迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 妙信講、本部会館で元旦勤行。導師、八木直道師。
 八木直道師、年頭所感。「さて、この法廷斗争の大勝利が起爆剤になり、全国二十余ヶ所の地方寺院の僧侶と学会員による反乱が競い起り、学会は全力を傾注し微笑と恫喝を以て鎮圧に務めているが、一方宗門はこれを陰で煽っているではないかとさえ、うがった見解の声が聞えて来る。これらの醜態は、御遺命を曲げた罰の現証の表われであるが、おしむらくは、この反乱の徒と呼ばれる僧俗は枝葉末節の小事を捨てて、敢然と御遺命守護の大使命に立ち上がられば、道は自ら開け真の仏子としての栄光に輝くではないかと確信する。… こいねがわくは、歪曲の真俗総懺悔し、共々御遺命守護の正義に目覚めこの大浄業に協力せられんことを、熱望してやみません」(「冨士」第173号 )
1月2日
 宗門、細井日達管長。第七百遠忌について訓諭を発布。「池田大作を慶讃委員長に任じ … 僧俗一致・寺檀和合して世紀の大遠忌法要を盛大に奉行し、後世の範となすことを期す」(「大日蓮」2月号 )
1月4日
 宗門、細井日達管長。本山において池田大作会長・北條浩理事長・辻武寿副会長等に対し「会長本仏論を本にしている。改めなければ本宗の信者とは認めない」と。
1月5日
 妙信講、浅井昭衛講頭、年頭の辞「大法戦場をめざして」
「なかんずく、理不尽なる解散処分の弾圧と戦って三年、そしてついにこれに打ち勝った今日、妙信講の行くべき道、為すべき仏事は霧晴れた嶮路を見るがごとく、くっきりと浮かび上ってきた。
 三沢抄に云く『各各はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとをぼすべし』と。まことに、正像未弘の三大秘法にちぎりを持たせて頂いた宿縁の有り難さは、曇華・浮木のたとえも及ばない。しかもその上、事の広布の前夜、大事の御奉公をさせて頂ける有り難さは、とうてい筆舌には尽しがたい。…
 七百年御遠忌 -- まさに大聖人の待たせ給う大法戦場は目前に迫っている。さあ! 決意も新たに進軍を開始しよう。行く手を阻む魔障は覚悟の上である」(「冨士」第173号 )
1月6日
 宗門、細井日達管長。全国末寺住職寺族初登山で、早瀬道應総監の「本従の師云云」の言葉に言及。「弟子でありながら師匠を卑しみ、信徒にへつらって、唯自分の生活を豊かにしようと考える者が、今日の僧侶にあるならば誠に残念。我々の師はどこまでも、大聖人であるということをどうぞ忘れずそれ以外に本従の師だなんてそういう間違った事を言う人があったらば、どうかこれを呵責して本当の日蓮正宗の僧侶であり信徒であるようになっていただきたい」と。(「大日蓮」53年2月号 )
1月6日  創価学会、池田大作会長。創価学会教学部師範会議で「『減劫御書』の『智者とは世間の法より外に仏法を行ず』の文について、『行ぜず』が正しいと判明した」と。 (「聖教新聞」1月7日号 )
1月8日  創価学会、池田大作会長。東北・信越合同本部長会で、再び会長本仏論を釈明。「私ども信徒が、南無し帰命するものは、御本尊のみである。あくまでも、私どもは平凡な人間である」と。(「聖教新聞」53年1月9日 )
1月10日
 妙信講、浅井昭衛講頭 初講義。講題、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」
1月11日  公明党、第15回定期大会開催。竹入委員長、「自衛隊の存在は、既定の事実として認めなければならない」と。
「(1)企業献金を認める、
 (2)自衛隊は『既定の事実』であり認知する、
 (3)日米安保の存続を認める、
 (4)原子力発電を容認する」
などの個人的見解を示す。
 これを受けて、佐々木良作民社党委員長。「竹入発言によって、公民両党間にあった政策上の障害が、ほとんど取り除かれた」と、歓迎の意を表す。
1月15日  創価学会、僧俗協議会開催。「宗門と学会、本年初の連絡会議。戒壇の大御本尊の威光に照らされ、一段と僧俗和合の前進」と。(「聖教新聞」)
1月18日
 妙信講、初の本部会議開催。浅井昭衛講頭、「幹部は、妙信講の前進の位置を知れ」と。
1月19日
 妙信講、臨時班長会開催。浅井昭衛講頭、守護付属を強調。
1月19日
 宗門、本山対面所に僧侶約二百人集まる。細井日達管長、創価学会の悪しき体質が書かれた「ある信徒からの手紙」を、有志僧侶に対し読み上げる。「遠からず学会と縁を切るから、末寺は檀信徒名簿を整備しておけ」と。
「この謀略文書(※ある信者からの手紙)は、昭和53年1月19日の反学会僧侶160名が集まった本山での集会で読み上げられ、反学会感情を一挙に過熱させた」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
(※ 有志僧侶の前で、自ら「総監、教学、庶務部長、常泉寺派、その他 要所の僧は弱味をにぎり、あるいは懐柔しつくしているから、だれが次の猊座にのぼっても自分達の意のまま」と読み上げた細井日達管長、その場はどのような雰囲気だったのだろうか。櫻川 忠)
1月19日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。匿名で、『ある信者からの手紙』という文書を宗門に流す。
「山崎は … 謀略文書第一弾『ある信者からの手紙』を作成。その後、活動家僧侶・浜中和道(現・正信会伝法寺住職)が、細井管長の御仲居(お側役)・光久諦顕(現・妙縁寺住職)の女房に清書してもらい、それを細井管長に直接手渡した」(「創価学会の真実」野崎勲 )
「池田会長の側近、及び直系と云われる弟子達の間には、次の二点は自明の理であり端的に云うならば、この為にこそ学会首脳部の団結は維持されていると断言出来る。第一点は、池田会長は仏であり、なかんずく末法の御本仏の再誕である、と云うこと … 第二点は、池田会長ひいては創価学会の目的が来る二十年の間に天下をとること、即ち政治権力をとって日本を支配することにある。… 学会のすべての行動は、この二点に照らして見るならば、すべての意味がとけるのである。… こうした本質から見れば、昨年一月以降の学会の宗門に対する態度は決して一時の行きすぎと云うものではなく、用意周到に計画された路線であり … このことは言論問題の四十五年の前と后、妙信講問題の一つのピークであった四十七年から四十九年まで、そして妙信講問題の第二のピークであった四十九年から五十年・五十一年への経過をみればはっきりしている。… 総監、教学、庶務部長、常泉寺派、その他 要所の僧は弱味をにぎり、あるいは懐柔しつくしているから、だれが次の猊座にのぼっても自分達の意のままである」(「ある信者からの手紙」山崎正友 )
1月19日  月刊ペン、第11回公判。前回公判に引き続き、三井今朝光警部が検察側証人として出廷。
1月19日
 理境坊法華講員(法道院から移籍)、小冊子『「法の道」を歩む!法道院信徒二〇九名離籍の真相』を発行。法道院法華講の、"開基日應上人直結即大聖人直結" の指導等を、我見として批判。(「地涌」第169号 )
1月21日  創価学会、「総ブロック」の名称を「支部」とし、支部制に改める。(「聖教新聞」53年1月22日号 )
1月25日
 宗門、「法道院信徒二〇九名離籍の真相」公刊。小川只道師(理境坊)、序文を執筆。
1月26日
 妙信講、一月度総幹部会開催。五万めざしての、支部・青年部にわたる大人事発令。本部幹事に生越弘毅、石原康一 任命さる。
1月 日
 宗門、細井日達管長、赤澤朝陽の社長から板本尊を多数模刻した事実を聴取。驚いた管長は、菅野慈雲師(大宣寺)に調査を命じた。
「昭和53年1月初め、日達上人よりお電話があり、『今、赤澤朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤澤に行って調べて来るように』と言われまして、調査したのが初めであります。浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、『全部で八体です』とのことでした」(「大白法」菅野慈雲師 1992年4月1日号 )
2月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、「妙信講を弾圧して三年、いま諸天の働きか、仏法を曲げた者にまことに不思議な現証が起きている。妙信講の折伏がぐんぐん進むからこそ、諸天善神も励むのである」と。
2月7日
 宗門、阿部信雄教学部長。帝国ホテルで、河辺慈篤師と面談。河辺師、このときの内容をメモに残す。宗門から離反した憂宗護法同盟が、「同盟通信」(1999年7月7日)で取り上げる。
「S53.2.7. A面談 帝国H
一、戒旦之御本尊之件
 戒旦の御本尊のは偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている。
一、Gは話にならない
 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ。
一、Gは学会と手を切っても、又二三年したら元に戻るだらうと云う、安易な考へを持っている」
2月9日
 宗門、全国教師代表時事懇談会開催(本山大化城)。宗務院、「僧俗一致」についての宗務院案提出。
 細井日達管長、創価学会を批判、「戸田会長時代にも、創価学会とのマサツは、 狸祭り事件など、一部の僧侶をつるしあげたりし て、いろいろあるにはあったが、こと教義に関し てのマサツはなかった。ところが昭和四十七年に正本堂が建立された、その直後から、創価学会の態度がおかしくなってきた。僧侶をバカにしたり、 教義上においても変化が非常に多くなってきた。… こんな要求(僧俗一致五原則)に、宗門がいちいち応じなければならないとしたら、それは宗門が創価学会と別れなければならないときだ。… これから先、いかなる困難があろうと も、大聖人様の仏法を守る宗門として、たとえ小さくなろうとも、真っすぐ切り開いていかなければならん」
 出席僧侶も、創価学会と池田会長を激しく非難、「学会の云いなりになっている」と宗務役僧をつるし上げる。丸岡雄道師(総本山 蓮東坊)、「売られたケンカなら買って、もし話がつかなかったら別れようじゃないか」。小牟礼匡道師(熊本県 正化寺)、「学会では我我僧侶のことをクソ坊主とか、クソ小僧とか云っております。宗務当局は創価学会に厳重に申し入れをする勇気があるかどうか」
「かくして同年二月九日の時事懇談会が開催された。この会議で学会側の五原則案が反発をかったのは当然のこととして、宗務院案もまた創価学会の自主性を尊重するとか、学会を批判してはいけないとか、学会員はお寺に相談しにきても学会組織につくよう指導する、などという学会案の文句を多少変えた程度の内容であった。しかも、一見すると対等に見える協調案の文言も、よくみれば、信徒は学会で指導するから寺では学会員に指導するなというものであり、そのうえ寺院総代は学会幹部を送り込んで運営に関与してくる方式であるから、実質的には信徒団体が宗門を包囲して管理下におくという、いかにも本末転倒した内容である。
 そして長時間にわたる阿部教学部長のねばりにもかかわらず、この両案ともに僧俗全体の大変な反発をかい、最終的に会議の意見を集約した日達上人の裁断によって
