迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 宗門、細井日達管長「大白蓮華」1月号に「新年の辞」を寄稿。
「思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、私が『すでに広宣流布しておる』と語ったら、会長は、『そうです舎衛の三億です』と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである」と。
1月1日
 妙信講、「黎明の年」。初春を祝す元旦勤行、妙縁寺に1千余名が参加。
 浅井昭衛企画室長「黎明は暗黒の次に来る」「魔障の嵐はすべて覚悟の前である」
1月1日  創価学会 池田大作会長、年頭挨拶。
「日蓮大聖人様のご予言、そして日興上人様のご構想が、日達猊下の時代にぜんぶ達成されると思われます。じつに、名前におふさわしき日達上人であられます」と。
 池田大作会長、聖教新聞紙上に法悟空の名で、小説『人間革命』(第1巻)の連載を開始。
「『人間革命』の実際の著者は、社長会にも名を連ねている東西哲学書院の社長である篠原善太郎氏であり、池田氏は篠原氏の原稿に手を入れているだけなのです。継命新聞社発行の『社長会全記録』を読むと、池田氏が篠原氏に対し破格の扱いをしているのが分りますが、それは『人間革命』の著者ゆえの扱いにほかなりません」(「池田証言ハイライト」)
(※ 後年、篠原善太郎の死去により連載が途絶える。池田大作会長、残りの原稿探しに大慌て )
1月1日  いのちのことば社、大串達治(著) 「創価学会批判」(信仰良書選) 発刊。
1月1日  真世界社、新田倫三(著) 「創価学会・公明党の真相」 発刊。
1月1日  あそか出版社、笠原一男(著) 「政治と宗教 ― 岐路に立つ創価学会」 発刊。
1月7日
 妙信講、研修部。昇格・登用試験実施。
1月9日  創価学会、ロサンゼルスで第2回全米総会開催、2,300名が参加。
1月17日
 妙信講、研修部。登用・昇格試験実施。
1月21日
 宗門、正本堂建設委員会を設置。創価学会 池田大作会長、委員長に就任。
1月24日  創価学会、南米本部総会開催、1,700名が参加。
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催。「力強く大衆救済に第一歩」
1月30日
 妙信講、研修部。六巻抄講義完了。
「さる1月30日の研修部会をもって、浅井企画室長による当流行事抄の講義が終わり、ここに六巻抄の講義が完了」(「冨士」第19号 )
2月7日  ベトナム戦争開始、アメリカ軍、北爆を本格化し陸上部隊も派遣、全面的な戦争に突入した。東西冷戦中で最も激しい戦闘が展開されたが、1973年3月29日にアメリカ軍はベトナムから撤退した。
2月7日  創価学会、ストックホルムで第2回北欧総会開催。
2月 日  公明党、辻武寿委員長。東京・信濃町の聖教新聞社に隣接した、文部省の職員住宅地約2千5百㎡を、公明会館別館を建てるとの理由で大蔵省に払い下げを申請し取得。
 当時、田中角栄蔵相の小佐野賢治氏と関連した虎ノ門公園跡地不正払い下げ事件が問題化しており、公明党も追及質問の先陣に立っていた。公明党は払い下げから2年間放置した後、その土地を創価学会に贈与。国が宗教団体に国有財産を払い下げれば、憲法に抵触するため、公明党をトンネルに利用。
2月 日  「中央公論」、評論家・村松剛の論説掲載。
「創価学会にはさわらない方がいい、という一種の暗黙の申しあわせが、このごろのジャーナリズムにはできかかっているようにみえる。(略) ことに大新聞は2、3年前からこの宗教団体にたいして何も批判めいたことを言わなくなった」(「同誌」3月号)
2月15日
 妙信講、研修部入部式開催。「総勢140余名で新しい出発」「四年間の六巻抄研鑽を終えて十大部に」
2月16日
 宗門、第1回正本堂建設委員会を開催(大石寺大講堂)。
 細井日達管長、「一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります」、「大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります」、「今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります」と。
(※ 後に、正本堂完工式における北條浩建設委員会副委員長の経過報告で、「このとき猊下が、正本堂は戒壇の大御本尊を御安置申し上げる本堂であると決定」と)
2月18日
 宗門、崎尾正道師を法規違反により擯斥処分。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)、「手をゆるめずに折伏弘通を」。
「2月度本尊流布…33世帯で、ここに累計総数は 3,801世帯となった。ついで佐藤財務部長より39年度の財務決算の報告があり、妙信講前進の基礎となった経済活動が如実に示された」(「冨士」第20号 )
3月3日  大韓民国、ソウル高等法院特別第一部、「創価学会活動禁止取消し」訴訟で創価学会側の勝訴。これに対し、学生・宗教界・遺族会などの団体が、創価学会の糾弾集会を開催。
3月5日
