迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、新年の辞「いかに訓誡しても耳にいれぬ師子身中の虫の如き者共に、断固たる態度をもって臨むべき年であろう。また外面のみ信順を装いつつ、内心は師中の虫共と心を通わせている者も、ごく一部とはいえ無いとは云えない。これらの者も大いに反省せねばならぬ年である」(「大日蓮」1月号)
1月1日
 妙信講、元旦勤行、本部会館で7回にわけて奉修。3千2百余名が参加。
 浅井昭衛講頭、年頭の辞「外海元年」、「国立戒壇建立への戦いは、昨年11月20日に始まった。今や、腐敗せる宗門・学会は息をつめてこの五万鉄石の大法華講を見つめ、一国の政治家・邪宗の輩は当惑と白眼を以て妙信講の動きに注目している。その中を、吾が妙信講は日蓮大聖人の弟子として、師子王のごとく堂々の前進を開始する。まさに本年は外海元年である。外海に出れば波風の荒くなるのは覚悟の上である。妙信講は何も恐れない、誰にも諂わない。ただ大聖人の御眼のみを恐れ、末法濁悪の世に立正安国の戦いを起こすのみである。…
 また外海に出たればこそ、そして国立戒壇建立を一国に迫っている妙信講なればこそ、国立戒壇に安置し奉る 本門戒壇の大御本尊が、いつまでも誑惑・不浄の正本堂に在すを放置し得ないのである。このままでは大聖人に 申しわけない、妙信講の義務と責任において、断じて御遺命守護完結は成し遂げる。 外海元年 ―。すべては大聖人が御照覧である。死力を尽くして戦おうではないか」(「冨士」第219号 )
(※ "外海元年" というのは、武道館大総会(10月9日)における "顕正会" への名称変更の、周到な伏線であった。櫻川 忠 )
1月1日  創価学会、「大白蓮華」1月号発行。
 阿部日顕管長、新年の辞寄稿「僧俗が一致団結し広布へ」
「一方、池田名誉総講頭・創価学会名誉会長や創価学会に対し、一部の低俗な週刊誌と怨嫉者の共謀による出鱈目にして悪質な宣伝や中傷は、人間として恥ずべく呆れ果てた人権無視の背徳行為と思います。法華経勧持品の『悪鬼其の身に入りて我を罵詈毀辱せん』との菩薩の予言そのままの姿であります」
 山崎尚見副会長「私どもは現在『月刊ペン』裁判をしています。池田名誉会長のスキャンダルと称して、事実無根の記事を書いた編集長を名誉毀損で告訴し、一・二審とも有罪となりましたが、最高裁で差し戻されました。といってもこれは、公益性、真実性という観点からもう一度吟味せよということで、被控訴人が無罪になったとか、書かれたことが本当だったというようなことではないのです」
 細谷昭教学部師範「ここ数年の出版社系の一部週刊誌によるそれは、もはや全くの誹謗・中傷というべきであり、明らかに常軌を大幅に逸している。… 山崎らはすでに数年前からすすんで情報提供者になっており、記者にしてみれば、何の取材の苦労もなく、情報源が向こうから飛び込んできたわけである。… 名誉会長を倒して学会を牛耳ろうとの意図を抱き、そのための武器の一環としてマスコミを利用するという戦略からの一方的な山崎情報が、それが真実か否か何ら吟味されることなく、更にその方面にかけては辣腕の記者によって面白おかしく味つけされたのであった」 
1月5日
 妙信講、1月度班長会開催、浅井昭衛講頭「幹部こそ行体堅固たれ」
1月10日
 妙信講、教学部三級昇格試験を執行、受験者 580名。
1月10日  現代書林、大友俊太郎著「破滅 島原高はなぜ一千万信徒を裏切ったのか」発行。反聖道学会運動をする元教学部長・島原高の破滅するさまを一人称で描く小説。
1月11日
 宗門、無任所教師初登山、阿部日顕管長「山崎正友が九州の檀徒会の会合で、私のことを『日顕』と呼び捨てにしている」(「大日蓮」2月号 )
1月11~12日
 妙信講、初講義、品川文化会館で2回に分け開催。浅井昭衛講頭「日蓮大聖人一代御化導の大綱」、参加者 2千2百余名。
1月14日  山崎正友恐喝事件、第16回公判。
 光久諦顕師「浜中和道が昭和53年1月19日、大石寺内事部を訪れ、山崎正友から依頼された学会非難の文書『ある信者からの手紙』を、日達上人に手渡した」と証言。(「継命」2月15日号 )
1月15日
 妙信講、成人式(本部会館)、参加者 230名。
1月17日
 妙信講、教学部、二級試験を執行、68名が受験。登用試験を全国17会場で執行、受験者1,047名。
1月19日
 宗門、阿部日顕管長、訓諭す。
「第二祖日興上人 第三祖日目上人ノ第六百五十遠忌二當リ … 本宗ニアッテハ唯授一人ノ血脈相承ニヨル正法正義ノ紹継二於テソノ信仰存立ノ基盤ガアルコトハ申スマデモアリマセン 依ッテ宗内ニアッテ些カナリトモコレニ疑難ヲ加エ或ハ否定スル者ハ正ニ城者破城ノ輩デアリ此等ハ須ク迷執ヲ打破シ深ク反省懺悔ヲナスベキデアリマス」(「大日蓮」第432号 )
 宗務院、院達を以て正信会に警告。「最近、宗内の一部にもったいなくも日顕上人猊下の血脈相承を否定し、あまつさえかかる信仰上の根本義を裁判の場に提起し、宗内を攪乱している徒輩がありますが、これはまことに許し難き所業であります。日顕上人猊下は、これらの者に対し、宗祖大聖人第七百御遠忌大法要を前に、大慈大悲の御意の上から再三にわたり御指南・院達・内事部通達を通してその非を諭し、反省懺悔の機会を与えてこられました。然るに未だその迷妄から醒めず宗内の攪乱を続ける者があるということは、まことに遺憾の極みであり、その一日も早い改悔を心より望むものであります」
 能化会議、正信会非難の声明文を発表。
1月19日  週刊宝石、阿部日顕管長の発言記事掲載。
「相伝を否定する者は、本宗の僧侶ではない。… 俺はあと30年は生きる。30年がかりで正信会を始末する」(「同」2月13日号 )
1月19日  月刊ペン事件裁判、第9回公判。弁護側証人、原島嵩出廷。
「同氏(原島嵩)は、昭和45年2月上旬、その日の午後箱根研修所で池田大作氏に上田雅一氏(現創価学会副会長)、桐村泰次氏(現創価学会教学部長)と共に呼ばれた。その時、部屋の隅においてあったユカタに赤いものがついているのを見た。部屋から出た後、箱根研修所の外で上田氏から言われて、それが口紅だと思った、などと証言。
 また、同年4月下旬、同じく箱根研修所で山崎正友氏と二人池田氏に呼ばれた際、池田氏のステテコに赤いものがついていたのを見た。これも上田氏から以前話を聞いたことなどから判断し、口紅だと思った、などと証言した。
 これに対し検察側は、上田、桐村氏のメモ、当時の池田会長の行動記録ノートなどを示し、昭和45年2月上旬とは、2月11日ではないか、又4月下旬とは4月20日のことではないか、と指摘。しかし原島氏は、それらのメモは後から作ったものであるかも知れないので信用できない、として、何日であったかは特定できない、と主張」(「『月刊ペン』事件の内幕」丸山実 )
1月20日~
 宗門、韓国出張授戒。
1月21日  創価学会、第268回本部幹部会開催(千葉文化会館)。 秋谷栄之助会長「御法主日顕上人猊下より訓諭が発せられた。これは、血脈付法の日顕上人猊下のもとに、さらに僧俗和合、異体同心して、広宣流布に邁進しなさいとの訓諭であると拝するものであります。… この日顕上人猊下に対する血脈相承を否定し、あまつさえ信仰の根本義を裁判に訴えようという正信会の僧侶は断じて許すことはできない。私共は、あくまでも御法主上人猊下の御指南のもと、総本山を外護申し上げることを新たな決意でお誓い申し上げ、日顕上人猊下をお守りし、池田名誉会長のもと仏法の正義正道を護りぬくために一歩もひかぬ戦いを展開してまいりたい」(「聖教新聞」1月22日号 )
1月22日
 宗門、宗会議員16名、正信会非難の「決意書」を発表。
「近時、正信会と称する一部の僧侶の中に、無慚にも大聖人の法体の大御本尊をも究極の本尊にあらずといい、第六十六世日達上人による金口嫡々の血脈相承と、第六十七世日顕上人の御法主としての地位、並びに管長職を否定する言動を吐き、加えて世俗の訴訟の場に提訴するが如き反逆行為をなす者が輩出するに至る。かかる言動は全く大聖人、日興上人以来の信仰に反する師敵対の邪義、異説である事は、もとより論をまたない。日蓮正宗七百年の歴史において、これ程の大謗法は無いと断ぜざるを得ない。故に私ども宗会議員一同は、かくの如き本門戒壇の大御本尊と、本宗伝統の唯授一人の血脈相承をも否定して、何等恥ずる事なき徒輩を断じて許す事は出来ない」(「大日蓮」第432号 )
1月23日
 妙信講、男子部。池田大作名誉会長に対し書状を送り、御遺命守護街頭行進を行う。
1月24日
 妙信講、「常盤会館」移転(常盤台駅北口)の開所式を行う。
1月24日  創価学会、板橋広布25周年記念総会開催(創価大学)。
 池田大作名誉会長「正宗における根本は、唯授一人の血脈である血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、正しい僧俗の在り方である。この一点を誤れば、すべての根本が狂ってくるのである。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えゆくことは間違いないと確信する」(「聖教新聞」1月25日号 )
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「武道館大総会こそ一国広布の出陣式
 整理部長に小川善紀任命さる。
1月26日  創価学会、平和委員会を設置。
1月29日  月刊ペン事件裁判、第10回公判。弁護側証人、原島嵩、山崎正友出廷。
1月31日
 妙信講、顕正寺本堂改修・納骨堂完成法要奉修。
