迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、年頭の辞「前進」
「昨秋日本武道館において一国広布の出陣式を了え、いよいよ前進開始の時を迎えた。新たなる決意と歓喜、心より湧き上がるをおぼえる。日本の将来について世の識者は、あるいは悲観あるいは楽観、さまざまな見解を述べている。しかしこれらはことごとく皮相の見に過ぎない、未だ仏法を知らざるゆえである。… 仏法の鏡に照らして見れば、日本の破局が眼前たることは疑いない。具さには先の大総会で述べたごとくである。もし広宣流布が実現せねば、大闘諍により日本も世界も滅亡せざるを得ないのである。この破局の前夜濁乱の世に、仏の使いの軍勢はいま陣列を整え粛々と進軍せんとしている。この前進を御本仏は必ず御照覧下さる。そしてこの前進に、日本の運命がかかっている」(「冨士」第231号 )
 元旦勤行、本部会館で7回に分け奉修。4千名が参加。
1月1日  創価学会、聖教新聞社、青年部の機関紙として「創価新報」を創刊。
1月4日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第9回) 「宗門問題」その「謀略」の「罪と罰」(下)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」1月16・23日号 )
1月5日
 顕正会、1月度支部班長会、浅井昭衛会長「開目抄の『詮ずるところは天も捨て給え』の崇高な御心地と、『諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界に至るべし』の御教誡を、心肝に染めねば広宣流布はできない」
1月6日
 宗門、全国末寺住職・寺族初登山、阿部日顕管長「私はたいへん不徳な者でございまして、その不徳なるが故に昨年度、百数十名という人達をやむを得ず処分いたすことになりました。これは一にかかって私の不徳によるものである、と思っておるのでございます。しかしながら、仏法の色々な意味における筋目から考えたならば、やはりこれはやらざるを得なかったのであります」(「大日蓮」2月号 )
1月6日  創価学会、桐村泰次、教学部長を解任さる。(「聖教新聞」1月7日付 )
1月7日  山崎正友恐喝事件裁判、中西治男総務、公判に証人として出廷。
1月10/12日
 顕正会、初講義。板橋文化会館で2回に分け開催、参加者2千8百余名。浅井昭衛会長、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。
1月15日
 顕正会、成人式開催(本部会館)、参加者2百余名。浅井昭衛会長、「自利利他の大樹に育て」と。
1月16日
 顕正会、教学部。三級昇格試験を執行、824名が受験。
1月16日
 檀徒会、神奈川大会開催。原島嵩、「52年当時、原島・山崎と行動を共にしようとした内部告発者は、野崎至亮・桐村泰次・中西治雄であった」と語る。(「継命」2月1日付 )
1月18日~
 宗門、阿部日顕管長、メキシコ・ブラジル親修出発。2月2日帰国。(「大日蓮」第445号 )
1月18日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第10回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」1月30日号 )
1月22日
 宗門、一乗寺(ブラジル・サンパウロ市)移転。(「大日蓮」第445号 )
1月23日
 顕正会、教学部。登用試験を全国20会場で執行、受験者1,231名。
1月24日
 正信会在勤教師会、宗務院時局法義研鑽委員会に、公開討論を申し入れる。(「継命」2月5日号 )
1月25日  創価学会、池田大作名誉会長、第8回「SGIの日」記念提言を発表。(1) 核凍結へ米ソ首脳会談の早期実現、(2)「核戦争防止センター」の設置、(3) 軍事費凍結の国際会議、等。
1月25日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第11回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月6日号 )
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「『折伏』の二字を聞いて、奮い立たぬ者は仏弟子ではない。もし破局のテンポに顕正会の前進がおくれたら、大聖人様にまことに申しわけない」
 理事に栗島富男任命さる。
1月27日  創価学会、港・千代田区幹部会(東京・麻布文化会館)。池田大作名誉会長「私も長く会長職にあったし、少々体も疲れてきたので、昭和五十四年四月に、北条さんに会長職をゆずった。北条さんも年配であり、早くゆずってさしあげたかった。そのころ、私は懇意にしていた著名な財界人と語ったことがある。私は、後継者が育ったし、体も強くないし、パトンタツチすることにしましたといった。すると氏は、大変おどろいた様子で残念がっておられた」(「聖教新聞」1月30日号 )
2月1日
 顕正会、2月度支部班長会、浅井昭衛会長「顕正会は広宣流布の生命体、清浄の組織みんなで守ろう」と、怨嫉を厳しく誡む。
2月1日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第12回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月13日号 )
2月3日  山崎正友恐喝事件裁判、原田稔副会長、公判に証人として出廷。
2月7日
 顕正会、日興上人御正当御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「『未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致す可き事』との日興上人の御遺誡を顕正会こそ実践し、御遺命達成に向って前進しよう」
 浅井昭衛会長、冨士巻頭言「不沈空母か仏国土か」、「前首相と好対照の中曽根首相は、かえって破局へのテンポを早める宰相となろう。恐らく首相が国土防衛に力を入れれば入れるほど、戦乱の大渦が日本に近づくことは疑いない。… ゆえに顕正会は一昨年の秋、当時の総理大臣以下全国会議員に対し『もし正法を立てずして、国運極まり諸天の守護なければ、いかなる重武装をするとも防衛は不可能である、… もし日蓮大聖人の御金言を軽侮せんか、たとえ内治外交に最善を尽くすとも、磁石が鉄を吸うごとく、国に種々の災難出来し、天変地天ののちついに他国に逼(せ)められ、人も国も亡ぶこと疑いなきところである』と諫暁したのである。 しかるに愚かにも、いま中曽根首相は正法を無視し『日本を不沈空母にせん』などといって、かえって災いを千里の外より招かんとしている。「不沈空母」では日本は守れない、今こそ我ら顕正会員は大聖人の御遺命のまま、この日本を仏国土としなくてはならぬ」(「冨士」第232号 )