 宗門、『大日蓮』3月号。(正本堂建設委員会での)「猊下のお言葉は、戒壇に対する一般の見解についての誤りを御指摘なされ(略)、正本堂建立が実質的に戒壇建立と同じ意義であるという、日蓮正宗の奥儀にわたる重大なお言葉があった」と。
3月5日  創価学会、聖教新聞社説で「この尊い戦いに、我が身を惜しまず参加した者のうける功徳は絶大である」と、公明党の選挙戦に功徳があるとした。
3月7日  創価学会、ローマで第2回南欧総会開催。
3月8日
 妙信講、御登山につき細井日達管長に、嘆願書提出。
「私共の存念と致しましては、連合会はあくまでその名の示す如く、法華講の横の連絡機関で、毫も統合に手を出すべきものではないと存じます。猊下の意を体する全宗門的な法華講の連絡調整の窓口であると思っております。現在の連合会が猊下の御意を曲解・逸脱し、単一統合体なりとし、命令に随わざる者には見せしめに御開扉を拒否し、御本尊下附用紙を取り上げる如きは、あたかも戦時中の悪統制の再現を思わしめるものであります。この様に連合会が統合体への路線をあゆむ以上、講中活動は絶体絶命の窮地に追いこまれ、円満解決は到底望むべくもありません。事ここに至って松本尊能師も途方にくれ、共に長大息の外はございませんでした。幸いにも現在講員は一人として此の間の事情を知る者なく、悉く純信に折伏に励んでおります。然し乍ら理不尽なる連合会の権力乱用により、一途に信心しながら尚年一回の登山も叶わぬと知った時の四千講員の悲憤慨を思う時、前途暗澹胸に釘を打たれる思いであります」(「冨士」第181号 )
(※ 宗務院、柿沼広澄総監。嘆願書に対し7月31日に、妙信講に文書で回答 )
3月13日  創価学会 池田大作会長、聖教新聞に談話を掲載。「公明党の選挙戦は、宿命転換のための絶好のチャンス」と。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)。「正直な修行が功徳の源泉」
 3月度折伏成果は 36世帯。(「冨士」第21号 )
3月25日  創価学会、大客殿落慶記念300万総登山終わる。
3月26日
 宗門、正本堂建設委員会、『正本堂建立御供養趣意書』(宗務役僧・宗内高僧等21名が委員として連名)を発表。
「かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります。…
 総本山における大建築についての御供養は、これで最後の機会となるでありましょう。千載一遇とはまさにこのことであります。末法万年の外、未来までも人類救済の大御本尊様を御安置申し上げるこの正本堂建立の大事業に参加できることは、永遠の誇りであり、大福運であります」(「大日蓮」3月号 )
4月2日  創価学会、池田大作会長の『御義口伝講義 上』を刊行。
 細井日達管長、池田大作著「御義口伝講義 上」の序に寄稿。「私は、本書を一読して、この講義に一言をも加うる余地なきことを知った。そして、池田先生の死身弘法の寸暇を、さらに止暇断眠して、この大講義をなせるは、実に在世の維摩居士の、今に出現せるかの感を深くしたのである」
 池田大作会長、「御義口伝講義 上」の序に記す。「総本山第六十六世日達上人猊下の御監修を賜り、ここに、御義口伝講義を刊行する運びとなったことは、誠に無上の光栄である。日蓮大聖人の極説中の極説たる御義口伝を講義することは、もとより資性凡愚な私のよく耐え得るところにあらず、果たして御本仏の真慮に叶うや否や、ただただ恐懼の限りである。… 「御義口伝に云く」とは、日蓮大聖人の観心より、あらゆる生命論、宇宙観、社会原理を、信心に約し、生活に約し、縦横に説かれたものである。この一言一句こそ、あらゆる思想、哲学、宗教を超越する偉大なる大哲学の極説といえよう。… 最後に、編纂にあたり、原島崇君の援助を心から感謝して止まない」
4月6日
 宗門、総本山六壷落慶入仏式。大石菊寿宗務支院長、「この度池田大作先生によって御供養されるところの正本堂は、実質において、まさに本門戒壇堂の建立となったのでございます」と。
4月8日
 妙信講、浅井昭衛青年部長「男子部一千結集の檄文」
「世界は動乱の兆すら見える現今、一千の精鋭結集の意義は計り知れぬものがあります。戦いは最後の五分間に決するものであります。此の大法戦に若し油断があったなら、悔いを千載に残すものであります。最後の数日をここに迎え、この数日に過去数年の思いを込め「唯体をぶつけて御仏意を待つ」の捨身の戦いを展開しようではありませんか」(「冨士」第181号 )
4月18日
 妙信講、男子青年部大会開催(北区公会堂)。講中の存続を賭した一千名を結集、「黎明」の幕を開く。「再建以来、講頭先生の直属として青年部長の下に団結、試練の嵐を突破して敢然と斗つ てきた男子部が、ここに力を以って広布への御奉公を成さんとする堅陣を固め、第二の七年をめざす妙信講の黎明の幕あけを成した」(「冨士」第21号 )
 講頭講演、浅井甚兵衛「国土の盛衰は仏法の明鏡で見よ
 浅井昭衛青年部長「『御本仏の弟子』のお許し賜うを確信」、「仏法は証拠を以て論ずるのであります。いかように大言壮語し、大聖人の口真似をし、御書を論じようとも、難信難解の御本尊を事実に於て弘通し、一千結集の儀式が出来ぬならば単なる虎の威を借る狐ではないか、大聖人の弟子ではない、広布の人材の集りではない、かく常々思っておりました。現在の男子部の実力からすれば未だ一千の結集は不可能に近い事でありました。… 遂に本日ここに精鋭一千が見事勢揃い致しました。ここに私共は此の証拠を以て、御本仏の眷族、大聖人の弟子たるのお許しを賜われる事と強く確信するものであります」(「冨士」第21号 )
