迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 妙信講、「大諌暁の年」。男子青年部、創価学会本部前で抗議行動。
 松本日仁師、新年の挨拶。「かえりみますれば、昨年巳来からの法廷斗争も、其の後、講頭先生の御尽力御指導に依り、愈々順調に進み、本年中には其の所期の目的を完遂する事が出来得るものと確信致します。但し、愈々というその最後の段階になりますと、また第六天の魔王のはたらきに依って、如何なる予期しない大事件が勃発しないとも限りません。
 然しどのような大事件が突発致しましても、皆様は皆様のすべての行動が私事でなく、終始一貫、何等一点の野心あっての行動でもなく、勿論名利名聞の為でもなく、ただただ御遺命守護の一点に其の目的があるのでありますから、いざと云うそのどたん場に直面致しますれば、必ずや宗祖大聖人様の偉大なる御守護が厳然と現われて、所期の目的を必ず貫徹する事が出来得るものと確信いたします」
 八木直道師、「そもそも「公式決定」なるものこそ大聖人の根本教義を否定し、先師上人に師敵対するものであります。私はただ日蓮正宗の僧侶として、御遺命守護に不惜身命の修行をしておられる純信の徒の招きに応じ、先師上人の御指南を依拠として妙信講の信心の正しさを賞賛しただけであります。「公式決定」なるものが、管長の本意でない事は、すでに妙信講の諫暁の経緯からも明瞭であります。この事は、管長の「国立戒壇を心で思うのはよいが活字にはしないように」とのメモによっても明らかであります。…
 私はいささかも大聖人の御遺命・先師上人の御指南に異説を唱えたものではありません。だが「公式決定」に違背したと云うなら、国立戒壇を唱えた歴代上人はすべて違背であります」(「冨士」第149号 )
1月3日
 妙信講、男子青年部。総本山大石寺にて抗議行動。
 創価学会、牙城会員百余名、路上で待ち伏せて襲撃し、妙信講の広報車2台を破壊。
(※ 「牙城会」は、創価学会会館の自主警備組織。委員長、副委員長、警備長、言論企画部長、運営委員、部長などの役職を有する )
1月4日
 宗門、細井日達管長「戒壇にこだわるのは本当の信心が足りない」と。(「大日蓮」2月号 )
1月5日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「昨年、公開御伺書にも公場対決状にも寂して声なく、ついに攻守所を変えた。悪が追いつめられ犯罪行為に及んでいるが、暴力で正義の叫びを止め得ない。信心で大諫暁の年を驀進しよう」
1月6日
 宗門、細井日達管長「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」と。(「大日蓮」2月号 )
1月6日
 妙信講、男子青年部。創価学会教育部総会(日比谷公会堂) で抗議行動。
1月17日
 妙信講、牙城会の暴力行為を富士宮署に告訴。
1月21日
 妙信講、男子青年部。総本山大石寺にて、定期的な抗議行動開始。
2月1日  創価学会、「大白蓮華」2月号発行。僧侶寺族初登山における、細井日達管長の「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」を掲載。妙信講の疑義への反論。 
2月1日
 妙信講、男子青年部。創価学会青年部結成二十五周年記念総会(日大講堂)で、抗議行動。
2月3日
 妙信講、男子部幹部会開催。浅井昭衛講頭「今日の創価学会は末期の幕府、懺悔なくば崩壊は歴史的必然」と。
2月5日  「月刊ペン」、3月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会 四重五重の大罪を犯す創価学会」
「俗界にも珍しいほどの女性関係をとり結ぶ、日蓮大聖人の生まれかわり(!)、末法の本仏(!)といわれる『池田本仏』が、煩悩に満ちた現実の人生から理想の人生への変革を説く、清浄にして神聖な仏教を語り指導する資格は、絶対にない」( 「同誌」隈部大蔵 )
「戸田城聖が情婦の柏原ヤスを参議院議員にしたように、池田大作も、情婦を国会議員にしている。渡部通子と多田時子である。… その他、池田大作のお手付け女性は数知れず、いずれも、やせがたで、プロポーションが良く、インテリ風のタイプである」( 「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