2月8日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第13回) 裁かれる創価学会批判者たち デマに踊った内藤式精神構造の研究」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月20日号 )
2月9日  創価学会、聖教新聞社説「信心破る組織利用は厳重に注意」
「今日、隆々たる発展を遂げている創価学会の組織は世の驚異であり、それだけにこの学会組織を私利私欲のために利用しようとしたり、商業ベースに乗せて金儲けの手段にしようとする魔手もまた多い。… 問題は、販売組織を拡大するに際して、学会幹部である自分の立場を利用したり、同志の絆に甘えてうまく稼ごうとしたり、あるいはあたかも学会本部が認めているかのような言動を示して会員に販売したりする場合である」(「同」2月9日号 )
2月12日
 顕正会、教学部。「立正安国論」の講義開始(豊島公会堂)、教学部員 1,044名が参加。
2月13日  創価学会員 ヒロエ・クロウ(アメリカ在住)から、阿部日顕管長に "娘の結婚、近況などの報告" が書かれた手紙が届く。
「今回、御法主上人の御出廷にあたり、新たに発見された当時の手帳やパスポート、その他の証拠書類は、色々な形で、様々な所から、思いもよらずに発見されたものである。当時を偲これらの証拠類により、ヒロエ・クロウの欺瞞は明白となった。…
 さて、ヒロエ・クロウは『シアトル事件』の『口止め料』として、毎年贈り物が付け届けられたなどとしているが、今回、御法主上人は陳述書において明白にこれを否定された。上に掲載した手紙は、昭和58年2月、ヒロエ・クロウが御法主上人へ差し上げた報告の礼状である。
 ここにのべられている、「猊下様の御健勝を心よりお慶び申し上げ」「猊下様の御慈悲ある数々の御振る舞い」「過日猊下様より御下賜いただいておりました御念珠を、娘の出発の日に宝として持たせてやりたい」等の文面からは、前項の写真同様、ヒロエ・クロウの御法主上人への尊敬の念が読みとれるが、今回の御法主上人への誹謗中傷において、『口止め』に贈られたとする「長女の婚礼祝いの数珠」も、ヒロエ・クロウが入手していた御法主上人より下賜の念珠を大切に思い、愛嬢の婚礼の餞にしたものにすぎないことは、このクロウ自身の手紙によっても明白なのである」(「大白法」号外 平成10年1月1日付 )
2月15日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第14回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月27日号 )
2月16日
 顕正会、日蓮大聖人御聖誕報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、「一大事因縁」について講演。
2月18日  創価学会インターナショナル(SGI)、国際連合・経済社会理事会にNGOとして承認さる。(「聖教新聞」2月21日付 )
 経済社会理事会は、国際連合憲章第10章の規定により、経済・社会・労働・文化・教育等で、必要な議決や勧告等を行う。
2月22日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第15回) 恐るべき"情報操作"のデッチ上げ」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」3月6日号 )
2月25日  月刊ペン事件裁判、論告求刑。検察側、隈部被告に「懲役10月・執行猶予1年」を求刑。
2月 日  山崎正友、手記で「池田大作は正本堂を『御遺命の戒壇達成』と意義づけることで、『大聖人は題目と本尊を建立された。その再誕である自分が戒壇を建立した』と宣伝しようとした」と証言。「(「継命」3月1日号 )
2月26日
 顕正会、2月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「少年非行の根本原因は、親も教師も国家も権威を失っているゆえである。今こそ御本仏の三徳を教えよ。… 3月は本年の関所である」
3月1日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第16回・最終回) "大虚構だった山崎らの学会告発" および "池田名誉会長に対する月刊ペン名誉毀損事件 隈部被告に論告求刑"」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」3月13日号 )
3月4日
 顕正会、3月度支部班長会、浅井昭衛会長「今日はすでに、順縁広布の時代に入っている」
3月7日
 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「四力成就」
「すなわち末代凡夫は自受用身即一念三千という生命の極理を識らない、よって我が色心に迷い苦悩に沈むのである。ここにおいて御本仏大慈悲を起こし、妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕し、末法の一切衆生に授与し給うと仰せられる。日寛上人この御文を承けて云く『我等この本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即一念三千の本尊・蓮祖聖人なり … 』と。何と有り難いことであろうか。三毒強盛の我ら凡夫が、御本尊の仏力・法力により自然と大聖人の御内証と一体になり、仏身を成就させて頂けるのである。日夜朝暮に南無妙法蓮華経と唱えずにはいられないではないか」(「冨士」第233号 )
3月9日  山口組系後藤組 組長・後藤忠政、池田大作名誉会長と竹入義勝委員長に約束の履行を求める内容証明郵便を送付。
「四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、公明党稲田(圭佑)市議の三氏が、学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。
 私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。… 私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。ですからこの件にしても、若しこれが刑法223条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。… この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために6年もの刑を受け今だに受刑中です。それを知り、あえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも判って頂けると思います。…
 しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる問題を投げつけてきたのです。私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。… 学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、口先きだけの勤行を唱えているにすぎない。私は池田大作氏の真の声が聞きたい」(「実録創価学会=七つの大罪」)
「これは、Y組傘下のもっとも戦闘的な組織だといわれる、富士宮市に本拠を置くG組の組長からのものである。Gは「事実」を明確にあげて、池田大作に対し直に成功報酬を要求したのだった。その問題がどのように決着したのかは定かではない。が、85年11月12日 東京都新宿区信濃町の創価学会本部に銃弾が撃ち込まれた」(「増補新版池田大作金脈の研究」野田峯雄 )
「後藤と学会の関係は80年代に入ってこじれはじめる。協力の報酬をめぐるトラブルが原因らしい。83年3月、後藤は名誉会長の池田と公明党委員長(当時)の竹入義勝あてに学会の対応を非難する内容証明付き郵便を送りつけた。85年11月には学会本部の文化会館に拳銃2発が撃ち込まれ、後藤組組員が警視庁に現行犯逮捕された」(「野中広務『権力二十年戦争』」魚住 昭 「現代」2004年2月号 )
3月15日  創価学会、兵庫県最高会議開催(兵庫池田講堂)。 池田大作名誉会長「三月一日の大講堂落慶の儀式には、東京都知事、静岡県知事等の来賓を迎え、全国の同志数千人が参加し、日淳上人の大導師を賜って、宗門史に残るであろう、晴れ晴れとした式典が行われた。戸田先生のお体は、非常に衰弱したご様子で、私が片腕を抱えながら、その日の式典の会場へ向かった。その大講堂の式場に向かうエレベーターの中で、先生は『これで自分の仕事は全部終わった。いつ死んでもよいと思っている。あとは大作、頼むぞ』と、ほほえみながらも厳格な口調でおっしやったことが、胸に突きささってはなれない。この時、戸田先生五十八歳、私は三十歳となっていた」(「聖教新聞」3月16日号 )
(※ "三代会長は皆で決めろ" が、戸田城聖会長の遺言である )
3月21日  創価学会、福島源次郎、創価学会の新聞・図書を輸送している(株)日本図書輸送の取締役を辞任。
3月23~26日
 宗門、エクアドル・コロンビア出張授戒。
3月23日  創価学会、副会長に安見福寿・利光安吉・不破年泰・野崎勲が就任。(「聖教新聞」3月24日付 )
3月25日
 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 2,703名。浅井昭衛会長「大折伏でみごと"関所"を突破した。十万達成後、再び日本武道館で大総会を開く」
 本部幹事に佐藤和彦任命さる。
3月30日  静岡地方裁判所、正信会提訴の「阿部日顕の管長・代表役員の地位不存在確認」および「職務執行停止」の仮処分申請を却下。
「このたび、静岡地方裁判所において、正信会を称する者達が、日顕上人猊下を相手として提起していた訴訟について判決が下され、争訟の本質が血脈相承という極めて高度な宗教的問題に関わる事柄であるという判断に基づき、裁判所の介入すべき問題ではないとしての、いわゆる門前払いの却下判決となっており、宗門としてはこれまでに当方が訴訟の中で主張して来た事が全面的に認められたものとして、極めて正当な判決と受けとめております」(「大日蓮」第447号 )
 正信会、東京高等裁判所に控訴。(「継命」4月15日号 )
3月31日
 宗門、第4回非教師指導会、阿部日顕管長「六巻抄の『当流行事抄』の最後に "本門下種三宝" の御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼茶羅本尊が法宝であり、また法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。… 歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は少し言い過ぎであると私は思っております」
3月31日  創価学会、聖教新聞「擯斥僧の理不尽な訴えを却下」
「金口嫡々唯授一人の血脈相承は日蓮正宗の命脈中の命脈である。それに疑義をさしはさむこと自体、大謗法であるのに、それを裁判に訴えるなど、信仰の筋道から根本的に逸脱しているといわざるをえない」(「同」3月31日号 )
4月8日
 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「順縁広布」
「ではこの順縁広布の時はいつ来るのであろうか。仏意計りがたく凡慮のおよぶところではないが、諸般の事象を以てこれを推するに、甚だ近きにありと感ぜざるを得ない。大観すれば、すでに今日は順縁広布の時代に入っているのであろう。ゆえに逆縁の者も未だ多しとはいえ、顕正会の折伏により月に二千・三千の人々が、全国で入信するを見るのである。やがて月に二万・三万乃至十万・二十万と、入信の大潮流が起こること断じて疑いない。そして残った頑迷の人々も、国家的体験の起こる時、一時に信ずるのである。これ時の然らしむるのみ、すべては御本仏大聖人の御威徳による」(「冨士」第234号 )
4月12日
 顕正会、女子部会開催 (豊島公会堂)、1千名が参加。浅井昭衛会長「日妙殿の求道心を鑑に、日本第一の女子部たれ」
4月 日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友の証言を掲載。「私は当時、妙信講対策に従事して『破邪新聞』の編集などにたずさわっていた」。(「同紙」5月1日号 )
4月13日
 顕正会、男子部会開催 (豊島公会堂)、1,089名が参加。浅井昭衛会長「広宣流布こそ仏界の革命。一万人の男子青年が命を賭けて立ち上がるならば、広宣流布は必ず達成される」
4月27日~
 宗門、フランス・オーストリア・イタリア・スウェーデン・イギリス・ガーナ・ナイジェリア・スイス出張授戒。(「大日蓮」第449号 )
4月30日  創価学会、第一回「創価草創の集い」開催 (東京会館)。
 池田大作名誉会長「総本山が日蓮正宗の根本道場であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることは当然である。それを根本とし、我々は戸田先生のもとに集い、青春の生きがいを炎のごとく燃やし戦ったのである。仏法のことも、信心のことも、社会のことも、さまざまな人生のことも、すべてを教わった。それがあったがゆえに、今日の我々があるといっても過言ではない」(「聖教新聞」5月1日号 )