 ① 学会案は突き返す
 ② 宗務院案は撤回
 ③ 学会と手を切るか、また協調するためにはどうしたらよいかというアンケートを実施する
という結論になった。
 また、この宗務院案が一顧だにされなかったことによって、いかに阿部教学部長の感覚が、宗内世論や日達上人のご意志ともかけはなれ、学会べったり姿勢であるかを示す格好の場になってしまった」(「時事懇談会記録」菅野憲通師等 )
 宗務院、「僧俗一致」(宗務院案)を撤回。
2月12日  創価学会、池田大作会長・辻武寿副会長・和泉覚副会長、緊急登山。池田大作会長、細井日達管長に全面屈伏。「学会を切る、などとご僧侶の間で議論されたと聞いて、ビックリしています。学会が誤まっているところは改めますから、どうか破門だけはやめてください」と嘆願。
2月13日
 宗門、御報恩御講。全国末寺で、学会批判が噴出。
「同日、全国86ヵ寺が御講で創価学会批判をおこなった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典)
2月14日  創価学会、再び、池田大作会長と中枢幹部(福島・辻・原田・野崎・八矢)、細井日達管長に詫びて嘆願。
 細井日達管長「一.の学会を切るのはやめる。しかし 二.の項目アンケートを取る」
2月16日
 宗門、全教師にアンケート用紙配付。
2月16日  創価学会、日蓮大聖人御生誕報恩勤行会、池田大作会長「私ども信徒は、各地域の寺院にあって理想的な僧俗和合でなければならない。いささかたりとも、御法主上人猊下の御宸襟を悩ませることがあってはならない」(「聖教新聞」2月17日 )
「1.正しい信仰はただ一つ。正本堂にまします大御本尊。日達上人に受け継がれている。
 2.日蓮正宗の外護をし信徒の団体として、よき正宗の信徒として …
 3.主師親の三徳具備の御本仏は、三世永遠に御一人であらせられる。… また遣使還告のお姿として、代々の御法主上人と拝すべきである。
 ( 研修シリーズNo.6 昭和53年2月16日 広宣会館 ) 」
2月17日  月刊ペン、第12回公判。被告人に対する、裁判長の尋問が行なわれた。
2月22日
 宗門、第二回全国教師代表時事懇談会開催。細井日達管長、2月12・14日の池田大作会長の目通りの内容を公表、その上で反創価学会僧侶を抑える。
「一往五ヶ条の事だけは向こうの方へ返したのであります。そうすると学会の方で会長がいち早く宗門の動勢というものを察知して、それで十二日の午後 … 会いまして種々話をしました。…
 "どうか手を切るという様な事をしないでくれ、自分の今学会員が一千万人ある。この人達を正宗から手を切るという事は地獄へ堕す様なものであるから、どうかそういう事をしないでくれ" … 第二回目にも、又どうかその、それ専門で、"どうかその手を切るという様な事をしないでくれ、とそれをその案件も、どうしても皆が動揺するからやめてくれ"と、こう云ってきたので私は、あなたの信心は当然立派なもんだ。牧口さんは立派な信者だった。戸田さんも飲んだくれで困る様だけれども信心は強かった。あなたも信心があるでしょう。だからもし種々な教義の間違った事や或いは、お寺へ行っちゃいけないと、日蓮正宗では成仏しない様な事を云いふらしておるから、それを徹底してやめさせてくれれば宜しいです。どうか貴方の意志を下の方まで徹底してもらいたい。それならば手を切るということはやめます。しかしその最後のですね、どうしたならば仲良くやっていけるかとアンケートは取りますからと、… 最後に、私の方では創価学会の会員は学会の会員であって、全員日蓮正宗の信徒であるという事を徹底してもらいたいという事を私は言いました。…
 講和を求めて来たことに対して、ムゲにけっとばす事はできない。… ここはまァ一往退いて、そしてもう一遍手を握ってやって、それでまだ尚かつ、二、三年先へ行って、まずければ、又その時はその時の考えもあるんだ。… 私の個人の心からいけば、それはどうしても、ちょっとまずい事があれば、いちいちケンカをしているよりも、いっそ別れて自分らで小さくてもいいから、昔みたいに小さくなってもいいからやっていくと、そういう心では思っている」 (「時事懇談会記録」)
 若手僧侶、細井日達管長と、激しいやり取りを交わす。
 佐藤正英師、「吊るし上げを絶対にやめさせるという確約はおとりになりましたか」
 佐野知道師、「その体質というものは変わらないんですね。ですからその組織というものをですね、完全に破壊しないと、これは宗門がやられると思うんですよ」
 菅野憲道師、「四十九年度の謗法問題と、それから一連の正本堂の種々なゴタゴタがありまして、… 三年前よりはるかに学会の体質と云うものが日蓮正宗の信者としてのワクから逸脱しておるという現状になってきておるわけです。… 気がついた時には手遅れになってしまうのではないかという事を我々は一番憂えておるわけです」
 佐々木秀明師、「妙信講は国立戒壇に固執し、御法主上人を誹謗し悩し奉った。宗門を混乱した。こういうかどで解散処分を受けました。我々僧侶法華講、大多数の学会員もそれはそれで納得しました。今一連の学会の問題もなんらこの妙信講問題とはソン色のない重大問題です。本門弘通の大導師は会長である、会長に帰命しよう。人間革命は現代の御書。… どれ一つをとっても重大問題です。これを解決処分せずしてあやふやにすれば、日蓮正宗七百年の伝統にキズをつけ、近い将来必ず悔恨のもとに日蓮正宗の権威は失墜する事は理の明白であります」
 渡辺広済師、「我々僧侶は辛棒いたします。又ガマンもいたします。しかしながら、宗門を案じ、そして学会の教義の誤りに気がついて学会をぬけて、しかしお寺を守ろうといって … 今、立ち上がっている人達は、決して間違っていなかったんだという事を訴える手段をハッキリとこの際、学会の方に示す様にお求めをいただきたいと思います」
 萩原昭謙師、「何らかの方法を以って、末端までその誤りというものがテッテイする手法を講じなければ、決して今回の事は解決がつかないと思います」
 中島広達師、「出来る事なら末端に知らせたくないと云う様な姿勢が、今迄もありありとうかがわれるわけでございます」
 浜田敏道師、「人間革命が御書であるとか、又は会長本仏であるというふうに、向うの出版物にあきらかに出ておるわけでございます。… これらの事は全て間違いであると云う事を、ハッキリ向うの出版物に出していただきたいと思います」
 関開道師、「向こうが謝って来たからといって、うやむやにしないで何らかの機関をもって、一般の信者さんに訴えていく方法をとっていただきたいと思います」
 菅野憲通師、「猊下と会長が仲直りしたと、僧俗一致だという建て前で持って来て、だからそういう事を云う坊主は勝手にさわいでる、つまりは師敵対だという事になりかねないわけです。… 我々のやってる事は師敵対の様にとられる、という事をよくお考えになっていただきたい」
 丸岡文乗師、「我々がこれまで辛酸をなめまして展開してきた運動、これはやはり正論であったという風に御認めいただけるかと思うんですけれども、もちろん猊下その様にお考え下さって…」
 丸岡分乗師、「又ひらきなおった様な風潮が出ておるという事、この一つをとりましても学会が本当にこれであやまっているのであるか … その危惧というものを払拭することが出来ないのであります。… 今度が千載一隅の、最後のチャンスじゃないだろうか」
 2月25日に全国僧侶会合の開催が決定されたが、細井日達管長と僧侶の意見対立に進展がなく、25日の会合は中止となった。
 アンケート結果
 ・ 宗教法人の解散、223(以下数字は同意見数)、
 ・ 包括関係の設定、63、
 ・ 三原則の遵守、168、
 ・ 幹部等の辞任勧告、宗制宗規及び寺院規則に従う、教学上の誤りの是正、131、
 ・ 学会教学の正誤表を作る、覚書を交わし聖教新聞に掲載して一般信徒に知らせる、7、
 ・ 異流義を唱えた者は幹部に登用しない、人間革命の廃刊、2、
 ・ 選挙活動の強要廃止、20、
 ・ 吊し上げの廃止及び収拾、73、
 ・ 協調後の指導徹底、26、
 ・ 法人規則の公表、収支決算の公表、出版物の検閲
「この会合以降、阿部師は全く宗門僧侶から支持を失い、次第に孤立していく。池田大作も、阿部教学部長を使っても全く事態の打開ができないので、日達上人の側近であった光久師、菅野師等に直接接近し、あるいは山崎弁護士を介して青年部幹部と活動家僧侶との交渉にあたらせるなど、別のパイプをつなげたため、宗務院・学会連絡会議はほとんど開かれることもなくなっていった」
2月23日
 宗門、狛江・仏寿寺落慶入仏式。
 池田大作会長「御宗門の隆昌のため … 私は今、御法主上人猊下に、じっくりと御指南を仰ぎながら、万代にわたる僧俗の理想的和合と広布流布への前進ができうる体制を考えております」
2月 日  創価学会、北林芳典、山崎正友顧問弁護士から寺院寄進利権の話を聞く。
「山崎はこの訣別の少し前、有頂天になって油断したのだろう、『創価学会が日蓮正宗に寄進する寺院や墓地の建設を、一手に引き受けようと思うんだ。本山はオレに任せるよ。百カ寺を寄進し、それに全国に何カ所か墓園を建設すると、一千億円はくだらないぞ。一割マージンとしてもらっても百億円だ。二億、三億は、はした金だ。土地取得の権限を任せられるだけでもすごいぞ』と、新宿区荒木町にあったマンション「サンライズ四谷」の一室で私に話した。山崎は宗門と創価学会を離間し、その関係修復を自分が斡旋し巨利を得ようと目論んでいたのだ」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
2月24日
 宗門、大化城で盗聴器発見。
(※ 創価学会員の本山職員と創価学会系仏具商 東洋物産の社員が、翌日に行なわれる僧侶の集会を盗聴しようと大化城二階大広間のテレビに盗聴器を仕掛けた )
2月26日  創価学会、「聖教新聞」に池田大作会長の "三宝論" を掲載。
「即ち、仏法とは末法御本仏・日蓮大聖人、法宝とは御本尊、そして僧宝とは本門の大導師であられる二祖日興上人である。… ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、ご僧侶は全部猊下の弟子である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」
2月27日
 宗門、阿部信雄師、大御本尊に言及(河辺メモ)。
「S53.2.7、A面談 帝国H
 一、戒旦之御本尊之件
 戒旦の御本尊のは偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った。
(字画判定)
 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、
 その他は時師か有師の頃の筆だ。
 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」(河辺慈篤師)
2月27日
 妙信講、二月度総幹部会開催、2月度折伏成果 532世帯。