4月24日
 妙信講、4月度総幹部会開催。「5月は二年ぶりの支部総会」、4月度折伏成果26世帯。(「冨士」第22号 )
5月3日
 妙信講、男子幹部会開催。
 浅井昭衛青年部長「『つたなき者のならいは約束せし事を、まことの時はわするるなるべし』と、大事を成す者は一度口に出した事は必ず実行するものである」
 [解説 浅井昭衛]「かくて、無謀と思えるこの結集大会の成否にすべてを賭けたのであった。「敗れたらそれまで」自分は直ちに青年部長を辞めようと心に決めていた。それが妙信講の瓦解に連がることは百も承知していたが、そこまで当時の心境は追いつめられていたのであった。ただすべてを賭けて大聖人の御意を拝したかった。… 大会の内容には特筆すべきものはない。一千結集の一事にこの大会の意義はあったのである。… また一万世帯めざして、本格的な全講中の前進を開始せんと、… 一万達成への推進本部が設けられ、自分は本部長となった」(「冨士」第181号 )
5月3日  創価学会、池田大作著「科学と宗教」発刊。
5月5日  真世界社、「創価学会・公明党の真相」(新田倫三著)発刊。
5月25日
 妙信講、5月度総幹部会開催。二大目標として「正本堂建立御供養」と昭和43年「一万世帯達成」を掲げる。「いよいよ正本堂建立の御供養、真心を尽して悔なき結晶を」。5月度折伏成果 42世帯。
「今回、総本山において御法主上人猊下の御思召により、正本堂を建立される事になりました。妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養させて頂く事になりました。… 今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられてまいりました。唯そのスキマもる光を拝して、一部の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる、御宝蔵より、奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります」(「冨士」第23号 )
〔解説 浅井昭衛〕「正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。… 池田がなんといおうと、管長猊下は、本宗の相伝に則って、正本堂を大客殿の奥深く位置させることにより、正本堂を広布の時を待つ蔵、すなわち大御宝蔵の意味を持たせたかったのであろう。これが猊下の本意であったことは間違いない。しかし一方には池田大作の「猊下の御説法に基く」旨の、正本堂を御遺命の戒壇とする歪曲があり、管長はこれも黙認していた。管長はまさに両義を存していたのである。… 妙信講が正本堂の御供養に参加することを打ち出したのは、このような時であった。… 本門戒壇は本宗の重大教義である、我々信徒が軽々に論ずるのは恐れ多い、またこの根本教義に狂いを生ずることを猊下が断じてお許しになるはずがない… だが、妙信講が御供養参加を打ち出すと、連合会が騒ぎだした。させない。というのである。平沢益吉は「連合会に加わらぬ妙信講の供養な-どは宗門で受け付けるはずがない」と豪語していた」(「冨士」第181号 )
6月4日  創価学会、池田大作会長「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない。… 境智冥合しなさい。それ以外にないよ。私は信心の指導者だ。私しかいないよ」(『前進』6月号 )
6月22日  日韓基本条約締結、佐藤栄作内閣が大韓民国の朴正煕大統領との間で締結した。過去の日韓併合条約等は失効し、日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であると認めた。日本は無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を行い、以て賠償問題は終了した。
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催。「あと45世帯で四千達成」、6月度折伏成果50世帯。(「冨士」第24号 )
6月28日  創価学会、九州臨時幹部会。池田大作会長、参院選を前に「王仏冥合の指導者は私であります。創価学会の前進は宗教のための宗教の実践ではありません。あくまでも政治の源泉になり、社会革命の源泉になり、……これが真実の宗教のありかたです」と。
7月3日
 妙信講、男子幹部会開催。「「忍」の一字」
 浅井昭衛本部長「あの平家全盛の時代、源氏の再興を志した頼朝は十三歳より十八年間辛苦をなめたが、じっとんで時を待ち、三十一歳の時に再興を果したという。妙信講も本当の使命を果すまで「忍」の一字を帯して、うまずたゆまずの前進の中で力をつけていきたい」
7月4日  第7回参議院議員通常選挙、公明党 11人当選。
「昭和四十年の三重県での選挙違反事件では、多数の逮捕者から"手づる式"に候補者・小平芳平氏(元参議院議員)まで逮捕されかねない状況だった。この時は、竹入義勝氏(当時、公明党都議団長)、和泉覚氏(当時、参議院議員、参議院法務委員長)らが、検察や警察に圧力をかけまくり、何とか候補者への波及はくい止めた」(「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友 )