5月1日
 顕正会、日曜勤行、浅井昭衛会長「眼前の証拠」
「法蓮抄に云く『過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし、又修行しても何の詮かあるべき。是れを以て之を思うに、現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん』と。… 『眼前の証拠』とは、日蓮大聖人が示し給うた絶大威力と兼知未萌、すなわち竜の口における御本仏の絶大威力と自他の二難の御予言の寸分も違わぬ現証である。かかる『眼前の証拠』を以て御本仏が三大秘法の功徳をお説き下さる時、始めて我ら凡夫にも広大の仏法が信じられるのである。そしてこの偉大なる御本尊を信ずる時、我が身にも必ず証拠が出る」(「冨士」第235号 )
5月9日  カトリック教会の最高位聖職者、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、地動説を支持したガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判の誤りを認め公式に謝罪、ガリレオの死から350年目。
5月15日
 顕正会、幹部大会開催(渋谷公会堂)、「破局の前の諌暁こそ仏弟子の責務」、全国代表3千名が参加。
 浅井昭衛会長「先般の武道館大総会で述べたごとく、あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります。ゆえに私はこの二十五年を逆算して、その時々、今なにを為すべきかを考え、一つ一つ着実に、そして勇気と決断を以て、広宣流布を推進しようと決意しております。…
 思うに、全国広布をなすためには、全国の都道府県ごとに人材の城を築かねばなりません。…
 いま、世界の火薬庫といわれる中東では、米国があと押しをしているイスラエルと、ソ連軍部隊が直接指揮をとっているシリヤとが、いつ戦争を始めてもおかしくないほど不穏な状態になっております、 いやそれよりも、日本を取り巻くソ連の軍事的重圧は、恐るべき速さで日一日と日本にのしかかりつつ あります。… その大闘諍はすでに起こらんとしている。しかるに、大聖人の弟子として立正安国の御聖意を為政者 に教え、一国に国立戒壇建立を迫る声は、今の宗門には絶えて聞こえない。学会も宗門も御遺命を曲げた罰により、内紛と自己保身に明け暮れているだけであります。もしこのまま日本が大戦乱の大渦に巻きこまれたら一体どうなるか、ただ永久の破滅あるのみであります。…
 折伏理論と全国組織と死身弘法の大情熱が全顕正会にみなぎる時、広布の大潮流は轟々たる音を立て一国に巻き起こる。… 私は広布のテンポを限りなく早めたいと思っている。もし顕正会の前進が破局のテンポに遅れたら、まことに大聖人様に申しわけない。その立場にありながら使命を果さぬは不知恩の弟子、懈怠の弟子である。… 破局の前に御本仏の立正安国の師子吼を、日本国上下の耳に入れしむる諫暁こそ、仏弟子として為すべき最大の責務である」(「冨士」第236号 )
 顕正会始まって以来の大人事発表、理事に小木義馬、本部幹事に小園江典子、男子部主任幹事に加藤昌昭、同幹事に小川善紀、女子部副部長に今野愛子、同幹事に西沢礼子任命さる。
(※ 浅井昭衛会長 (当時50歳)は、「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅」と、本気で思っていたのだろうか? 25年と期限を切るのは、自身の年齢も "諸般の事情" の一つだっただろう。"一点の疑いもなきところ" というのであるから、そうとうな自信があったことが伺える。もしそうなら25年後(平成19年)に、自らの "不明" を責任者として、会員に釈明し謝罪すべきであった。あるいは、本気ではなく "ハッタリ" で、会員を駆り立てるだけの "軽々な言明" だったのなら、知らんぷりで謝罪も反省も不要ということになろう。さて、どちらであっただろうか? 櫻川 忠 )
5月18日
 宗門、オーストリア・ニュージーランド出張授戒。
5月18日
 顕正会、男子部臨時班長会、浅井昭衛会長「男子部は人材の宝庫たれ、鉄の団結で一万結集実現を」
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催、折伏成果 2,487名。浅井昭衛会長「御本尊に力あるゆえ広まる。功徳の感激が広布の原動力」
5月27日
 顕正会、本部会議、浅井昭衛会長「広布のテンポを限りなく早めるには、大情熱と共に智を尽くすことが大切である。もし信心ゆるく打つ手が甘ければ、広布は限りなく遅れる」
5月 日  東京地方検察庁、週刊文春の "ラブホテル" 記事裁判に関し、創価学会と文芸春秋社の両者に和解を勧告。
5月 日  創価学会インターナショナル(SGI)、国連経済社会理事会NGOとして認可さる。(「SGI」誌 )
6月2日
 第8回全国檀徒大会(正信会)、大阪厚生年金会館で開催。
6月2日  創価学会、「第三文明」6月号発行、「特集・反創価学会キャンペーンの"舞台裏"」を掲載。
6月3日
 宗門、宗会議員選挙実施。
6月3日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「我等の肩書はただ『日蓮大聖人の弟子』である」
6月3日  創価学会、文藝春秋社と、週刊文春 "ラブホテル" 記事裁判に関し、示談書を取交し和解成立。
「一、株式会社文藝春秋は、別紙「謹告」と題する文章を、昭和58年6月9日発売の「週刊文春」6月16日号に掲載する。
 一、創価学会は、昭和55年7月10日 警視総監宛川又良一ほかに対する告訴を、直ちに取下げる。
 一、創価学会は、株式会社文藝春秋ほかを被告として提起した、東京地方裁判所 昭和55年(7)第7355号 謝罪広告等請求事件の請求を放棄し、右事件を直ちに取下げる」
6月7・12日
 顕正会、学習会開催、「四条金吾殿御返事」を拝読。3,694名参加 (全国)。
6月7日  創価学会、週刊文春 "ラブホテル" 記事裁判で、「謹告」掲載を条件に、刑事告訴と5億円請求の民事訴訟を取下げた。
6月8日  創価学会、池田大作名誉会長、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク大統領と会談。独裁者に「大統領は愛国主義者であり平和主義者であり、民族主義者であることがよく理解できました。… 今後とも世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」と。(「聖教新聞」6月10日号 )