 浅井昭衛講頭「妙信講が伸びることが、宗門に正義が蘇る姿である。… 妙信講の前進が本格化するに従い、学会と宗門の間で深刻な争いが生じている。昭和四十五年ごろは大聖人の御眼も恐れず、なれ合い、癒着して国立戒壇の御遺命を放棄した間柄であったのに、いまやお互いに疑心暗鬼、陰に陽に激しくののしり合っている。この実相こそ、御遺命を曲げたゆえの罰である。今後、たとえ目先的には表面を取りつくろうことがあろうとも、罰なるがゆえに本質的解決はない。これ、まさしく諸天の働きによる。但し、これらは諸天にまかせ、妙信講は一筋に五万鉄石の、大法華講建設に前進をする」
2月28日  創価学会、各部代表懇親会。池田大作会長、学会版経本は宗門の許可を経たもの、と釈明。(「聖教新聞」3月1日 )
2月 日  創価学会、静岡研修道場で僧侶の選別を行う。
「昭和53年2月、静岡研修道場で池田先生を前にして何人かで寺院名簿をつくり、いい僧侶、悪い僧侶の点検が行われていました。つまり、池田先生や学会を批判する僧侶は悪い僧侶、批判しないもしくは池田先生や創価学会に好意を寄せる僧侶がいい僧侶なのでした。そして、そのあと徹底して、"いい僧侶" には本や品物を届けたのです。こうした裏工作、差別策が、かえって若手僧侶をさらに決起させる因となり、事態は悪化するばかりとなったのです」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
3月1日  文藝春秋社、別冊「文藝春秋」(143号)発行、境忠雄(志茂田景樹)の小説「折伏鬼」を掲載。
3月5日
 宗務院、僧侶の怒りを鎮めるため、全国の僧侶に創価学会に対する「意見書」の提出を求む。
3月4日  創価学会、立川文化会館にて池田大作会長講演。「凡愚な私である。しかし、妙法の力と、時に相まって十の誇りがある。
  一つは、法灯連綿七百年の総本山を未曽有に荘厳申し上げたことである。
 第二には、日蓮正宗の名を世界に知らしめたことである。
 第三には、世界広宣流布の基盤をつくれたことである。
 第四には、日本の広宣流布の基盤をつくれたことである。
 第五には、令法久住のために宗門始まって以来、幾百か寺を御寄進申し上げたことである。
 第六には、二十一世紀の指導者養成の教育機関を完備できたことである。
 第七には、三千数百人の同志を、国家の安泰のために治世に送り出したことである。
 第八には、あらゆる階層に指導者を送り出したことである。
 第九には、文化と平和の大いなる推進機関をつくったことである。
 第十には、広宣流布のために、会館を確立できたことである」
(※ 正本堂建立からわずか6年、あれほど誇った「事の戒壇」に言及できなくなった。櫻川 忠 )
3月5日
 妙信講、顕正寺落慶御入仏法要厳修。開基 松本日仁師、住職 八木直道師。
「慶讚文 今正に陽光四辺に満ち清気一天に亘る秋、此処埼玉和光の地に一宇を建立して、本門の大御本尊を安置し奉り、恭しく落慶入仏の大法要を厳修し奉る。…
 御金言に曰く『悪は多けれども一善に勝つことなし』と。かくして当寺は御遺命守護の法城として建立せらる。日仁その大使命に因み『護法山顕正寺』と命名す。正に当寺こそ大聖人の大慈大悲により賜わりし寺院と拝し奉る。ここに真俗異体同心して御遺命守護完結と広宣流布を目指し、捨身の御奉公を誓願し、仏恩報謝の為め落慶入仏の大法要を厳修し奉る。希い願くば、宗祖日蓮大聖人悉知照覧し、我等が微意を哀感納受し給はんことを。
 昭和五十三年三月五日 日蓮正宗護法山顕正寺開基 観惠院日仁 敬白 直道房日至 代拝」
 浅井昭衛講頭、「ゆえに、このお寺は誰のものでもない。… 御遺命守護完結のその日まで、私等がお預かりしているに過ぎないのであります。よって、御遺命守護完結のその日にはこの顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる。…
 寺院でありますれば、今回顕正寺の寺院規則を新たに定めましたが、その中でこの旨を明記いたしました。すなわち、顕正寺の目的とその目的達成した暁の処置について、『顕正寺は、日蓮正宗に日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を蘇らせることを唯一の目的とし、この目的が達せられた時は、日蓮正宗大石寺の時の御法主上人に、顕正寺を御供養するものとする」と明記いたしました」(「富士」第175号 )
(※ 23年後の平成10年4月5日、大御本尊は奉安殿に遷座された。その5日後、顕正会は「御遺命守護完結奉告式」を奉修した。「宗門の懺悔なくして御遺命守護完結なし」(第21回総会 昭和54年5月)は誰の言葉か、"国立戒壇" は宗門に蘇っていない。御遺命守護は未だ完結していないのに、浅井昭衛会長は "御遺命守護完結" と偽りを重ねた。そして、会員を宗門から遠ざけるため、さらに "相承授受否定" に踏み込んで行く。櫻川 忠 )
3月5日  創価学会、池田大作会長。東大会・慶大会合同総会で、会長本仏論を再び否定し、弟子に責任を転嫁。「今までいくたびも注意してきたが、一部とはいえ、会長に帰命とか、あるいは主師親の三徳、本仏ではないか、本門弘通の大導師等と論ずることは大なる間違いである。迷惑なことである。正宗の本義並びに学会の指導に反することは、全部否定するとともに、正しい根本義の道を歩んでいただきたい」と。(「聖教新聞」3月6日 )
3月7日
 宗務院、右「意見書」に基き、創価学会との「協調案」を作成。
3月8日  創価学会、第17回全国県長会議、池田大作会長「ある幹部が、『人間革命は現代の御書』であるといったことがあるが、全く迷惑なことである。このようなことは厳に戒め、慎んでいただきたい。過去、現在、未来にわたって、『御書』こそ元初の聖典であり、これに比せられるべきものは他にありえない」と、責任転嫁。(「聖教新聞」3月9日 )
3月10日  月刊ペン、第13回公判。検察側論告求刑、懲役1年6月を求刑。
3月11日  創価学会、第2回各部代表懇談会、独自の『学会教学』『創価仏法』を否定。
 池田大作会長「教学部は、あくまでも正宗の根本の教義を基としなければならない。… われわれ在俗信徒の立場が、この教義にのっとることは当然であり、また今後も、永久に根本の教義として遵守していかなければならない」
3月14日
 宗門、全国教師指導会開催。細井日達管長、創価学会との協調を強調。「池田会長がこれほどまでに非を認め、詫びを入れてきたのは、いまだかってない。ここはもう一度だけ、池田会長の信心を信頼して、破門することだけはとりやめたい。破門をせずに、学会と協調する方向で、協議を進めてほしい」と。
 宗務院、九ヶ条の「協調案」を全僧侶に計り、創価学会に提出することを決定。
「Q. 学会版の経本を注意してよいか。
 A. してよい。経本は従来通り大石寺版に限る。
 Q. 会員をやめる時、御本尊を返せといわれる。
 A. いわれても返す必要はありませんって、はっきり言え。本人のものだ。
 Q. 聖教・大白等は末法万年残るもの。教義の誤りは具体的に大白の何月号にこう書いたが誤りであったという様に訂正してほしい。
 A. その通りだ」
3月15日
 妙信講、教学部。「種種御振舞御書」講義開始。
3月 日
 宗門、僧侶間に創価学会批判の怪文書が乱れ飛ぶ。九ヶ条の「協調案」は創価学会に提出されず、僧侶は創価学会に諂う宗務院を憤り、「態度が変わるのでついて行けない」と管長を批判。細井日達管長、「学会におせじをつかいすぎる」と宗務院を批判。早瀬道應総監、管長への憤懣から辞表を提出。
3月26日
 宗門、大化城に細井日達管長、僧侶20名、信者が集う。細井日達管長「今後寺院を中心とし、学会員を折伏して檀家にする」と。
3月27日
 妙信講、3月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「四月は、前代未聞の大折伏を以って、完結への道を開かん」と。
3月27日  創価学会、第5回各部代表懇談会で池田大作会長、重ねて僧俗和合を訴える。「僧俗の和合を堅持し、同時に社会のなかにあって、社会と強調しながら信心を深めつつ、仏法の拡大を新しく考え、実践していっていただきたい」
3月30日
 妙信講、初の教学部二級部会開催。六巻抄の第一、「三重秘伝抄」講義。
3月30~31日
 宗門、第17回妙観会(大石寺)。細井日達管長、「富山で学会の幹部が、私の写真を足でふみつけ、皆にも勧めた」と憤る。
3月 日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、文書「今後の作戦」を細井日達管長に提出。
3月 日  流動出版、陶郷栄一(玉井禮一郎)著「小説創価学会」第二部(鶴と歯車)を発刊。
4月1日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「内得信仰に誇りを持て」と。
「五十九世堀日亨上人は「近年各地方の信徒の倍増にともない、その信仰度の決定を試練するある期間の勝境に、仮本尊(御型木本尊)を祀ることあるは止むを得ぬ暫時の方便であって、… 」(富士日興上人詳伝)と解説されております。「近年」というのは明治の末頃か大正か、はっきりとはわかりませんが、いずれにしても御型木御本尊という制度は、近年の信徒の状況に基いて為された「止むを得ぬ暫時の方便」であって、決して日蓮正宗の昔からの姿ではなかった。むしろ、常住御本尊のお下げ渡しまでは、内得信仰を貫くことが、富士門流本来の、伝統的姿勢であったわけであります。… いま妙信講は解散の弾圧を機に、計らずも大聖人・日興上人の御時代の厳格な信心を求められているのであります。… 御遺命守護完結の暁には、この御奉公を以って、班長以上の幹部で強盛の信心を貫いてきた人に、常住御本尊のお下げ渡しが頂けるよう、私は妙信講の講頭として、必ず時の御法主上人に御願い申し上げる所存であります。それまで、内得信仰に誇りを以って進んで頂きたい」(「冨士」第177号 )
4月1日  講談社、「現代」5月号発刊。「衝撃!創価学会と池田大作会長の新事態」(内藤国夫)掲載。
4月 日
 理境坊法華講東京支部、教学理論誌「暁鐘」を創刊、創価学会の教義逸脱を批判。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、細井日達管長「本宗の信者でありながら、自分は死んだらまた何処のお寺を縁として生れ変って来るとか、あるいはだれだれが地獄に堕ちれば自分も堕ちてもいい、などと思って居る人が居ります。之れは大変間違って居ります」と、法道院と創価学会を暗に批判。(「大日蓮」5月号 )
4月11日  創価学会、北條浩理事長・山崎尚見副会長等、首脳幹部約十名。他宗(日中友好宗教者懇話会)主催の、中国仏教代表団歓迎パーティー(ホテルニューオータニ)に出席。
4月 日
 宗門、丸岡文乗師(涌化寺)、創価学会批判の「地涌の友」創刊。
4月 日
 宗門、細井日達管長、山崎正友に対し「何とか、若手の僧侶達を抑えてもらえないか。もう彼らは、私の言うことを聞かないんだ」と依頼。
4月15日
 宗門、細井日達管長、総本山大奥において阿部信雄総監に "お言葉”。
「昨年4月15日、総本山大奥において、日達上人猊下より自分(阿部)に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」
「この日の日達法主のスケジュールは以下の通りだ。
 ▽午前0時 大客殿にて丑寅勤行、終了後大奥で就寝