2月6日
 妙信講、正本堂の西側に大広告塔設置。「御遺命に背く正本堂から早く大御本尊を奉安殿へ」と大書。
2月15日
 妙信講、教学部。「三大秘法禀承事」講義開始。
2月16日
 宗務院、阿部信雄教学部長。「本門事の戒壇の本義」を発表、細井日達管長の緒言付き。(「大日蓮」3月号 )
2月16日
 妙信講、御生誕報恩勤行会奉修。
 浅井昭衛講頭「産湯相承には「日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり、実名をば大日蓮華山というなり。我中道を修行するゆえに、かくの如く国をば日本と云い、神をば日神と申し、仏の童名をば日種太子と申し、予が童名をば善日、仮名は是生、実名は即ち日蓮なり」と仰せであります。
 仏法に三妙合論ということがあります。本因妙・本果妙・本国土妙の三つです。下種仏法の本果妙は日蓮大聖人、本因妙は日興上人、本国土妙は富士山です。富士山が三大秘法の住処であることが、母君の霊夢にすでに表われているのです。大聖人様がこの富士山に国立戒壇を建立することを御遺命されたこと、実に符節を合せるごとくであります。この富士山に広宣流布の暁、大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊を一国の総意を以って御奉安申し上げ、上一人より下万民に至るまで声をつるべて南無妙法蓮華経と唱え奉るこそ大聖人の御本願であります」(「冨士」第151号 )
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島公会堂)。2月度折伏成果 388世帯、総世帯数は 1万5千世帯を突破。
3月1日  創価学会、「大白蓮華」3月号発行。原田稔学生部長、「師弟の道は創価学会の血脈」と。
3月5日  「月刊ペン」、4月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会」
「極悪の大罪犯す創価学会の実相」「戸田・大本仏に勝とも劣らない漁色家・隠し財産家『池田大作・本仏』」を掲載。( 「同誌」隈部大蔵 )
3月 日  創価学会、池田大作会長。熱海研修所に山崎正友を呼び、月刊ペン対策を促す。
「秋谷副会長が、言いにくそうに話しはじめた。『その件は、警視庁や検察庁を政治的な力で動かさなくてはならないから、党(公明党)の首脳とも話し合ったんだが、検察や警察に顔のきく大物弁護士を使って告訴しようと、打ち合わせ中だ。矢野君(元委員長、当時書記長)が、江(江田三郎)・公・民の打ち合わせで知り合った、伊達秋雄・小谷野三郎という弁護士を起用しようと考えているんだ』」 (「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
3月18日
 八木直道師、創価学会弁護団の和解案を拒絶。
3月21日
 妙信講、教学部。二級昇格試験実施。(本部会館)
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催 (豊島公会堂)。
 浅井昭衛講頭「学会がどのように宗門を制圧し、何の目的で国立戒壇を抹殺して今日に至ったか、必 ず法廷で明白になる」
3月 日  創価学会、この春 公職に就いた創価学会員。
 弁護士 33名、検事 18名、判事 3名、司法研修生 16名、国家公務員上級 36名、外交官上級 9名、中級 8名、語学研修 18名。
4月1日  創価学会、宗門発表の「本門事の戒壇の本義」を掲載。(「大白蓮華」4月号 )
4月5日  「月刊ペン」、5月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会」
「学会を滅ぼす池田本仏のスキャンダル」「根源の悪『人間革命』を火中に投げ込め」「人間・日蓮の裸像」を掲載。( 「同誌」隈部大蔵 )
4月12日  創価学会、代表役員 北條浩。名誉毀損事件として隈部大蔵と月刊ペン社社長 原田倉治の告訴状を警視庁に提出。
