再建の 試練の波をけちらして 今堂々と立ち上がる 妙信講のゆく手見よ」(「顕正新聞」第31号
5月3日
 宗門、大石寺版「真訓両読妙法蓮華経並開結」刊行。
5月3日  創価学会、文化部を文化局に昇格。文化局の下部組織として、政治部・経済部・言論部・教育部・学芸部(後に学術部・ドクター部・芸術部)の各部を設置。
 『折伏教典』第3版発行、国立戒壇への言及が多数。
「三大秘法とは、本門の題目・本尊・戒壇の三法である。しかして大聖人化導の順序を拝するのに、まず題目を流布せられ次に本尊の御建立があり、ついで国立戒壇の建立を予言あそばされている」(p120)
「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申しあげる国立の戒壇、事の戒壇である。それまでは大御本尊のいらっしゃるところが義の戒壇である」(p163)
「本門寺とは国立戒壇建立のとき、富士大石寺に名づける寺号であるべきなのに北山本門寺は富士大石寺より離れてから勝手に本門寺と名のり … そのことのみが広宣流布、国立戒壇建立の真近い現在、宗開両祖にまみえる唯一の道であろう」(p189)
「田中智学の唱えた富士戒壇説とか曼陀羅本尊中心説とか本尊雑乱撤廃説など、従来の身延派の教義を修正した新説は、すべて日蓮正宗の教義から盗み取ったもので、それだけ悪質の邪宗というべきである」(p204)
「御本尊が大聖人の御真筆であっても、大聖人に直結しなければ何の功徳もないのである。富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(p321)
「また世間の無智の批判の中には、日蓮正宗における学会の存在を、あたかも邪宗身延と立正佼成会との関係のように考え、学会は日蓮正宗の本山を喰い物にして、やがては一派独立の野望に燃えている新興宗教だというような、およそ誤認識も甚だしい考え方をするものもいる」(p363)
「日淳上人様にも、「戸田は決して一宗一派を開く者ではございません。ただ生命の続く限り御本山へ忠誠一途につくすのみであります」と言上しておられた通りの御振舞であられた。… すなわち日蓮正宗の良き檀那、大信者として、偉大な御一生を貫かれたのであり、「お前たちもこのようにせよ」と示されたのである」
「本門の戒壇に義の戒壇と、事の戒壇がある。義の戒壇とは御本尊の在します場所を指す。事の戒壇とは国立の戒壇である。国中の信仰の中心となる場所である」(p371)
5月4日  創価学会、聖教新聞社の新社屋(現在の別館)が落成、移転。
5月11日  創価学会、広報局を設置。
5月19日  創価学会、言論部を設置。
5月24日  創価学会、聖教新聞に「言論部の設立目的」を掲載。
「言論部員は、内外の問題を広く勉強し、論じ、正義を主張する力をもって、世論の源泉に立つ」
5月15日
 妙信講、教学部。「三重秘伝抄」講義始まる。
5月28日
 宗門、「日蓮正宗の歌」発表。
5月28日
 妙信講、第7回総会開催。(九段・千代田公会堂)「躍進誓う一千余の同志 熱と意気、三年後を目指す」
「妙信講五カ年計画の第2年目にあたるこの総会は、3年後の模擬総会と言われ宗内外より多大な注目を浴びていたが、それに応えての堂々たる勝利であり、建設の年の前半を着実に締めくくると共に、後半の躍進へ力強い第一歩を踏み出した」
 浅井昭衛本部企画室長、「使命あればこそ妙信講は試練に耐える。信心が仏意に叶えば必ず広布のお役に立つ」と。(「顕正新聞」第32号
6月1日  創価学会、「大白蓮華」6月号。池田大作会長、創価学会政治部の衆議院進出を否定。
「しょせん、王仏冥合の実践の関所ともいべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である。だれが、なんと批判しようが、末法の救世主日蓮大聖人の大精神をば、われわれ地涌の菩薩は、断固、選挙を通して貫き通そうではないか。しこうして、われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」