2月2日
 宗門、日興・日目六五十遠忌奉修・奉讃両委員会設置。
 阿部日顕管長、藤本栄道師を日興・日目六百五十遠忌法修委員長に、池田大作を法讃委員長に任命。
2月 日  創価学会、791万世帯となる。
2月6日
 妙信講、二祖日興上人六百五十遠忌御逮夜法要、本部会館で奉修。浅井昭衛講頭、日興上人の御徳を偲び、一代の御振舞いについて講演。
2月6日  山崎正友、阿部日顕管長の発言に反論。「正信会僧侶は、なにも教義としての相伝そのものを否定しているのではない。ただ阿部日顕師が『昭和53年4月15日、故日達上人から密かに相伝を受けた』というのは嘘である、という"厳粛なる事実"を指摘しているだけである」(「週刊宝石」1月13日号 )
2月7日
 妙信講、二祖日興上人六百五十遠忌御報恩勤行会、本部会館で3回にわけて奉修。
 浅井昭衛講頭「実に身延離山の御精神を一言で云うならば、濁れる安易を捨て、大聖人の御心のままに進まん、ということであります。この精神が希薄になれば、仏法は正しく伝持できない、必ず曲がる。ゆえに末法万年のため、この事を身を以て教えて下さったのが、いわゆる「身延離山」であります。
 いま宗門に色々な不祥事が起きているのも、みなこの精神が稀薄になったためであります。宗門は学会という大檀越の金力・権力に諂い、その政治野心に引きずられて謗法同座の「聖人展」をやった。さらに重大なことは、御遺命を破壊して正本堂の誑惑をした。日興上人の毅然たる護法の精神を見失ったゆえに、この大違法を犯し、そしていま罰を受けているのであります。
 ここに日蓮正宗の中において、妙信講だけが身を捨てて御遺命守護に立ち上ったこと、まさに日興上人の御精神に則ったものであります。昨年は大聖人の七百御遠忌、本年は日興上人六百五十遠忌、このただならぬ大節を迎え、いよいよ広宣流布近きに在るを確信し、妙信講は身を捨てて宗開両祖に御報恩申し上げようではありませんか」(「冨士」第220号 )
2月8日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 11名を擯斥処分に付す。
 宗務院、早瀬義孔庶務部長、くも膜下動脈瘤破裂で倒れる。
2月8日
 正信会、中浜広修師・ト部乗道師ら8僧侶、宗務院に対し「11名の擯斥処分を徹回せよ」との抗議文提出。
2月8日  創価学会、茨城文化会館落成記念・茨城県幹部会開催(茨城文化会館)、「御法主上人猊下を厳護」
 池田大作名誉会長「私は昭和五十四年、会長を勇退し、広布の水戸黄門になるつもりであった。それは永年務めた重責の会長職から離れて、自由な立場で御宗門、そして大切な地涌の友の皆さま方を、全国を行脚しながら守りぬきたいとの一心であった。
 しかし、この世の使命は厳しく、北條前回長は亡くなり、日ましにさまざまな非難と迫害がかさなり、御宗門ももっとも重大な段階に入った。秋谷会長もまだ新しく、どうしても私が、すべてにわたって守り支えていかなければならない運命に再びなってしまった。(拍手)使命は役職のみで決まるわけではない。これからも御法主上人猊下を厳護申し上げ、皆さまを守るために、この身を捧げてご奉公をしなければならないと深く自覚している」
2月9日  創価学会、聖教新聞「血脈否定の僧十一人を擯斥」との記事掲載。
「今回処分された十一人は、いずれも宗内の活動家僧侶によって構成される『正信会』と称する一派の中央委員である。彼らは、あろうことか御法主日顕上人猊下の血脈相承を否定し、これを前提として昨年一月には日顕猊下を相手取って大石寺の代表役員、及び日蓮正宗の管長、代表役員の地位不存在確認の本訴とそれらの職務執行停止の仮処分を静岡地方裁判所に提訴するに及んでいる。血脈相承は宗旨の根幹をなすものであり、それに疑義をさしはさむこと自体、信心の大道からはずれ、正宗僧侶に全くあるまじきことである。まして、そのことを裁判に訴えるなど、言語道断といわざるをえない」(「聖教新聞」2月9日号 )
2月9日  山崎正友恐喝事件公判、内藤国夫が検察側の証人として出廷。
2月10日
 妙信講、教学部、「開目抄」の講義開始。(千代田区公会堂)
2月10日  創価学会、日立会館落成5周年記念勤行会開催(日立会館)、「御法主上人猊下の御指南」
 池田大作名誉会長「絶対なるものは、大御本尊のお力である。また、絶対なるものは、御書である。そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下であられる。
 御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の僧でもなく、俗でもない。心して、この一点を忘れず、あとは何も恐れず、強盛な信心で、たくましくわが正道を歩んでいただきたい。私は、この地の僧俗の和合を心からお願いする。再び、同じ轍を踏むことは許されない。それは、御法主上人猊下の御指南に反するからである」(「聖教新聞」2月11日号 )
2月12日  創価学会、桐ヶ谷章弁護士。静岡地裁において、阿部日顕管長の相承問題について「昭和53年4月15日に何があったかを立証する意志はない」と。
2月12日  月刊ペン事件裁判、第11回公判。弁護側証人、山崎正友出廷。
2月16日
 妙信講、御聖誕報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛講頭、「ゆえに聖徳太子は、自分が皇太子として生れたことを嘆いて一つの願を立てております。
『この国において妙義未だ足らず、位・儲君(ちょくん)となって門戸に到り説くことを得ず。今思わく、この身命を捨てて微家に託生し、出家入道して衆生を救済せん、これ我が発願なり』と。
 この意味は、"日本には未だ仏法が広まっ ていない。しかし自分は皇太子として生れたため、一軒一軒廻って法を説くことができない。願わくば早くこの身を捨てて「微家」すなわち貧しい家に生れ、大衆を救いたい"というのです。
 これが聖徳太子の発願です。ところが、どういうわけか我々は...(笑)...願いもしないのに「微家に託生」してしまった。(爆笑)...知らないうちに、聖徳太子の誓願を満足してしまっている。(笑)
 これで愚癡をこぼすのはおかしいでしょう。思いっきり仏法を広めることができる。この使命を忘れて、大金持ちになりたい、ぜいたくをしたいなどと、うわべの虚栄を追い求めるのは愚癡の至りというべきです。
 広宣流布以前に、この三大秘法に縁をした人はみな地涌の菩薩の流類です。みな使命を持って生れている。たとえ現在はどのような境涯であろうとも、その立場で真剣にお題目を唱え宿命を変え、御本尊の功徳を証明して人に教える、この大使命があるのです」(「冨士」第221号 )
2月17日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第9回口頭弁論。山崎正友への原告側の主尋問(事後処理、その他の盗聴)。
2月17日  富士宮市の市議6人、「百条委は死なず」とする文書を、鈴木善幸首相に送付。
「すなわち、『日原造園、創価学会と市政の三者癒着』を生み出した利権構造を打破し、文字どおり明るい市政への改革でなければなりません」
2月21日  創価学会、「荒川の日」記念大会(開催東京戸田記念講堂)、「善知識の和合体」
 池田大作名誉会長「日蓮正宗創価学会の世界は、御法主上人猊下の御許に、善知識の和合体なのである。そして、悪知識と戦うのである」
2月25日
 妙信講、顕正新聞「御遺命守護特集号」発刊。
2月25日  月刊ペン事件裁判、第12回公判。山崎正友、池田大作のスキャンダルを証言。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「威力ある御遺命守護特集号を、一人でも多くの学会員に読ませよ」
2月26日  山崎正友恐喝事件、第19回公判。秋谷栄之助会長、証人として出廷。
2月27日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第9回口頭弁論。山崎正友、宮本宅の電話盗聴事件後、神崎武法検事(当時)にその事後処理を相談したとする。
3月3日
 妙信講、3月度班長会、浅井講頭「御遺命守護特集号」(顕正新聞)に言及。
3月6~8日
 宗門、総本山で日興上人六五十遠忌法会奉修。(「大日蓮」第434号 )
3月8日  創価学会、第二祖日興上人第六百五十回遠忌大法会祝賀会(大石寺・大書院)、「」
 池田大作名誉会長「この日興上人がおられましたが故に、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水潟瓶されてきたのでございます。… 昨今、こともあろうに、唯授一人の血脈付法を否定せんとする一部の輩の策謀がみられることは、御開山上人の厳格・清浄な正法護持の御精神に照らして、断してあるまじき所業であります。
 われらは、これらの法魔をうちくだき、御法主上人猊下の訓諭に仰せのごとく『興目両上人ノ護持弘法ノ精神ヲ以テ愈々宗風ヲ振起シ 以テ一層広布ヘノ前進ニ対スル揺ギナイ基礎ヲ築カネバナリマセン」との御指南を体しまして、一致団結し、広宣流布の聖業にかぎりなく邁進することを、ここに強くお誓い申し上げるものでございます」(「聖教新聞」3月9日号 )
3月8日  衆議院予算委員会、共産党の正森成二議員、創価学会員の現職検事の宮本委員長宅盗聴事件関与を取り上げる。「72年には妙信講幹部に対する盗聴にも、神崎検事が加わっている。検察官はいかなる犯罪についても捜査し、公訴を提起する立場にある。その検査官が、犯罪に加担した事実は重大だ。法務省は調査したか」と糾す。