 ▽6時30分 起床
 ▽7時 御影堂にて第三祖日目上人の御講の導師、約1時間で終了
 ▽8時 塔中住職が大坊を訪れ誕生日祝いを受け、その後大奥へ戻り朝食
 ▽9時30分 誕生日祝いのため、大石泰成、三宅統道、山口範道の三人が目通り
 ▽10時前 本住坊で結納を行った原田篤道が、… 細井珪道と結婚の報告に訪れる
 ▽11時 身支度の後、大石寺東京出張所(西片)に向け出発、到着後休憩
 ▽午後6時 千代田区内のレストランで、約30人と誕生祝賀パーティー
 ▽午後9時 西片の出張所に戻り、就寝 (※ 要旨)
 以上が、当日の日達法主の行動記録だが、これでは、もはや厳粛な相承の儀式を行う時間などまったくない」(「法主の大陰謀」憂宗護法同盟 )
4月15日  創価学会、埼玉布教区内で懇談会開催。
「僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますからね」
 会長「全くその通りです、私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝を敬っていくことは三カ条の約束通りです」
 僧侶「池田さん、本部の本尊を板にしたということですが、どうしてしたのですか? 」
 会長「学会本部の紙幅の御本尊は日差しが直接当たり年月も経っているし、このままではさらにひどくなり、不敬になるので板御本尊にした。また入仏法要に高僧にきてもらったが、それだけでは具合が悪いので法主に来てもらった」
 この時点で、この場にいた僧侶たちは … 大謗法を池田が犯したことを確認した。それは、全国の僧侶にすぐさま伝わることになった」(「創価学会からの脱出」)
4月 日  月刊ペン、第14回公判。弁護側最終弁論と、被告人の意見陳述が行なわれる。
4月19日  創価学会、池田大作会長。細井日達管長に、中日友好協会副会長からの伝言を報告。(「聖教新聞」4月20日 )
 聖教新聞、細井日達管長講述の「日興遺誡置文」を掲載。依然として「時の貫主たりと雖も」の一条を "管長の人事権" とする。
4月28日
 宗門、七百遠忌記念として「日蓮正宗要義」発刊。
4月28日  創価学会、立宗記念勤行会(関西センター)。池田大作会長「主師親の三徳を具備なされた御本仏日蓮大聖人の仏法の清流を、血脈付法唯授一人であられる代々の御法主上人猊下が、今日まで厳然と令法久住あそばされたのである」
4月29日
 妙信講、四月度総幹部会開催。折伏成果、再建以来最高の915五世帯。浅井昭衛講頭、弟子分帳を引いて熱原の法難について論じ、「未曾有の折伏で鉄石五万近づく、待ち給う法戦場へ一路進まん」と。教学部長に、石原康一就任。
4月30日  創価学会、’78千葉文化祭開催。池田大作会長「ごぞんじのように、日蓮大聖人は熱原三烈士の活躍を一つの機縁とされて、本門戒壇の大御本尊様を御建立あそばされたわけである」
4月 日
 妙信講、教学部。二級部会で「文底秘沈抄」講義開始。
5月1日
 宗門、細井日達管長。杏林病院へ入院。
「この山崎、(中略)昭和53年5月1日から8日にかけて杏林病院へ、5月18日には聖路加病院へ、細井管長を一週間入院させる。この間、細井管長に会えたのは、山崎と御仲居役の光久諦顕のみであった。光久には、山崎から操作情報が入っているのだから、細井管長はこの入院中 山崎の思いのままに洗脳されてしまった、といえる」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
5月1日
 妙信講、「富士」巻頭言、浅井昭衛講頭「罰」
「法に大小・浅深があるから、招く罰にも大小・浅深がある。… 仏法の中にも小乗・権大乗・法華経と所対に随って軽重があるが、極重の罰は法華経文底の三大秘法に背くことにより生ずる。… ひるがえって思うに、いま御本仏一期の御遺命を自己の名利のために曲げんとしている輩があるが、この罰はいかなるものであろうか、兆はすでに現われつつある。恐れぬ者は大愚者である」(「冨士」第177号 )
5月2日  創価学会、関東・東海道合同本部長会開催。池田大作会長「私どもは、大聖人の御遺命であられる広宣流布のために人生を生きてきた、地涌の眷属である。… 広布のためにはいちだんと僧俗和合でなければならない」
(※ 従来の、創価学会員は "地涌の菩薩" との表現を "地涌の眷属" または "地涌の本眷属" という言い方に変更 )
5月3日  創価学会、池田大作会長著「仏教思想の源流」刊行。
 広布功労者表彰式典開催。池田大作会長、「なによりも御法主日達上人猊下のご健勝、ならびに宗門のますますの興隆をお祈り申し上げるものである。… 御本仏日蓮大聖人の教えどおりの信行学だけは、月々日々に着実に前進させていただきたい」と。
 池田大作会長、山崎正友顧問弁護士に色紙「四面楚歌 君がおわせば 王の道」を贈る。
5月4日  文藝春秋社、「創価学会の変貌」(週刊文春編集部)発行。
5月12日  創価学会、全国県長会議。創価学会版経本の作製中止を発表。(「聖教新聞」5月13日 )
 池田大作会長「本日、僧俗和合について、さまざまな徹底指導があった。令法久住のため、広宣流布のため、その根本である僧俗和合のため、全力をあげてその理想の実現に尽力を」
5月17日  毎日新聞社、サンデー毎日(5月29日号)発売、「学会批判者たちの終焉(1)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月18日  創価学会、山口市・大歳支部座談会。池田大作会長「学会員であるとともに、日蓮正宗の信徒としての自覚を忘れてはならない」
5月20日  新東京国際空港 (現・成田国際空港)、開港。
5月23日  創価学会、池田大作会長。初の「国連軍縮特別総会」に提言。
(1)全世界首脳会議の開催、
(2)国連に平和のための資料館(仮称「国連平和館」)の設置、
など核軍縮・廃絶へ10項目の提唱を行なう。
5月24日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月5日号)発売、「学会批判者たちの終焉(2)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月28日
 妙信講、第20回総会開催(渋谷公会堂)。浅井昭衛講頭、熱原法華講衆の大信心を説き「三年後、日本武道館で大総会を開き、鉄石五万の総力を以って悪の止めを刺さん」と。
「ここに諫暁十年の歩みをふりかえり、私はつくづく思う。妙信講の斗いは、妙信講が勝手に起しているものではない、実に大聖人様が妙信講をして云わしめ、斗わしめておられる、大聖人様が指揮をお取り下されているのだと。されば妙信講は法王の軍勢であります。…
 一方、御遺命を曲げた学会と宗門はその後どうなってきたか。さきほど村岡本部幹事が発表したごとく、今や深刻な亀裂を生じ、醜い争いを生じております。これまさしく自界叛逆・罰の姿でなくて何でありましょうか。 曾っては共同謀議して国立戒壇を放棄し、また一国を欺くあの正本堂ができた時には、池田大作のモーニングと管長の法衣を、将来の記念にと、須弥壇の下に埋めてはしゃいだ、あのなれ合いの姿は今や夢のようであります。まことに妙信講を解散処分にした三年前には想像もつかぬ事態になってきたのです。まさに諸天の働きとはこれであります。… 所詮大聖人の御遺命に背き奉って誰人の身が持ちましょうか。今後たとえ見せかけの和合を一時見せることがあろうとも、ついにはどうにもならなくなること必定であります。 名聞と利養のために大聖人をあなずった者が、御遺命違背の大罰に身震いする時、宗門は始めて御在世の信心に立ち還えるのであります。…
 いま池田大作は再び管長猊下を籠絡せんと、しきりと管長の中国訪問を勧めております。… 妙信講はこれに、前以って強く反対申し上げる。そのゆえは、大事の仏法が政治のために利用されれば法を下げることになるからであります。… 尊き猊座がこのようなことに利用されてはなりません。…
 日蓮正宗の中に、熱原のごとき鉄石五万の大法華講が築かれる時、悪は必ず粉砕されると確信する。されば昭和五十六年、七百年御遠忌の年こそ、まさに大法戦場到着の年であります。その年、妙信講はまず日本武道館で大総会を開く。そしていよいよ鉄石五万の総力を以って、悪の止めを刺そうと私は決意しておりますが、皆さんいかがでしょうか(大拍手)」
 八木直道師、「御遺命を歪曲し大法を悪用し、保身に汲々たる輩においておや。彼らに毒されて御遺命違背を犯しつつある人々を教化し、正しい信心に立ち還らしむることこそ、大慈大悲行であり真の仏子・菩薩行であります」(「冨士」第178号 )
(※ 昭和56年、七百年御遠忌の年、熱原のごとき鉄石五万の大法華講が築かれ "大法戦場に到着" したが、"悪は必ず粉砕"とはならなかった。翌年11月、日本武道館で第23回総会を開催、浅井昭衛講頭は自ら "妙信講" の名を捨て「日蓮正宗 顕正会」と改称、"迷走" が加速して行く。櫻川 忠 )
5月30日
 宗門、寺族同心会。高橋公純師(信正寺)、韓国について猊下にお伺い。細井日達管長、「韓国は、学会に任せてあるから手をつけるな」と。
5月31日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月12日号)発売、「学会批判者たちの終焉(3)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月 日  大陸書房、境忠雄(志茂田景樹)著「法城壊滅の日」を発刊。
6月2日
 妙信講、教学部二級部会。「依義判文抄」講義。
6月7日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月19日号)発売。「学会批判者たちの終焉(4)」(野崎勲副会長)を掲載。
6月8日
 宗門、反学会僧侶代表。創価学会青年部幹部と、教義問題について堅持院で会談。
6月14日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月26日号)発売。「月刊ペン事件差し戻し審 … 隈部被告に有罪判決」を掲載。
6月15日
 妙信講、松本日仁能師一周忌法要奉修(顕正寺)、記念碑を境内に建立。
 浅井昭衛講頭「妙縁寺の総代であり、現在の法華講連合会委員長である佐藤悦三郎に対して『事の戒壇がどういうものかは、すでに御書と日寛上人の御指南で明らかである。これは誰がなんといおうと動かすことはできないものである。いま妙信講の為していることは、本来ならば我々僧侶がやらなければならぬ御奉公である。もし百年後に、あの時僧侶は一人として立たなかったではないか、御遺命を守らなかったではないか、と云われたら恥になる。それでは大聖人様に申しわけがない』と、御自身の決意を述べておられました。かくて、覚悟の前とはいいながら、翌十二月に苛酷な擯斥処分を受け、耐え忍び、昭和五十二年四月、法廷斗争の大勝利を御覧になり、将来のすべてを託され、安祥として霊山へ旅立たれたのであります」(「冨士」第179号)
6月19日
 宗門、質問状を創価学会に送付。全国僧侶の報告に基き作成した、34項目の教学上の質問状「創価学会の言論資料について」を送付し、回答を求む。(「蓮華」7月号 )