「王仏冥合への一手段に過ぎない選挙が、こうして「日蓮大聖人の至上命令」へと擦りかえられて行くこととなる。選挙が大事になれば、国立戒壇が邪魔になるのは当然である」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
6月10日  大白法書林、由比宏道著『毒鼓の縁』出版。日蓮正宗の日蓮本仏論を、慧心流の天台自受用身の亜流と批判。
6月11日
 妙信講、男子青年部に「参謀室」設置。
「躍進を目指す妙信講男子青年部に、今回、新らしく参謀制がしかれることになり、6月度男子部会終了後に開かれた男子部班長会の席上、浅井青年部長から発表された。男子部はこの参謀の誕生によって、今後強力な策戦が展開され飛躍的な発展が推進されるもようである。初の男子部参謀には主任参謀に、男子部第七班長 木内哲三氏、参謀には男子部第一班長の浅井信衛氏の二名が、現役兼任のまま就任する」(「顕正新聞」第33号
6月25日
 妙信講、千3百世帯。
6月26日
 宗門、松本日仁師、監正会長に就任。
6月27日  創価学会、2百万世帯。
 全国6方面に「総合ブロック」制設置。
7月16日
 妙信講、7月度男子部会。「不覚かな男女青年部 中間結集に誓願下回る 雪辱期して厳しい反省」
「10月の結集大会を3ヶ月後に控える男女青年部では、7月度定例部会をそれぞれ決起大会に切り替えて中間結集を行ったが、意外に振るわず、男女とも目標を大幅に下回る結果に終わった。 青年部発足以来かってなかったこの敗北に、男女青年部では、いずれも強い責任を感じ、直ちに反省会を行ったが、その原因の大半は、順風満帆に心を許した全幹部の信心にあったことが如実に認められ、8月を期して面目一新の激烈な斗争を展開、雪辱を期することになった」(「顕正新聞」第36号
7月21日  創価学会、大客殿御供養金受付。142万世帯から、32億7千万円を集める。
7月28日  創価学会、「顧問」制度創設。平沢益吉、戸田喬久(戸田会長子息)、塚本素山が就任。
 平沢益吉「学会池田先生のご指導のもと、皆様と手をたずさえて、世界広布の大道にまい進する覚悟 … 」
8月3日
 妙信講、教学誌「冨士」創刊号発刊。編集者 浅井信衛、発行者 木内純一郎。
 浅井甚兵衛講頭「発刊の辞」、「此の濁悪の時に臨み誰が宗祖の遺訓を体し、国土の災難の根源たる謗法を退治し、平和文化国家を建設するか、是は日蓮正宗を信ずる者以外に誰があろう。我々は宗祖の末弟たるを自覚し、信心と教学と折伏に徹し広宣流布にはげまなければならない。… 今回、富士発刊に当り松本日仁尊能師を始め先輩山峰淳先生の御後援、御寄稿を下されし事を講中同志と共に御礼申上る次第であります」
 冨士、本部企画室長・青年部長 浅井昭衛「仏法とは何か(一)」掲載。(「冨士」創刊号 )
(※ 題号の「冨士」は、佐藤日成尊能師より頂戴したものである )
8月10日
 宗門、松本諦雄師(日仁)、渡辺慈海師(日容)・佐藤舜道師(日成)・能勢安道師(日住)、能化となる。
「妙信講の指導教師松本諦雄師(妙縁寺御住職)は、この度宗門で能化に昇進なされ、去る8月10日総本山大石寺で行われた能化補任式にのぞまれて、日達上人猊下より晴れの補任状をいただいた」(「顕正新聞」第37号
(※ 富士学林発行の「富士年表」には、松本諦雄師が削除されている。「院達」に掲載されていても、"歴史" から妙信講と妙信講に係わる存在を抹殺する強い意思が、年表編集に働いている。松本日仁師の擯斥も、年表に記載はない。平然と"歴史改竄"を行う宗門である。櫻川 忠 )
8月 日  創価学会、池田大作会長。常在寺檀徒 平沢益吉宅を訪問、創価学会顧問への就任を要請。
