迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和38年 (1963)         _
1月1日
 宗門、細井日達管長「新年の辞」
「昭和38年の新年を迎え、同信の皆様と共に我が日蓮正宗の発展を謹んでお祝い申しましょう。法華講に於ては我が宗門の初めから、宗門維持と発展の為めに勤めてきたのでありましたが、各講中が独立しておって、個々別々な行動をしておりましたが、昨年春より大合同の気運動いて法華講全国連合会が結成され、折伏弘法の一大勢力となったのであります。此の事は昨年度に於いての宗門史上に重大なる事柄であります」
 平沢益吉法華講全国連合会々長「新春所感」
「昭和38年の新春を迎え謹んで御祝詞を申し上げます。近時、日蓮大聖人の御出世の本懐たる三大秘法の正法正義は弥やが上にも顕揚せられて四海を圧せんとし、総本山大石寺に於ては世紀の大客殿の建設工事もとみに進展して落慶も愈々明年春に迫り、大総合計画委員会にては広宣流布への準備大構想を逐次審議せられ、かつて広布の暁を夢の如く脳裏にえがいていた天母山一帯も、ついに昨年本山の所有に帰したことはまことに御同慶にたえません」(「大白法」005号
1月1日
 宗門、細井日達管長「新年に当りて」
「"光陰は矢の如し"の古諺の通り、この一年はいつの間にか過ぎて、昭和三十八年の新年を迎え、諸事新らたに今年の希望を以て進むべきことを自他共に覚悟したことと思います。まことに仏道修行は命を掛けて行うべきことでありますから難行であります。しかしながら一度その軌道に乗って信心して行く時は又まことに楽しい生活であります。… 新年の初頭に当り大聖人様の御教えの通り、身命を以って信心折伏にはげむことを私共一同はお誓い致しましよう」(「顕正新聞」第69号
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭、「年頭の言葉」。
「大聖人は 御義口伝に「一念に億劫の辛労尽せば本来無作の三身念念起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」とド指南である。この御聖訓に順じ一念に億劫の辛労を尽くすならば、仏果を成就することは絶対に間違いない。本年の三千達成への折伏は一段と楽しい修行である事を思うのであります」(「顕正新聞」第69号
1月1日
 妙信講、登山会。初登山盛大に挙行、総本山に730名参詣。
「当日、学会大幹部ならびに全国の法華講員とともに、妙信講からは726名が参詣した。元旦の午前6時、池袋東口駅前に集合した一行は、13台のバスに分乗、6時30分予定通りに出発した」(「顕正新聞」第69号
1月1日  創価学会、聖教新聞、聖教新聞社(著)「日蓮正宗創価学会」発刊。
1月1日  創価学会、創価学会教学部(編集)「日蓮正宗教学解説」発刊。
1月1日  東京大学文学部社会学科、東京大学文学部社会学科・東京女子大学文学部社会学科(著) 「創価学会 ― 現代日本における大衆組織と大衆運動」 発刊。
1月8日  創価学会、ハワイ支部結成。池田大作会長、世界一周指導に出発。
1月12日  創価学会、ドイツ支部結成。
1月13日
 宗門、全国法華講連合会、久遠山常泉寺に於いて第1回会長会議開催、5部門を新設。
「<登山部>
 このたび、全国法華講連合会登山部が結成された。このため、全国連合会の登山会においては、全面的にここに於いて担当されていくことになる。登山部に於いては、右の如き部門が新設され、
 『輸送・整理関係』=青年部の有能な人材をもって編成されてこの任に当たる。
 『内事部関係』=御開扉・御目通り受付、会計、宿泊・日帰りの連絡、先行準備を任務として、内事部との折衝に当たる。
 『東京地区受付』=東京地区連合会の登山に関する一切の申し込みをここに於いて受付ける。
 『地方関係受付』=各地区連含会(各地区連合会 登山係)よりの申し込みを受付ける。
 <編集部> (略)
 <庶務部> (略)
 <会計部> (略)
 <青年部> (略)」(「大白法」006号
(※ この規定を以て、妙信講は登山を阻まれることとなる。櫻川 忠 )
1月13日  創価学会、ニューヨーク支部結成。
1月15日
 妙信講、研修部。本年初の研修部会開催、「依義判文抄」講義開始。
