迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和39年 (1964)         _
1月1日
 宗門、細井日達管長、大白蓮華 (1月号)に寄稿。「今や池田大作会長は四菩薩の跡を継ぎ折伏の大将として広宣流布に進軍しております」と。
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて初勤行、「新段階に堅い決意
「希望に輝やく立宗712年 昭和39年の初春を祝す元旦勤行は、本所吾妻橋の妙縁寺で午後2時から盛大に厳修された。… 最後に全講員で「お流れ」を頂戴して散会となった」(「冨士」第6号 )
(※ 「希望に輝やく」とは、"暗雲漂う"という意味であった )
1月1日  鳳書院、創価学会(編)「日達上人御講演集」発刊。
(※「国立戒壇」の語を「本門戒壇」と改竄している )
1月1日  鳳書院、小平芳平(著) 「創価学会」 発刊。
1月1日  明文書房、秋谷城永(著) 「創価学会に関する48問答」 発刊。
1月1日  日本文華社、 村上重良(著) 「創価学会と公明党 ― 信者一千四〇〇万のエネルギーの全貌」(文華新書 英語版) 発刊。
1月1日  日本仏書刊行会、石川泰道(著) 「創価学会の僧衣を剥ぐ」 発刊。
1月1日  東成出版社、中濃教篤(編) 「創価学会への教学的批判」 発刊。
1月1日  人物往来社、笠原一男(著) 「革命の宗教 ― 一向一揆と創価学会」 発刊。
1月5日
 妙信講、三千達成報告の総登山、「十年間の大目標発表さる」、参詣 1,545名
「宿願三千世帯達成御奉告と、新しき前進の出陣式をかねた初春の登山会は、内外の注目の中にさる1月5日(日)総本山富士大石寺に一千五百四十五人が参加して盛大に挙行された。午後1時、御開扉が厳修され三千世帯達成が戒旦の大御本尊に御奉告されたあと、午後2時から全講員熱望の日達上人猊下の御説法が大講堂で行なわれ、一同胸をあつくしておききした。講演会では、講頭先生より「向う十年間に十万世帯達成」の大号令が下り、場内は期せずして強い感奮につつまれた。かくて妙信講の新しき活動の路線が決定、いよいよ本格的な広宣流布への大法戦に力強い第一歩をふみ出した」(「冨士」第6号 )
 細井日達師「本日は妙信講の方々千五百余名、御本山に御参詣あって大御本尊様にお参りし、誠に仏恩報謝の為これ以上の喜びはないものと存じます」と。
(※ 一講中の千5百余名の単独登山の意義は大きい)
1月15日
 妙信講、研修部、「末法相応抄」講義開始。
1月19日
 宗門、法華講東京地区連合会・法道院支部青年部総会開催。豊島公会堂に、千百余名が結集。
1月23日
 妙信講、教学誌「冨士」第6号発刊。
1月27日
 妙信講、1月度総幹部会開催、「精進の気魄・全幹部に燃ゆ
2月1日  創価学会、大白蓮華 (2月号)、秋谷栄之助「(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を組織して…」と。
2月2日
 妙信講、本部に「庶務部」新設。
「此度、妙信講本部に庶務部が設置され、庶務部長に右島敏和氏が就任した。新設の庶務部は、講中活動の記録・辞令・名簿作成管理等、本部の事務関係一切をまとめていくものである。任務は地味で目立たないが、激しい組織活動を円滑ならしめる影の力として重視されており、今後の活動が期待される」(「冨士」第9号 )
 本部辞令、右島敏和、庶務部長に任ずる。白石秀一、男子青年部参謀に任ずる。
2月 日  大韓民国、朴正煕政権、文教部と内務部に創価学会内偵を命ず。
 文教部宗教審議会は、「創価学会は日本天皇と皇室を崇拝し、東方を遥拝するなど、日本の国粋主義的傾向が濃く、政治思想からみて明らかに侵蝕性を帯び、それは邪教であるばかりでなく、韓国にとって、反国家的、反民族的宗教であるゆえに布教は禁止すべきである」と報告。
 国務会議は、創価学会の布教活動防止対策を講じる事を決議。これをうけて全国の警察、創価学会の集会の禁止・通信の調査・刊行物の廃止等、布教活動を妨害。(「覚醒運動の興亡 激動の日蓮正宗」高橋公純 )
2月11日
 宗門、法華講全国連合会、御下付願用紙を統一