「平沢益吉は日達上人の叔父である。その後法華講は、全国連合登山会など、はじめての統一行動を開始。昭和37年には全国法華講連合会が結成され、平沢が会長に就任した。池田は平沢を創価学会顧問に迎えて厚遇した。さらに、東京・墨田区に鉄筋コンクリート3階建の"富士会館"を建てて寄贈している。現在の法華講連合会本部である。こうして現代の法華講は、池田創価学会の傘下にとりこまれた。当時の創価学会員からは、良くて"弟分"、一般的には"居眠り集団"とみなされていた。
 その"居眠り集団"である法華講のなかで、池田にとって目障りな講中がひとつあった。規模こそ小さいが、黙々と折伏弘通にはげむ「妙信講」という講中である」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
8月13日  創価学会、サンフランシスコ支部結成。
8月13日  ベルリンの壁、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が東西ベルリンの境界を封鎖、後に境界線上に壁を建設した。往来が自由であった境界線を経由し、東側から西側への人口流出が続いていた。東ドイツは8月13日、突如東西ベルリン間の通行を遮断、西ベルリンの周囲を有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作った。
8月15日  創価学会、シカゴ支部結成。
8月21日  創価学会、ワシントン支部結成。
8月24日  創価学会、『会長講演集』第一巻刊行。
8月26/27日
 妙信講、夏期登山会。「折伏の意気燃える感激の嵐 堂々530名の総登山」
「待ちに待った妙信講夏期登山会は、快晴に恵まれた去る8月26日27日の両日、日蓮正宗総本山大石寺に529名が参加して盛大に行われた。特に今回の登山会では、「大客殿建立に内陣の御供養」が発表され、また大客殿・大講堂を使って講演会、御書講義、指導会が開かれ、今までにない前進のいぶきにみちたが、このいずれも御法主猊下の御慈悲で行われたもので、参加者一同、御法主猊下の深いご慈愛をひしと感じ、燃えるような広布への情熱をたぎらせて、五カ年計画への果敢な意気を示した」
 浅井昭衛企画室長「世紀の大客殿建立に参加 御供養は真心が大事」として講演。
「この客殿の前に小さなカビの生えた門があります。丁度、旧御宝蔵の真正面です。なんの門かと言うと不開(あかず)の門と言うのです。七百年間一度も開いたことがない故に、カンヌキはサビております。ただ天皇陛下のおつかいが国立戒壇建立の時に参詣するとき、その客を迎える殿堂が大客殿でございます。…
 やがてもうその御本尊様がお出ましになる時がまいりました。もう何十年かでもつて必ずまいります。私達の生きているうちに実現しそうな時代になってまいりました。すでに大講堂が完成しましたし、こんど大客殿が完成されるならばあと私どもが御奉公する仕事は、我々の自発的な仏道修行としてご供養させていただく殿堂というものは、御座いません。あとは何かと言うと国立戒壇だけです。国立戒壇は国家の力でもつてなされるのでしょう。そうなってくると此度の大客殿建立の御供養をのがして、我々の一生涯において自発的なる信心の功徳はもうやる機会はないのだ。こうひとつ思っていただきたい。千載一遇の機会である!」
「男子部相撲大会」、「夏季登山会の呼物、男子青年部の相撲大会は第1日目の午後3時から学林前の仮設土俵で行われた。講頭先生、浅井企画室長、佐藤財務部長を迎えて、血気盛んな一同俄然張り切り、日頃の情熱を思いきりぶつけあっていた。… 個人勝ち抜き戦では、40数名が参加。講頭先生より寄贈された "法華経"(真訓両読 妙法蓮華経並開結)を目指して、熱戦を展開した」(「顕正新聞」第38号
9月1日
 宗門、阿部信雄師 教学部長に就任、佐藤日成師 富士学林長に就任。。
9月1日
 妙信講、9月度総幹部会開催、浅井昭衛企画室長「今年が構想実現の大事な要」と。