3月10日  幸洋出版、丸山実・坂口義弘共著「花形記者は転んだ」刊行。創価学会批判の内藤国夫を批判する。
3月12日  月刊ペン事件裁判、第13回公判、山崎正友出廷。
「昭和45年4月下旬、箱根研修所で口紅云々については、検察側から山崎氏自身の当時の手帳と山崎氏の事務所の領収書綴などが提示され、箱根にいたのが4月19日(手帳にハコネと書かれてある)であり、4月19日には東京に帰っており、20日に箱根にはいなかった、などが指摘された。特に領収書綴には、昭和45年4月19日付で東京・神田の旅館『花汀』名義の請求書が添付されており、4月19日に山崎氏は東京に戻っており、翌20日には箱根研修所にいなかったことの裏付けとして提示された。ちなみに旅館『花汀』では、麻雀をやっていたとのことである」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
3月 日
 妙信講、3月度学習会、刑部左衛門尉女房御返事「御本仏への不孝により天変地夭」
「妙信講は、正本堂におわす大聖人の御心いかばかりと、それだけを思って御遺命守護の御奉公に立っているのであります。力及ばずとはいえ、いま宗門で妙信講だけが、大聖人に対し奉り「孝養の子」であります。本年秋には出陣式たる武道館の大総会が行われますが、天変地天しんしんと起こる中、妙信講は大聖人の御命令のまま、いよいよ一国広布へ本格的な前進を開始しようではありませんか」(「冨士」第222号 )
3月15日  創価学会、「3・16」記念青年部最高幹部懇談会開催(立川文化会館)、「総本山外護は創価学会」
 池田大作名誉会長「この大聖人の仏法を弘めていくのは、私どもしかない。総本山を外護したてまつるのも、私ども創価学会に、その責任がある。…
 善意の学会の庭のなかで、遊びながら幹部となり、いままた宗門、学会を破壊せんとする連中は、結局は仏法を知らないのである。信心を知らないのである。御宗門の伝統法義も、学会精神の伝統も本質もまったく知らず、利口げにいい気になって、黒い野望をもったあわれなひとたちである」
3月18日
 正信会僧侶 3名、宗門に詫び訴訟を取下げる。清水法瑞師、原規道師、国井等道師。(「大日蓮」3月号 )
3月25日  神崎武法検事、宮本宅電話盗聴事件関与で、法務省刑事局参事官室を退職。
3月26日  月刊ペン事件裁判、第14回公判。
3月28日  創価学会、金城会、破濤会合同窓会開催(立川文化会館)、「」
 池田大作名誉会長「近年、御宗門においても、御法主上人猊下に師敵対する徒輩がでた。彼らは擯斥された。愚見するに、それは、富士の清流をますます浄化していくにちがいない。…
 日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。この富士の清流は第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして現六十七世御法主上人猊下までの御歴代上人方によって厳然と護持されてきた。そこに貫かれてきたのは『謗法厳誡』である。他宗教にはまったくみられないものだ。…
 ここで大事なことは『水の信心』をつらぬきとおしていくことである。一時の活躍をみせる『火の信心』であってはならない。その信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。総本山を中心とすることが根本であり、御法主上人お一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」 
3月29日
 妙信講、3月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「4月は証拠を出す月である。4月に勝たなくては大総会の道は開けない」
3月31日
 宗門、第3回非教師指導会、阿部日顕管長「今現在の状態において、形式に執われたところから相承の有無について軽はずみに云々する者もありますが、私は間違いなく日達上人よりお受けいたしております」(「大日蓮」5月号 )
4月2日
 妙信講、4月度班長会開催、浅井昭衛講頭折伏の大功徳について「一には大聖人の御守護を頂き、二には御本仏の眷族としての生命力が涌現し、三には過去の罪障が消滅する」
4月3日  週刊現代、山崎正友の証言掲載。「47年の妙信講との教学論争の時は、学会員宅の一室に、神崎らが受信機と録音器を持ち込み盗聴した」と暴露。(「同誌」4月10日号 )
4月4日  全日本労働総同盟、国連NGO代表演説に、池田大作名誉会長を推薦する意向を示す。(「聖教新聞」同日付 )
4月5日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 26名を、相承否定の理由を以て擯斥する。(「聖教新聞」4月10日付 )
4月5日  週刊ポスト、創価学会盗聴事件の記事掲載。松本篤、盗聴器製作の事実を語る。(「同誌」4月16日号 )
4月7日
 宗門、阿部日顕管長。池田大作名誉会長招待のため、桜の大木を切り倒し花見の宴を催す。(「冨士」)
 池田大作名誉会長、観桜会で本山の桜20本伐採。「常来坊へ日顕上人をお招きした当日、あいにくの雨になったところ、なんと池田は部下に命じ、20本近くのソメイヨシノを根本から切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内にこしらえ…」
(※ どちらが招いて櫻を伐採したか、上記のように両説がある。)
4月9日  創価学会、4月度東京支部長会開催(東京戸田記念講堂)。
 秋谷栄之助会長「正信会と称する御法主日顕上人猊下の血脈を否定している二十六人の僧侶が五日付で擯斥処分にされた。我らはますます総本山を外護し、御法主日顕上人猊下をお護り申し上げゆく名誉会長とともに、広宣流布へ威風堂々の前進を図っていきたい」(「聖教新聞」4月10日号 )
4月9日  月刊ペン事件裁判、第15回公判。弁護側証人として内藤国夫(元毎日新聞記者)が出廷。
「内藤氏は、公明党の渡辺通子参院議員の子息は池田大作名誉会長との間にできた子供である、"マジック事件"の幼女は実は池田氏の子供であるという話を聞いている、この話について当事者に取材なり確認はしていないが、情報提供者から聞いて間違いないと思った、などと証言。
 この内藤証言に対し、検察側は、血液鑑定書を提示し、科学的に『父子関係は存在しない』ことを尋問。内藤氏は『こんな紙キレ一枚見せられても信用できない』などと証言した」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
4月10日
 妙信講、顕正寺の管理手伝いに、小川善紀夫妻任命さる。
4月13日  山崎正友恐喝裁判公判、秋谷栄之助会長、MI・M2というスパイが妙信講に潜入していた事実を認める。
4月 日
 宗門、阿部日顕管長、大石寺境内の鳩5百羽を野村慈尊理事等に殺処理せしむ。(「諸君」7月号 )
4月20~21日
 妙信講、学習会に 2千7百余名が参加。
4月24日
 宗門、高橋公純師、訴訟を取り下げ反省懺悔したとして宗門に復帰。
4月26日
 宗門、阿部日顕管長、「日顕上人が日達上人より相承を受けたことは厳然たる事実である。この事実を否定する輩に対しては断固戦う」旨の決議文を作らせ、正信会を除く全僧侶に確認署名をなさしむ。
4月25日  創価学会、「大田の日」記念の集い(立川文化会館)。池田大作名誉会長「現在も、… 当代御法主上人を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまはてのひらを返して自らが、その根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(「聖教新聞」4月27日号 )
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「国立戒壇建立とは一国の信仰革命である」
 本部参与に太田重市任命さる。
4月27日
 妙信講、支部長会開催、浅井昭衛講頭「あと五ヶ月」
「大総会への関所であった四月、全講員の信心の赤誠により、大法弘通と結集に美事なる証拠が示されたこと、まことに喜びにたえない。大総会への道は大きく開けて来た。… 大総会まであと五ヶ月、油断をすれば魔は必ず便りを得る」(「冨士」第223号 )
4月29日  週刊文春、野坂昭如の連載コラム『右も左も蹴っとばせ!』で、丸山実・坂口義弘共著『花形記者は転んだ』(幸洋出版)を非難し、内藤国夫を擁護。(「同誌」)5月6日号 )
 これをきっかけとして、野坂昭如と丸山実の論戦がはじまる。
4月30日
 宗門、第1回時局法義研鑽委員会開催。(「大日蓮」第436号 )
5月1日
 宗門、法華講連合会前委員長 佐藤悦三郎以下 連合会幹部 24名。創価学会を善導すべき立場の宗務当局が、「逆に創価学会に懐柔され、思うがままに操られているところに、今日の宗内混迷の真因がある」と、阿部日顕管長を批判。(「諸君」7月号 )
5月1日  月刊「現代」、藤原弘達、内藤国夫との対談で「人間の下半身暴露によるペンの攻撃は共に傷がつき、とりかえしのつかないことになる」と忠告。(「同誌」6月号 )
5月3日  創価学会、未入信・新入信者向けのガイドブック、『創価学会 SOKA GAKKAI』を発刊。