「振り返ってみると、創価学会の教義の逸脱は、昭和四十八年頃より顕著となり、同五十二年に、その極に達したと見られるのであるが、その指向する到達点は、いわゆる『会長本仏論』であったと言っても過言ではないのである。もちろんこの間に、宗門僧侶の中からも指摘の声があったが、そのつど、学会の強力な圧力により隠蔽され、その結果として、正論を述べた僧侶が吊るし上げにされるという事態にまでなったのである。…
 こうした経過の中で、昭和五十三年六月十七日、全国の僧侶より寄せられた学会の逸脫事項を、質問形式にまとめて学会本部に提出し、回答を迫ったのであった。これは創価学会が池田体制になってからの、宗門当局から初めての正式な批判であり、もちろん、その回答の如何によっては、学会との分離もやむなし、との当時の御法主日達上人のもと僧侶一同の強力な意志によって提出されたのであった。そういう意味では、回答の欺瞞性とは裏腹に重要な意味を持つものであった」(「『創価学会の言論資料』の解説」小川只道師「暁鐘編集室」 )
(※ 「創価学会の教義の逸脱は、昭和四十八年頃より顕著」と、正本堂の "教義逸脱" を隠し、なかったことにしている。櫻川 忠 )
6月21日
 宗門、法性寺移転新築落成法要。細井日達管長、「信心しておっても、謗法をすれば帳消しになる」と、暗に創価学会の謗法与同を批判。(「大日蓮」8月号 )
6月25日  創価学会、潮出版社、池田大作著「私の人物観」出版。
6月27日  創価学会、第10回教学部師範会議を開催。宗門からの"質問状"(19日付)に対する回答を審議、「質問状」に対し宗門に回答。
 全国総務・県長会議開催、池田大作会長「さきに師範会議で、教義についての討議、発表がなされました。また、全国総務・県長会議では、僧俗一致を原点として広宣流布のためへの具体的な諸事項が検討、決議されました。これらの機関で確認、決議された事項については、私もまったく同じ気持ちであります。… 広布万年の盤石な僧俗一致の基盤を、いまこそ深く確立しなければなりません。… 私たちは、末法の御本仏日蓮大聖人の正統としての日蓮正宗を外護し、流布しゆく地涌の眷属の使命のうえから、… 私は御法主日達上人猊下のご指南を仰ぎ、ひたすら理想的な僧俗和合を築き、広宣流布、令法久住のためにいちだんと尽力していきたい。それが法華講総講頭としての私の責任でもある、 … 根本の聖地が、戒壇の大御本尊まします総本山大石寺であることは当然の理であります。どうか、皆さんも地元に帰られて、学会はこの路線でいくことを御尊師の方々にも申し上げていただきたい。御尊師の方々も、この私どもの気持ちが通ずれば、安心してくださり、会員を慈しみ、守ってくださることと信じております」
6月29日
 宗門、全国教師指導会開催。細井日達管長、創価学会からの質問状回答を公表し、「最近の問題はこの辺で納めてもらいたい」と、反学会先鋭僧侶を説得。
「みんな、了解してくれてありがとう。今後こういうことにおいて、まちがったことがあって宗務院で気が付かなければ、諸君から注意してもらいたい。即座に学会へ注意いたします。… (本尊模刻事件について)学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった。しかしあとで了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついて、お互いに喧嘩しないようにして貰いたい。…
 又お寺においても、学会員を無理矢理お寺の檀徒にするということはしない。これは学会との約束であります。これを守ってもらいたいのです。或るところでは、檀徒についた人を中心として学会の方の総代を集めて、"さあ、論争しろ、論争して勝った方に付け" といったお寺が二軒ばかりあったらしいが、そういうことは慎んでもらいたい。… 或る所では、こちらの信徒の団体へ早稲田大学の"嘆異抄研究会"という団体が … 論争しようと言ってきた。信者だけではダメだから花野充道に行けと命令しました。… そこで充道が出ていったら向こうは閉口して … 逃げてしまった。… ただ今の回答では、まだ満足しない人があるだろうけれども、 … 最近の問題はこの辺で納めてもらいたいと思います。どうですか、諸君。(拍手)」(「蓮華」7月号 )
「六月二十九日、創価学会からの回答を一読して失望したのは、当時の学会の言論資料を見れば明了であるように、そのほとんどが池田前会長の発言であるにも関わらず、本人の謝罪釈明が全く見られないことであった。この回答が単にうわべだけの、欺瞞に満ちたものであるかは、この後の十一月七日の学会幹部のお詫び登山、… 会長辞任等の経過、いきさつが、如実に物語っているのである」(「『創価学会の言論資料』の解説」小川只道師「暁鐘編集室」 )
「教師指導会終了後、阿部師が即刻この会合の結果を学会に連絡したことを聞き、日達上人は激怒、内事部において大勢の僧侶を前にして、『こちらから通報するなんて阿部はとんでもない、学会にべったりでどうしようもないヤツだ。向こうが聞いてくるまでほおっておけばいいんだ』と声を荒げられた」
6月29日  月刊ペン、第15回公判(判決公判)。東京地方裁判所、被告 隈部大蔵に懲役十月・執行猶予一年の判決(第1審判決)を下す。 隈部大蔵、これを不服としてただちに控訴。
「一審判決が容易にくつがえるはずがないとの見通しから、創価学会はこれで "一件落着" と判断した」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友」
6月30日  創価学会、聖教新聞(第4面)、「教義上の基本問題について」( 通称「6.30」)として、質問状に対する "回答" を掲載。いわゆる「52年路線の教義逸脱」を、自己批判したポーズを取った。
「(1) 血脈について
 「大聖人直結」ということについては、… 御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味で述べたもの … 唯授一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通して大聖人への直結は当然である
 (2) 戸田前会長の "獄中の悟達" について
 日蓮大聖人の御内証と同じであるとか、大聖人の仏法とは違う仏法を創造したと受け止めてはならない … 「己心の久遠の仏としての生命を覚知した」… そうした言葉は使わないようにしたい
 (3) 本仏論について
 学会には本来、会長本私論などということは絶対にない。… 会長に関して『久遠の師』という言葉を使った場合があるが、… 行き過ぎた表現であった。… 今後、こういう表現を用いない
 (4) 僧俗の関係について
 出家仏教に対して在家仏教を立てるというような印象を与え、結果的に正宗の伝統及び御僧侶、寺院の軽視につながる論拠を与えたことはまことに遺憾である。そうした考えはもとよりない
 (5) 社会への展開について
 実践の教学として社会に仏法を応用展開してきたが、… 宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分があった … 「創価仏法」という表現自体は避けるようにしたい」
「後に、日蓮正宗からの抗議で、昭和53年6月30日 『信徒は供養を受けられない』と、自己批判と訂正の記事を聖教新聞に掲載せざるをえなくなった。そこで、脱会者から学会を相手に、『特別財務返還』の集団訴訟が起こされるに至った」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
「その年の六月三〇日付『聖教新聞』に、『教学上の基本問題について』が掲載されましたが、その三日前から、急遽、一番目立たない頁として四面に掲載することとして、しかも、それを三回ぐらい教学のページとされたのは、ほかならぬ先生であり、先生から指示を受けて私がやったのです。その後、山本伸一作詞、作曲の歌で、会員の目先を変えたのは、先生が『6・30』じたいを不満とされた証拠です。先生ご自身がご不満であれば、会内に徹底されないのが当然ではないでしょうか」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
6月 日
 宗門、細井日達管長、「蓮華」誌(第87号)に「質問状」(6月19日付)の掲載を許可。
6月 日  隈部大蔵、東京地方裁判所の有罪判決を不服として、東京高等裁判所に控訴。
7月2日
 妙信講、男子部幹部会開催。昭和56年に三千名結集を誓願。
 浅井昭衛講頭、宗門と学会の教義上のやりとりについて「最も重大な御遺命違背・国立戒壇放棄には、双方とも一言もふれてない。八百長である。宗門に学会を責める資格はない。池田も宗門も、大聖人に懺悔しお詫びしなければならぬ」と。
7月2日
 妙信講、女子部幹部会開催。昭和56年に千三百名結集を誓願。
7月5~8日
 妙信講、本部指導会開催。延べ1千3百余名参加。
7月13日
 宗門、反学会派僧侶。創価学会の "お詫び姿勢" の曖昧さを見て、末寺の御講で一斉に創価学会を激しく批判。
7月20日
 宗門、花野充道師、岡本薫(稿)「『日蓮の本仏論研究』の誤謬を糺す」を刊行。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催。総世帯数2万2千を突破。
 浅井昭衛講頭「『時の貫首たりといえども仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざること』の一条こそ、広布前夜の魔の眩惑・非常事態から、仏法を守り正系門家を守るための日興上人の至上命令である」と。
7月27日  新潮社、「週刊新潮」に創価学会批判記事掲載、池田大作会長の「マジック事件」の現場写真を公開。
7月29日
 宗門、細井日達管長、花野充道師を法華講連合会青年部の指導講師に任命。(「大日蓮」9月号 )
7月29日
 宗門、法華講連合会登山会。細井日達管長「人に折伏だとか、教化するということは、結構であります。それよりもまず、自分の信心を確固として持たなければ、いかに折伏しても本宗の折伏とはならない」と、創価学会の折伏を批判。(「大日蓮」9月号 )
7月30日
 宗門、細井日達管長、同登山会で「信心があれば、謗法をしてもよいのだと考えることはもっての外で、大聖人からの法体の血脈相承を無視した、信心の血脈の流れにも浴しない者であります」と、創価学会の謗法容認を批判。(「大日蓮」9月号 )
7月31日
 妙信講、教学部二級部会。「末法相応抄」講義。
7月 日  光風社書店、境忠雄(志茂田景樹)著「小説幻想産業」発刊。「大寄進」「偶像の護衛者」「俗物教祖」の3編を収録。1980年、書名を「俗物教祖」と改題。
8月1日
 宗門、佐野知道師(浄信寺)、「創価学会言論資料集」を発行。この類書、反学会の末寺において、頻りに発行される。
8月1日
 妙信講、「富士」巻頭言、浅井昭衛講頭「再建満二十一年の夏を迎えて