「妙信講の底力というものは、今までやろうと思ったことで、できなかった事は一度もありませんでした。… よしやるんだと奮起して立上がった時、必ずやりとげています。… 妙信講は、32年から7年かかって三千を達成致しま す。7年かかって作るこの土台! この三千が誠に貴重なる種となりまして、その後の前進というものはまさに期して待つべきであります。妙信講には使命がございます。使命があるのです。使命があるのに、力がなければ果せないのです」
 教学誌「富士」第1号を発刊。「広布の言論分野に第一弾」
「大好評を呼んだこの「富士」は、妙信講教学部が広宣流布の言論分野に初めて放った第一弾であり、再建妙信講の満々たる気迫と広宣流布へのたぎりたつ情熱が紙面を通してうかがわれる」(「顕正新聞」第39号
9月11日  新仏教平和会、古川末喜(著) 「創価学会を折伏する」発刊。
9月12日  創価学会、「会長講演集 第二巻」発刊。
9月23日
 妙信講、教学部。教学部員昇格試験実施。
「教学部員昇格試験は、注目の中にさる9月23日午後7時から文京の音羽会館で行われた。今回の試験は、教学部員補22名の人達に限られて行われたもので、これに合格すると同時に教学部員に昇格するという、受験者にとってはまたとない機会であった」(「顕正新聞」第40号
9月30日
 宗門、法華講。第1回全国連合会登山会。
10月2日  創価学会、男子部幹部会開催。
 池田大作会長「私もあくまでも、学会っ子にぜんぶ譲ります。また、青年部出身者が代々の会長を継いでいくということを、重ねてこの席上を借りて申し述べておくしだいであります」
10月7日  創価学会、池田大作会長。「宗教界にあって(略)世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿」、「代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても(略)“邪教”であると断言できる」、「日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません」と。
10月8日
 妙信講、女子部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「はじめての単独結集で浅井講頭先生を迎えた女子部第1回大会は、幹部一同の強力の団結に220名を結集、喜びと感激の中に去る10月8日午後6時、文京の社会福祉会館で開かれた」(「顕正新聞」第41号
10月12日  創価学会、「戸田城聖先生講演集 下」発刊。
10月14日  創価学会、池田大作会長、初の欧州指導で9ヵ国を歴訪。西ドイツ、フランス、イギリス、スイス、イタリアの5ヵ国に連絡責任者が設置される。
10月15日
 妙信講、男子部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「3年後に1千名の精鋭部員結集を目指す男子部は、その出陣式とも言える第1回大会をさる10月15日午後7時から、文京の社会福祉会館に290名の部員を結集して堂々と開会した」(「顕正新聞」第41号
10月29日
 宗門、総本山大石寺大総合計画委員会を設置。
10月31日
 宗門、奥法道師編「日蓮正宗化儀資料集」刊行。
11月5日  創価学会、第10回男子部総会開催。東京・国立競技場に、国士10万を結集。
 池田大作会長「願わくは、おのおのの境遇にあって、大御本尊様をしっかりだきじめ、大勝利者になっていただきたいことを、まず念願し、ともに広宣流布のため、日蓮正宗のため、全民衆の幸福のために、私は、ただただ、諸君の成長と健闘だけを祈っていることを、ここに声を大にして叫ぶものであります」
 「会長講演集 第三巻」発刊。
11月7日
 宗門、妙縁寺新改築完成。「日達猊下迎え盛大に落慶式」