「隈部氏を告訴するに当っては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、竜年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが法務省幹部、検察幹部、警視庁幹部と、めんみつな打合せをしました。衆、参両院議院法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスチングボードをにぎる与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります」(「山崎上申書」81年1月 )
4月16日  創価学会、墓苑事業第一号、北海道の「戸田記念墓地公園」完成。
 池田大作会長、羊ヶ丘会館(北海道)にて「墓苑60億円、公園で180億円、土地代4億円、200~200億円ぐらいだな。正本堂御供養一回分だな。御供養返還だ(笑い)」
4月20日
 妙信講、教学部。二級昇格試験に 5名が合格。
4月22日
 妙信講、浅井昭衛講頭。宗務院 阿部教学部長に対し、公開討論申し入れ書を送付。(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
4月24日  創価学会、多田時子 渡部通子。警視庁に名誉毀損事件として、隈部大蔵の告訴状を提出。
4月26日
 宗門、阿部教学部長。公開討論申し入れ書を返送、三度対論 を拒否。
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島公会堂)、4月度折伏成果 542世帯。
4月30日  警視庁捜査四課(暴力団担当)、月刊ペン社 原田社長、隈部大蔵宅を家宅捜索。
4月30日  文化庁宗務課、創価大学を訪問。
「文化庁宗務課の件」(創価学会内部文書)
「先方 宗務課長 山本研一、専門職員 洗建、同 竹村牧男。当方山崎(尚見・副会長)、岡安(博司・副会長、創価大学事務局長)、鈴木(啄郎・創価学会広報室長)〔挨拶 高松(和男・創価大学学長)、唐沢(照男・創価大学理事長 )」
「松本裁判(元民音の職員・松本勝弥氏がご供養金の返還を創価学会に請求した)については、宗務課として全面的に当方立場を支持、各宗教界にも事の重要性を訴えたいと共鳴しておりました」(「宗教の火遊び」溝口敦 )
(※ 宗教法人法を所轄する文化庁宗務課と巨大教団が癒着 )
5月1日  創価学会、「大白蓮華」5月号、表紙に「新入会の皆さんに」と。
 巻頭言(北条浩)、「会長就任16周年のよき日。ああ16年、何という重みであろうか。牧口先生は御書を身を以て読まれた。そして戸田先生は、獄中の悟達を以てこれに答えられた。師弟久遠のちぎりは、かくして創価学会の永遠の原点としてつきせぬ泉となっているのである」
5月 日  創価学会、聖教新聞社から『創価学会年表』を発刊。76年5月までの事項を収録。
5月3日  創価学会、5・3の記念行事。
 北條理事長、「久遠の誓いも固く……」
 野崎男子部長、「我らは久遠の師たる池田会長にどこまでもお仕えし、今後広布の前途にどのような事態が起ころうとも、いかなる烈風が吹こうとも、勇敢に無疑曰信の信に立ち、永代にわたって、師の振る舞いを伝えきって参ります」と。(「聖教新聞」5月4日号 )
5月9日  創価学会、富士宮市天母山自然公園を完成し、同市に寄贈。
5月21日  警視庁捜査四課、隈部大蔵を警視庁に出頭させ、取調べののち名誉毀損の容疑で逮捕。6月14日までの25日間、長期拘留。
「告訴に当っての条件は、隈部大蔵氏を即刻逮捕すること、及び池田大作氏を法廷に証人として立たせないよう配慮することの二つでありました。警察としてはこの要求に充分にこたえました」(「81年1月 山崎上申書」)」
5月 日  創価学会、創価学会万代路線を提唱。
「およそ2年がかりで、やっと日蓮正宗と創価学会の関係は一応修復されたが、お互い強いしこりは残したままだった。創価学会が、懸案事項をほとんど解決し、上昇気流に乗ったのをチャンスと見て、池田大作は『後顧の憂い』を一気に取り除くため、日蓮正宗に対する『徹底的な攻撃』に乗り出した」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
5月23日
 妙信講、第8回総会開催 (渋谷公会堂)、「七百年御遠忌までに五万世帯達成、戒壇の御本尊誹謗の仏敵を粉砕」