「本年初の研修部会は、さる1月15日の午後7時から本部で開かれた。この日、第三期合格の新部員を含めて約百名が出席、場内を埋めつくした」(「顕正新聞」第70号
1月16日  創価学会、ヨーロッパ総支部、パリ支部結成。
1月20日
 妙信講、1月度男子部会開催。浅井昭衛青年部長、「三方ヶ原の戦いに学ぶ」と。
「徳川家康が、三方ヶ原で武田信玄に大敗した時、戦死した兵は一人として敵に背中を向けているものはなかった、ことごとく前をむいて倒れておった。これを見て「家康恐るべし、一門においてこれ程の団結あるならば、必ず将来大をなすであろう」と武田方の一武将が驚いたという。今妙信講において、先生を中心に将来の御奉公を誓う我々男子部が結束して、いかなることがあっても後を見せることなく、堂々と邪宗折伏の前進をしようではないか」(「顕正新聞」第70号
(※ 教学部を廃止し研修部に変更、顕正新聞の廃刊も間近という時期であったが、浅井昭衛青年部長は講員に一切知らせず胸に秘めていた。そうした背景があればこそ、「三方ヶ原」の言葉に重みがあった )
(※ 後に(昭和53年)、「冨士」に上記講演を再掲したが、微妙に改竄をしている。「先生を中心に」とは、講頭浅井甚兵衛先生であるが、その部分を抹消している。
「今妙信講においても、将来の御奉公を誓う我々男子部が結束して、いかなることがあっても後を見せることなく、堂々と前進をしようではないか」「冨士」第180号 )
1月20日  創価学会、シアトル支部結成。
2月 日  創価学会、教学部。助教授試験の模範答案に「池田会長の折伏に比して僧侶は摂受」を掲載。
「末法は折伏に限るのであるが、なお御僧侶の立場よりする法の上の折伏を、檀那の立場よりする武力・権力・金力による化儀の広布の時の折伏に比べれば、摂受とおおせられる」
「(化儀の広宣流布とは)今、わが創価学会が、選挙により権力を持ち、会長池田先生のもとで勇敢にあらゆる魔と戦い、本尊流布に進む姿がそれである」(「大白蓮華」141号)
2月20日
 宗門、大白法、「総本山大総合5ヶ年計画の御供養について」
「第65世、日淳上人第3回忌御法要が厳修せられた後、御法主日達上人猊下より、日蓮正宗総本山大総合計画委員会の設立、並びに同委員の任命の発表があって、総本山大総合計画委員会が設立されている … 総合計画委員会は、このたび、御法主上人猊下の思召しによって、5カ年計画をもって大総合計画にもとずく御供養申し上げることが決定されている。この時に当り、全国法華講連合会としても、是非とも御供養申し上げたいとの決意を以て・東京地区連合会として年間壱千万円を決定して、傘下各寺院支部の目標も内定、御供養させていたゞく光栄に浴したのである。尚、御供養メ切日は、全体として、昭和38年10月末日とされている」(「大白法」006号
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学茗荷谷ホール)。
「注目の成果では2月の本尊流布合計は 98世帯、累計総世帯数は 2,384世帯と報告され、場内からどっと拍手がまき起こった」(「顕正新聞」第73号
2月 日  週刊文春、池田大作会長のインタビュー記事を掲載。
「創価学会は、ある目的を達すれば解散します。それが他の宗教や団体と違うところです。私も早くやめて、文春にでも勤めたいですよ。これでも、昔出版社にいたことがあるんですよ、ハハハ」(「週刊文春」1999年10月28日号 )
3月1日
 宗門、第3回大客殿落慶法要準備委員会開催さる。
3月16日
 宗門、阿部信雄師・大村寿顕師、米国出張御授戒へ。
「3月16日午前10時、東京国際空港を出発され、アメリカ15各都市で御授戒が行なわれる」(「大白法」007号
3月17日
 妙信講、第3回婦人部大会開催。(茗荷谷ホール)
「本年度の妙信講行事の先陣をきって開かれた注目の第三回婦人部大会は、快晴にめぐまれたさる17日午後2時より、講頭先生をはじめ本部幹部を迎えて、文京の拓殖大学茗荷谷ホールに6百余名が参集して盛大に行われた」(「顕正新聞」第74号
3月20日
 宗門、阿部信雄師、シアトル7番街で売春婦とトラブル、と後に創価学会が攻撃。
3月30/31日
 宗門、全国法華講連合会春季総登山会、5000名が登山。(「大白法」008号
 妙信講、春季総登山会、千有余名が参加。
「全国法華講春の総登山は、さる3月31日若葉薫る総本山富士大石寺で、御法主上人猊下の御慈愛につつまれて盛大に挙行された」(「顕正新聞」第75号