(※ 6年後の1989年12月、ルーマニア革命でチャウシェスクは失脚し政権は崩壊、逃亡先で妻エレナとともに死刑判決が下され直ちに公開処刑された )
 聖教新聞、「このほど文藝春秋側が非を認め、週刊文春 6月16日号に謝罪文『昭和55年7月号の「創価学会最高幹部七人の内部告発・第五回」と題する特集記事及びその広告文に一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します』と掲載して全面的に謝罪することになり、学会としても告訴を取り下げることになった。… なお、これにともない、民事訴訟も取り下げることになった」
6月8日  静岡県警と富士宮署、「後藤組壊滅対策本部」を設置。
 対策本部設置により、後藤組の組員60名近くが連行されることとなった。後藤忠政組長は、創価学会・公明党が仕組んだものと思案。
6月10日
 継命新聞社、「社長会全記録 人間・池田大作の野望」を出版。
 創価学会、同書の刊行に干渉せず。
6月10日  東京地方裁判所、月刊ペン事件差し戻し審(一審)の判決公判、名誉会長出廷阻止のための創価学会の裏工作を認定し、被告・隈部大蔵に罰金20万円の判決。
「脱退会員その他かつて組織内部にいた者等の間にかねて特定の学会幹部を中心とする男女問題を指摘した批判があり、それが被告人のもとまで漏れ出てきていたという事情や、また池田、渡部ら自身の言動、更には池田の身辺の秘書的事務の処理方法にも男女関係の疑惑を持つ者には、それらしい裏付事実と受けとられかねないものがあったという事情等の、いわば組織の亀裂と学会側の不用意さが存していた。…
 本件では旧第1審当時、学会側と被告人側との間の話し合いにより、被告人が詫び状を差し出し、学会側が告訴を取り下げることのほか、被告人側において池田に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者である学会側から加害者である被告人側に2,3000万円という高額の金員が支払われるという、具体的な訴訟手続をめぐる異例・不可解な出来事が介在している。右金員は、被告人に渡らず、その行方は証拠上不明であるが、何と言っても被告人の刑事責任を問う訴訟の中で、しかも名誉毀損のごとく、被害者側の処罰感情が重要な量刑要素となる犯罪において、被害当事者の証人出廷回避にまつわるこのような不明朗な言動が被害者側においてなされたことは、刑の量定上考慮せざるを得ない」
 隈部大蔵は、東京高裁に控訴。
6月15日~
 宗門、インドネシア・香港・マカオ出張授戒。
6月16日  週間文春、聖教新聞(6/8)の和解に関する記事に、反論を掲載。
「謝罪を申し出たこともないし、全面的に謝罪などしていない」と示談経過を説明、「5億円という法外な賠償金をふっかけた大きな訴訟である。たかが『謹告』ごときでとり下げていいものだろうか」、創価学会のやり方は「試合終了のゴングが鳴ったあとで殴りかかるようなもの」(「同」6月23日号 )
6月19日
 顕正会、松本日仁師第七回忌法要、顕正寺で執行。「一国広布こそ最大の報恩
 浅井昭衛会長「本日は松本日仁尊能師の第七回忌法要を迎え、感無量であります。…
 これより二年六ヶ月にわたり法廷闘争が繰りひろげられ、五十二年四月、歴史的な大勝利を以て終結いたしました。この大勝利を見とどけて二ヶ月のち、松本日仁尊能師には霊山へ長逝されたのであります。…
 正系門家が御遺命を曲げたゆえ、いま日本は刻々と破局に近づきつつあります。しかし御遺命を偽り、放棄した学会ならびに宗門は、国立戒壇の「こ」の字も云えなくなってしまいました。ここに妙信講は仏勅を蒙り、昨年十月、名も「顕正会」と改め、「あと二十五年」を期して、一国広布に立ち上ったのであります。… いま加速度をつけて全国広布に驀進している顕正会の姿を、尊能師が御覧になったならば、どれほどお喜び下さるでありましょうか。…
 松本日仁尊能師が長逝せられてよりすでに満六年、これを四回繰り返せば「あと二十五年」という歳月は過ぎ去ります。思うに、顕正会が大事の御奉公を為しとげることこそ、過去二十年間にわたり守って下さった松本尊能師への最大の御報恩であります」(「冨士」第237号 )
(※ 前年から "あと二十五年" を連呼し続けた浅井昭衛会長、その時節が到来したのは平成19年(2007年)で 75歳になっていた。名目上の会員数は 120万人となり、「五十周年記念幹部大会」を実施したが、"日本の破局" もなく "広宣流布" もほど遠い。根拠のない "あと二十五年" のアジテーションを真に受け、一途に人生を賭けた当時の会員達は "燃え尽き"、使い捨てられて25年後にはほぼ姿を消した。櫻川 忠 )
6月23日  静岡地方裁判所、山口法興師の地位保全仮処分申請を却下。
 山口法興師、東京高等裁判所に同仮処分申請を控訴。(「継命」7月15日号 )
6月26日  第13回参議院議員通常選挙、この選挙から比例代表制(拘束名簿式比例代表制)が導入された。
 公明党は、選挙区 6 比例区 8 の 14議席を獲得。
6月27日
 宗門、富士学林研究科開講式。阿部日顕管長、「最近、本山参詣の若い僧侶が私に挨拶しない」と嘆く。(「大日蓮」8月号 )
6月27日
 顕正会、6月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、「立正安国論を以て今の異常気象を見よ」と。
6月29日  創価学会、オランダ王国で法人認可。
7月8・10日
 顕正会、学習会開催。「顕立正意抄」を拝読、3,611名参加 (全国)。
7月22日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶の岡本領道師を擯斥処分に付す。(「大日蓮」9月号 )
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催。折伏成果、2,596名。
7月28日
 顕正会、大阪事務所、大阪府高槻市に開設さる。
8月1日
 顕正会、冨士巻頭言「日曜勤行」
 浅井昭衛会長「内得信仰における朝晩の勤行は、我が家において大石寺にまします戒壇の大御本尊を遙拝し奉り行うが、この折御本尊の御姿をしっかりと胸に思い浮べるためにも、一週一度の日曜勤行には、ぜひ参加したいものである。… まさしく御在世は今に在り、今は即御在世である。全顕正会員は共々に励まし、本部会館の御本尊を "直ちに本門戒壇の大御本尊を拝する事よ" と心得、声をつるべて南無妙法蓮華経と唱え、熱原の法華講衆の信心を今に移し国立戒壇の実現に驀進しようではないか」(「冨士」第238号 )
(※ 今や、「遥拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿」、ということになっている。櫻川 忠 )
8月8日  創価学会、池田大作名誉会長、「国連平和賞」(United Nations Peace Medal)を受賞。(「聖教新聞」8月9日付 )