 松本日仁師「一昨年の八月十二日には宗務当局から妙信講に対して、国立戒壇を主張するがゆえに解散の命令が下され、妙信講に同調したという理由から、八木直道御尊師と私に対して宗門擯斥という処分が行われました。… 私利私欲のため名聞名利のためではなく、ただ宗祖大聖人の末流として、宗開両祖並びに歴代先師の御教えに従って人のため国のために斗っているのですから、少しも恥づるところはありません。私も八十五歳の老齢ではありますが、いのちのあらんかぎり一層頑張ってまいりたいと思っております」
 八木直道師「妙信講はこの御遺誡を体し大仏法の壊らるるを黙止し得ず、正法護持・令法久住のため身を捨ててこれを諫め正義を叫んだために、理不尽にも講中解散という死罪に等しき宗門史上にかってなき暴挙の断罪に処せられた。だがこれに屈せず、敢然と師子王の心を以って御遺命守護に講頭先生のもと講員異体同心一丸となり、折伏に法廷斗争に諫暁運動に捨身で邁進しております。この浄行の前途はきわめて明るく、光明の兆(きざし)また明瞭であります」
 浅井昭衛講頭「いまの学会と宗務当局の関係は、醜い利権の癒着でありますが、妙信講と二人の御僧侶の団結は、法を守るための捨身の異体同心であります。… いま事の広宣流布の前夜、いかなる弾圧にも屈せず、身も財も抛ってただ大聖人への御奉公のために立つ異体同心の僧侶と講中が正系門家の中にあるということは、まさしく日蓮正宗が御在世の信心に還るの魁、国立戒壇建立の先序でもある、と私は確信しておりますがいかがでございましょうか (大拍手)。…
 私はいまでも覚えております。今から七年前、あの謗法同座の聖人展を諫めた時、宗務当局は聞き入れない。そこで前総監柿沼広澄尊師を妙光寺に訪ねました。そして「一日も早く聖人展を中止するよう、宗務当局に妙信講の意のあるところを伝えてほしい」と前総監に頼みました。その時、一部始終を黙って聞いていた柿沼前総監が、しみじみと最後に一言云われた。「ああ日蓮正宗はありがたい。われわれ僧侶が一言も云えない時は、御信者の方がこうして直言して下さる。これが本宗のありがたいところである。この妙信講の諫めを大聖人の声と思わなければ宗門は大変なことになる」と。…
 さて近頃、私は憤りに堪えないことがある。それは、一般社会に戒壇の御本尊を侮る風潮が瀰漫しておるということでございます。あの学会を退転した松本勝弥などという男は云うも恐れ多し、戒壇の御本尊を誹謗して下劣極まる裁判まで起こしているということであります。しかもこれをタネに、週刊誌までがあちらこちらで、戒壇の御本尊様を写真に掲げて侮っている。私はああいうのを見ると、腸(はらわた)が煮えくりかえるのであります。まさしくこれらは、正系門家が御遺命を曲げ、謗法に対して惰弱になっている、この隙を見て魔が跳梁跋扈している姿でなくて何でありましょうか。… 不思議なことに、近頃の大御本尊怨嫉の風潮を見るに、これらの仏敵はことごとく保田妙本寺の万年救護の本尊をたたえて、本宗の戒壇の御本尊を誹謗している。…
 まさしく七十年代は末法濁悪の入り口、八十年代こそ、その直中でありましょう。そして御入滅七百年の昭和56年はこの八十年代の初めであります。… しかも八十年代の半ば、すなわち今から十年後の昭和61年には、巨大なるハレー彗星が出現する。彗星というのは、世間でも云われておりますが、ことに仏法の上においては吉凶ともに変動の前兆とされております。…
 されば、ここにその昭和56年を見つめて、私は全妙信講の皆様に提案をしたい。すでに今、大聖人御遺命の国立戒壇を叫び、一国の謗法を責め得る講中は、妙信講以外にはない。そして、今後、内外にいかなる情勢出来するとも、この妙信講が正しい力を持って大聖人様に御奉公しなければならない。よって、御入滅七百年の昭和56年までに、妙信講は五万世帯の折伏を達成し、熱原のごとき鉄石の大法華講を作り上げ、来るべき仏法上の御奉公に備えようと私は堅く決意しておりまするが、皆様いかがでございましょうか (大拍手)。」
5月27日
 宗門、寺族同心会(総本山)。
 細井日達管長「未だに、妙信講の事について、妙信講の方が正しいんだなんていうような僧侶があるかのようにこの間聞きまして、誠に残念に思っております。… 明治の時代に、あるいは大正の時代に、そういう取り方をした時があったけれども、それは本宗において、現在はそういう取り方をしないんだ、という事をはっきり方針を建てて布教をして来ておるのであります。