「創価学会は、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいる日蓮正宗の信徒の団体です。日蓮正宗は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、日蓮大聖人の出世の本懐である弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊を700年間厳護し、根本としてきた唯一の正しい宗教です。創価学会はこの日蓮正宗の教義を信奉し、日蓮正宗を外護し、広宣流布することが目的です」
 第8章『私と創価学会』に、雪村いづみ、杉田かおる、ハービー・ハンコック、木田勇らのミニ体験談を収録。
5月 日
 宗門、羽柴増穂の妙本寺密通が露見し、「暁鐘」は連載を中断。(「暁鐘」5月号 )
5月5日  月刊「宝石」、原島嵩の証言を掲載。「昭和47年6月に、早瀬日慈総監・阿部信雄教学部長(当時)が、妙信講の破折を恐れ数日間 "雲隠れ" した」と言明。(「同誌」6月号 )
5月7日  月刊ペン事件裁判、第16回公判。弁護側証人として、羽柴増穂(元『継命』編集長)が出廷。
5月11日  創価学会、聖教新聞「相承否定の群徒とは断固戦う」
「学会においては、既に一昨年九月『創価学会はいかなることがあろうとも、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の御指南に従い奉り、あくまでも大御本専への絶対無二の信心を貫き通し、総本山を外護申し上げ、僧俗和合して広宣流布に邁進する』との県長会決議を採択。それをうけ、各県においても県決議等を行ってきているが、今回の御僧侶方の決議の趣旨をよく理解し、ますます御法主上人猊下のもと一致団結、僧俗和合して、宗祖日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布へ力強く進んでいくことが大切であろう」(「同」5月11日号 )
5月11日
 第7回全国檀徒大会、品川文化会館で開催。
5月20日  創価学会、第272回本部幹部会開催(市川市市民体育館)。副会長に岡安博司、高沢正の2名が就任、副会長の総数は36名となった。秋山婦人部長、浅見男子部長、太田青年部長、佐野女子部長が就任。(「聖教新聞」5月21日号 )
5月21日  月刊ペン事件裁判、第17回公判。検察側証人として高根美枝(創価学会員)、米山美枝(同)、松島淑(聖教新聞論説委員長、渡部通子の実弟)が出廷。
「高根氏は、松島勇氏(渡部通子氏の実父)の姪で、松島家を手伝うため昭和29年9月ころから11月ころまで松島家に同居していた。一方、米山氏も昭和29年11月ころから32年8月ころまで家事手伝いとして松島家に住み込んでいた。両氏とも創価学会員。両氏は『昭和29年当時、松島家には三畳間はなかった』と証言」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
「月刊ペン事件で、池田と通子の関係が争点となった時、学会は私を裁判に出廷させないため必死でした。私が出廷すれば、どんな証言が飛び出すかわからない。… 裁判では、松島家の三畳間で風呂上がりの裸の池田を通子がタオルで拭いていた、という証言まで出ましたが、学会側は、その三畳間自体がなかった、というようなことまで主張したそうです。そういう嘘に嘘を重ねる体質というのは、今も昔も全く変わっていないように思います」(「週刊新潮」96年3月14日号 藤原郁子 )
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「いかなる事態にも、金口嫡々の血脈は断絶せず
「反学会活動家僧侶はしばらくなり行きを見守っていたが、阿部日顕管長が池田大作に諂い一体となりゆく姿を見て反発し、"正信覚醒運動" なる学会切り崩しの運動をさらに押し進めた。阿部日顕管長は学会の意向を受けてこれを弾圧した。ここに正信会僧侶の阿部日顕管長に対する憎しみは頂点に達し、ことは御相承問題に及び、ついに『阿部日顕師は日達上人より御相承を受けていない。ゆえに法主でもなければ管長でもない。よってその職務執行を停止してくれ』と裁判所に訴え出たのです。この訴訟に加わった僧侶の数は、なんと宗門全僧侶の三分の一に当る 196名に及んでおります。
 阿部日顕管長にとってこの裁判がいかに深刻な問題であるか。ゆえに同管長は正信会僧侶に『裁判を取り下げよ』と迫り、応じないとみるや、見せしめに首謀者を次々と擯斥処分(僧籍剥脫)にした。その数すでに43名。それでも正信会僧侶は反抗を止めない。近き将来、阿部日顕管長は正信会全員の首を切るでしよう。しかしそれでも事は収まらない、ますます争いは激しくなるに違いない。また正信会以外の一般僧侶も、心の中では阿部日顕管長を疑っている者が多い。"いつ裏切るかわからない"、この不安から、今回阿部日顕管長は全僧侶に確認の署名をさせたというわけであります。
 どういうことを確認させたかといいますと、二ヶ条あるのです。すなわち「一、日顕上人が日達上人から相承を受けたことは厳然たる事実である。二、この事実を否定する輩に対しては、断固戦う」というものです。いかにもおかしな確認だと思いませんか。たとえば、本当の親がですよ、大勢の子供に対して『お父さんがみんなの父親であることは厳然たる事実である。(笑い) この事実を否定する子に対しては、子供同志で断固戦う』(爆笑) なんてことを確認・署名させましょうか。いかにもおかしいじゃないですか。こんな不自然のことをやらねばならぬほど、阿部日顕管長の地位は不安定であり、宗門の内紛は深刻だということであります。… どうしてこのような事態になってしまったのか。これこそ、二人の管長は共に御本仏の御遺命に背いたゆえに、法主としての徳を失ったからに他なりません。…
 ただし、いかなる事態が起きようとも、本宗の血脈は絶対に断絶いたしません。本宗に伝わる唯授一人金口嫡々の御相承というものは、いかなる事態が起ころうと、いささかの増減もなく、微動もしない、完璧なものであります。これあらゆる事態を想定された大聖人の御仏智により、残され給うたものなるゆえであります。ゆえに、国立戒壇の御遺命を堅持遊ばす仏意に叶う御法主出現せば、直ちに血脈は厳然としてよみがえる。妙信講員は少しも心配する必要はありません。今日の事態は、御遺命を曲げた罰により、一時的に起きた変態現象に過ぎないのであります。…
 今の宗門は御遺命を曲げ、名聞利養にふけり内紛にあけくれている。宗門の濁乱がその極に達すれば、大聖人の御仏意として正系門家に必ず御在世の信心はよみがえる。いまの妙信講の姿はその現われである」(「冨士」第224号 )
5月30日  ニューヨーク・タイムズ、創価学会の「現代世界の核の脅威展」を報道、「日蓮正宗の信徒団体である創価学会は、日本で強力な反核運動の中心的行動をとってきている」
5月31日
 妙信講、婦人部大会開催(豊島公会堂)、1,054名が参加。浅井昭衛講頭「本大会こそ妙信講婦人部の新しき出発」
5月31日  創価学会、第2回国連軍縮特別総会に、代表50名を派遣。(「聖教新聞」5月30日付 )
6月1~11日
 宗門、タイ・香港・マカオ出張授戒。(「大日蓮」第438号 )
6月3日  創価学会、国連広報局と共催で「現代世界の核の脅威展」をニューヨークの国際連合本部パブリックロビーにて開催。
 池田大作名誉会長、第2回国連軍縮特別総会に提言。全地球的な "平和の包囲網" 形成のため「非核地域平和保障機構創出のための国連特別委員会」を発足し、国連の平和維持機能を強化せよと提言。(「聖教新聞」)
6月4日  月刊ペン事件裁判第18回公判、前回に引き続き松島淑が出廷。
「昭和29年、私はまだ中学二年だったが、三畳間など当時なかったのを、明確に覚えている。三畳間ができたのは、翌年30年の春3月に増築したときである」(「自由の砦」1996年3月23日号 ) 「中野で女子部隊長を務めていた私は、深夜帰宅しても化粧や着替えさえできないような感じだったんです。そこで父にかけあって、玄関の横に建て増しして姉妹専用の場所を作ってもらったのです。その部屋を学会は裁判で存在しないことにしようとしました。私の実弟である松島淑を出廷させ、三畳間の存在を否定させたのです。これには私も驚いてしまいました」(「週刊新潮」96年3月21日号 藤原郁子 )
6月7日  創価学会、池田大作名誉会長「軍縮および核兵器廃絶への提言」を、デクエヤル国連事務総長に提出。
6月10日
 正信会、4月28日の決議文に反撥。「阿部日顕師相承の件」につき、太田慈晃宗会議長に公開討論を要求。(「継命」7月1日号 )
6月11日  山崎正友恐喝事件、第23回公判。秋谷栄之助会長、創価学会が月刊ペン担当弁護士に2千万円を渡す等、裏工作した事実を認める。(「東京スポーツ」6月21日付 )
6月13日
 妙信講、臨時支部長会。大総会をめざし、支部・男子部・女子部・婦人部の組織充実が指示される。
6月16日
 宗門、太田慈果宗会議長、正信会の公開討論要求を拒絶。
6月16日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第11回口頭弁論。創価学会、山崎正友が主張する神崎武法検事の関与を否定。
6月17・22日
 妙信講、学習会。参加著 3千名を突破。
6月18日  月刊ペン事件裁判、第19回公判。上田雅一副会長、検察側証人として出廷。
6月21日
 宗務院、未処分の正信会僧侶 150余名に対し、「血脈相承に関する異説を改めよ」との勧告文を送附。(「大日蓮」7月号 )