7月12日  創価学会、青年部最高幹部会。
 池田大作会長、「来年には衆院選挙が予想されるにあたり、今後10年先20年先のため、王仏冥合の根本的なあり方を、ここに強調しておきたい」、「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である。ともに日蓮大聖人の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である」、「創価学会を離れて公明党はありえない。されば創価学会と公明党は、永遠に一体不二であります」と。
7月 日  創価学会、池田大作会長。評論家・高瀬広居のインタビュー記事の発言。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
7月15日
 妙信講、研修部。「三大秘法禀承事」講義開始。
「待望久しい研修部会が、4ヶ月間の沈黙を破って、さる7月15日午後7時から本部で開催された」(「冨士」第24号 )
7月15日  創価学会、「聖教新聞」日刊化。
7月23日  東京都議会議員選挙、公明党 23名全員当選。
 元・都議会公明党幹事長、龍年光「もともと公明党の原点は都議会。東京都が宗教法人創価学会を認証した所轄庁だったため、創価学会は殊の外東京都を重視した。また、創価学会の選挙は戸別訪問が主体であり、警視庁が本気で捜査を開始したらひとたまりもない。(略)そこで、警視庁の予算と人事を審議する都議会を重視した」と後に暴露。
「昭和40年代から50年代にかけて、公明党は築地の料亭を警視庁幹部の接待場としており、手の空いている議員は、昼からそこに詰めていた。そうして得た警察情報や人脈を活用し、竹入委員長をはじめ、現在の都議会公明を牛耳る藤井富雄都議、大川清幸都議などが選挙の度ごとに全国の警察幹部を接待。創価学会・公明党の選挙活動に手心を加えてくれるよう依頼していた」
 また、「学会員に対する都営住宅や低利融資の斡旋、清掃事業をはじめ公共事業への学会系企業の参入など、都議会公明党は都議会での政治力を背景に、学会に対して有形無形の大きな利益を今までもたらしてきた」と。(「諸君」平成11年7月号)
7月25日  創価学会、本部幹部会、細井日達管長臨席。
 池田大作会長「広宣流布の時には、不開門が開きます。その時は、どういう儀式になるか … 後々のためにいっておかないと、狂いが生ずるから言うのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。… いいたくないことでありますが、将来のために、私はいっておきます。私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布いたしましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様にご報告することが、究極の広宣流布の暁のその意義なのであります。(大拍手)」(「聖教新聞」7月26日号 )
7月26日  創価学会、聖教新聞。第1面に『会長が "不開門" 開く 広布の大儀式楽しみに』の見出しで、本部幹部会の池田大作会長講演を掲載。
「そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行なわれるのです。それが創価学会の究極の目的の一つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意昧もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます」
7月28日
 妙信講、安田生命ホールに5百余名が結集し幹部大会開催。4千世帯突破、画期的な本部機構改革の本部通達が発表され、浅井昭衛企画室長が本部長(一万世帯達成推進本部長)に就任
 浅井昭衛本部長「新しい任務を命ぜられました今、ただ頭に浮ぶことは「死身弘法」の四文字だけであります。我々のいのちは露の如くはかないものである。六十年、七十年で消えてしまう。 営々と築いた富も名誉も権力もやがて夢の如く消えてしまう。…
 新しい出陣に際し、信心強き妙信講の皆さんと一体になって突き進んで行きたい。 船の機関室に在って石炭さえ真剣にほうり込めば船は前進する。あとは梶は先生が取って下さる。一万世帯達成までは唯「死身弘法」の四文字を以て本日より全講団結して先生の構想を実現して行こうではありませんか。(拍手)」(「冨士」第25号 )
7月31日
 妙信講、宗務院より3月8日付嘆願書に対する回答書受領。
「法華講連合会は宗制宗規に則った日蓮正宗法華講であり、而して法主上人が御認証せられた規約によって法華講の一本化による発展を期して運営せられている。従って連合会の活動と運営とは宗門の基本方針である。貴講中は、この宗門の基本方針たる連合会に当然加入して、その発展に協力せらるべきであるが、若し、あくまでも連合会への加入を拒むならば妙縁寺所属の一単独講中として運営すればよろしいと思ふ。以上。日蓮正宗総監 柿沼広澄」