「法華講全国連合会として、宗務院と話し合われていたが、この度宗務院の許可があって、新しく全国的に統一された御本尊下付願用紙が使用されることになった。統一された用紙は、平沢会長より各地区連合会長を通じて、各支部に配布されることになっている。今後、法華講員は全てこの用紙を以て、御本尊下付をお願い申し上げることになった」(「大白法」018号
2月23日
 妙信講、教学誌「冨士」第7号発刊。
(※ 以後、各月に発刊される )
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)、「躍進を前に充実を期す」、280余名が参加。
「2月度成果が、別報の通り43世帯と報告され、累計総数はこれで 3,327世帯となった」(「冨士」第8号 )
2月26日  創価学会、アジア民族協会発足。「会長池田先生御出席のもとに発会式が行なわれた。全員30名、先生から力強く暖かい激励をいただいて、心新たに、第三文明建設の大使命の自覚のもとに、勇握、前進を誓い合った」
「第三文明建設の先生の御構想の一つとして、この度、アジア民族協会が生れた。すでに設立されている、東洋学術研究所、アジア文化研究所とともに、王仏冥合の実践活動の一翼を担う使命をもつものであることはいうまでもない」(「(前進」No.47 ))
2月28日
「広布祈願の殿堂たる世紀の大客殿は、さる2月末ににめでたく完成された。創価学会の真心の寄進、そして妙信講も内陣の荘厳の御供養に猊下のお許しを得て参加させていただいた。37年4月2日の着工以来、実に1年11ヶ月の歳月を費やして行われた大工事で、広宣流布の鼓動高鳴る総本山大石寺に新たな威容を加える事になった」(「冨士」第8号 )
3月1日
 妙信講、3月度班長会開催、「三千世帯の名簿作成を
3月2日
 宗門、大乗寺(四国)、本宗離脱。
3月23日
 妙信講、冨士、男子部参謀・浅井信衛「主師親の三徳について」掲載。(「冨士」第8号 )
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)、「大法戦に歓喜勇躍の出陣
3月29日
 宗門、法華講全国連合会、大乗寺(四国)一部講員を除名。(「大白法」号外
4月1日
 宗門、総本山大客殿落成慶讃大法要を奉修。
「日蓮正宗総本山・多宝富士大日蓮華山大石寺に於いて、… 大客殿落成慶讃大法要が厳粛に執り行なわれた。 この日、法華講大講頭池田創価学会々長はじめ、全国からの代表幹部五千人が参列。法華講より来賓として、平沢法華講全国連合会々長はじめ代表幹部百六十名、一般来賓として灘尾文部大臣、小林厚生大臣、東都知事はじめ各界の名士約六百人がこの式典に参列した」(「大白法」019号
 池田大作会長、「"三大秘法抄"に『時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり』との大聖人の御聖訓がございます。その時がついにやってきたとの感を深める者は、私ひとりではないと信じます」と。
4月1日
 宗門、創価学会 池田大作会長を法華講総講頭に任命。
「この落慶大法要のみぎり御法主上人猊下より、法華講大講頭池田創価学会々長に対し、「日蓮正宗法華講 総講頭を任ずる」との辞令が授与せられ、今後、総講頭指揮のもと一致団結して、広宣流布にまい進することになった」(「大白法」019号
 法華講全国連合会々長 平沢益吉「総講頭指揮のもと広布達成に勇猛精進
「池田先生の日夜止暇断眠のたえざる闘争は、全て大聖人様の三大秘法の広宣流布によって大衆を救済せんとするものであり、王仏冥合実現への実践活動であります。… 法華講総講頭と申せば、大聖人の仏法を信ずる者の師表であり、正宗全信徒の棟梁として、総指揮を取られるべきものであります。… 今法華講員は、この尊敬すべき偉大なる指導者を法華講総講頭として頂く身の幸福を感激して、その指揮のもと南妙法蓮華経を信じ身口意の三業に徹して、広宣流布達成へ勇猛精進すべきであります」(「大白法」019号
4月2日  創価学会、戸田城聖会長七回忌法要。池田大作会長「本門の時代」と宣言。
「戸田城聖氏の七回忌が過ぎた頃から、池田大作は「戸田先生の御遺志はすべてやり遂げた,これからは私流にやる」と宣言した。この頃から、"逸脱" が次第に公然化し、エスカレートしていくのである。39年という年は、池田大作が "正本堂建立御供養" を発表し、また "衆議院進出" を宣言した年である。それは池田大作が、自らの "本仏化" と "日本の国主たらん" との野望を剥き出しにしていく第一歩であった。まず池田大作は、正本堂建立をもって、日蓮大聖人御遺命の「事の戒壇」が建立されると意義付け、世紀の大事業であると喧伝すると共に、その建立者たる自分を、"御本仏の生まれ変わり" だとする演出を、巧妙に行なった」(「あの頃のこと」第二十一回 山崎正友「慧妙」第228号 )