「正法に魔障は付きものである。ことに広宣流布前夜ともなれば魔は必ず正系門家の隙を窺う、そしてあるいは指導者等の心中に入って正念を狂わせる。この結果が七百年来の御遺命の放棄・正本堂の誑惑となって表われた。… この時、法を惜むゆえに、この非違を糺し正系門家に国立戒壇の正義を蘇らせんと、必死・不退転に云いつのる者があれば、魔は必ず憎もう。『鹿は味ある故に人に殺され、亀は油ある故に命を害せらる』と。まさに妙信講は広布前夜の大悪をくだき、目師御出現の露払いを為す講中なるゆえ、天魔これを憎んで、出発の始めより怨嫉が競いおきたのである。大聖人の御守護なくば、とうてい講中の命脈を持ち得るものではなかった。… 星霜ここに二十一年、使命を果すべき時はいよいよ近ずいた。人類を救うべき唯一の正系門家が、いつまでも魔にたぼらかされて正本堂の誑惑を続けてよいものか。大聖人はお待ち遊ばしていらっしゃる。この一事に身命を賭して、何の悔いがあろうか」(「冨士」第180号 )
8月1日  創価学会、「大白蓮華」8月号発行、「6・30 教学上の基本問題について」再掲。
8月3日
 妙信講、教学部二級部会。「当流行事抄」講義。
8月4日
 宗門、行学講習会(総本山)。細井日達管長、「最近はまた、よく新聞や雑誌に出ている解り易い教義を、正宗の真実の教義と思ってそのまま使用して、正宗の教義そのものを忘れてしまう。誠に残念なのであります」と、僧侶が創価学会の教義解釈に順ずる風潮を批判。(「大日蓮」11月号 )
8月10日  創価学会、熊本・大分・宮崎三県合同幹部会。池田大作会長「九州のいっそうの信心の前進と功徳あふれる楽土建設のために、これからもどこまでも御本尊根本に、僧俗和合しながら、晴れがましい人生、歴史をつくりあげていってほしい」
8月12日
 妙信講、解散弾圧四周年記念幹部会開催。浅井昭衛講頭「解散の弾圧以後、諸天の働きによって池田の誑惑は崩れ出した。宗門と学会の抗争を見よ。細井管長は自ら『学会を誹謗すれば罪を無間に開く』という訓諭を破っている。正本堂の誑惑は宗門と学会の共同責任である。御遺命違背を責める資格は妙信講のみにあり、妙信講に与えられた仏勅である」
8月12日  日中平和友好条約調印、1972年の日中共同声明を踏まえ、日本と中国の外交関係の発展のため締結された平和条約。
 第1条で主権・領土の相互尊重、相互不可侵相互内政不干渉、第2条で反覇権を謳い、第3条で両国の経済的・文化的関係の一層の発展を記述している。
8月15日
 宗門、「大日蓮」8月号。細井日達管長、"創価学会本部常住の板本尊以外の、7体の本尊模刻については関知していない" と表明。
8月20日
 妙信講、折伏講習会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛講頭、三世の生命について講義。2千2百名が参加。
8月26日
 宗門、細井日達管長、高橋公純師(信正寺)に目通り。「韓国に数万の檀徒ができました。何卒宗務院の力で、これらの人を救ってやって下さい」との伺いに、「宗門としてはできない。信正寺個人としてやれ。出張所を作ってもいいじゃないか」と。
「三カ月前、猊下より手をつけるなといわれた韓国布教に対して、公に許可が下ったのも同然である」(「覚醒運動の興亡」)
8月26~27日
 宗門、第1回全国檀徒(学会脱退者)総決起大会開催(大石寺)、6千4百名が参加。細井日達管長、創価学会脫退者を激励し、創価学会の教義解釈を批判。
「決議事項
 1.池田会長を総講頭罷免の署名運動
 2.昨年1年間の特別財務の返還運動
 3.「人間革命」等学会系書籍を買い戻させる
 4.シナノ企画から買わされた映写機8ミリフィルムを買い戻させる
 5.学会員の再折伏」
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「国立戒壇の放棄と正本堂の誑惑は、宗門意志として責任役員会で議決されたことになっている。三人の責任役員は早く、これを取り消さなくてはいけない。大聖人の御眼と臨終を恐れよ」
8月26日  創価学会、第8回東海道本部長会開催。池田大作会長、脱会して檀徒となった者と、争わぬよう指示。「大御本尊を根本として、学会以外の檀家、信徒もいる。すべて仏子であり、互いに包容しあっていかなければならない」と。
8月30日
 宗門、教師講習会開催。細井日達管長「折伏しない者は地獄に堕ちる、という御書を私は見たことがない。この間、学会からこちらからの質問に対する回答があった。あのように質問状をきちんと出した。あれこそ折伏なのである。『法華折伏・破権門理』。権門の理を破してこそ、折伏ではないか。… そのように、教義の間違ったことは、遠慮なくどこまでもやってもらいたいと思います。そうでなければ、いかに日蓮正宗が大きくなろうとも、教義が間違ってしまう。…
 また、『池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ』、などという僧侶がいる。私はびっくりしました。… 全く情けないではないか。… そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。… 諸君こそ、日蓮正宗を守っていく人なんだから、どうかそのつもりで自ら勉強し、… 教義を曲げないで、心にきちんと留めて、勉強していただきたい」(「大日蓮」11月号 )
8月31日  創価学会、学生部総会(立川文化会館)開催。
 池田大作会長「私も会長になって18年になる。私を追いこもうとする作用がある … 会長が本仏だなどというのはデッチあげである、まずいことは、まずいことで訂正すればいい … 学会が悪いところは全部訂正している。猊下は何度も学会と仲良くしていこうと言っている … 猊下の言ったことを聞けないのか、… 私が出席しないと福運がつかないんだよ … 学会の境涯は大きすぎる、だから回りには解らない」
8月31日   週刊文春、第1回 "全国檀徒総決起大会" の記事掲載。「6千人が大石寺に集まって "反池田教" 決起大会の五項目」の見出しで、「この檀徒大会では、池田会長の法華講総講頭罷免要求の署名運動、学会員を檀徒にするなどの方針が決められた」(「同誌」9月7日号 )
8月 日  創価学会、「大道商事」の商号を「日章」と変更。
「登記簿謄本によれば、代表取締役(社長)は佐藤武一だ。創価学会員である。役員には、戸田城聖と森重紀美子(戦前からの戸田の愛人)の子供=光生(みつおき、故人)の妻、森重裕子も名を連ねている。監査役は学会の有力顧問弁護士の福島啓充。業務目的は損害保険代理業、金銭の貸付、不動産の売買、手形割引、出版、有価証券投資、和洋紙の販売などである」(『宝石』96年7月号) 」
9月 日  週刊誌各誌、「全国檀徒総決起大会」の関連記事を一斉に掲載。
 週刊文春(9月14日号)「創価学会のバイブル、池田大作『人間革命』にはこんなウソがある」
 週刊ポスト(9月15日号)「六千人の幹部が造反した学会の内紛」
 週刊現代(9月21日号)「竹入義勝公明党委員長は”堕落”した」
 週刊ポスト(9月22日号)「学会の財源問題で矢嶋秀覚元理事長が爆弾発言!」
 週刊ポスト(9月29日号)「学会の内紛問題は海外会員にまで波及した」
(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
9月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「日興上人の二十六箇条は、日蓮正宗の憲法である。妙信講の仏法守護の御奉公も、この御遺誡による。学会の内部崩壊・檀徒会等の動きは、完結に至る一過程として、まず学会を罰するべく諸天が起しているものである」
9月2日
 宗門、宗門学会連絡会議。細井日達管長、創価学会が模刻した数体の本尊について、池田会長に「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっとけ! 」と。(「本尊模刻事件のすべて」継命新聞社 )
9月2日  山崎正友顧問弁護士、「海外について」を細井日達管長に提出、創価学会の海外組織を切り崩し檀徒化する方策を示す。
9月3日  創価学会、本尊模刻を認める記事を、聖教新聞に発表。
「聖教新聞で前日の連絡会議を報道。日達上人より、今まで本部として謹告させていただいた数体の板御本尊について、『すべて学会本部に宝物としてお納めくだされば結構です』との話があった、と伝える」
「あの記事は池田会長の指示で掲載されたんです。しかしそのことが学会にとっては、大失敗だったんです。猊下は『恥さらしになるから極秘にしまっておけ』という意味のお話をされました。にもかかわらず、こともあろうに『宝物』などと書くんですから」(「継命」原島 嵩 80年9月15日号 )
9月 日
 宗門、法華講東京第二地方部総決起大会、菅野慈雲師(大宣寺)「(連絡会議の)数日後、突然、北條理事長から私のところに電話があり、『謹刻した御本尊について、… 学会としても置く場所もないので、どうしたら良いものか』という話がありました。… 私は即座に『総本山にお納めするのが一番良いのではありませんか』と申したところ、北條理事長は『… 大宣寺へお運びしますから、よろしくお願いします』とのことでした。… すぐこのことを日達上人に御報告申し上げましたところ、上人は少しためらっておられましたが、『学会でそうしたいと言うなら、そのようにしなさい』との御返事を下されました」
9月7日  創価学会、第23回全国県長会議、池田大作会長「われわれは宗門を外護していく立場として、いかなることがあったとしてもけっしてあらそってはならない。永久に僧俗和合していくことが、私どもの根本精神であることを銘記されたい」
9月11日  創価学会、第4次訪中団、池田大作会長、宗務役僧ら一行、大阪空港より中華人民共和国に出発。宗門を代表し、野村学道宗会議長・椎名法英重役・尾林広徳副支院長が初参加。
 創価中学・高等学校教職員組合、池田大作会長に公開質問状提出。
「一、無資格の教員が教科を担当している。
 二、必須教科の授業を行っていない。
 三、創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている。
 四、池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている。
 五、教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。私生活も学校内の行動も、すべて創価学会の組織で監視される。
 六、入学試験において、信仰によって差別が行われ、又、経済状態によって差別が行われている」
「こうした動きは、当時の第一次宗創戦争とも絡め合わせながら、マスコミが大きく取り上げた(「週刊ポスト」1978年9月29日号など)こともあって、大いに池田大作をうろたえさせることになる。… ここに出てくる「創価学会の宗教行事」というのが、「栄光祭」をはじめとする、池田大作が学園に足を運ぶ際に行われるセレモニーである」(「カルトとしての創価学会=池田大作」古川利明 )
9月13日
 宗門、高橋公純師、「日蓮正宗信正寺、第一次韓国授戒団覚書」を作成。
「韓国に日蓮正宗が渡って既に十年、それまで創価学会の指導下にあった信者は、一切寺院や僧侶と無関係に教育され、本尊はまあまああとして、授戒などという事は名前すら知らなかったのである。それが突然、日蓮正宗の僧侶が七名も渡韓し約五日間御授戒をし、各会館に特別御形木御本尊の入仏式をやるというのであるから、韓国の檀徒はその覚書を手にして、ワァーという大歓呼をあげたのも無理はない。… もし何の抵抗もなく韓国にいって授戒をすれば、すべて檀徒にする可能性はあった。そうなれば、二十年近く指導して来た創価学会の面目が立たない。ここにすさまじいばかりの反撃が、韓国と日本とにおいて始まったのである」