 [解説 浅井昭衛]「連合会を"宗制宗規に則った団体"といっているのは真っ赤な偽りである。宗制宗規には『連合会』などの文言はどこにもない。しかし宗門の基本方針であることだけは間違いなかった。… "妙縁寺所属の一単独講中として運営すればよろしいと思ふ"とは、文面一見穏やかだが、これは糧食を断って死に至らしめる冷酷さが秘められているのである」(「冨士」第181号 )
8月1日
 宗門、法華講東北地区連合会第1回大会開催(仙台・仏眼寺)。
8月8日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭・昭衛本部長、嘆願書の宗務院回答の件で妙光寺に柿沼広澄総監を訪問。柿沼総監は両名を叱責し、後日「これで妙信講は空中分解」と。
 [解説 浅井昭衛]「何とか宗務院に事情を理解してもらおうと、松本尊能師と私達は柿沼総監を品川の妙光寺に尋ねた。だが、話し合いどころではなかった。総監は席に着くなり「法華経には五千の増上慢は席を立つと説かれているが、正本堂の御供養が始まるという今日、宗門の方針に従わないのは増上慢である」と形相を変えて罵声を浴びせるや、席を立ってしまった。… 柿沼総監はそのあとで、松本尊能師に電話を入れて云く「今や宗門は千五百万人である。四千の少数などにはかまっておれぬ、泣いて馬謖を斬ることに院議が一決したのだ」と。また平沢会長にもこの処置を伝え、「これで妙信講は一・二年以内に必ず空中分解する」と放言したものである。だがそれから三月後、この柿沼総監が満座の中で池田に罵倒され、いたたまれずに辞表を出しているのは何たる皮肉なことであろうか。… かくて昭和四十年より、妙信講の御登山の道は全く塞がれた」(「冨士」第181号 )
8月10日  あそか出版社、「政治と宗教 岐路に立つ創価学会」(笠原一男著)発刊。
8月22日  創価学会、サンパウロで第2回南米本部総会開催、4,000人参加。
9月1日  創価学会、大白蓮華9月号。池田大作会長、「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体でありますが、ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏具合をめざす私どもの同体異名の団体であります。… されば、永久に創価学会と公明党は、一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」
「いま、われわれの化儀の広宣流布、王仏冥合の実践をば、その方程式にあてはめてみるならば、学会員が日本の総人口の三分の一となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、つぎの三分の一となり、あとの三分の一は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」。
9月12日
 宗門、細井日達管長、正本堂御供養に関し『訓諭』。
「日達、此の正本堂に本門戒壇の大本尊を安置して、末法一切衆生の帰命依止、即身成仏の根源となさんと欲するなり。… 冀くは、本宗緇素、仏恩を深く思い、能く鑑みて蔵の宝に執著することなく大本尊に供養して、以て身の福運を安明に積まんことを」と。
9月12日
 宗門、院達を発布。「今般、管長猊下より、別紙の通り訓諭が発せられたので通達いたします。今回の正本堂建立は宗門僧俗にとって此の上ない誠に重大な事業であります。すなわち、訓諭に仰せ遊ばされてあるように、本門戒壇の大本尊を奉安申しあげる清浄無比の大殿堂であり、このことは、大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於て成就されることなのであります。此の千載一遇の秋に当り、宗内各位には、訓諭の御意を体し、総講頭発願のもと打って一丸となり、その浄財を尽して深信の御供養を下種三宝の御宝前に捧げ、以て未曾有の鴻業達成を期されんことを願います」と。
9月20日  創価学会、池田大作会長。「戸田先生も我々も、一時『国立戒壇建立』といってきました。どこを捜しても御書には『国立戒壇建立』ということばは無いのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしやったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と云いますが、私は何をいうかと云いたい。そんなことは御書にはありません。彼等はなにもその本義を知らないのです。猊下が正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。……私ども創価学会員ならびに日蓮正宗信徒の真心の結集によって本門の戒壇堂はもうできてしまうのです。安保間題のある一番大事な年である昭和45年にできるのです」と。
9月22日
 妙信講、「冨士」第26号、青年部班長の「確信」を掲載。
「先生は常に云われる、『お山を守る、御法主上人猊下に御奉公する講中になるのだ。お山の姿によって、日本国の姿が決まるのだ』と。先生の御法主上人猊下に対する絶対の忠誠心を我等はとくと学ぶべきである。この中にこそ真実の師弟相対の姿があるではないか。