 それを未だに一、二の人がそういう事をいって、妙信講が正しいんだなどと、口走って若い者を指導しておる。若者を唆しておるという事を聞いて誠に残念であります。もし、そういう人に気が付いたならば、どうかそういう事をやめて、宗門は宗門として、一致して一つの方針で布教して行かなきゃならないという事を説得をお願いする次第でございます」(「大日蓮」7月号 )
6月1日
 妙信講、五万達成めざし組織充実。新理事に星春雄、本部幹事に木内哲三 就任。
6月11日
 妙信講、創価学会弁護団の手先として、講中潜入の沢崎和雄を除名。
6月 日  講談社、「現代」7月号。内藤國夫の「公明党=創価学会七つのウソ」を掲載。
6月8日  創価学会、池田大作会長。警視庁に名誉毀損事件として、隈部大蔵の告訴状を提出。
「被害者である池田先生が告訴しないのはなぜか、と誰もが不審に思うでしょう。警察は、それでも創価学会に対する義理から、強い要望に応じて告訴を受理し、隈部を逮捕してくれたのです」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
6月11日  東京地方検察庁、隈部大蔵を名誉毀損罪で起訴。
6月19日  東宝映像・シナノ企画共同製作、東宝配給の映画『続・人間革命』公開。
6月19日  創価学会、「日蓮正宗懲罰委員会」発足。委員長に秋谷栄之助、副委員長に野崎勲が就任。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島公会堂)。広島支部を発展的に解消。高知支部・大牟田支部を新たに結成。支部長には寺田浩三・藤木国義が任命さる。
7月2日
 妙信講、武田満男元広島支部長を、退転反逆したとして除名処分。
7月16日
 妙信講、「冨士」巻頭言「つたなき者は約束を忘る」
 浅井昭衛講頭「宗門においては七百年、歴代の御法主上人は一筋にこの御遺命を説かれ、宗門僧俗でこの御遺命実現に不惜身命の決意を誓わぬ者はなかった。しかるに、ひとたび世間の批判がおきるや、池田大作ならびに宗務当局者はたちまちに肝を消し、この大事の御遺命を抛った。この変節・この無道心、まさしく開目抄の「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」の仰せのままである。
 しかも己れの非を隠さんとして、必死に御遺命を守り奉る妙信講を断罪に処し、二人の道念の御僧侶を追放した。このような大悪がいつまで続こうか。宗祖大聖人は憤り給い、諸天はようやく動き出した。歪曲者よ! 崩壊の地鳴りが聞えぬか。御遺命を曲げた卑劣のいきさつも今秋にはすべて明白となる。所詮、大聖人に背き奉っていつまでの栄えがある。御裁断の日は刻々と迫っているのである」(「冨士」第155号 )
7月27日
 宗門、法華講連合会第13回総会開催。
 細井日達管長「"国立戒壇" "国立戒壇"と、九官鳥のごとく叫んでも広宣流布は出来ない」 (「大日蓮」9月号 )
7月28日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)、7月度折伏成果 654世帯。「八月は妙信講の歴史の原点」
7月29日  公明党、竹入義勝委員長。長男の東海大学医学部不正入学が発覚。
8月17日  創価学会、弁護士 桐ヶ谷・若旅ら12人、51年1月3日の広報車襲撃事件で書類送検さる。
8月18日
 宗門、富士学林行学講習会開催。
 細井日達管長、「高野山に行って何が悪い、キリスト教神父を正本堂の完工式に招いて何が悪い」(「大日蓮」10月号 )
8月20日
 妙信講、「妙信講の歴史と使命」特別講習会開催。1千6百余名が豊島公会堂に参集。
8月22日  創価学会、牙城会員。妙信講 本部会館外壁をよじのぼり、電源装置の破壊を企てる。
8月26日
 宗門、教師講習会。細井日達管長、「妙信講との裁判は一歩も退かずにやる」と。(「大日蓮」10月号 )
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催。新曲「使命に立つ」発表。
8月28日
 妙信講、男子青年部。創価学会神奈川文化祭で、池田大作会長に広報車で抗議行動。
8月30日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。妙信講を除名された武田満男・沢崎和雄両名の名を以って手記を執筆し、自ら編集の「破邪新聞」に掲載。以って武田・ 沢崎を繰っていた黒幕が、山崎本人であったことを自ら証明。