 (※ 妙信講は、当時2千3百世帯 )
4月4日  創価学会、池田大作会長。「私どもの選挙戦は、他の政権欲を考えておる政治、選挙とは違います。第一番目に、日蓮大聖人様のご遺命である王仏具合をめざしての、世界最高の崇高なる選挙戦であり、政治であります」と。(「聖教新聞」)
4月17日  第5回統一地方選挙。創価学会、東京都知事選挙で自民系無所属・東竜太郎を支持。
「あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ」(「渡遊恒雄回顧録」渡辺恒雄 )
4月28日
 宗門、法華講全国連合会公認さる、日蓮正宗管長が会長を任命。
「今まで全国連合会は公認というのではなく、私設的存在として活躍してきたことは、周知のことであるが御法主上人猊下の御慈悲に応え奉るためにかねて、平沢全国連合会長は如何にして強固な骨のある連合会としていくかを、深く考慮されていた。… 去る4月13日、正式に宗務院の認可があり全国法華講連合会も公認として発足することに決定された。発足に当り全国法華講連合会規約も同時に発表された。… 尚、規約の施行は昭和38年4月28日をもって効力を発することになった。
 全国法華講連合会規約
 第1章 名称及び事務所
  第1条 本会は日蓮正宗法華講全国連合会と称する。
  第2条 本会の事務所を、日蓮正宗法華講全国連合会会長宅に置く。
 第2章 目的
  第3条 本会は日蓮正宗法華講各地区連合会を糾合して所属信徒の信仰を増進せしめ日蓮正宗の教義を護持宣揚し、堅く異体同心の聖訓を体して宗勢を振興し以て広宣流布の大願成就を期するを目的とする。
 第3章 事業
  第4条 本会は次の事業を行う。
  1、総本山大石寺の外護
  2、年2回の総登山と月例登山
  3、機関紙発行
  4、地区連合会の育成とその活動の推進
  5、各法華講支部全信徒の和合と自行化他に亘る信行の増進
  6、其の他本会の目的達成に必要なる事項
 第4章 会員
  第5条 本会の会員は日蓮正宗法華講各地区連合会を単位として、その傘下の法華講支部信徒を以て構成する。
 第5章 役員
  第6条 本会に次の役員を置く
  1、会長 1名
  2、理事 若干名
  3、幹事 若干名
  4、会計 2名
  第7条 本会の役員は日蓮正宗法華講各地区連合会役員中より選出する。会長は法主上人猊下の任命を仰ぐものとする。理事は各地区連合会会長を以て之に充て、幹事、会計は地区連合会役員中より会長が選任する。
  第8条 会長は本会を代表し会務を統轄する。理事は会長を補佐し会務の審議に当る。幹事は会務を分掌し処理する。会計は資産収支の処置並に保管に当る。
  第9条 役員の任期は2ヵ年とする。ただし再任を妨げない。
 第6章 役員会
  第10条 役員会は必要に応じ随時会長が招集し、開催する。
 第7章 会計
  第11条 本会の経費は各地区連合会の拠出分担金、寄附金その他の収入を以て支弁する。
  第12条 各地区連合会の分担金は別に之を定める。
 第8章 罰則
  第13条 宗制宗規に違反する行為、謗法の行為、若しくは法華講衆としての団結を乱すが如き行為のあるものは、役員会の決議により除名し且つ、宗務院に上申する。
 付則
  1、会長が規約の変更を必要と認めたる場合は役員会に諮り改正することができる。
  2、本規約は昭和38年4月28日から施行するものとする」(「大白法」008号
5月19日
 宗門、細井日達管長臨席の下、法華講東京地区連合会第1回大会開催(東京台東体育館)、参加者 5千余名。
 細井日達管長「日蓮正宗法華講東京地区連合会第1回大会に当たり、謹んで御祝いを申します。…
 わが正宗の三宝は、宗祖大聖人様を仏宝と立て、久遠元初の自受用報身の法体たる南無妙法蓮華経を法宝と立て、二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。…
 ところが一般世間の謗法者は、宗祖本仏論は、わが日寛上人によって造り出されたものであると考えておるのでございます。… 神奈川県の高木某という人が、「日蓮本仏論は終戦後できたものだが」などと言ってきております。… また、昨年三宅某が、『御義口伝研究』という本を出しました。それにはやはり、本宗の日蓮本仏論を批判して、本仏はどこまでも釈尊である、五百塵点劫の本仏は釈尊以外にはないのである、宗祖は釈尊の使いだと … 発表しております。… 五百塵点劫の当初(そのかみ)というその二字を … 見落としておるのであります。… 今日の高木某や、三宅某等のいわゆる世間の仏教学者らしい顔をしている人びとに、この法華経の文底を究める事が出来ないのは当たり前であります。…