 日本人受賞者、岸信介(1979年)、山口シヅエ(1980年)、福田赳夫(1981年)、寺内タケシ(1981年)、笹川良一(1982年)、村上薫(1982年)、小坂善太郎(1982年)、池田大作(1983年)、並橋友也(1983年)、佐藤隆(1985年)、桑原武夫(1986年)、立正佼成会青年部(1988年)、鈴木俊一(1989年)、二階堂進(1991年)、オルケスタ・デ・ラ・ルス(1993年)、カルロス菅野(1993年)、高田賢三(1998年)。
8月10日
 顕正会、支部・男子・女子合同班長会、豊島公会堂で開催。浅井昭衛会長、池田大作の国連平和賞受賞を「世間にへつらう売名行為」と批判。
8月12~20日
 顕正会、特別講習会を支部単位で開催、「なぜ信心せねばならぬか」(56年講義)をビデオ放映。
8月15日
 顕正会、婦人部班担当会開催、浅井昭衛会長「放埒な妊娠中絶は殺人と同じ
「昨日も婦人だけの反戦演説会が都心で行われていましたが、大きな錯覚があり勘違いがあります。その一つは、「二度と侵略戦争を繰り返すな」と黄色い声を張り上げているが、いまの日本において憂うべきことは、日本が侵略戦争を起こす危険ではなくて、いつ他国の侵略を受けて破滅するかということなのです。…
 もう一つの錯覚は、… 妊娠中絶であります。… もし二百万人としても、戦後三十八年間で実に七千六百万人が堕胎で殺されたことになる。戦争犠牲者の約二十五倍。まことに恐るべき数字であります。戦争の悲惨は声高に叫ぶが、七千六百万人を自分達が殺していることには黙っている。こんな平仄の合わぬ話がありましょうか。これも仏法を知らぬため、胎内の生命を軽く見ているゆえであります」(「冨士」第239号 )
8月16日  創価学会、第4回SGI総会開催(札幌文化会館)。池田大作名誉会長「日蓮正宗の仏法は、すべての次元の根本である。この仏法を純粋に信じ、確実に研鑽し、後世に伝えていかねばならない。それがわれわれの本来の責務である」
8月 日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友元顧問弁護士の証言を掲載。「52年の宗門問題の際、学会としては、宗門に反撃する用意は十分していたが、共だおれになるおそれがあった。そのとき喜ぶのは、妙信講だけだ」との池田発言を暴露。(「同紙」9月1日号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催、「今ぞ広宣流布達成の時 客観状勢と条件整う
 浅井昭衛会長「仏法上、今がいかなる時かといえば、まさしく宗門七百年の悲願である広宣流布が達成される時であります。その理由は二つあります。すなわち今の日本には、広宣流布をしなければ亡んでしまうという客観状勢と、必ずできるという条件が整っているゆえであります。…
 広宣流布をしなければならぬ客観状勢とは、世界の最終戦争たる「前代未聞の大闘諍」が刻々と近づきつつあることであります。ゆえに私は先般の武道館大総会で「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争によって日本も世界も滅亡する」と云ったのであります。いま世界を覆う異常気象は、この大闘諍の前ぶれであります。…
 次に広宣流布が必ずできる条件とは、まず第一に今日はまことに交通・通信・情報の機能が発達していることです。… 今は新幹線はある、自動車はある、飛行機はある。また電話でどんな遠方とでも連絡をとり指導をすることができる。… さらに最も大きな条件がある。それは今日の社会においては、国家権力による弾圧がなくなったということです。およそ宗門七百年の歴史は、法難と迫害の歴史でありました。… 宗門七百年の歴史の中で、弾圧のない時代は今日だけであります。かかる時代の到来も、深く考えれば御本仏大聖人の御仏意であります。この時に広宣流布せずして、いつの日に広宣流布する日がありましょうか。
 このように今日は、広宣流布をせねばならぬ客観状勢と、必ず出来る条件が整っております。ゆえに七百年来の悲願達成の時というのであります」(「冨士」第240号 )
(※ 浅井昭衛会長、"広宣流布が必ずできる条件が整っている" と妄想を紡ぐが、妄想は妄想でしかない。櫻川 忠 )
8月29日
 宗門、全国教師講習会。阿部日顕管長、正信会僧侶と交遊する宗門僧侶に「皆さん方ははっきりと、あの者どものような法賊は絶対に許さないという気持をもってください。いい加減な気持ちで、"昔は友達だったのだから"という気持ちで、電話がかかってくれば『どうだ、元気か』などと、そのような対話なんかをしてはいけません。もしも電話でもかかってこようものなら『汝は大聖人の仏法を盗み、大聖人の仏法を土泥に踏みにじるところの大賊であるぞ』と云い切りなさい。そして皆さん方は信心において彼等と決別しなさい」と発言。
 さらに「宗門も戒壇問題が起こり、ある時期には種々の考え方が出ました。たしかにそのなかには、ある意味での行き過ぎがあったと私は思っております。総じて法門において、法門を間違えたならば大変なことでありますから、そういうことに関して今後、もし問題があれば、私の職を賭してでも、やるべきことはやるつもりです。それだけにまた我々は、本当に法門を正しく命懸けで守っていかなければなりませんし、弘めていかなければなりません」と。(「大日蓮」10月号 )
「ここに『ある意味での行き過ぎがあったと私は思ってます』と御自身の教学部長当時の説を含めて、宗内僧侶中に、行き過ぎた説があったことを反省あそばされている」(「正本堂に関する御指南の真意」)
(※ 阿部日顕管長による "戒壇問題の行き過ぎ" への言及が、登座後4年を経てなされるようになった。表面的には、宗門に随順している池田大作名誉会長としては、心穏やかではないだろう。櫻川 忠 )
8月29日  創価学会、第1回副会長懇談会(聖教新聞社)。 池田大作名誉会長「ここ数年来の宗門をかく乱し学会を混乱させようとたくらんだ陰謀はすべて私どもの正義が証明され勝利に終わった。これは大御本尊の御威光はもとより御法主日顕上人猊下の御慈悲のたまものである。そして皆さま方もよく頑張ってくださった。これからは、今回の画策を見抜いたと同じように、決して油断することなく、再び僧俗和合の完ぺきを期していかねばならない。… 御法主日顕上人猊下は、未来永遠のために、若き法材(竜象)、若きお弟子達の訓育に御心をくだいておられる。私どもも将来の大宗門を担いゆかれる、この御法主上人猊下の若きお弟子の方々のご成長を心から祈るとともに、盤石なる御宗門の未来のために、お護りし、見守っていかなければならないのである。そのためにも、多くの寺院を建立申し上げ、もって盤石なる『僧俗和合』と『令法久住』と『広宣流布』ヘの法城を整えさせていただく必要があるわけである。… 確かに現実はなにをするにも、財政的な問題があるが、それは、御本尊より大功徳を受け、私どもが更に更に働いていけば、一切が解決していくと私は、確信したいのである。また、これが信者の外護の精神であり、これまた学会精神であると申し上げたい」(「聖教新聞」8月30日号 )