6月25日  月刊ペン事件裁判、第20回公判。上田雅一副会長、検察側証人として出廷。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催、総世帯数 58,285世帯に達す。浅井昭衛講頭「大聖人は人類絶滅を傍観し給わず、ならば今こそ広宣流布の時
6月27日
 妙信講、支部長会、浅井昭衛講頭「いよいよ大総会まであと三月、全妙信講 5万8千の一人一人を強き信心、地涌の流類の自覚に立たせるべく、再折伏、再指導の戦いを開始する時を迎えた」
6月27日  創価学会、7・3記念北海道幹部会開催(小樽文化会館)。池田大作名誉会長「北海道広布といえば、まず思い起こすのは、『小樽問答』である -- 何か事件が起こると、必ず、退転者、反逆者がでる。… 近くは、日達上人の御遷化ののちに、御当代御法主日顕上人猊下に師敵対している正信会が出ている。在家にあっても、その方程式は、また同じである」(「聖教新聞」7月2日号 )
6月28日
 宗門、富士学林研究科開講式、阿部日顕管長「私が日達上人より、過去、数度にわたって相伝の甚深の法門を承り、それらの総括として昭和53年4月15日、大奥において、付嘱の義をもって深意を拝承したことは、仏祖三宝の御照覧において、事実である。しかるに日達上人より私への付嘱血脈を疑うのみか、訴訟を起こすという反逆僧どもがおる」と、正信会僧侶を非難。(「大日蓮」7月号 )
6月29日  山崎正友恐喝裁判公判、秋谷栄之助会長、反対尋問で「内部通告者は秋谷氏ではないか」と尋問さる。(「東京スポーツ」7月14日付 )
7月7日
 妙信講、婦人部班担当会、浅井昭衛講頭「今こそ広宣流布の時である。御在世の婦人の信心が、妙信講によみがえらぬはずがない。婦人部の幹部は、信心強き賢い婦人となり、自ら担当する組織に責任を持ち、広布を推進してほしい」
7月7日
 宗門、藤本栄道総監、「大韓民国日蓮正宗『寂静山高麗寺』と称するものは … 日蓮正宗とは一切関係なくその名称を勝手に詐称しているにすぎません」
「上田(雅)副会長:宗門は表面的には、そうした高橋住職の動きを認めないという態度を示しました。例えば、昭和57年7月7日には、藤本総監が「大韓民国日蓮正宗『寂静山高麗寺』と称するものは … 日蓮正宗とは一切関係なくその名称を勝手に詐称しているにすぎません」と公式に表明しています。この「高麗寺」こそ高橋住職が開設し、その活動の拠点としてきた所です」(「創価新報」1991年7月3日号 )
7月14日
 妙信講、大総会結集の支部誓願式開催、浅井昭衛講頭「武道館大総会は、仏弟子一万人が広布誓う大儀式
「誓願は低く、戦いは雄大に、そして全員が勝って一万人の大結集を成し遂げる。これが大総会に臨む私の心であります。この戦いを進める方法はただ一つ、「倍確運動」を推進することです。すなわち誓願に倍する絶対確実をつかむ、倍の確実を確認する戦いだから「倍確運動」というのであります。…
 すでに核戦争の危機は足元に迫っております。「我日本の柱とならむ」と誓願し給うた御本仏が、この人類絶滅・諸人堕獄の悲惨を傍観遊ばすはずがありましょうか。ここに一国広宣流布の御命令は、厳としていま妙信講に下されたのであります。かかる大総会に、信心なき者は参加する資格はありません。御本仏日蓮大聖人の弟子たる自覚に立った一万人が、大聖人の御馬前に勢揃いして、日本国の広宣流布を誓い奉るのであります。さあ! 誓願は決った。あとは大御本尊に一念こめて祈り、戦い、そしてみごとに勝とうではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第225号 )
7月14日  山崎正友恐喝事件公判、秋谷栄之助会長「学会のトップは、宮本宅盗聴を知っていた」と証言。(「赤旗」7月15日付 )
7月14日  創価学会員、深遠寺住職の家族ら5人を殺傷。
「同事件は、7月14日白昼、精神分裂症の病歴を持つ29才の学会青年員が、佐賀県武雄市の深遠寺に乱入、高木当道住職の妻子やお手伝いさんを次々に刺し、住職の5才になる長女、3才の次女、それにお手伝いに来ていた21才の女性が死亡するという、痛ましいものだった。…
 創価学会に入れば、カネ儲けをはじめ、病気の治癒など、利益がいっぱいあると聞かされて入信、学会活動にも励んだが、逆に金を取られる始末。学会への恨みが高じて、授戒を受けた日蓮正宗寺院をも逆恨みするようになった」(「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友 )
7月16日  月刊ペン事件裁判、第21回公判。検察側証人として上田雅一と桐ケ谷章(学会顧問弁護士)が出廷。
「上田氏は、先の公判で原島氏が『昭和45年2月上旬、箱根研修所で口紅をみた云々』と証言したことに対し、箱根に行ったのは2月11日。そして池田会長(当時)に原島氏、桐村氏とともに呼ばれたのは2月12日午前1時半ごろだ。そのことは、自分と桐村氏のメモにその旨記載されているので明確である。従って、原島氏がその日(日付は特定せず)の午後云々といっているのは全くのデタラメである。また、屋外で私から話を聞いて口紅と分ったなどと原島氏は証言しているが、2月の箱根は零下の寒さ、まして深夜であり、わざわざ屋外で話すはずがないと証言し、原島証言を否定した」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
7月20日~
 宗門、イギリス・西ドイツ・イタリア出張授戒。(「大日蓮」第440号 )
7月21日
 宗門、総本山内事部。正信会僧侶 西本暁道師、芳賀体道師、竹內幹行師、松田教導師を、登山停止に処す。(「大日蓮」8月号 )
7月23日  創価学会、損害賠償請求訴訟公判、原島嵩が証言「私と行動を共にすると決意した5人の幹部の内の一人は野崎至亮であった」(「東京スポーツ」8月1日付 )
7月24日  創価学会、関東会第1回研修会(長野研修道場)。
 池田大作名誉会長「御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。令法久住という基調を根幹とし、我々は広宣流布に邁進するのである。いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。我々はあくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。… 思えば、私どもは大変な福運をもつて生まれた。代々の御法主上人のもとに、立宗七百年祭、さらに熱原法難七百年、また大聖人第七百御遠忌等々、数多くの佳節を慶祝することができた。さらには、大石寺開基七百年も迎えることができる。ここで立宗七百五十年を目指すことは、まことに意義深いといわねばならない」(「聖教新聞」7月26日号 )
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「大聖人への忠誠心こそ妙信講の精神。今や妙信講は外海に在る。日蓮正宗の中だけで御遺命を守護してきた一講中の立場から、いまや日蓮正宗を代表して一国に三大秘法の正義、御遺命たる国立戒壇の正義を顕わしていかねばならぬ立場になった」
7月29日  月刊ペン事件裁判、第22回公判。検察側証人として桐ケ谷章、弁護側証人として戸田哲夫(週刊新潮記者)が出廷。
「桐ケ谷氏は、山崎氏が先の公判で『4月下旬に箱根研修所で口紅云々を見た』などと証言しているが、目撃したとされる4月20日は山崎氏は箱根にいなかったと証言」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
7月30日  創価学会、伸一会第10回研修総会(長野研修道場)。
 池田大作名誉会長「今、宗門においても仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲じむベきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。広宣流布そして正法正信の直系を離れ、我見の教学を論じ、背信の一群をリードしたとしても、それは異説邪道である」(「聖教新聞」7号31日号 )
7月30日  山崎正友恐喝事件公判、山崎正友の元秘書・坂本龍三、「私は川上聖雄(現創価学会東海道青年部長)のグループに入り、広野輝夫のもとで、妙信講の情報収集あたった。学会を守るため、妙信講の宣伝カーを破壊することもやった。山崎被告人は妙信講の宣伝カーに発信マイクを取り付けることを指示した」と証言。(「赤旗」7月31日付 )
7月31日~  創価学会、「現代世界の核の脅威展」を、新宿 "野村ビル" にて開催。(「聖教新聞」)
8月2日
 宗門、台風10号被害。丑寅の勤行の時、総本山大客殿のガラスが吹き破られる。
8月5日  月刊ペン事件裁判、第23回公判。弁護側証人として稲垣和雄(元学会員)、検察側証人として持永俊之(創価学会神奈川県長)が出廷。
「稲垣氏は、… 創価学会に関するスキャンダル話しは、創価学会の脱会者の集まりや『新宗教新聞』の清水雅人氏などから聞いたもので、具体的根拠のない話しだが、週刊誌などに流したのは自分である、などと証言」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
8月5日  小説春秋 9月号、内藤国夫の連載「創価学会インサイドレポート」掲載。
8月11日
 妙信講、再建25周年記念幹部会開催(豊島公会堂)、浅井昭衛講頭「一国広布の大闘争こそ妙信講の正念場
「今や妙信講は外海に在ります。宗門の中だけで御遺命を守護してきた一講中の立場から、すでに日蓮正宗を代表して、一国に大聖人の正義、国立戒壇の正義を顕わしていかねばならぬ立場になってまいりました。