 私はこの純粋にして気骨ある講中を誇りに思う。純粋なるが故に難に遇い、気骨ある故に難に屈せぬ講中を。忍の一字で大聖人様の御金言に寸分も違わぬ仏道修行を、広宣流布の暁迄黙々と続ける講中を。だが妙信講は惰眠をむさぼる講中ではない。師子吼せねばならぬ時は敢然として立つのである。開目抄に曰く「睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ」と。愈々妙信講の使命をかけた一万への戦いが始ったのだ」( 男子部第三隊班長 高岡真佐雄 )
(※ 「お山の姿によって、日本国の姿が決まる」「お山の姿を見れば、日本国の姿が判る」、こうした言葉を小生もよく耳にした。櫻川 忠 )
9月23日  創価学会、少年部結成。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催。「正本堂の御供養は真心で」、9月度折伏成果 43世帯。(「冨士」第26号 )
10月2~3日
 妙信講、音羽の本部にて正本堂御供養受付。
 [解説 浅井昭衛]「御供養の期日は、僧侶が十月五日、信徒が九日から十二日までの四日間と宗門で定められていた。御供養の期日が近ずくにつれ、平沢の言葉がなんとなく現実味を帯びてきた。… 九月に入ってから、改めて松本尊能師に御相談した。尊能師は柿沼総監を尋ねて下さった。総監は一ヶ月前の妙信講に対する面罵を内心疾しく思ったのであろうか、好意的であったとのことである。そして猊下にこの事を取り次いでくれた。 その結果、妙信講の名儀では差しさわりがあるが、松本住職の供養として出すなら受け取るということが伝えられた。もとより妙信講の名儀などどうでもよい、猊下が受け取って下さればよいのである。 松本尊能師も喜ばれ「猊下からお許しが出た以上、力いっぱい御供養するように、僧侶の供養日は十月五日であるから、それ以前に集めてほしい」と云われた。 直ちに緊急支部長会が開かれた。そして、妙信講の御供養日を十月二・三日の両日と定め、全講中に通達した。全講員はただ信心の赤誠で浄財を貯えた。ある婦人は妊娠中にもかかわらず、飲むべき牛乳を毎日節約して御供養に廻したとも伝え聞いた。かくて十月二・三日の両日、本部で御供を受け付けたが、涙ぐましい光景であふれた」(「冨士」第181号 )
10月5日
 妙信講、正本堂御供養金を松本日仁師に託す。
 [解説 浅井昭衛]「十月五日、全講員の赤誠を、父と私と佐藤新太郎財務部長の三人で松本尊能師のもとにお届けした。尊能師は感激を色に表わし、「確かに猊下にお納めする」と、預り証一通を下さった。私達はホッとした。これで事なく御供養は済んだと......。だが、事件はそれから起きたのである」(「冨士」第181号 )
10月7日
 宗門、早瀬道応庶務部長。妙信講の「正本堂御供養」受取拒否を、松本日仁指導教師に通知。
 [解説 浅井昭衛]「二日後の十月七日、松本尊能師から電話があった。柿沼総監の意向とて、至急供養者名簿を提出せられたしとのことであった。直ちに父と私は名簿をたずさえて妙縁寺に飛んだ。尊能師は「猊下が、妙信講の御供養に関心をお示しらしい」とニコニコしておられた。その時、早瀬庶務部長(現総監)から尊能師に電話が入った、やがて受話器を置いた尊能師の顔からは血の気が引いていた。庶務部長は「猊下には松本の御供養の中に妙信講の金が入っていることを知り、これを突き返すと仰せられた。まもなくそちらに返送されるであろう」と云ったとのことである。 そして私達が妙縁寺にいるうちに、御供養の全額は尊能師のもとに返送されてきた。尊能師はあわてて柿沼総監に電話された。総監は「猊下は確かに受け取ると約束されたのだから、何かの間違いである。再び本山に送るように」と云った。指示に従って御供養は再び本山に送られた。だがまたしても返送されてきたのである。 ここに至って、松本尊能師は真意を確めるべく本山に電話をされた。応対に出たのは内事部の早瀬義孔理事であった。彼は「平沢会長を"信仰の確信もなき指導者"というような講中からは供養を受け取れない、これは猊下の御意である」と突っぱねた。奈落の底に突き落されたとはこの時の心境であった。今になってこの言は何たることであろうか、それならば、何ゆえ柿沼総監に約束せられたのであろうか、まさに騙討ちにも似た所行、信者の赤誠を嬲ものにした残酷非情の処置であった。しかし奥歯をかみしめて耐える以外にはなかった。 この時、講員のことだけが頭に浮かんだ。この御供養にこめた講員の真心を思えば、どうして今さら「突き返された」などと残酷なことがいえよう。もし云えば、どれほど悲しむであろうか、どれほど憤ることであろうか。また説明のしようもなかった。背後に誰がいるにせよ、突き返した直接の当事者は尊き御方である。これを知れば講員の信心にも影響しようと慮った」(「冨士」第181号 )
10月9~12日  創価学会、10月12日までの4日間、正本堂御供養金を全国1万6千ヶ所で受付、355億円を集める。これに先だって、メーンバンクの三菱銀行 水色の貯金箱・5百万個を配布。このご供養は一部が正本堂に使われたが、学会の会館、研修所その他に使われ、不法な使い方として、内部からご供養返還訴訟を起こされる。尚、海外信徒から集めたご供養は公表せず、そのまま創価学会が使った。
 山崎正友元顧問弁護士の告発によれば、『第27回本部総会で、「正本堂建立寄進」を発表した当初の計画では、昭和40年10月9日から12日までの4日間で30億円を集める、というものであった。(略)日達上人が、「正本堂建立は、実質的に戒壇建立と同じ意義を持つ」と述べられたことから、募金活動は過熱化していった。集まった金額は...目標の11倍余に及ぶ巨額に達し、世間に衝撃を与えた。(略)ただし、渡されたのは"目録"のみであり、金は、創価学会の銀行口座に入ったままであった」、