4月10日
 宗門、日蓮大聖人入滅日を陽暦換算した、11月21日を以て大石寺御大会奉修日と定む。
4月23日
 妙信講、冨士、「妙信講歌集」掲載。(「冨士」第9号 )
4月25日
 妙信講、4月度総幹部会開催(拓殖大学)、「全幹部に満々の斗志」、200余名が参加。
「4月度の成果が別表のように報告(88世帯)…。佐藤財務部長から、昭和38年度の財務会計報告があり、講中の力として果たしてきた役割を示した」(「冨士」第10号 )
(※ 妙信講では発足当初から、各支部に会計担当、本部には財務部長が会計を管理し、年度ごとに財務会計報告を行っていた。まさに、"講" としての組織であった。櫻川 忠 )
5月3日  創価学会、第27回本部総会。正本堂建立と衆議院進出を決定。
 池田大作会長、戸田城聖会長から「大客殿の建立が終わったならば、ひきつづいて、すぐに正本堂の建立をしなさい」との遺言があった旨を述べ、さらに
「正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばかりとなります。…
 公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、王仏冥合達成のために、また民衆の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。… 恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ出よとのご遺訓があったのです。…
 来年の10月までに三十億円の御供養をば、皆さん方のご協力を得て行ないたい。大変であると思いますが、一世帯七百円の御供養を基準といたしたい。来年10月までは、約15ヵ月間でございます。従って一世帯で1ヵ月に五十円ずつ、なんらかの方法で節約し、貯金していただければ、七百円になるわけでございます。皆さまがた、どうでありましょうか。(大拍手)。それでは満場一致でそう決定といたします」と。
「池田大作という、戸田氏に比べて信仰心も薄く教学力も劣り、そのかわり野心と自己所有欲のみが異常に発達した人物が、仁と徳ではなく策略で会の実権を握ったために、創価学会の教義逸脱と弊害が極端に肥大化されていくことになった。そして宗門側からの警告を無視して、創価学会は逸脱を重ねエスカレートして、ついに日蓮正宗とはまったくかけ離れた "邪教・池田大作教" へと変質していったのである。大御本尊と御法主上人猊下の大恩を忘れ、「すべて俺がやった。すべて俺のものだ!!」とするその増上慢が、池田大作をしてさらなる大謗法、第六天の魔王への道を走らせた。その分水嶺が正本堂御供養であり、公明党の衆議院進出であったと思う」(「あの頃のこと」第二十二回 山崎正友「慧妙」第230号 )
5月6日
 宗門、総本山大客殿にて霊宝お虫払い大法会奉修。(「大白法」020号
5月12日
 法華講全国連合会、平沢益吉会長、松本日仁師に指導教師辞任を強要。
「昭和三十九年五月十二日、平沢は妙縁寺の総代であり連合会の幹部でもある佐藤悦三郎をお供に連れて妙縁寺を訪れ、松本日仁尊能化に対し『妙信講と縁を切らないと学会に睨まれ、あなたの宗門僧侶としての立場も危なくなりますよ』と威し、指導教師を辞任するよう説得した」(「顕正会の歴史と使命」浅井昭衛 )
5月13日
 宗門、蓮華寺(大阪)。本宗離脱。創価学会の干渉と介入への反発と、宗門の学会への融和姿勢による。
「崎尾住職は、離脱理由として、
 (1) 池田の法華講総講頭任命、
 (2) 末寺総代に必ず創価学会員を入れる、
 (3) その意をうけて末寺住職を左遷する、
など、宗務当局が創価学会の傀儡と化していることを挙げた」
5月23日
 妙信講、冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「勤行」掲載。(「冨士」第10号 )
5月25日
 妙信講、5月度総幹部会開催 (拓殖大学)、「6月は指導の月」、280余名が参集。
「注目の折伏成果発表では、別表のごとく班別支部別に報告された後、総計131世帯の本尊流布と、さらに年間累計で3,500世帯を突破したことが報告され、期せずして場内から拍手がまき起こった」(「冨士」第11号 )