 世界の動乱そして日本の破局は、もう足元に迫っております。大慈大悲の御本仏・日蓮大聖人が、この人類絶滅・諸人堕獄の悲惨を傍観遊ばすはずは断じてありません。 すでに広宣流布の御命令は発せられております。しかし、御遺命を破壊せんとした創価学会、またこれに与同した宗門僧侶に、この大聖人の御命令に応える資格がありましょうか。…
 これを以て思うに、妙信講の過去二十五年の戦いは未だ序分、すべては今日のための準備でありました。これから始まる一国広布の大闘争こそ、まさしく妙信講の正念場であります。本日の二十五周年記念幹部会を機として、全幹部が新しい決意に立ち、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第226号 )
8月20日
 宗門、大橋慈譲著「まことの生きた法華哲学を語る」発刊。
8月20~24日
 妙信講、特別講習会。4回に分け豊島公会堂で開催、参加者4,786名。浅井昭衛講頭「日蓮正宗妙信講の歴史と使命
「阿部日顕管長は、再び池田大作と手を組んだが、これが細井前管長のもとに集った反学会活動家僧侶二百名の反発を買い、現在阿部日顕管長は "法主にあらず" と裁判所に訴えられている。さらに池田大作は腹心の部下、山崎正友・原島嵩に背かれ、本年十月から法廷に引き出される窮地に立っている。御遺命に背いた学会は、確実に崩壊を始めたのである。まさしく大罰である。
 妙信講は、三万世帯と四万世帯達成を機に、阿部日顕管長を再度諫めた。ここに諫暁すでに十二年、宗門の中において、云うべきことは云い、為すべきことは為した。大聖人様より、不忠の弟子とのお叱りだけは免るべしと思う。日蓮正宗に妙信講ある限り、御遺命の正義はもう誰人も曲げ得ない、国立戒壇の正義は厳然である」(「冨士」第227号 )
8月20日  創価学会、第275回本部幹部会開催(浜松平和会館)。
 秋谷栄之助会長「週刊誌による学会攻撃は、昔からあったともいえるが、一段と卑劣になったのは五十二年ごろからである。学会を攻撃し批判するために、まず、いかにも週刊誌がとびつきやすい、俗受けしやすい話としていわゆる"リンチ事件"とか"口紅事件"と名づけて極めて意図的な悪質な情報が流され、週刊誌はそれを面白おかしく書き連ねた。また"参詣者ただ今ゼロ"という、あたかも学会員が一人も総本山に参詣していないという記事を掲載し、宗門と学会の離間をはかる策略の手先にのって攻撃を始めた(「聖教新聞」8号22日号 )
8月21日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 42名を擯斥処分に付す。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「不可能を可能にしてきたのが妙信講の伝統。涙の出るような真心を尽くして結集に勝ってこそ、大聖人の御馬前での晴れの出陣式が叶う」
 楽隊長に黄木敏光、鼓笛隊長に田代雅稔任命さる。
8月31日
 正信会、提訴の一部を取り下げる。(「大日蓮」10月号 )
9月3日  月刊ペン事件裁判、第24回公判。検察側証人として持永俊之と福永修(元『週刊新潮』記者)が出廷。
「持永氏は、… 昭和43年から同50年まで第一庶務(池田大作氏の秘書部局)所属。… 昭和44年6月から同45年11月まで池田会長の行動記録ノートを作成していた。この記録は正確を期してつけていたものである、と当時の状況をふまえ証言した。持永証言は、先の原島証言と山崎証言の"箱根で口紅云々"等は事実に反していることを裏付ける」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
9月5日  月刊「宝石」10月号、溝口敦による松本篤へのインタビュー記事を掲載。
9月6日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長の発言掲載。「広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、… 要所要所を全部ね、学会員で占める」
9月13日
 妙信講、男子部班長会開催、浅井昭衛講頭「妙信講の再建は不思議にも、宗門において御遺命が破壊される直前であった。今回の大総会は、日本の破局の直前に行われる。この、時の不思議をよくよく肝に銘ぜよ」
9月16日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 40名を擯斥処分に付す。
9月17日  月刊ペン事件裁判、第25回公判、渡部通子が証人として出廷。
「当の渡部通子女史も法廷に立ち、"三畳間" の存在を否定し、それどころか、池田氏との関わりをここまで否定した。…
 弁護士 あなたが池田さんのそばにいて、世話をするのを見た人がいますが。
 渡部  世話ってなんですか。具体的に言ってください。
 弁護士 たとえば、上着をとってあげるとか、ゆかたを着替えさせるとか、胸をマッサージするとか、お茶を入れてあげるとか。
 渡部  いたしません。なんですか、身の回りの世話とは! 」(「自由の砦」96年3月23日号 )
9月24日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 54名(無任所教師)を擯斥処分に付す。
9月25日  幸洋出版、丸山実著『「月刊ペン」事件の内幕』を出版。「民主主義のもう一つの建て前である三権分立は権力の肥大化による独裁政治を禁ずるためにある。したがって、国民の諸権利を庇護する司法といえども権力の中枢者集団なのだ。その権力者が、仮に創価学会をこのまま放置しておけば学会の指導者である池田大作氏は、共産主義国であるソ連、中国と公権力者以上に密接な関係を持っているからには、いずれ敵対する強力な団体になることは必定。いまなら池田大作氏のスキャンダルをねつ造し、天下に公表することで(先述したマッカーシーの手法をもって)国民に非民主主義者である事を植え付けることが出来ると計算したのだ」
9月29日  宮本宅盗聴事件裁判、第13回公判、山崎正友「稲垣和雄に5千万円、梅沢十四夫に1千万円、その他創対連関係工作費として1千3百万円の金が流れた」と証言。
10月 日  文芸春秋、「池田大作出廷の衝撃」を掲載。(「同誌」11月号 )
10月9日
 妙信講、第23回総会開催(日本武道館)、「あと25年で広宣流布せねば日本は滅亡 日蓮正宗顕正会と改称」
 浅井昭衛講頭「いよいよ妙信講は日蓮大聖人の御意のまま、仏弟子として一国広宣流布に敢然と立つべき時を迎えました。そのゆえは、日本の破局が眼前に迫ってきたからであります。… 日本の破局は、経済崩壊・食糧危機・世界動乱によってもたらされる。その破局の号鐘こそ、来るべき大地震であります。…
 まず第一の経済崩壊でありますが、国内の財政危機だけを見ても、破局寸前であることは衆目の一致するところであります。国債の発行額はすでに百兆円をこえ、その利息だけで年間八兆円、しかもその額は年々増加することはあっても減ることはない。このままいけば、あと数年で、国家機能そのものが麻痺するといわれております。…
 次に食糧危機でありますが、近年の異常気象は数百年に一度あるかないかのものといわれております。この異常気象の影響で、地球の寒冷化・乾燥化が進み、いま世界の至るところで砂漠が広がり、ガン細.胞のように緑の土地が侵蝕されつつあります。この砂漠化で失われる世界の農耕地・牧草地は、毎年九州と四国を合わせた面積に匹敵するといわれております。…
 破局の第三は、最も恐るべき世界動乱であります。大聖人は撰時抄に、御在世の法体広布の時と、未来事の広宣流布の時には、必ず世界規模の大戦争があることを、「前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし」と断定遊ばされておりますが、御在世には大蒙古が世界侵略を起こし、いま事の広布の前夜には、ソ連という修羅の大国が全世界に脅威を与え、第三次世界大戦がまさに起こらんとしていることは、御金言の寸分も違わざることに驚きを感ずるものであります。…
 ソ連という国は共産主義を国是とするイデオロギー国家、そして共産主義のイデオロギーは、階級闘争と体制間の戦争を基本理念としております。すなわち戦争という手段を以て、世界を共産化することを目的としているのであります。… いま世界に蓄えられている核兵器は、全人類を三十数回も殺戮することができ、一触即発の緊張は日一日と高まっております。… このことに気付かず、目先の安逸を貪る今日の日本人は、まさにタイタニック号の乗客と同じ、噴火口上に踊る者と同じ、また火宅にたわむれるいとけなき子供と全く同じであります。…
 しこうして、日本の破局はいつから始まるか。… すなわち大地震こそ破局の序曲であり、号鐘であります。すでにある気象学者は、来年の九月に関東大地震が起こると、年月まで特定して警告しております。これが当たるかどうかは知らない。しかし、仏法の上から考えて、「当らずといえども遠からず」と私は思っております。そのゆえは、大聖人の御在世には文永元年に前代未聞の大彗星が出現し、その数年前にあの正嘉の大地震が起きております。… いま一閻浮提の大闘諍が起こらんとしている時、また兆のないはずはない。すでに昭和六十一年に大彗星が出現することは確定しております。されば大地震また遠からずと、思わざるを得ないのであります。そしてこの大地震を号鐘として、それより日本は破局の坂道をころげ落ちて行くのでありましょう。… もし世界の大動乱始まらんか、生き延びる国、生き残れる人が地球上にあり得ましょうか。人類は絶滅であります。…