9月2日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、証言(主尋問)開始。
(※ 尋問は当事者が交互に行い、これを交互尋問という。取調べを申し出た当事者が、最初に尋問を行いこれを主尋問という。妙信講が、解散処分を不当として宗門を提訴した裁判であるから、主尋問で妙信講の主張を展開。反対尋問は、翌年2月より開始。 )
9月6日日  創価学会、池田大作会長の母 池田一、逝去。 1976.10.24
9月13日
 妙信講、「冨士」巻頭言「一切は現証に如かず」
 浅井昭衛講頭「それにつけても思い出されるのは、正本堂の完成を以って「広宣流布の達成」と偽わり「三大秘法の成就」「立正の成就」「これより平和楽土が実現される」と、空々しい妄語を並べた池田大作の破廉恥ぶりである。正本堂が立てられてから、一体日本はどうなってきたか。異常気象は年々激しく、駿河湾を震源とするといわれる巨大地震の到来に人々はおびえ、強大な隣国は我が国の隙をうかがい、しかもこれらに対処すべき政治は混迷の極に達しすでに統治能力を失っている。まさしく仏法は体・世間は影の道理のままである。…
 しかるに、池田大作にへつらい、彼に与同してこの大悪を進めた宗門御高僧らに未だ一分の懺悔なきはどうしたことか。我が身の長養のため、知りながら大悪に加担した罪は大きい。たとえ池田大作が政治野心から御遺命を曲げんとしても、宗門御高僧らにこれを摧く護法の道念あらば誰が非違を為し得よう。…
 仏法を私物化してはならない。大聖人の御法は日本のため、人類のために存する。私利・私欲のため仏法を曲げることは断じて許されないのである。御遺命歪曲の共同謀議に加わった者は即刻罪を御本仏に謝し、一国に詫びるべきである。大聖人の御眼を蔑ってはならない」(「冨士」第157号 )
9月13日  創価学会、池田大作会長の母の葬儀。
「日蓮正宗総本山大石寺の細井日達猊下(当時)が臨席して合計80人の僧侶が読経し、約6千人が焼香に訪れる盛大なものだった。喪主は増雄(次男)。葬儀委員長は学会の中西治雄総務(当時)である」(『宝石』96年4月号 )
9月16日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第2回証言。
9月23日  創価学会、牙城会員二十数名。富士宮周辺で、妙信講広報車を再び襲撃。
9月27日
 妙信講、9月度総幹部会開催、9月度折伏成果 353世帯。浅井昭衛講頭「11月までに法廷斗争において悪の根を断つ」
(※ 浅井昭衛講頭への主尋問は、11月終了の予定となっている。 )
10月10日
 妙信講、婦人部第6回大会開催。1千名、豊島公会堂に結集。
10月14日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第3回証言。
10月16日
 妙信講、浅井信衛、新理事に就任。
10月24日  創価学会、札幌文化会館で第39回本部総会開催。池田大作会長、「五項目の基本理念」を発表。
 宗教的権威を逆転させる戦いが、創価学会の主張する「人間のための宗教」とする。
「いかなる宗教においても、聖職者が、権威をかさに信者の上に君臨する場合、民衆の信仰心は薄れ、その宗教は死滅するのであります。… 現在の既成仏教は、僧侶が寺にあぐらをかいて葬式仏教になりさがっております。…
 不変の創価学会精神として定めておきたいのであります。それは、
 一、創価学会は、永遠に民衆の側に立つ。
 一、創価学会の実践は、人間革命の運動である。
 一、創価学会は、仏法中道の大道を歩む。
 一、創価学会の社会的意義は、平和を守り、人間文化の興隆にある。
 一、創価学会は、人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する」
(※ 細井日達管長臨席のもと、"宗教的権威"と貶める )
10月28日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第4回証言。
11月2日  創価学会、池田大作会長、男子部所属の人材グループに「創価班」と命名。後に、メンバーの中から、謀略部隊(広宣部)を輩出した。
11月4日  創価学会、「創価班」結成(創価文化会館)、初代委員長・佐藤政春。