 どうぞ、法華講の皆様、また学会、法華講と分けず、我が日蓮正宗の信徒は大同団結し、もって大聖人様の大理想を達成し、世界平和の大磐石をきづくべく折伏に邁進せられる事をお願いする次第でございます」(「大白法」009号
 (※ 三宅重也著「御義口伝研究」、御義口伝研究刊行会、昭和37年7月刊行 )
5月22日
 宗門、法華講全国連合会を認証。細井日達管長、姻戚の平沢益吉を会長に任命。
「去る5月22日付をもって御法主上人猊下より正式に許可書が出された。また法華講全国連合会規約にもとづき、役員の決定が待たれていたが、今度、5月22日付をもって、平沢益吉氏に法華講全国連合会会長の辞令が通達せられた。また理事、幹事、会計の各役員も認証されて、ここに法華講全国連合会の会長及び役員の人事が決定した」(「大白法」009号
5月24日  アメリカ合衆国、宗教法人『創価学会・オブ・アメリカ』を認可。
5月26日
 妙信講、第9回総会開催。(茗荷谷ホール) 宿願三千を目前に、9ヶ支部が揃う。
6月5日  文藝春秋、7月号。藤原弘達、林健太郎、宮城音弥、平林たい子氏等による「創価学会についての座談会」記事を掲載。藤原弘達、平林たい子氏宅に学会員からの抗議の手紙が殺到。
6月9日
 宗門、法華講全国連合会辞令伝達式盛大に行われる。
「常泉寺(東京)に於いて、法華講全国連合会組織の件についての許可書授与式、及び法華講全国連合会長の任命・理事・幹事・会計の承認の辞令授与伝達式が、御法主上人猊下の御名代として総監・柿沼広澄尊師の御臨席を賜り、… 東京地区連合会法華講員約1200名が参集して、盛大に執り行われた」
 平沢益吉法華講全国連合会長挨拶『法華講衆の自覚を胸に聖教に恥じない信心を』
「私共待ちに待ちました、全国法華講の力強い歩みを出さんとする公認を、ここに得まして御辞令を頂戴致しました。… 我々は、昨年7月より現在までは、所謂、私設の連合会であってなにかと運営或は登山業務におきましても不便の点が多々あったのでございますが、今日からは、御法主上人猊下の御心を体しまして全国法華講の皆さんを、純真なる心持ちをもって正しい法華講のあり方に就いて、御指導・御誘導申し上げたいと存じます」(「大白法」010号
6月20日
 宗門、大白法、論苑「鉄は熱いうちに鍛えよ」
「今、連合会全般を見て現われている信心の幾つかの是正すべき点を拾ってみましょう。
 ・概して理屈を並べたがる傾向。
 ・自己に課せられた此れからの時代の責任を忘れ、先祖の功を誇りたがる風習。
 ・経済戦の観念にうとく、殊に此の事の工夫、努力を惜しむ傾向にある。
 ・礼儀作法をうとみ、外道流の自由を好む傾向。
 ・実践体験の修行利益を低く見、書見を尊ぶ傾向。
等々、何故に此の様な姿が発生して来たかを検討して是正すべき所は大急ぎで手を入れ歴史の教訓から脱れなければなりません。…
 個々の信心が云々でなく、今こそ「鉄は熱いうちに鍛えよ」と言われて来た教訓を一段と強固に実践して行く時が来ていると、固く信ずるものであります」(「大白法」010号
6月23日
 宗門、大石日進師 (大乗院日進贈上人、磐城妙法寺第24代住職) 逝去、享年82歳。
7月 日  創価学会、聖教新聞 『社説』。「こうした事態は『言論部』の活動の前進であり、評論家に悲鳴をあげさせたのは、民衆の間から湧き起こった、たくましい真実の言論による勝利だ」と。
7月6日  創価学会、水滸会第8回野外訓練実施(伊豆・天城荘)。
7月15日
 宗門、細井日達師管長、宗内教師僧侶一般 並びに法華講講員一般に 『訓諭』。
「若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団 創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問はず、全て是れ広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」と。(『大日蓮』8月号 )(「大白法」011号