9月14日
 妙信講、東京都生活文化局管理法人課の認証を受け、宗教法人「顕正寺顕正新聞社」を設立、浅井昭衛が会長に就任。
9月14日
 宗門、反学会僧侶代表、創価学会幹部(野崎・原田・原島)と寿福寺で会談。僧侶側の明確なる "お詫び" 要求に対し、創価学会側は11月下旬まで猶予を求む。
「1.会長を含めて自分たちは増上慢であった。
 2.御本尊の模刻は8体である。
 3.学会の中で直して行く、2ヶ月待って下さい」
「私も御本尊の問題について、大いなる疑問をもたざるをえません。私が知っていた本尊の模刻の件数は八体です。そこで、いわゆる寿福寺会談では『八体です』と答えたわけです。しかしこれはあくまで私が知っていた範囲内でのことです。… 秋谷副会長が『余計なことを言ってくれた』などと言っていたようです。『あいつは甘いんだ』と」(「継命」原島 嵩 80年9月15日号 )
9月20日
 宗門、反学会僧侶。創価学会の本尊模刻事件を、未曽有の大謗法と宣伝。(「勇猛」無辺寺檀徒会会報 )
9月23日  創価学会、本部幹部会(立川文化会館)。池田大作会長、「学会員が五万や六万減ったって、どうということはない」と。
9月24日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。文書『現下の状勢について』『海外について』を、細井日達管長に提出。
「両文書とも、『情勢は宗門側にとって極めて有利に、学会側にとってはことごとく作戦がはずれた形ですゝんでいます』との分析をベースに、国内外にわたる檀徒作りについての作戦を、微に入り細にわたり指南している」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
9月25日
 檀徒会、「第一回日蓮正宗全国檀徒総決起大会紀要」発刊。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催、折伏成果 705、総世帯数 2万3千を突破。浅井昭衛講頭「折伏こそ開目抄の実践である。折伏で積んだ功徳は誰人も壊せぬ」
 男子部主任幹事に、新井絋司任命さる。
9月27日
 宗門、法華講連合会婦人部大会開催。細井日達管長、「よく聞きますが、私は百万遍唱えたとか十万遍唱えたとか、自慢する人がおりますが、それは本宗の信心ではない。信心なくして、何万遍唱えてもしょうがない」と、創価学会を批判。(「大日蓮」11月号 )
9月28日  創価学会、模刻本尊八体のうち、七体を総本山に納める。
「夜の十二時近くに中西治雄総務から、「これから本部を出ますのでよろしく」との連絡を受け、… 中西総務と山崎顧問弁護士が付き添ってきましたので、車から大宣寺の応接間に運び、七体の板本尊と、記名された書類を引き合わせて間違いのないことを確認して中西さんと山崎さんには帰ってもらいました。早速、お預かりした模刻本尊を大宣寺のワゴン車に積み替えて、御本尊のお伴をして本山に向かい、午前6時30分ごろ着山しました。ちょうど大坊の朝の勤行が終わった頃であったと思います。日達上人が内事部に御出仕になり、主任理事の光久諦顕師立会いのもと、これまでの経過報告をして模刻本尊七体をお届けして帰ってまいりました」( 菅野慈雲師 法華講東京第二地方部総決起大会 )
9月29日
 宗門、主任理事・光久諦顕師の指図により、七体の板本尊を奉安殿に収納。
 創価学会が模刻し、発覚・判明している板本尊の脇書、
(1)大法弘通慈折広宣流布大願成就(日昇上人)
(2)賞本門事戒壇正本堂建立 昭和四十九年一月二日
(3)ヨーロッパ本部安置
(4)御守り本尊 昭和二十六年五月三日(日昇上人)
(5)会長室安置 昭和四十二年五月一日
(6)創価学会文化会館安置
(7)アメリカ本部安置
(8)創価学会関西本部安置 昭和三十年十二月十三日(日昇上人)
(※(1)は細井日達管長が開眼、創価学会本部に安置 )
9月 日  週刊誌各誌、創価学会関連の記事の掲載続く。
 週刊現代(10月5日号)「創価学会・公明党の最高機密漏洩ルート」
 週刊ポスト(10月6日号)「創価学会と宗門の対立はまさに泥沼だ」
 週刊ポスト(10月13日号)「『特別財務1500億』をめぐる学会と宗門のツバぜり合い」
 週刊ポスト(10月20日号)「創価学会と全国193日蓮正宗末寺の亀裂」
 週刊ポスト(11月24日号)「池田会長の『お詫び登山』で残った学会の課題」
 週刊現代(11月30日号)「『抗争=大石寺と学会』が和解の生臭すぎる真実」
 現代(昭和54年1月号)「宗門と学会の偽装和解を衝く」
 週刊ポスト(12月22日号)「学会の和解は偽装だ ―― の問題点を指摘する」
 週刊ポスト(昭和54年1月1日号)「学会はやはり池田教ではないのか」
 週刊ポスト(1月5日号)「池田会長の独裁体制を洗い出す」
「これらのマスメディアを、裏で直接間接に操ったのは終始一貫、山崎である。… 昭和53年末ごろまで、マスメディアの創価学会攻撃は尽きることがなかった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
10月3日
 宗務院、創価学会の本尊模刻事件に関し、一切の論議を禁ずる旨の院達を、全教師宛に発布。
「全国寺院教会住職主管教師僧侶各位 … 依って、今後は学会の板本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。… 右、通達いたします」(院達第2915号)
10月8日
 宗門、海外局を廃止。
10月8日
 妙信講、初の大牟田支部大会開催、70名が参加。
10月12日
 宗門、本門戒壇の御本尊建立七百年法要。
14~15日
 宗門、熱原法難七百年記念法要奉修。池田大作会長ほか代表幹部、記念法要に参列。
10月15日
 宗門、花野充道師等、細井日達管長の意を受け、法華講連合会機関誌「慧燈」を発刊。頻りと妙信講を批判。
 常修寺檀徒会、パンフレット「真実の僧俗一致のために」発行。この種の創価学会批判文書、全国の反学会寺院より多数刊行される。
10月15日
 妙信講、大阪地方第2回大会開催(大阪府立労働センター)、100名が参加。
 高知支部第2回大会開催(高知県民センター)、161名が参加。
10月21日  創価学会、10月度本部幹部会(第229回)開催、池田大作会長「われわれは正信を貫いていくためにも、どこまでも僧俗和合でなければならない。そのためにも、御宗門からの学会に対する御指南は全部うけたまわって、和合のために、後世のために従っていきたい」
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「広宣流布・国立戒壇建立は、御本仏の未来記であれば虚妄となるはずはない。十一月の一千折伏実現は、広宣流布を推進する実力団体の誕生を意味する」と。筆頭理事に、小木義馬任命さる。
10月28日
 宗門、高橋公純師。信正寺住職と、韓国へ一週間の親教。
「私達はソウルをふり出しに、三十八度線近くの坡州、議政府、大田、麗水、釜山と回ったが、… 宗門から行っていいという許可があって行ったのに、宗門から罰せられるという。うわさや怒号を背に受けながら、逃げるようにして走った他国の一週間であった」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
10月29日
 妙信講、群馬支部第4回大会開催(富岡中央公民館)、111名参加。
11月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「いまの宗門・学会の内紛は、御遺命を曲げた罰の姿である。妙信講の戦いの進展に伴って、諸天が大聖人の御眼を恐れて動き出しているのである。妙信講は誰にもへつらわない。うまく立ち回ろうとは思わない。御遺命が抹殺されんとしたゆえ、解散・除名の弾圧もいとわず立ち上った。これ法を惜しむ一念だけである。将来ともに妙信講はどうなってもよい。正系門家に国立戒壇の正義さえ蘇ればよい。これが妙信講の精神である」
11月1日  創価学会、11月度東京支部長会開催、池田大作会長「未来万年にわたる広宣流布の基盤を築くためにも、われわれはどこまでも僧俗和合で前進していかねばならない」
11月2日
 宗門、反学会僧侶代表5名 (渡辺・佐々木・秋山・坂井・菅野)。創価学会代表4名 (山崎・原田・野崎・原島)と、ホテルニュージャパンで会談。創価学会側、11月7日の和解内容を提示。
11月3日
 宗門、反学会僧侶等。東京で集会を開き、創価学会の11月7日の "お詫び登山" の欺瞞性を警戒し、激論を交す。
11月 日
 宗門、怪文書が宗内に出廻る。創価学会の和解姿勢を偽装とする文書「日蓮正宗全僧俗に訴う」、創価学会に対し全国僧侶に警戒を促す。
11月7日
 宗門、全国教師総会(併・創価学会代表幹部会)開催(大石寺大講堂)。
 池田大作会長、幹部2千人を引き連れお詫び登山。( 通称「11.7 お詫び登山」)
 北條浩理事長「私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります」と、52年路線の誤りを包括的に反省。
 辻武寿副会長「第一に、… 今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。…
 第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいります。…
 第三に、… しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、… その心情を表わすのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。… 在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を、私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべき」
 池田大作会長「先程来、理事長、副会長等から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。… これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗門をお騒がせし、またその収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で深くおわびいたします」と、正式に謝罪。
 細井日達管長「信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。賢明なる幹部の皆様がこの辺をよく理解の上、正しい寺檀関係の確立に努力されるなら、各僧侶も信頼と感謝をもって応えるにやぶさかでない。大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統の教義の根本は、あくまで守り伝えなくてはならない。これをふまえなかったらば、かりにこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったのか、との後世の批判を受けよう。今日以後、真の僧俗の和合を実現して、我が宗門を守って頂きたい」(「大日蓮」12月号・号外 )