 創価学会の歴史と理念を学び、大きな会合の運営に携わる。会館内での場内整理、駐車場誘導など、仏道修行として無償で活動する。盾にSをあしらった銀色のバッジを付け、青のブレザーを着用する。
11月11日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第5回証言。
11月12日
 宗門、細井日達管長。「謗法の寺社めぐり」について弁明。(「大日蓮」51年4月号 )
11月16日  創価学会、池田大作会長、公明党議員との記念撮影。
「天下をとれることが少しばかり私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」「今まで創価学会をいじめた者を今からやる」と、宗門へ宣戦布告。
11月18日  創価学会、「日蓮大聖人御書辞典」発行。
11月22日
 妙信講、広報車襲撃につき、創価学会員を富士宮署に告訴。
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催、11月度折伏成果 632世帯、総世帯数は 1万7千298世帯となる。
 浅井昭衛講頭「十一月までの証言で悪の根は断った。誰が、何の目的で、どのようなからくりを用いて御遺命を曲げたかを、証拠を以って明らかにした。根なき枝葉がいつまで栄えようか」
11月28日
 宗門、第2回全国法華講青年部大会開催 (大講堂)。
 細井日達管長「一昨年でしたか、法華講の皆さんが、山桃の木を正本堂の外の、御塔橋のそばへ植えました。それに歌を作ってあるのです。 『山桃の、実は小さくも、身を守り、広布の願い、萌えいづるらむ』 という歌を作っておきました。どうぞ、たとえあなた方が法華講は小さいけれども、必ず広布の根本は法華講であるという精神に生きて、また折伏もして、信心を励んで自分の家を大事に守っていただくことをお願いして、今日のご挨拶といたします」と。
11月30日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。ホテルニューオータニの料亭「さざんか荘」で笹川陽平をまじえ、月刊ペン側弁護人 重富義男と懇談。池田大作会長の証人喚問を阻止することで合意。
「この段階で私は学会首脳に泣きつかれ、池田氏の証人出廷を防ぐための裏工作に入りました」「最大のネックは、隈部氏自身が和解には反対で、話し合いにのらないことでした。結局、本人には知らさないで弁護士の裁量で、池田氏を法廷に出さないような弁護活動をすることにより、目的を達することになりました」(「81年1月 山崎上申書」)
12月2日  創価学会、月刊ペン裁判第2回公判。検察側調書朗読で、被告人が女性スキャンダルを書くにあたっての、その情報ルートが明らかにされる。弁護側証人として高橋喜代司・月刊ペン副編集長が出廷、「事実確認せず掲載するのは編集者として好ましくない」「連続特集の契機は創共協定」等と証言。
12月3日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。笹川陽平の仲介で、重富弁護士との間で和解条件を合意。
「和解の条件
(1)「月刊ペン」社側と創価学会とは、争いを水に流し和解する
(2)「月刊ペン」側は、隈部に対し、和解に応じるよう説得する
(3)仮に、隈部が和解に応じなくとも、池田大作が証人出廷しなくてもすむようにはからう」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
12月5日  第34回衆議院議員総選挙、公明党は 55人当選、第3党に返り咲く。
12月7日
 宗門、阿部信雄師、富士学林長に任命さる。
12月9日  創価学会、池田大作会長。原島理事長法要で、宗門批判を開始。
「昭和五十一年後半になると、創対連、妙信講、松本勝彌事件といった内憂外患が少し納まってきた。政治・マスコミ等も、"創共協定" を最後に、強い批判勢力は無くなった。最後の厄介事だった『月刊ペン』事件も、同年暮れ、笹川良一氏を使っての "証人出廷阻止" の裏工作が成功し、いちおうの解決を見た。そして、暮れの総選挙では、元どおりの"政教一致選挙"を復活させて、公明党は五十を超える議席を獲得した。