「日達管長は、この訓諭を発した翌年、池田を法華講総講領に任じている。その任命とこの訓諭が、名刹蓮華寺の本宗離脱の理由になったことは既に述べた通りである。そして宗門僧侶の創価学会批判もこれによって完全に沈黙した。池田は総講顛の任命を受けて約一ヶ月後に、公明政治連盟の政党化とその衆議院進出を発表している」(『私は創価学会のスパイだった』下山正行 )
「ジャーナリズムへの言論統制と宗内への言論統制が連動していることは、時系列にみれば明らかである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月20日
 宗門、大白法、論苑「組織の理解」
「全体の利益を考えて、最も勝れた集団の環境を作るとするならば、此処に一つ考え落しをしてはならない大事な事があります。それは「ルール」を守る事です。… 、口が達者で物事を軽く考え総べてを好い加減にちょろまかして行く人もあります。此の現実の中で自他相互間に尊敬の気風を作り出して行く事が、即ち「ルール」を守ると云う事になるのです。… 中核をなす幹部に於いては忘れてはならない重要な事であります。…
 組織を組む上に於いては考えなければならない点に、「目的」の明確と名分と云う事が必要になってまいります。… 次には環境を取り巻く諸般の情勢と其の分析の上に於いて「要員」の問題が出て来ますが、此の要員の問題には質と練度が大切になってまいります。… 組織には当然、「統率と運営」と云う問題が出てまいります。… 油断をすると忽ちに方向を転換したり又、機能を麻痺させてしまう恐れが発生するものです。…
 常に所期の目的に向って組織は全機能を発揮して、たゆまず前進致して行くと同時に厳しく評価されていなければならない性質を持つものであります。若し此の評価に耐えられない運営は、自らの交替の時期と自覚されなければならないものでしょう」(「大白法」011号
7月28日  創価学会、言論部第1回大会。池田大作会長、「いままでは思い上がり独断的であり利己主義である彼ら(言論人)を、恐れさせて身ぶるいさせて、ほんとうに正しい言論戦はこわい どうしようもないというところまで、追って追って追いまくっていこうではありませんか」と。
7月30日  創価学会、中部第2本部幹部会。池田大作会長、「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、めちゃくちゃな世界であります」、「私ども創価学会員は、位もいらない、名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない」と。(『会長講演集 第9巻』)
8月3日  創価学会、シカゴで第1回「全米総会」開催。参加者 1,500人
8月24~25日
 妙信講、夏季登山会。総本山に千7百余名参詣。
8月30日  創価学会、渉外局を3局に分割。渉外第1局長は藤原行正(マスコミ対応)、第2局長は大野潔(内部トラブル対応)、第3局長は竹入義勝(外部トラブル対応)が就任。
9月1日  創価学会、東京・信濃町に創価学会本部完成。
 第26回本部総会を開催 (日大講堂)、代表2万人が参加。池田大作会長、「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人であります」と。
 民主音楽協会(民音)創立。
9月5日
 宗門、法華講九州地区連合会第1回総会開催(福岡 中村学園)。
9月15日  創価学会、アジア文化研究所発会式。雑誌「アジア文化」発行。
 池田大作会長、学生部に「百六箇抄」講義、昭和39年8月29日まで。
9月22日
 宗門、法華講東京地区連合会、第2回体育大会開催。小石川サッカー場に、青年部約千名が結集。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会、宿願の三千世帯達成。
 浅井昭衛企画室長「本日を以て6年間の宿願でありました三千世帯の法城がものの見事に完成を政しました。この6年に亘る悪戦苦斗、只まごころ込めて難信難解の三大秘法の御本尊を弘通せんと、汗をふりしぼって来た妙信講の姿を大聖人様も御覧遊ばして必ずお喜び下さると確信するものであります。また先生の誓願をお受けになって三年前に御遷化になった日淳上人も霊山に於て「よくぞ約束を果した」とにっこり遊ばしておられるに違いないと思うのであります。......