9月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、「宗教批判の原理」を執筆。「冨士」9月号より連載。
9月1日  幸洋出版、「新雑誌X」10月号(創刊号)発行。編集人・坂口義弘、発行人・丸山実。幸洋出版は、「花形記者は転んだ」「「月刊ペン」事件の内幕」「仮面を剥ぐ」など、"創価学会批判書" の批判書を出版して来た。
9月3日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「大闘諍が早いか、日本の広宣流布が早いか。この一事に、日本の運命・人類の運命がかかっている。広宣流布は、御本仏の大誓願であれば必ずできる。顕正会はこの御奉公のために出て来た、地涌の流類の集団である」
9月8日
 顕正会、学習会開催。「乙御前御消息」を拝読、4,007名参加 (全国)。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、「大聖人は自受用身即一念三千の下種の本尊を、日本乃至一閻浮提の一切衆生に信ぜしめるため、発迹顕本遊ばしたのである。竜の口における御本仏の絶大威力を拝見し、末法の凡夫は始めて御本尊の御力を信ずることができる。このゆえに大聖人は尊き御身をもって、竜の口の砂浜にお坐り遊ばしたのである」と。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催、折伏成果 3,102名。浅井昭衛会長、種熟成の三益に約し「一生成仏」について講演。
 男子部 第7隊長に浅井克衛、同隊幹事に小峰勝彦 任命さる。
9月29日~
 宗門、インド・スリランカ・ビルマ出張授戒。(「大日蓮」第454号 )
9月30日~
 宗門、韓国出張授戒。
9月30日
 正信会、阿部日顕管長に公開討論を申し入れる。(「継命」10月15日号 )
10月1日
 顕正会、支部班長会、浅井昭衛会長「壮年は支部の柱、婦人は母体」
(※ 浅井昭衛会長は、独裁体制を築くため "顕正会" と改名し、まずは "講中の気風" を解消した。続いて、妙信講以来の "支部" 組織を解体し、4者(壮年・婦人・男子・女子)体制に変更。やがて「柱」である "壮年部"も、廃止してしまった。すべては、会長への権力集中の体制を、構築するためである。櫻川 忠 )
10月1日
 宗門、法華講大講頭を任命。秋谷栄之助・森田一哉・和泉覚・辻武寿・阿部唯七郎・小泉隆が就任。(「大日蓮」11月号 )
10月3日
 顕正会、男子部班長会。浅井昭衛会長、「共産主義は修羅界の思想」と、国際共産主義の実態について指摘。
10月4日
 顕正会、女子部班長会。浅井昭衛会長、「折伏こそ大聖人への最高の御供養」と。
10月9日
 顕正会、第6回高知支部大会開催 (県民文化ホール)、801名が参加。浅井昭衛会長「来年の支部大会までに、高知会館を建設する」と発表。
10月13日
 顕正会、御大会式厳修(本部会館)、浅井昭衛会長「内証の寿量品」について講説。
10月13/15日
 顕正会、学習会開催。「秋元御書」を拝読、3,875名参加。(全国)
10月16日
 顕正会、第4回大阪支部大会開催(守口門真商工会議所)、351名が参加。浅井昭衛会長「三年後の支部大会に、千名結集を成し遂げよ」
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「大闘諍の御予言だけが適中して、広宣流布の御予言が符合せぬことがあり得ようか。将来、大闘諍の大渦がまさに日本を襲わんとする時、日本の広宣流布は必ず達成される」
10月27日  創価学会、スペイン王国で法人認可。
10月31日  山崎正友恐喝裁判、第47回公判。池田大作名誉会長、3度目の出廷。『恩師の二十三回忌に思う』は、「私の書いた文章ではない」、「本意ではなかった」と証言。
11月1日
 顕正会、支部班長会。浅井昭衛会長、宗門・創価学会の現状について指摘。
11月1日  新雑誌X 12月号発刊、潮出版社の広告「竹中労著『聞書・庶民列伝牧口常三郎とその時代』」を載せる。また、創価学会擁護の岡庭昇、太田竜 (一時・日蓮正宗入信) のインタビュー記事を掲載。
11月3日  創価学会、創価大学(八王子) に隣接する「東京富士美術館」を開館。
(※ 池田大作名誉会長が海外で買い集めた美術品、美術評論家には「正直いって、あそこは骨董屋に近く、作品の約7割は贋物」と酷評の声あり )
11月4日
 顕正会、男子部班長会。浅井昭衛会長、「日本国の仏法上の使命」について指摘。
11月6日
 顕正会、福井大会開催(鯖江文化会館)、参加者 145名。
11月7~8日
 顕正会、学習会開催。「佐渡御書」を拝読、4,156参が加。(全国)
11月11日
 宗門、妙寿寺落慶式、阿部日顕管長「明治以降、宗門の布教は信徒によって行われている」旨を発言。(「大日蓮」59年1月号 )
11月13日
 顕正会、宇都宮支部大会開催(栃木県教育会館)、参加者 206名。
11月14日
 顕正会、教学部、「立正安国論」の講義終了。
11月14日  創価学会、聖教新聞「ノリエガ将軍、パナマ第一の景勝の地を「池田展望山」と命名」
「パナマ運河の入り口に浮ぶ太平洋上のフラメンコ島。美しいパナマ運河を望むここからの展望は、パナマ第一の景勝といわれており、この島が、このほど『池田展望山(ミラドール・イケダ)』と呼ばれることになった。これは、パナマのマヌエル・A・ノリエガ将軍により命名されたもので、同地は、昭和五十六年二月、池田SGI会長がパナマを訪れた際、同将軍と会見した場所であり、SGI会長との友情に満ちた平和会談の思い出をとどめるものとなったわけである」(「同」11月14日号 )
11月16日
 宗門、宗務院前渉外部長・吉田義誠師、妙連寺本堂において自民党衆院立候補者・杉山憲夫の応援演説を行う。(「継命」12月15日号 )
11月18日  創価学会、聖教新聞社説「創立53周年の佳節に誓う」、「今日の広布の伸展の姿は、御本尊の御加護であり、血脈付法の御歴代上人の御高徳の賜であり、正法興隆への大慈大悲に報恩感謝することを忘れてはなるまい」(「同」11月18日号 )
 聖教座談会「たゆみなき広布の歩みを語る」
「和泉覚―池田先生は厳然として総本山を厳護し抜かれてきました。創立50周年の時、御法主日顕上人猊下から『不思議なる会や生まれて五十年 妙法さかう不二のふもとに』という御歌を賜りましたが、確かにしみしみと実感されます …