「もう大丈夫だ。言論問題の後遺症から立ち直った!」 こう判断した池田大作は、それまでの協調路線を一挙にかなぐり捨てた。昭和五十一年暮れ、大阪・関西センターにおいて、首脳陣に「天下のことが見えてきた」「俺がやる。もう二度と倒れたりしないぞ!」と宣言した池田大作は、まず「今まで、いじめた奴をやる(仕返しする)。まず、猊下と日蓮正宗をやる」と、首脳達に指令した。この日から、"昭和五十二年路線" と呼ばれる日蓮正宗攻撃の作戦が開始されたのである」(「あの頃のこと」第四十回 山崎正友「慧妙」第269号 )
12月 日
 妙信講、女子青年部大会開催(牛込公会堂)、6百80余名を結集。
12月19日
 妙信講、男子青年部大会開催(豊島公会堂)。1千百余名結集、「下からの革命、一対一の白兵戦を」
 浅井昭衛講頭「いよいよ来年からは、周の武王と殷の紂王の斗いを、加速度をつけ本格的に展開していきたい。私はいま肚をきめております。私は完結に対して、あの宗務院の懺悔訂正などは全く期待しておりません。彼らは大聖人をあなずり、ただ自己保身から学会の権力に諂っているだけです。だから学会が『国立戒壇を捨てろ』と云えば『はい、わかりました』と捨てるのです。いまの宗務院に学会の誑惑を砕き、訂正を命ずるなどのことが出来るわけがない。すでに当事者能力を失っております」
「しからば、こういう時はどうしたらよいのか。上が腐敗しているならば、下から革命を起していく以外にない。学会を支えているのは真面目な学会員であります。この一人一人の真面目な学会員が、大聖人の御遺命にめざめ、『曲げたら功徳がなくなる、日本が亡びてしまう、大聖人様に申しわけない』とめざめた時、始めて宗門は動くのです。腐った宗務当局に頼む必要はありません、学会首脳部の懺悔を待つ必要はない。妙信講の実力を以って、下からの革命をやってのけようと思うがどうでしょうか (大拍手)
 来年から妙信講では鶴の丸のバッジを胸につけようと思っております。曽っては日蓮正宗信徒はすべてつけておりましたが、どういうわけか今ははずしている。… この大仏事は御本尊に祈念し、仏力・法力を頂いて為しとげるのです。私利私欲ではない、日蓮大聖人の御遺命を守る、男子一生の仏事であります。この完結を見たら、いつ死んでもいいではないか。どうか本日を出陣として、この次の大会には、御遺命守護みごと完結いたしました。と晴れて日蓮大聖人様に御報告を申し上げようではありませんか (大拍手)」(「富士」第161号 )
12月21日  月刊ペン裁判第3回公判。弁護側証人として、同誌編集顧問の高橋正雄東北学院大学教授が出廷。
12月23日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第6回証言。
12月 日
 妙信講、「冨士」、浅井昭衛講頭「三大秘法抄を拝し奉る」
「三大秘法抄は御一代を通じ、最も重要なる御書である。そのわけは、大聖人御弘通の所詮たる三大秘法を整足して、その姿を余すところなく明し給う御書なるがゆえである。…
 ことに本門の戒壇については、その意義内容全く他抄に明かされていない。ただ日興上人への御付属状に、それが重大なる御遺命たることを窺うのみである。ここに大聖人究極の大理想たる本門の戒壇は、御付属状の助証たる本抄によってのみ、その全貌を余すところなく拝し得るのである。…
 しかるにいま悲しいかな、正系門家の中において本門戒壇について異議を生じ、その正義はまさに失せんとしている。しかれば大聖人の御聖慮は、まさに今日のためにあられたと拝すべきである」(「冨士」第160号 )
12月24日  福田赳夫内閣発足、福田赳夫、第67代内閣総理大臣に任命さる。
 ロッキード事件への対応を巡って党内で三木おろしが決定的になり、総裁選で他の立候補者がなかったため両院議員総会での話し合いにより、自由民主党総裁に選出された。
12月26日
 妙信講、浅井昭衛講頭「三大秘法抄を拝し奉る」執筆、「冨士」12月号に掲載。
 御遺命守護のシンボルとして「鶴の丸」バッジを作製。
12月 日  流動社、陶郷栄一著「小説創価学会」第一部を出版。
(※ 陶郷栄一は、後に「創価学会の悲劇」を出版、日禮と名乗って「妙法蓮華宗」の開祖となる元創価学会員 玉井禮一郎である。浅井昭衛講頭の「池田大作とのわが宗教論争」(「宝石」昭和52年9月号 )の冒頭に、解説文を執筆している。浅井昭衛講頭と、どういう関係であったのか? 櫻川 忠 )

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