「勝ってカブトの緒をしめよ」と、これからがいよいよ大事な御奉公の段階である。ますます信心に油断なく肚を固めて行く時であります」(「顕正新聞」9月5日号 )
10月1日  創価学会、池田大作会長、「登山について」
「かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他の一切の行事に優先して行なわれているのである。…
 登出会は、日蓮大聖人様のまします霊鷲山への参詣であり、さらに、日興上人・日目上人等、三世諸仏の住処であり、われらが真如の都である、久遠元初の故郷へ還ることなのである。このように、学会の登山会は、極めてその意義が深いのであるから、軽々しく考えてはならない。あたかも、大聖人様ご在世当時の阿仏房の精神をもって、登山の精神とすべきである。阿仏房の精神こそ、たとえ時代は隔つともわが学会の登山精神でなければならない」(「大白蓮華」10月号 )
10月5日  創価学会、学生部機関紙『学生ジャーナル』発刊。初代編集長は、原島嵩 学生部副部長。
10月6日
 宗門、法華講関西地区連合会、第1回総会開催。尼崎文化会館に、1800有余名が結集。
10月18日  創価学会、文京公会堂で民主音楽協会(民音)創立記念演奏会を行なう。
10月20日
 妙信講、御会式大法要で三千達成奉告。(茗荷谷ホール)
 浅井昭衛企画室長「ここに三千世帯を代表した方々が集って、誠に厳しゅくな式を迎えて喜びでいっぱいであります。6年間妙信講を激励して下さった松本日仁尊能師も本当に喜んで下さった。また公私共に多忙な、全国法華講連合会長 平沢益吉先生も三千達成の意義を理解下さって御出席下さいました。…
 本日皆さんに報告をいたしますが、もったいない事であります。三千達成の報告に全講員の登山をお許し下さり、大講堂においておことばを賜るとの仰せを正式に宗務院を通じて頂きました。私共のたった三千のつたない御奉公ではございますが、晴れて戒壇の大御本尊にお目にかかる。御法主上人におことばを賜る、私共日蓮正宗信徒として喜びこれにまさるものはない。妙信講一門として名誉これに勝るものはございません。…
 本日連合会長の平沢先生も来て下さった。平沢先生は貌下の命により、何とか法華講を本当に立上がらせようと苦心しておられる。......
 ここに妙信講も三千の法城完成の上は新しく、洋々たる前途を迎えて、法華講の方々とも手を取り猊下の御もとに馳せ参じ、広布近き全宗門の中において、その一翼として目覚ましき働きを示して行く時です」(「顕正新聞」10月25日号 )
〔解説:浅井昭衛〕「妙信講に敵意を懐く平沢会長を、三千達成奉告の儀式に招かざるを得なかった当時の状勢はまことに辛く悲しかった。だが泣きごとを云ってはいられない。妙信講を信じ、三千にすべてを賭して悪戦苦斗してきた同志を強く暖く励まさねばならぬ。前途の見通しの全くつかぬ、トンネルの中を手さぐりで進む思いであった」(「冨士」第180号 )
10月24日
 宗門、堀日亨師著「富士日興上人詳伝」刊行。
10月27日
 宗門、法華講中部地区連合会第1回総会開催(名古屋市 日生ビル)。
10月28日  創価学会、本部幹部会、韓国総支部結成を発表。
「当時、すでに韓国には1千世帯ちかくの学会員がおり… こうした実態を踏まえて創価学会は、1963年10月28日の本部幹部会で、韓国に総支部を置くことを発表。… ところが、韓国では、東亜日報や朝鮮日報、韓国日報、京郷新聞などのマスコミ各紙が、いっせいに激しい反創価学会キャンペーンを開始した」(『現代』乙骨正生 2000年10月号 )
11月1日
 妙信講、法華講全国連合会の圧力により、機関紙「顕正新聞」を廃刊
11月 日
 宗門、法華講全国連合会。妙信講統制のため、形木本尊下附願書の扱いを連合会統一様式に変更するよう、宗務院と調整。翌年、2月11日から施行。
11月21日  第30回衆議院議員総選挙。池田勇人首相、所得倍増政策、また翌年に控えたオリンピック東京大会へ向け、政治の安定を期す為に国民への信を問うべく解散を断行。
11月22日  ケネディ大統領、ダラスで暗殺。現地時間12時30分、テキサス州を遊説中の第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディがダラス市内をパレード中、銃撃され死亡した。
11月24日