「もうこれが最後の御供養です。逃したら二度とチャンスはない」、「この御供養に参加したら福運がつき子や孫の代はおろか、生まれかわるたびに金持ちになれる」等、ありとあらゆる意義づけで、御供養への参加がしつようにくりかえされた。(略)学会員は、生命保険を解約し、老後のためのなけなしの預金をとりくずし、結婚資金や毎日の食費をけずって「御供養金」をつくり出した。(略)要するに、"あとさきを考えず"あらんかぎりの方法で会員からしぼりあげた結果が350億円という途方もない金額となったのであり、その後遺症は後々まで社会問題となった(『池田大作 日本経済乗っ取りの野望』山崎正友 )
10月12日
 妙信講、返送された妙信講の正本堂御供養金は、財務部長佐藤新太郎預かりとされた。
 [解説 浅井昭衛]「松本尊能師は柿沼総監に事後の処置を相談された。総監は「二・三年もすれば、受け取れるようにもなろうから、それまで講中で保管したら」と云ってくれた。その結果、妙信講の名儀で協和銀行神楽坂支店に定期預金し、佐藤新太郎財務部長がこれを管理することになった。時に昭和四十年十月十二日であった。
 今後、恐らく連合会は鬼の首でも取ったように、定めて"猊下に突き返された講中"と喧伝するであろう、それを聞いた講員は不審して尋ねるであろう。しかし私は一言も説明するつもりはなかった。ただ「浅井を信じてくれ」の一語で押し通す所存であった。信じられねばそれまで、と肚を決め切っていた。しかし、すでに風雪に鍛えられた妙信講の団結は堅かった。噂を耳にしても誰一人として講中を疑い、下らぬことを尋ねる者もなかった。云わず語らずのうちに、こちらの苦衷がわかっていたのであろうか。
 さて、この御供養金の顛末であるが、三年五ヶ月のち、どうしたことか、管長猊下が「受け取る」との意向を伝えられた」(「冨士」第181号 )
10月12日  創価学会、池田大作会長執筆の小説『人間革命』第1巻を発刊。
10月16日  創価学会、「理事会メモ」
「正本堂御供養は、創価学会が天下を盗る瑞相である」「学会は家来ではない。旧信徒が家来になってきた」「学会は僧侶の家来ではない」
10月17日  創価学会、10月度本部幹部会。池田大作会長、細井日達管長に正本堂御供養金全額、355億36万4309円を奉呈。
 細井日達管長「ただいまお聞きのとおり、だれも想像しなかったほどの多額の御供養をお受けいたしました。広宣流布達成のための、大折伏の大将である池田会長が、… 戒壇の大御本尊様安置の正本堂建立を発願せられ、学会の皆さんに建立御供養を発願せられて、この立派なる成果となったのでございます。… この全額を、私の依頼をもって正本堂建立ならびに広宣流布達成のための事業設備等に使用していただくために、池田委員長に委任したいと思います」
「池田大作は、… 一年間かけてありとあらゆる方法を用いて会員を煽り続けた結果、… 三百五十億円余の当時としては空前絶後の金額を集めることに成功した。この巨額の集金の裏には、学会員たちからの異常なまでの金集めが行なわれたことは、いうまでもない。学会員たちは、生命保険を解約、一家の貯金を下ろし、子供の貯金箱の金まで拠出させられた。家財道具や商売のための道具まで売り払い、タンスの中はカラになった。このような超過酷な収奪は、その後に数々の家庭不和や夜逃げ、倒産、自殺などの悲劇を生んだが、池田大作も創価学会も、"本人の信心が足りないからだ" と突き放し、知らん顔であった。…
 一方、この時の正本堂建立御供養に、宗門および法華講でも精いっぱい参加したが、その額は四億円余であり、この三百五十億対四億という創価学会と宗門側との落差はあまりにも大きかった。この、正本堂建立御供養を境に、力関係では創価学会が決定的に宗門より優位に立つことになった。数で圧倒し金力で圧倒し、本山も末寺も、財政上も運営上も創価学会の支えなくしてはやっていけない状態に追い込んでいった。そして、本山の運営も、末寺の運営や役員人事も、信者の九十九%を占める創価学会具に、すべて左右されることになった」(「あの頃のこと」第二十二回 山崎正友「慧妙」第230号 )
「こうなることは初めから池田の読みだったのである。だから、建築費を支払うまでの金利は全部自分のものとなった。それだけではない。建築費そのものにも疑義がある。… しかも業者への支払いは、5年から10年の手形だった。『利息だけで作れたはずだ』という声があがるのも当然」(『月刊ペン』室生忠 昭和51年4月号 )
10月23日  創価学会、フランクフルト、ニュルンベルクに支部結成。
10月25日
 妙信講、10月度総幹部会開催。「獅子王の斗いで断固勝利」、10月度折伏成果 53世帯。(「冨士」第27号 )
10月 日  産経新聞、石原慎太郎議員の新興宗教論、『巷の神々』を連載。
「しかし、また、いついかなる時もひずみに満ちた人間の世界が、果して政治を手段として採択した『宗教』によって実際に是正されることがあり得るだろうか。… この大きな実験が、果してこの先、どの段階まで成しとげられ、人間に何をもたらすか、新しい希望か、新しいひずみか、或いはまた新しい絶望か、甚だ興味深い」(「巷の神々」石原慎太郎 )