5月31日
 妙信講、庶務部、三千五百世帯の本部名簿完成。
「庶務部の最初の業務として行われていた3,500世帯の本部名簿が、去る5月末をもってついに完成された。… 広布への御奉公に本格的な活動に踏み出す妙信講の基盤として注目されていた3,500世帯の名簿が完成されたことは、新しい十年後への前進にその"準備態勢なれり"を感ずるものである」(「冨士」第11号 )
5月 日  創価学会、4百万世帯となる。
6月12日  創価学会、『巻頭言・講義集第三巻』発行。『御法主上人猊下は遣使還告で、日蓮大聖人と拝し奉るのです。このことは信心の上からはっきりしたものです。創価学会の会長を過大評価したりしてはいけないのです』と。
6月15日
 妙信講、研修部、「当流行事抄」講義開始。
6月23日
 妙信講、冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「七月」掲載。
 冨士、お知らせ、「冨士に第三種認可下る
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催(拓殖大学)、「7月は安国論御建白の月」(「冨士」第12号 )
6月30日  創価学会、第27回学生部総会。池田大作会長、『創価大学の設立、王仏冥合の理念』等について講演し、国立戒壇を否定
「それで『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をしております。まったくナンセンスのかぎりであります」、「御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも”国立戒壇”ということばはないのです。”戒壇”といえば”本門戒壇建立”となるのです」
「戸田先生は「本尊流布が、信心がトウフである。戒壇建立はオカラである。カスの様なものだ」この様に何度もおおせになっていました。その本質を皆さん方もよく知っていただきたいと思います。戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない … ひとつの石碑みたいなしるしとして置くのが戒壇建立にすぎません」と。(「聖教新聞」7月2日号)
「やがて、『国立戒壇論』をあっさりとおろしてしまった。それもこれも、すべて池田氏の野望のためであり、政治も宗教も、池田氏にとっては、野心を果たすための道具だったのである」(「闇の帝王、池田大作をあばく」 山崎正友 )
「池田会長の国立戒壇否定が、衆議院進出・公明党設立と連動していることは明らかであろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
7月 日
 法華講全国連合会、平沢益吉委員長、妙信講との折衝記録を記す。
「彼曰く、協力の限界を考慮して貰へまいか、即ち、御供養とか登山とかは会長の言はれる通りにして猊下への御奉公はするが、其他の事は講頭以下三・四名が代表して参加することで認めて貰いたい。末端の者を色々な行事に出したり、青年部を連合会の青年部へ参加させる事は、切角大きく前進しておる講中に動揺を来たすので、妙信講の指導訓練はこのままにして貰いたい。… 妙信講の特別事情を許して貰いたい。
 余曰く、連合会中に於て、特別事情を許した上での協力を認める等とは、もっての外である。ある場合場合に即して理事会が納得、承認した場合ならともかく、全面的協力でなければならない。(略)
 彼曰く、全面協力は即ち無条件降伏である。それでは妙信講講員に破たんを来たす因をなす。だから条件を認めた上での協力と言う事に願いたい。
 余曰く、何回も言うておる通り… 何処まで話しても、時間をとるばかりで無駄であるから之で打切りにしたい」(「平沢日記」平沢益吉 )
7月27日
 妙信講 浅井甚兵衛講頭、松本日仁能化と共に平沢益吉委員長宅を訪問し登山を嘆願。
「午後二時、妙縁寺御住職松本御能化、妙信講浅井父子の三名、私宅を訪問さる。父子曰く、今迄の事は全部何も言はずに、
 一、唯これからは妙信講は連合会に協力しよう。
 二、八月登山を認めて貰いたい。以上、之が為に頭を下げて来た。
 併し話の内に数々本音が出て来て、… 妙信講青年部を連合会青年部と共に活動させる事は困るからも除外して欲しい等々。依って余は彼等の言う連合会へ全面的協力なる事は甚だ疑はしいので緊急に臨時理事会を開き検討して決すべしと申し渡す」(「平沢日記」平沢益吉 )」