「お詫び内容について、活動家僧侶の代表と、学会の代表の間で話合いがもたれました。その席上、お詫び内容に本尊模刻の件が一切ふれられていなかったため、活動家僧侶の代表から『あれだけ御本尊のことで迷惑かけたのだから、… 御本尊のことは申しわけなかったと一札入れなさい』との主張が強硬になされたのでした。これを受けて学会側は、辻副会長の発言の中に、『御謹刻申しあげた御本尊については云々』と入れ、初めて公式に本尊模刻の謗法を犯したことを認めましたが、不誠実かつ不鮮明な文面から見ても分るとおり、何とかその場をごまかそうとしたのです。この原稿に対し日達上人は、『謹刻した御本尊云々』では、謗法の意がつかみにくいと思われたのか、『不用意に』との一語を挿入され、最終的に『不用意に御謹刻した御本尊云々』となさったのです」(「池田証言ハイライト」継命新聞社 )」
11月7日
 宗門、"お詫び登山" の後、全国僧侶集会開催。細井日達管長、宗内に創価学会批判の中止を命令。「一・二年、学会を見て、もしまた同じようなことが繰り返されたら、それが最後だ。その時は僧侶が、一丸となって学会と立ち向かう
 創価学会、"お詫び登山" 後に県長会開催。池田大作会長「僧侶の前で私に頭を下げさせたが、私は広宣流布・令法久住・全学会員を思うが故に、頭を下げたのだ。必ず五年から十年の間に、私が今何をやって来たか、わかる時が来る。その時は坊主ども全員に、頭を下げさせてみせる」
11月8日  創価学会、「聖教新聞」紙上で "本尊模刻" を、創価学会員に公表。
「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については … 奉安殿にご奉納申し上げました」(「同紙」11月8日号 )
11月10日  創価学会、泉州文化会館開館記念勤行会、池田大作会長「毎日お話していることだが、僧俗和合についての基本指導の徹底を願いたい。この正しい永久的な路線の確立のために、最大の協力をしていただくよう、重ねてお願い申し上げる」
11月14日
 宗門、海外部を設置。海外信徒の信心指導の権限を、創価学会から取り戻す。
「山崎は、創価学会の海外組織を切り崩し檀徒化する策を、『海外について』(昭和53年9月24日)という密書を認め、細井管長に出している。この『海外について』に基づき、同年11月17日、日蓮正宗に海外部が設置された。山崎は細井管長へ、この初代海外部長に菅野を推挙し、細井管長のご機嫌を取り結び、みずからは菅野を裏から操ろうとした」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
11月18日  創価学会、創立48周年記念 第230回本部幹部会開催。数珠のかけ方を変更、これからは僧侶に合わせて右手に三本、左手に二本とすると発表。
 池田大作会長、「つねに申し上げていることでありますが、僧俗和合がなければ、絶対に広宣流布はありえないというのが、私の信念であります。ゆえに、宗門を外護して永遠に僧俗和合の路線を精進することを、学会永久の指針としておきたい」
11月19日
 宗門、涌化寺檀徒大会開催。反学会僧侶が多数出席。
11月23日
 宗門、讃岐本門寺御会式。細井日達管長「よく、お寺にお参りすると"寺信心だ"と言って悪口を言う人がございますが、そういうことはまちがいでございます。…『お寺に行くから悪い』とか『お寺信心だ』などと悪口を云うのは、むしろその人達は仏法を馬鹿にした謗法と考えてさしつかえない」と、創価学会幹部の言動を批判。(「大日蓮」2月号 )
11月23日  週刊現代、「和解の生臭すぎる真実」を掲載。宗門と創価学会について、抗争も和解も金銭ゆえとする。「ハタからみて、どうにも解せなかったこの抗争と和解も、カネというフィルターを通してみれば、極めてスッキリと見えてくる。… 本山と学会の戦争は、昨年の正月、学会側が『寺へ行かなくてもいい』と言い出したことで決定的な火を噴き、昨年六月には大石寺への登山ストップにまでこじれた。その背景については、いろいろいわれているが、一言で片づければカネをめぐる対立である」(「同誌」11月30日号 )
11月26日
 宗門、法華講連合会第4回青年部大会開催。細井日達管長「最近よく、本山で戦争中、天照大神のお札を貼ったとか、拝んだとかで、それだからして、本山の血脈相承がどこかへ飛んでいってしまった、というようなことを言っている人がままあります。… そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません … その所を、昭和18年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった。… その書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまった。… その時に所長である上中甲堂という人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。… 決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは、事実無根であります。… 本宗において少しも謗法をしたことがない、日興上人の二十六箇条、あるいは日有上人の百二十一箇条の化儀抄に、謗法がやかましく誡めておられる」(「大日蓮」1月号 )
11月27日
 妙信講、11月度総幹部会開催。折伏成果1千3百33世帯、総世帯数2万4千突破。
 浅井昭衛講頭「今回の宗門・学会の和解は、ヤクザの手打ち式以下である。利害から喧嘩を始め、お互いに不利と見るや手打ち式をする。しかし 正本堂の誑惑は、お互いに口をぬぐって知らぬ顔である。大聖人に対し奉り、申しわけないと思わないのか。このような人々には、広宣流布を進める資格はない。妙信講こそ日蓮正宗に在って、内には御遺命の歪曲を強く諫め、外には日本国の一切大衆に三大秘法を勧めている唯一の法華講衆である。十一月の一千突破の大折伏によって、新しい広宣流布の潮流が日本の国に流れ出した」
11月30日
 宗門、富士学林研究科後期講習会閉講式。細井日達管長「私も三・四年前から学会等からいろいろな話があって、自分でも苦しんだ。それに対しては今年の春から、再三諸君にも注意をしてきております。すると『猊下の言うことは、しょっちゅうころころ変わっている』などと言うのであります。変わってはいないんだけれども、言うところの一つ二つ違ったところがあると、そのあげ足を取って、『まちがってる、まちがってる』と言って、本当の真意を知らない。…
 今、学会の方針についていかれない人が檀徒となっておる。その檀徒の方々の面倒をみて、本当の日蓮正宗の信者としていくことが、我々僧侶の役目であります」(「大日蓮」79年1月号 )
12月1日  講談社、「現代」1月号発刊、内藤國夫著「創価学会・池田会長の永久戦争」を掲載。
12月3日  創価学会、第26回全国県長会議開催。池田大作会長、「議決された基本方針については、徹底してその深化につとめていただきたい。… 御宗門と、これからもいろいろと話しあいをして発表する事項があると思うが、僧俗和合のために徹底をお願いしたい」
12月4日
 宗門、週刊現代に対し、抗議文送附。(「蓮華」1月号 )
12月6日
 宗門、成徳寺(各務原)入仏落慶法要、細井日達管長「最近の雑誌等に、本山はたくさんの御供養があるように書かれておりますが、それは違います。私も月給を頂戴しておるのです。… 決して僧侶が勝手に使う訳ではないのでございます。その御供養を受ける資格があるのは、仏様であります」と、本山の会計に対する疑義に言及。
 反学会僧侶約2百名、源立寺(大阪)で決起集会開催。"お詫び登山" は偽装、として今後の行動を協議。
12月7日  大平正芳内閣発足、大平正芳、第68代内閣総理大臣に任命さる。
 福田赳夫が「大福密約」を反故にして自由民主党総裁選挙に再選出馬を表明、大平は福田に挑戦する形で総裁選に出馬した。事前の世論調査では福田有利だったが、田中派の全面支援により総裁予備選挙で福田に勝利した。
12月10日
 宗門、地方寺院で檀徒集会開催。広徳寺(徳島県)、仏心寺(千葉県)、仏眼寺(仙台市)等で、一斉に檀徒集会が開かれ創価学会攻撃の勢い強まる。
12月10日  創価学会、高知文化会館開館1周年記念勤行会、池田大作会長「正宗の祈りのみが真実の追善回向となるのである。ゆえに、僧俗和合をいちだんと立派にお願いしたい」
12月18日
 宗門、正光寺創立二〇周年記念法要。細井日達管長「我々信者が唱えるお題目も、お坊さんが唱えるお題目も全く変わりがない。それでは坊さんは要らないじゃないかという理屈を言う人がいます。しかしそれは第九世日有上人が『貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり。然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか』と、仰せになっております。竹というものは、節がなければすぐに曲がって倒れてしまう。やはり、節があってこそ竹はまっすぐに立つのであります。だから、僧侶がお寺を護っているから皆様も信心しやすい。ただ、行というものに違いがあると仰せになっているのです」
12月21日
 妙信講、12月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「大聖人のお振舞いと御精神を知ることこそ、広宣流布の原動力である。一月は全講中に、教学の大波動を巻き起そう」
12月26日
 妙信講、浅井昭衛講頭、「南無日蓮大聖人」を執筆。「冨士」第183号に掲載。
「鳴呼、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人は、ここに一代の御化導を終えて非滅の滅を現じ給う。その忍難慈勝のお振舞いを偲びまいらせれば、誰か紅涙頬に伝わらざる。その大恩は香城に骨をくだき、雪嶺に身を投げるとも報ずることはできない。
 大聖人の御法魂はいま本門戒壇の大御本尊として、富士大石寺にまします。しかし未だ御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立は成し遂げられてない。日興上人は『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致すべき事』と仰せである。
 ただし、広宣流布は甚だ近くにあるを、確信せずにはいられない。その前相はすでにあり。今こそ妙信講員は、熱原のごとき不惜身命の信心を以って、御本仏大聖人に応え奉るべ きである」
12月27日  創価学会、群馬センター開館3周年記念勤行会、池田大作会長「僧俗和合への基本についても、よろしく徹底をお願いしたい」

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