 池田大作会長、石原慎太郎議員と接触。「池田氏が石原氏に『一緒に天下を取りましょう』と何とも嫌らしいおべんちゃらを言ったことがあったんです。しかしそれに対して石原氏は話を合わせることをせず、嫌悪感を露骨に示した。それからだったと思います。池田氏が石原氏を『悪党』と罵るようになったのは」(「諸君」創価学会古参幹部 平成11年7月号 )
11月10日
 宗門、第2回正本堂建設委員会(品川、妙光寺)。355億円に驕る池田大作会長、猊下と総講頭の席次の同列化を要求し、会議の準備に当たった柿沼広澄総監を面罵。
「池田大作会長は、日達上人と、立派な正本堂の寄進者である自分の席が同等でないことに怒り、会議の準備に当たった柿沼広澄総監を面罵し、結局このツルの一声で委員会は流会になってしまった。日達上人がわざわざ富士宮から出てきたのに、である」(『週刊文春』、昭和51年9月1日号)
「総監といえば、宗門で管長につぐ地位である。池田の態度は驕慢の極みといえよう。本山から日達上人も出席したというのに、会議は流会になった。そんな池田に、ごうごうたる非難がまきおこるのが当然である。ところが宗門からは声ひとつあがらなかった。それどころか、柿沼は責任をとって辞職した。さらに宗門では、臨時の宗会(国会に当たる)を開いて、池田への待遇を定めた。… こんなことが度重なれば、池田が天井しらずにノボセ上がるのは当然だろう。戒める立場の者が、拱手傍観どころか阿諛迎合したのである」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
「池田大作は、そのまま会場から席を蹴って出ていった。委員会は、自動的に流会となった。… 柿沼総監は5日後、「宗門のためになるなら、いくらでも泣く。いくらでも折れる」と、悔しさを周囲に漏らし、引責辞任した」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
11月15日
 宗門、柿沼広澄師は総監を辞任、渡辺日容師が総監に就任。
11月17日
 宗門、第71回臨時宗会開催。柿沼広澄師、富士学林長就任。
11月19日
 宗門、「宗務院通達」第980号。『宗内一般』宛に、『法華講総講頭の待遇について』と題して指示。
 「法華講総講頭は、仏法守護の総領として僧俗挙って尊敬すること、たとえば、
 ①法要の席は、特に設け
 ②行列の場合は、仏法守護のため先陣をなし
 ③法要以外の席は、猊下に並び
 ④末寺へ来寺の通知があった場合は、住職は出迎え
 ⑤その他の場合もこれに準じて尊敬のまことをつくして待遇すること」(『大日蓮』昭和41年1月号 )
「さらにこの徹底のため、総本山の費用負担で末寺の僧侶を本山に呼び指導」(『週刊文春』昭和52年9月1日号 )
11月23日
 妙信講、浅井昭衛本部長、今月の指針「なぜ教学が必要か」
「妙信講は再建以来 孜孜としてたゆむ事なく教学への苦悩を持ち続けて来た。それは求道の辛労であり、真剣勝負の気魄であった。唯々大聖人様の教えをそのままに学ばせて頂こう、余計なものを附け加えず、大事な事を削り取らず、御書のままに学んで、将来真に御奉公し得る講中になって行こう、その念願以外はない。これが一貫して先生のお考えである。この12月を迎えて妙信講員たる者一人残らず教学に励み、深き信心を確立して広布の斗士として立たん事を切に願うものである。十一月廿三日」(「冨士」第28号 )
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催。「五千世帯の法城建設に前進」
「注目の11月度総幹部会は、さる11月25(木)午後7時から、茗荷谷の拓大三階教室で行なわれた。席上、総仕上げの法戦で81世帯の本尊流布が成り、妙信講の総世帯数は4千2百世帯を突破、見事に黎明の年をしめくくった。更に、浅井本部長より明年度の指針が「41年に五千世帯の法城完遂」と打出された。会場いつぱいにつめかけた全幹部は、この浅井本部長の斗争方針にこたえ、講頭先生の力強い指導に奮い立ち、歓喜勇躍して新年度への第一 歩をふみ出した」(「冨士」第29号 )
11月28日
 妙信講、御大会式盛大に厳修。妙縁寺に1千余名の講員が参集。
12月8日  創価学会、創価学会教学部(編集) 「仏教哲学大辞典 第二巻」 発刊。
12月10~13日
 妙信講、教学講習会開催(拓殖大学)。三日間で、8百余名が参加。
12月19日
 妙信講、研修部。昇格・登用試験実施(拓殖大学)。
12月 日  創価学会、「大蔵商事」を金融・不動産関係会社「大道商事」とする。
12月 日  創価学会、「創価学会フランス」をパリに設立。
「日本人医師や元三菱フランスの社員であるフランス人を中心に勢力を伸ばし、60年代末で信者は千人ほど。90年代には8八千人ほどに増えた。… 88年、エソンヌ県の地元紙が『創価学会が三菱商事の仲介で超機密の軍事施設、原子力実験場から数百メートルにある城を買おうとしている』と報道。このことから、『創価学会は、フランスの原子力施設をスパイしようとしているのではないか?』、そんな疑惑が持ち上がったのである。これをきっかけに、仏公安当局も調査を開始、ル・モンド紙など全国紙もこの疑惑に目を向けるようになった」(「週刊文春」1995年10月19日号 )
12月 日  創価学会、585万世帯。
 

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