 7月度総幹部会開催。「八月は再建の月」
「成果発表では別報の如く86世帯と報告され、ここに総世帯数は3,600世帯を突破、いよいよ4千台に迫ることになった」
 浅井昭衛企画室長、「いよいよこれからが、猊下にお仕いしての本番の斗いである。苦難が襲いかかる事は百も承知で我等幹部一同は、講頭先生のもとに益々強き団結を示し、法華経に勝る兵法なしの法戦を力強く推し進めていこう」(「冨士」第13号 )
7月30日
 法華講全国連合会、妙信講に「全面協力しなければ登山は認めない」と書面で通告。
8月1日
 妙信講、再建・満7周年記念班長会(妙縁寺)。
 浅井昭衛企画室長「天下挙ってそしろうとも一人の大聖人様がうなずき遊ばされれば何を恐れる事があろう。…
 妙信講が次の七年にはどれ程の御奉公が出来るであろうかと、又 魔障の嵐もますます激しい事であろうと、だが既に勝利の証拠はつかんでいる。これからの法戦こそ妙信講の使命を果たす本当の戦いなのだと、肚を固めるのが今日の集まりであります。妙信講は小手先の小細工は用いない。ただ生一本な信心だけで貫き通して、法主上人猊下の下に勇敢に斗っていく講中であります。大事な使命があるのです」と。(「冨士」第180号 )
8月1日  創価学会、池田大作会長「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。… 御本尊を"物"と扱うようになった場合は罰を受けます。学会精神に反します。信心ではありません」(「大白蓮華」8月号 )
 29年後の池田大作会長「宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの」(本部幹部会 平成5年9月7日 )
8月2日
 宗門、全国法華講連合会 東海地区第1回大会開催(清水・妙盛寺)。
8月8~9日
 妙信講、男子班長以上 野外訓練(富士宮 要行寺)。
「8月度男子班長会は初の野外訓練を取り入れて、さる8月8日9日の二日間にわたって富士宮並びに本栖湖で行われた。… 第一日目、… 直ちに班長会に入った。… 二日目は勤行の後、御尊師の御説法並びに青年部長の指導が行われた。… 途中、白糸の滝を見学、記念写真等をとった。本栖湖では、若さに溢れたエネルギーが爆発、水泳、ソフトボール、ボートとそれぞれに躍動、楽しいひと時を過ごした」(「冨士」第13号 )
8月12日
 妙信講、法華講全国連合会の登山妨害につき、細井日達管長に「歎願書」提出。
「今般大客殿落慶々祝の登山に付き、恐れ乍ら法主上人猊下に歎願し奉ります。…
 然るにこのたび、連合会より突如として登山の拒絶が申し渡されました。その理由は「妙信講の連合会に対する協力の度合いが足りぬ」との事であります。余りの事に、只呆然とするのみでありました。私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。況や尊き戒壇の大御本尊への参詣を、統制の道具に利用し、無条件に従わなければその道を塞ぐなどと云う連合会の処置は、まことに非理の甚しいものと思わざるを得ません。…
 事ここに及んで、私共にては解決の方途もございません。よって枝葉のいきさつを尊き御耳に入れ煩わし奉るを恐れながらも、敢えて御法主上人猊下に歎願申し上げる次第でございます」(「冨士」第180号 )
8月13日
 妙信講、臨時班長会開催、「緊急招集に全幹部集う 本山登山に歓喜
「緊急召集の臨時班長会は、さる8月13日午後7時から本部で行われた。… 冒頭に浅井企画室長が立たれ、緊急招集の趣旨『大客殿落慶々祝登山が猊下の御慈悲を賜って急遽この8月19日に挙行されることになった』と発表された。あまりの急に一瞬驚いた全幹部は、ついで歓喜の拍手をもってその発表に応えた」(「冨士」第13号 )
8月19日
 妙信講、大客殿落成慶祝登山挙行、1千余名が参加。
「待望の大客殿落成慶祝登山は、快晴にめぐまれたさる8月19日総本山富士大石寺に一千余名が参加して盛大に挙行された。わずか4日間の呼びかけで馳せ参じた一同だけに、戒壇の大御本尊様をひたぶるに慕う信心がほとばしり出て、いつにも増して感激に満ちた登山であった。想像を超えた大客殿の威容に深く感激するとともに、いよいよ広布への確信と決意を固めた」(「冨士」第13号 )