 妙信講のこれからの路線について申し述べます。妙信講は現在六万、一両年のうちに十万となり、それより加速度をつけ、百万、そして一千万へと一筋に驀進いたします。…
 これらの仰せを拝すれば、仏弟子として広宣流布を進めるのに、政治進出は全く不要であります。政治権力を求める者は野心であり、必ず自ら腐敗を招くものであります。… 政党のいかんを問わず、国立戒壇建立に賛成する国会議員を以て、将来「国立戒壇建立促進議員連盟」のごときものが結成される時が、必ず来ることを私は確信しております。…
 ここで皆さんに、大事な相談をしたい。妙信講はいま、歴史的な段階を迎えております。… ここに妙信講のこれからなすべき大使命を思う時、いよいよ妙信講はその使命を表わす名称を名乗るべき時を迎えた、と感じております。よって本日の大総会を機に、妙信講の名称を「日蓮正宗顕正会」と正式に改めたいと思っております。…
 今後、大聖人の仏法を広く大衆に広めるのに、「講」という名称は必ずしもふさわしいとはいえない。そのゆえは、世間一般の「講」というものに対するイメージは、「観音講」とか「伊勢講」とか「熊野講」とか、およそ古く閉鎖的で特殊な信仰集団、善男善女の集りというような先入観がある。あるいはまた「頼母子講」とか「無尽講」のごときものもある。少しでもこれらと同一視されることは迷惑であり、広宣流布の戦いを進める上に好ましくありません。さらに宗門の中を見渡せば、あるいは実修講・本因妙講・妙典講・妙観講、あるいは各寺院ごとに〇〇寺法華講等と、数百の小さな講中がある。妙信講という名称は、これらの中の一つ、多数の中の一つ、一支部名に過ぎません。しかし今や妙信講は法華講の中の一支部ではない。学会も宗門僧侶も国立戒壇を全く云えなくなった今日、対外的に日蓮大聖人の御精神を顕わし戦う団体は、妙信講以外にはない、この意味で、妙信講はまさに日蓮正宗を代表する立場であります。…
 妙信講は、日蓮正宗を代表して国に国立戒壇の正義を顕わす唯一の団体であれば、いま「日蓮正宗顕正会」と名乗ることが、最もふさわしいと私は深く考えておりますが、皆さんいかがでしょうか。(大拍手) では、本日只今から「日蓮正宗顕正会」と名乗ることに決定いたします。(大拍手) …
 この改称こそ、背水の陣の決意の表明であります。私はこの戦いに命を捨てる決意であります。もしあと25年で広宣流布できなければ、核戦争によって人類は絶滅するではありませんか」(「冨士」第228号 )
(※ "日蓮正宗顕正会" と名称変更してから、教団のカルト化と迷走が本格化して行く。この「顕正会年表」では、その "迷走" の過程を点検し得る "事実" を提示して行こう。
 浅井昭衛会長の講演には、宗門や創価学会にはない特有の "宗教的エートス" が濃厚に現れていて、それは今日に至るまで変わらない。将来の予見めいた "脅迫的見通し" がことごとく外れること、自身の言辞に一切責任を取らないこと、発言自体をなかったことにすること、他者には反省と懺悔を求めるが自分は反省しないこと、そうしたことは一貫不変である。
 "日本の破局が眼前" と盲信すれば、まともな人生設計はできない。教団のノルマ達成に精力を傾け、ボロボロになって使い捨てられていく。どれほど多くの純信を踏みにじって、かけがえのない人生に悲惨と不幸をもたらして来たことか。人をまどわし災いをもたらし、生命を奪う者は "魔" (māra) と呼ばれる。
 この武道館大総会で、「学会より正義にめざめて」と題して登壇したのが、上原成宏(杉並支部)である。創価学会渉外三局でスパイ活動をしていたことを述べ、『これでも池田大作を信ずるか』と『私は創価学会のスパイだった』執筆の経緯を語っている。(「顕正新聞」10月25日号 )櫻川 忠 )
10月12日
 宗門、正本堂建立十周年記念総登山。阿部日顕管長、池田大作名誉総講頭に褒賞の大曼陀羅(脇書「賞大法護持広布並に世界平和貢献之功」)を授与。
「さて先師日達上人が大御本尊安置のこの大殿堂を正本堂と命名せられたことは、宗祖大聖人、日興上人以来の血脈法水を通して深甚の意義を熟慮あそばされたからにほかなりません。…
 正本堂は百六箇抄にある『本門寺本堂』を意味する。なぜ本門寺の名称にしないかといえばまだ謗法の者が多いからだ。だから蔵の形を残した。だが広布達成も近いと思われるので『正本堂』と命名した」
 正本堂建立十周年記念祝賀の集い(大石寺・大書院)、「総本山に秋冷の気満つる本日、一閻浮提総与・独一本門戒壇の大御本尊御建立の意義深き日に、血脈付法第六十七世御法主日顕上人猊下の大導師を賜り、全国の信徒の代表一万余名がこの歴史的な御開扉の荘厳な儀式に参詣列座することができえまして、地涌の菩薩の眷属たる私どもにとり、これに過ぐる歓喜と栄誉はございません」(「広布と人生を語る」第四巻 池田大作 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。
 本部会議、折伏成果の呼称変更。"世帯"から、"人数"に改むことを決定。
10月15日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 手塚寛道師、川島秀随師、岡本領道師の3名を擯斥処分に付す。
10月15日
 顕正会、臨時班長会開催(千代田区公会堂)。浅井昭衛会長「改称こそ背水の陣の決意の表明。25年前の妙信講の再建は宗門濁乱の直前であった。いま顕正会の出陣は日本の破局の直前である。時の不思議と使命の重大さを痛感する」
10月15日  月刊ペン事件裁判、第26回公判。池田大作名誉会長、証人として出廷。出廷回避のため、3千万円の裏工作を認めた。
 赤坂の芸者には3年間で4~5回会っていたことを池田大作自身が語り、また、第一庶務をはじめとした女性を各地研修所に頻繁に連れて行くという、社会常識を欠いた行動を裁判長からたしなめられた。 渡部通子に関して、女子部の "体験集" の中で彼女が池田氏とのことを書いたものが読み上げられた。
「一人で泣いているとき、トントンと階段を上がる音が聞こえてきて、池田先生が上がってきて、私を抱きしめてなぐさめて下さった」(「私の体験・人生の並木道」渡部通子 )」
 創価学会弁護団、池田大作の行動記録を提出。怠慢な生活態度、勤行をしていないことが証明される結果となる。
「かねが戸田の指導を受けるため、当時、国鉄中央線市ヶ谷駅のそばにあった戸田の経営する金融会社「大蔵商事」へやってきて、こう訴えたと元学会幹部は話す。『じつはウチの主人は朝晩の勤行をやりません。五座・三座もやりません。いつもお題目三唱で済ましてしまいます。私がそのことをいうと、"おれは特別だからやらなくてもいいんだ" と答えます。ウチの主人は本当に特別なんでしょうか』、戸田は『何? 』といって絶句したという」(「池田大作・金脈の研究」野田峯雄 )
10月18-22日
 宗門、韓国出張授戒。
10月20日  山崎正友恐喝事件裁判、池田大作名誉会長、第29回公判に検察側証人として出廷。山崎正友の「恐喝」を立証すべく、"正信会の運動は山崎の画策" 等、起訴事実に基いた証言。同日午後、山崎正友弁護側の反対尋問を受ける。
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「日蓮大聖人こそ人生の杖・柱である。大衆は折伏を待っている。歴史的な出陣式の次は、歴史的な大折伏を」
 第7隊幹事に浅井克衛、第7区長に浅井昌子 任命さる。
10月27日  山崎正友恐喝事件裁判、第30回公判に池田大作名誉会長、証人として出廷。20日にひき続き、山崎弁護側の反対尋問を受ける。
 池田大作名誉会長「日達上人に対し、創共協定は妙信講対策のために結んだもので、妙信講との裁判の見通しがつけば破棄すると説明した」と証言。
「山崎は事前に、『池田氏が証人として出廷する時期が、裁判の山場となるでしょう。秘中の秘ですが、アッという新証拠を出して、私の潔白を証明してみせます』(「月刊サーチ」昭和56年11月号 )… などと述べ、戦う前からその意気込みたるや大変なものであった。ところが、裁判所において直接対決した山崎正友の姿は哀れそのものであった。… 質問要旨は判然とせず、ついに裁判長から「… 君だって弁護士だったのだからわかっていると思って、さっきから黙って聞いていたが、まとまりが全然ない。もっと整理して話しなさい」と注意され、池田名誉会長への山崎の反対尋問は中止された」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 ) 
10月28日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長の山崎正友恐喝事件裁判への証人出廷を報道。
「名誉会長の証言、すべて終わる」との見出しで「弁護人から約6時間にわたって反対尋問が行なわれ、午後5時45分、池田名誉会長への尋問は一切終了した」と掲載した。
 2回で反対尋問が終わらなかったため、裁判終了後、山崎正友側弁護人から再度の出廷を要請されいたが、"一切終了" と報道。
11月1日  創価学会、「大白蓮華」11月号、俳優・鈴木ヒロミツの「理屈を超えて実感した勤行唱題の力」を掲載。
11月2日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「将来国中の邪宗と、それと結託する政治家が顕正会を怨嫉しよう。かかる強敵が出てこなければ、顕正会は本物ではない。『この戦いに命を捨てる決意』と云ったのは、このことを思うゆえである。強敵を招き降していく信心に立て」