 宗門、法華講全国連合会 第1回総会開催。大石寺御影堂前に、8千余名が参集。
 細井日達管長「富士山本門寺実現へ」、「当山において戒壇の大御本尊を深く秘蔵し奉っておって、仮に寺号を大石寺と称しておりますのは、広宣流布の時を待っておるがためであります。… その広宣流布はまさに来たらんとしております。これ実に我が創価学会の折伏の力によったものであると言えるのであります。… 現在は創価学会に折伏の先陣を取られてしまったのであります。どうか法華講の皆様、我が日蓮正宗の檀信徒は、異体同心に一致団結して、末法流布の仏法を広宣流布し、この大石寺の仮の名を捨てて、富士山本門寺の戒壇の実現を期して、一層御奮闘あらんことをお願いいたしまして、今日の講演といたします」(「大白法」015号
11月27/28日
 宗門、総本山御大会奉修、法華講員300名が参加。
「妙信講からは、浅井講頭先生を中心に、7人の代表幹部が参加した」(「冨士」第5号 )
11月 日  創価学会、秋山慈本師(大乗寺住職)を吊し上げ。
「昭和三十八年十一月、四国大乗寺に突如学会大幹部の原島・小泉等数名が乗り込んできた。これは当時、四国の学会組織内で重大な内紛があり、その鎮圧のために大幹部が赴いたものであるが、ついでに地元の寺院に立ち寄り、学会の威を地元の会員に示さんと、住職をつるし上げたのである。原島らは秋山慈本住職に対し「住職は学会員と法華講員に対しどんな信念で接しているか」と質問し、住職が「学会員も法華講員も同じ御本尊の信者であるから、平等に扱い差別はつけぬ」と答えると、何が気にくわぬか、それから揚げ足とりの下劣な罵倒をくりかえし、捨てぜりふを残して帰った。
 果せるかな数日後、秋山住職に対して宗務院から呼び出しがあり、理由もなく住職転任の処分が一方的に申し下された。秋山師は学会のあまりの横暴と、宗務院の主体性のなさに悲憤し、転任を拒否、ついに宗門を離脱してしまった。この事件は、学会に逆らうことの恐ろしさを、全僧侶に植えつけた。まさに学会は見せしめにこれを行ったのである。以来「物云えばくちびる寒し」の風潮が宗門を覆い、また学会にへつらっていれば経済的には裕福な暮しが出来ることから、すべての僧侶が学会に従うようになったのである」(「試練と忍従の歴史」浅井昭衛 )
12月10日
 妙信講、学習会開催。研修部、登用・昇格試験合格者発表。
「昇格では5名の三級部員が、登用では31名の研修部員が誕生。ここに妙信講研修部は、三級部員20名、研修部員97名となり、質量ともに一段と充実」(「冨士」第5号 )
12月11日  創価学会、男子部部隊長会開催。
 池田大作会長「私はおこがましく、自分が師匠であり、諸君が弟子であるということは一返もいいません。あくまで根本は御本尊様が師匠であり、いっさい私どもは弟子であります」
12月15日  創価学会、第12回男子部総会開催。男子部員、百万名達成。
 細井日達管長「学会員の皆さまは折伏の上の折伏、すなわち、別して折伏を行じ、われわれ僧侶は折伏の上の摂受、すなわち、別して摂受を行じておるということになるのでございます」と。
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催、「二大目標堂々と完遂
「宿願達成の年の最後を飾る12月度総幹部会は、さる12月23日午後7時から講頭先生を迎えて茗荷谷の拓殖大学3階教室で行われた。… 一同は、"東洋広布の歌" "時来る"を大合唱し、勇躍解散となった」
 教学誌「冨士」第5号発刊、発行兼編集者 白石秀一。
 冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「常に精進の気魄を持て
12月 日  創価学会、学生部に法学委員会を設置。
「弁護士をはじめとする法曹資格者や官僚を自前で育てる必要性を、強く感じていたところに、後に造反する山崎正友氏が、学会員弁護士第一号となった。そこで、池田は山崎正友を重用、学会本部の機構や組織改革、そして法的側面の整備を担当させるとともに、山崎に命じて弁護士や官僚の育成に全力を傾注させた」(「週刊実話」元学会本部職員 2000年10月26日号 )
12月 日  創価学会、396万世帯。
 

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