(※ 以後、法華講全国連合会の妨害により5年間登山不能となった )
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)、「第二の七年へ出陣
9月16日
 宗務院、法華講全国連合会の「問い合わせ」に書面で回答。
「妙信講の件について、左の通り御回答申し上げます。
 一、本宗においては『おあづけ講中』という制度はありません。
 二、本宗ではすべての講中が寺院に所属しており、妙信講は現在妙縁寺所属の講中と認めております。
 三、他の法華講支部と異っていません。本宗にあってはすべての講中を平等に取扱っております。
 四、宗制に則った講中として認めております。以上」
「妙信講は法華講連合会に対し、「他の講中とは異なった独自の立場で日淳上人より認証されている」と主張した。このため連合会は宗務院に対し、妙信講の扱いについて書面で問い合わせた。宗務院からの九月十六日附の回答は、妙信講が他の法華講支部と同列の講中であるとしてそれ以上の特別な独自性は認めず、宗制に則った講中であることを確認したものだった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
9月24日
 法華講全国連合会、臨時役員会開催(常泉寺)。 連合会役員と妙信講代表の論議の末、「妙信講は連合会に参加せざる団体」との結論に至った。
「あくまで他の法華講とは異なると言い、現在の妙縁寺法華講支部とは一緒にはやれぬと議事進行に協力せず。… 連合会と妙信講は今迄の数回に亘る会議も効なく、浅井父子の不誠意のため、妙信講は浅井父子のもとに連合会に参加せざる団体であり、連合会は浅井父子の率いる妙信講を含まざる全国法華講支部を網羅した法華衆の大集団である事を確認して閉会する」(「平沢日記」平沢益吉 )
9月16日
 妙信講、男子特別幹部会開催、「明年4月に力強い出陣
 浅井昭衛青年部長「私は諸般の情勢をみま して、今妙信講に於て、きっすいの信心で立つところの若き地涌の菩薩が一千集まらん筈は絶対にな い、こういう事を強く確信しております。 二年前からいっておりました、一千が来年4月にできないならば、この青年部をひきいるものの罪である、私の一切の責任である、こう思います。もしも明年出来なかったならば、その以後私を青年部長と呼ぶ必要もないし私の指導を受ける必要もない、かくの如く一切を明年4月にかけまして、断固として一千達成をやってのける決意をしております」(「冨士」第14号 )
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)、「七年の節・第10回総会に全力
「9月度の折伏成果は 83世帯で、累計総世帯数世帯は 3,715世帯となった」(「冨士」第15号 )
10月3日
 妙信講、男子部班長会、「男子部幹部会で "武田節" を歌っていく」事が発表された。
 浅井昭衛青年部長、「我々は依義判文して、"妙信講が家" の武田節として歌っていくのです」(「冨士」第15号 )
10月10日  東京オリンピック開催。第18回オリンピック競技大会、有色人種国家における史上初のオリンピック開催となった。
10月16日  中華人民共和国、原爆実験に成功、5番目の核保有国となる。その後も核兵器開発を続け、1967年には水爆実験に成功した。
10月25日
 妙信講、第10回総会開催(神田共立講堂)、「新しき広布の船出、第二の七年
 特別講演、松本日仁師「成仏とは煩いもなく障りもなき境涯
 講頭講演、浅井甚兵衛講頭「立正安国論の御聖旨に沿おう
 浅井昭衛企画室長「信心一本の伝統精神を見つめよ」と題して、「妙信講は、使命と妥協を許さぬ清純な信心ある故に、三障四魔が行手をさえぎる。これを強盛な信心で乗り切った時、始めて妙信講の大使命がわかる」と。
11月1日  創価学会、青木享「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同じことを指している。… 民主国家における民衆の総意は、同時に国家の意思であるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議ではない」(「大白蓮華」11月号 )
「これが創価学会における、「国立戒壇」主張の最後となった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