「さる11月7日午後1時、墨田区吾妻橋の妙縁寺では、総本山から日達上人猊下の御来臨を仰ぎ、本堂、庫裏の増築並びに納骨堂新築の落慶法要を恒例のお会式とあわせて盛大に営んだ。当日、東京第2布教区の御僧侶、学会幹部、法華講幹部を始め有縁の地元信徒多数が参列、妙信講からは講頭浅井先生、高山副講頭、鳥居参議、佐藤財務部長の四人が代表して列席。心からお祝い申し上げると同時に、今後の折伏に一層の精進を誓われた。また席上日達上人猊下の御親教があり、「聖人御難事」の御説法が別項のごとく行われ、参加者一同深い感激にひたった」(「顕正新聞」第43号
11月12日
 妙信講、女子部会開催。
11月18~24日
 宗門、宗祖大聖人六百八十遠忌大法会。
「総本山御会式『宗祖大聖人第六百八十遠忌大法会』はさる11月18日から24日にかけての一週間に亘り、初会、中会、終会、付会に分かれて、総本山富士大石寺で古式ゆかしく厳修された。儀式は第六十六代日達上人猊下が御親修あそばされ、全国末寺から出仕された御僧侶を始め、学会代表信徒、法華講代表信徒が多数参列、盛大を極めた。妙信講では中会にあたる11月20日21日の両日、講頭浅井先生はじめ120名の代表信徒が参列され、日蓮大聖人様の現有滅不滅、常住此説法のすがたを慶祝申し上げた」(「顕正新聞」第43号
11月19日
 妙信講、男子部会開催。
11月20日
 宗門、富士学林研究科編「日興上人身延離山史」刊行。
11月25日
 妙信講、12月度総幹部会開催。
「12月総幹部会は急遽日程が変更され、定日から約10日間繰上げた さる11月25日夜、文京の社会福祉会館4階大ホールで開かれた。席上、注目の11月の成果が23世帯と報告され、これで累計総数は1,427世帯となり、本年度目標にはあと73世帯と迫ることになった」(「顕正新聞」第44号
11月27日  創価学会、文化局の政治部を解消し公明政治連盟(公政連)を発足。原島宏治委員長、辻武寿幹事長、小平芳平政調会長。
12月3日
 妙信講、お会式奉修。
「日蓮大聖人のお会式は、… さる12月3日午後2時から、新装なった吾妻橋の妙縁寺で盛大に奉修された。この日、御本尊流布に挺身する妙信講員約650名が元気いっぱいに詰めかけて場内を埋め尽くし、現有滅不滅のおすがたを現ぜられた御本仏日蓮大聖人様を偲んで、真心を込めた読経、唱題を申し上げ御報恩にかえた」(「顕正新聞」第44号
12月8日  創価学会、池田大作会長、第4回学生部弁論大会で「大御本尊を持たぬ人の言論は爾前経、根無し草である。我らこそ本門」と。
12月23日  創価学会、「会長講演集 第四巻」発刊。
12月25日
 妙信講、12月度総幹部会開催。「本年度誓願目標完遂 情熱の大勝利 全講歓喜に沸く」
「注目の折伏総計は 1百1世帯と報告されたが、瞬間、場内から一斉に驚きの声がもれ、同時に割れんばかりの拍手がわき上がり、興奮と感激にどよめいた。これで年間累計は1千5百28世帯となり、堂々と目標を突破したのである。
 また席上、浅井企画室長から明年度の方針が ① 2千世帯達成、② 大客殿建立の内陣御供養、③ 教学の振興 と打出され、いよいよ五カ年計画3年目の前進に入ることになった」(「顕正新聞」第45号
12月 日
 宗門、「日興上人身延離山史」発刊。
「この「日興上人身延離山史」は日達上人猊下の命により、富士学林の研究生によって編纂され日蓮正宗布教会で出版したものである。日興上人身延離山史は、先年、五十九世日享上人が御著述なされているが、これは非常に学究的で一般の人々には難解で、しかも今日においては絶版となっており、正宗信徒からはそれに関した平易な解説書が強く望まれていたものである。… また日蓮正宗聖典も同時に再販された」(「顕正新聞」第44号
12月 日  創価学会、233万世帯。
 

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