11月4日
 顕正会、11月度支部班長会、浅井昭衛会長「池田大作は御遺命破壊のゆえに、裁判地獄で苦しんでいる。ただし、池田を批判している『月刊ペン』の隈部大蔵、内藤国夫等も謗法者である。顕正会は、これら謗法者とは妥協しない。ただ大聖人の方人を申し上げ、戒壇の大御本尊をお守り申し上げる。これが顕正会の大精神である」
11月4日  週刊新潮、「内閣調査室資料にあった池田スキャンダルの "新しい女"」を掲載。月刊ペン裁判差し戻し審の被告人尋問で、隈部大蔵が述べたことをそのまま記事にした。(「同誌」11月11日号 )
11月5日  創価学会、北風清松副会長、副会長職を辞任。( 月刊「現代」12月号 )
11月7日  宮本宅盗聴事件裁判、第14回公判口頭弁論、広野輝夫への被告側主尋問。広野輝夫、創価学会の組織関与を否定し「三人犯行説」を主張。
11月8日  創価学会、高知地方裁判所の「特財財務返還訴訟」で、高知の正信会檀徒に敗訴。創価学会、高松高等裁判所に控訴。
11月9日  サンデー毎日、野崎勲総合青年部長の「虚構の崩壊(第1回) 不覚に始まり醜態に終わった山崎の"対立劇"」を掲載。(「同誌」11月21日号 )
11月14日  創価学会、広報室、サンデー毎日編集部に "激励の投書" をするよう、呼びかけた内部文書が暴露される。
11月15日
 宗門、日目上人第六百五十遠忌大法会奉修。
 阿部日顕管長「池田法華講名誉総講頭をはじめとして、宗門の御本尊を信受する信徒の方々が、正法受持の実践により広く世界広布の実績を挙げつつ、真の平和のため、また文化の建設のために努力、貢献される姿は、まことに大聖人、日興上人、日目上人の大慈悲に、応え奉る道であると存ずるものであります」
11月15日
 顕正会、日目上人第六百五十遠忌御報恩勤行会厳修(本部会館)、浅井昭衛会長「捨身の国家諌暁実に四十二度
「本日は第三祖日目上人の第六百五十遠忌を迎え奉り、ここに御報恩のため、その御徳を偲び、御振舞いの一端をも申し述べたいと存ずるものであります。
 まことに昨年は御本仏日蓮大聖人の御入滅七百年、そして本年は2月に二祖日興上人の六百五十遠忌、またこの11月には日目上人の六百五十遠忌と、まさにいま広布の途上において、ただならぬ大きな節を迎えているものと感ぜざるを得ません。かかる時 顕正会は、昨年の御入滅七百年には国家諫暁の御奉公に立ち、本年は一国広布の出陣式をなし得ましたこと、まことに有り難いと思うものであります。
 さて、日目上人の御生涯にわたる御振舞いを拝見するに、ただ人ではありません。まさしく日興上人と同じく、御本仏日蓮大聖人の御化導を助けまいらせるべく出現された本化地涌の大菩薩と拝すべきであります。日目上人こそ、末法下種の三宝に直接仕えまいらせ、広宣流布・国立戒壇建立への死身弘法を、後代の私共に、身を以て教えて下さった御方であります。いまその御徳を端的に挙げさせて頂けば、行体堅固・問答第一・死身弘法の三つでありましょう」(「冨士」第230号 )
11月15日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友恐喝事件裁判で「池田氏の二枚舌露見」掲載。
「池田大作創価学会名誉会長は、10月20日と27日の両日、山崎正友元同会顧問弁護士を被告とする『三億円恐喝・五億円同未遂事件』公判に証人として出廷して証言した。… 池田氏は、これらの法廷でも、池田語録を手に鋭く追求する被告弁護側の反対尋問に『記憶にない』『わからない』を連発、ときには居直る証言を行なった。しかし、否定するあまり自語相違をきたし、顔を紅潮させる場面も。とくに27日の公判では、弁護側から創共協定に関する『北条報告書』をつきつけられ、故日達上人をだましていたことが明らかになった」(「同」11月15日号 )
11月16日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第2回) "悪あがき"で自滅した隈部大蔵」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」11月28日号 )
11月23日  創価学会、「創価新報」創刊。聖教新聞、秋谷栄之助会長談話「『創価新報』創刊について」
「『創価』の名を冠し『創価新報』として本格的に青年部機関誌がスタートすることは、青年部の歴史に画期的な一ページを刻むことになろう。今の世の中に必要なものは、確たる理念に基づいた正しい主張であり、広布推進のうえからも、仏法を広く理解せしめ、誤れる邪悪な言論とは戦う毅然たる主張が要請されている。その意味から『創価新報』の役割は極めて大きいし、発展を心から願うものである」(「同」11月23日号 )
11月23日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第3回) 山崎の首しめた十二年前の麻雀」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月5日号 )
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「明年を『前進の年』と名づけ、八万を達成したい。来年からは、地方の弘通に力を入れていきたい。地方の点を結んで線となし、線を結んで面とする、この面が日本を覆う時が広宣流布である」
(※ ここで、「地方の弘通に力を入れ」が打ち出され、翌年(昭和58年10月)「全国広布の気運満つ」として初めての地方会館である高知会館の建設が発表され、昭和59年8月 高知会館の落慶入仏で日布上人の常住本尊が安置された。続いて、昭和60年2月に藤沢事務所、8月に長野事務所、11月に松戸事務所が開設された。各地に地方会館が必要になって来たのはこの頃からであり、解散処分の当時、一万数千の妙信講員は首都圏に集中しており、念願の "本部会館" 獲得に大満足、"地方会館" の構想などなかったのである。櫻川 忠 )
11月27日  中曽根康弘内閣発足、中曽根康弘、第71代内閣総理大臣に任命さる。官房長官に田中派の後藤田正晴をすえ、ロッキード裁判に批判的な秦野章を法務大臣に起用、「田中曽根内閣」と呼ばれた。
11月29日~
 宗門、フィリピン・シンガポール・マレーシア・インドネシア出張授戒。(「大日蓮」第445号 )
11月29日  創価学会と木村靖、晩聲社との「池田大作言行録(社長会記録)」(松本勝弥著) 出版差し止め訴訟を、無条件で取り下げる。
11月30日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第4回) 実体なき"スキャンダル"の空騒ぎ」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月12日号 )
12月1日  創価学会、第三文明社、第三文明編集部 (編集)「挑戦する公明党」発刊。
12月2日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「あと数年で武道館に男子部一万名を結集し、日本国を揺り動かす顕正会男子部の旗上げをせよ」
12月6~14日
 宗門、フランス・スペイン・西ドイツ・デンマーク・イギリス出張授戒。
12月7日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第5回) 世間を欺いた山崎の最高裁上申書」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月19日号 )
12月13日
 顕正会、教学部、「開目抄」講義終了。
12月14-16日
 宗門、阿部日顕管長、日目上人六百五十遠忌法会奉修。(「大日蓮」第443号 )
12月14日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第6回) 大ウソも二人でつけば怖くない?」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月26日号 )
12月15日
 宗門、遠忌出版事業実行委員会編「日興上人・日目上人正伝」刊行。
12月21日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第7回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」58年1月2日号 )
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会、板橋文化会館に会場を移し開催。浅井昭衛会長「教学は一生成仏と広宣流布のためである。顕正会員は真剣に開目抄を拝読せよ」
12月25日
 顕正会、浅井昭衛会長、「開目抄を拝し奉る」を執筆。(「冨士」第230号 )
12月28日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第8回) 「宗門問題」その「謀略」の「罪と罰」(上)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」58年1月9日号 )
12月 日  創価学会、不当労働行為裁判。解決金的な相応の金を支払い、松本勝弥と和解。

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