11月9日  佐藤榮作内閣発足、佐藤榮作、第61代内閣総理大臣に任命さる。
11月15日
 妙信講、御大会式厳修(妙縁寺)、1千余名が参列。
11月17日  創価学会、公明政治連盟を改組し『公明党』を発足、日大講堂で結党大会開催。委員長・原島宏治、書記長・北條浩。結党宣言では、『立正安国論』を引用して「王仏冥合の大理念に立つ」と。
 綱領には、1)王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和、2)人間性社会主義による大衆福祉の実現、3)仏法民主主義による大衆政党の建設、4)議会制民主政治の確立、を掲げる。
「公明党結党宣言
 今や混沌たる世界情勢は、一段と緊迫の度を加えるにいたった。一方、国内情勢は依然として低迷をつづけ、国民不在の無責任政治がくりかえされている。このままに放置せんか、日本は激しい東西対立の犠牲となることを、深く憂うるものである。
 日本出世の大聖哲、日蓮大聖人、立正安国論にいわく「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり、夫れ国は法に依って昌え法は人に因って貴し」と。この仏法の絶対平和思想、即ち、王仏冥合の大理念のみが、世界を戦争の恐怖から救いうる唯一の道なりと、われわれは強く確信する。
 ここにわれわれは、公明党の結党を内外に宣言するものである。公明党は、王仏冥合、仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、議会制民主政治の基礎を確立し、深く太守に根をおろして、大衆福祉の実現をはかるものである。
 しこうして、ひとく地球民族主義の立ち場から、世界に恒久的平和機構を確立することを、最大の目標として、勇敢にたたかうことを、国民の前に堅く誓うものである。右、宣言する。昭和39年11月17日 公明党」
 池田大作著「政治と宗教」刊行。
11月24日
 法華講全国連合会、第1回総会開催(総本山)、法華講員8千余名が参加。
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(拓殖大学)、「指導の徹底で信心の歓喜を
11月27日
 法華講全国連合会、平沢益吉委員長、妙信講に書状を送付。妙縁寺における形木本尊下附の妨害強まる。
「当時、下附申請用紙は連合会で統一され、妙信講もその用紙を使う以外に下附が受けられなかったが、平沢会長はこの返却を迫ってきたのである」(「冨士」第180号 浅井昭衛 )
12月5日
 妙信講、上記書状への回答を、法華講全国連合会に送付。
「拝啓 十一月二十七日付の書状拝見致しました。「何等善処する行動之無く」との御意を承りましたが甚だ心外であります。当講の連合会に対する心情は一貫して「何卒協力出来得る計らいを給わり小講も又宗内の一翼として存分の御奉公をさせて頂きたい」との存念に尽きるものであります。…
 かかる所存なれば当講に脫会の意志など毛頭なく、又それは猊下に対し奉り此の上なく申し訳ない事であります。然るに今回の御文面に「連合会の名儀にも支障を生ずる為」として御本尊下附願書の返却を迫る貴翰に接し、不審極り無く、若し御意に随って返却仕つれば自ら心ならずも脫会を認めた事になり、却って連合会に対する当講の真情の誤解を招くものと恐れるものであります。故に敢えて返却は猶予させて頂きます」(「冨士」第180号 浅井昭衛 )
12月9日  公明党、原島宏治委員長逝去。後任に辻武寿が就任 。
12月22日
 妙信講、12月度総幹部会開催(拓殖大学)、「黎明の年へ勇躍の第一歩
12月22日  創価学会、仏教哲学大辞典 第1巻発行。
12月 日
 妙信講、冨士、「黙々と練習にはげむ楽隊
「過日の第10回総会で見事な成長を見せた楽隊は、その後も月の日曜日毎に本部に参集、次の大会を目指して黙々とした練習を行っている。この楽隊は、38年2月に編成されたものであるが、最初の一年は隊員の固定メンバーが決まらず足ぶみ状態を続けていたが、本年6月に新編成しその後数ヶ月の練習で非常な進歩を見せている。現在隊員は9名、橋本泰朗楽隊長を中心に全員が10代の高校生で、明るく団結しており今後の成長がさらに期待されている」(「冨士」第17号 )
12月 日  創価学会、524万世帯。
 

                前年   一覧    翌年