 辻武寿―学会がこの一年間、広布の前進に大回転することができるとともに、御宗門は御法主日顕上人猊下のもと、かつてない隆昌の足跡を刻まれています …
 秋谷栄之助―池田先生の発願による全国各地の多数の新寺院建立について、現在、着々と準備を進めております。登山会も、毎年発展し、充実してきております …
 山崎尚見―傍聴した人がいっていましたが、名誉会長は、終始、悠然とした姿で、一つ一つの尋問にも明快な論旨で的確に答えていた、と。被告人側は、山崎の犯罪隠しのために、全く根拠のない虚構を作り上げてきたのですが、名誉会長は、その虚構の構図を鋭く客観的な事実を通し、彼らの"作り話"をことごとく突き崩していった。先生の気追に圧倒されて、被告人側の弁護士が尋問するのに苦慮していたようです …
 森田一哉―正信会にしてもそうです。日顕上人猊下に敵対して、何が"正信"ですか。"狂信"ですよ。一連の裁判でも、宗門側が全面的に勝訴し、法律上においても正邪がはっきりしてきているのです」(「聖教新聞」11月18日号 )
(※ 古参の妙信講員なら、"先生の気追に圧倒されて、被告人側の弁護士が尋問するのに苦慮" というフレーズに、聴き覚えがあるだろう。櫻川 忠 )
11月18日  山崎正友恐喝裁判(東京地裁)、正信会の浜中和道師(伝法寺)が証言。
11月20日
 顕正会、群馬支区大会開催(富岡市中央公民館)、参加者 219名。
11月22日  特別財務返還訴訟(高松高等裁判所)、創価学会は 702万余円全額の返済と、解決金 100万円を支払うことで、檀徒側と和解。
11月25日
 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 3,477名。浅井昭衛会長「再来年の武道館大総会までに、為すべき事が二つある。一つには十万達成、もう一つは全国広布の基盤を築くことである。明年はこの大総会を見つめ、為すべきことを強力に推進する年」
 本部幹事に加藤礼子、第8隊長に横田高明 任命さる。
11月25日  創価学会、池田大作名誉会長。中国共産党・胡耀邦総書記と会見。(「聖教新聞」11月26日付 )
12月7日  創価学会、記念勤行会(福岡・九州平和会館)。池田大作名誉会長「日蓮正宗では、七百年間、御開山日興上人から御当代の御法主上人に至るまで、また未来にわたって、全人類のため、世界平和のために、法灯連綿と丑寅勤行をなされてきた。まことに荘厳であり素晴らしい総本山であられる。このような教団は他にないと信ずる。教義の上からも、また、この事相の上からも、いかに日蓮正宗の仏法が偉大であり、日蓮正宗の御本尊が正しいかということが、明瞭であると申し上げたい」(「聖教新聞」12月9日号 ) 
12月8日
 顕正会、婦人部会開催(豊島公会堂)、886名が参加。浅井昭衛会長「婦人部は御在世の千日尼の信心を鑑とせよ」
12月10日
 宗務院通達、大韓日蓮正宗法華講仏教徒会(正信会系)の組織を解消。
「日蓮正宗宗務院からこのほど、大韓日蓮正宗法華講仏教徒会の組織を解消する旨の通達が出された。この院達の趣旨は、同会が昭和54年4月、韓国における一講中として結成されたものであり、当初は法華講としての活動も行っていた。しかしその後、日本のいわゆる『正信会』の輩にひきいられる別組織の方に移っていき、仏教徒会としての活動は一切なくなり、その組織および設立の目的も完全に失われていた。そこで宗務院としては、その実質に照らし、無用の混乱を防ぐため、同会の組織を解消し、あわせて、今後その名称の使用を禁止する措置を講じた ― というものである」(「聖教新聞」12月16日付 )
12月12日
 顕正会、女子部会開催 (豊島公会堂)、1,002名が参加。浅井昭衛会長「今日ほど、人材の揃った女子部は曽てない。女子部は全国広布の先陣を切れ」
12月13日
 顕正会、男子部会開催 (豊島公会堂)、1,100名が参加。浅井昭衛会長「頻発する国際テロは世界動乱の兆
(※ 何でもかんでも、浅井昭衛会長の眼には "世界動乱の兆" と見えてしまう、"確証バイアス" の典型であろう。そうした根拠のない "妄想・我見" を、"仏法の鏡に照らせば" とか "仏法史観" などと権威付け、会員を煽り続けている。櫻川 忠 )
12月16日  日本共産党・赤旗、元創価学会員の「替え玉投票・住民票移動」暴露手記を掲載。
「替え玉投票の最初の体験は昭和38年の神戸市議選、兵庫県議会選挙の時です。… 組織のなかで信心が弱く、投票日に帰ってこない人の投票入場券を集め、公明党候補当選のために、みんなで替え玉投票をしました。…
 候補の選挙区である兵庫県湊町 … 有本宅に住民票だけをこっそり移しました。有本さんも学会幹部(副B担)でしたので、バレる心配はありませんでした。
 私は上部から、替え玉投票や住民移動をやったものは絶対に他言してはいけない、自分の胸にだけしまっておくこと、もし他人に口外すれば、ご本尊様もお見通し、冥の照覧といって必ず仏罰があることを指導されました。もし、選挙違反で捕まっても二十四時間無言でおれば、ご本尊様のお加護で必ず助かる、上部が警察に働きかけてくれると教えられました。
 創価学会というところは公明党がある限り、政教分離は絶対にできないところです。公明党は見かけだけで、すべて創価学会による選挙です」
12月17日
 顕正会、本部会館内装工事完了。
12月18日  第37回衆議院議員総選挙、一審において田中角栄元首相の関与が認定され、「ロッキード選挙」と呼ばれ与党・自民党が大きく退潮した。公明党は 59名当選。
 週刊誌に、創価学会員の大量の「住民移動」が暴かれる。(「週刊新潮」12月12・22日合併号 )
12月20日
 宗門、実修寺新築落慶法要(東京)。
 阿部日顕管長「昭和四十三年と申しますと、既に皆様も御承知のように、その一年前の四十二年に正本堂の建立発願式が行われ、そして四十三年の十月には着工大法要が総本山において、日達上人猊下のもと、池田総講頭の発願の次第によりまして行われたのでございます。その年頃はまた、創価学会より多くの寺院を建立・寄進をしていただいた時期でございます …
 実は残念なことにその三分の一強の寺院が今日は、宗門のその後の色々な問題におきまして宗門の寺院としての機能を発揮できないままに、宗門に背いて既に日蓮正宗の僧侶ではない者どもの蟠踞するところとなり、そのままの次第になっておるのでございます。これはひとえに、宗門の本義であるところの血脈の法を疑うところの信不具足を根本とし、また令法久住、広宣流布という日蓮大聖人、日興上人以来の御指南を忘れて、つまらない理由をつけて枝葉のところに執われておるというような形があるのでございます」(「大日蓮」第456号 )
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会開催。本部参与に木内純一郎任命さる。
 月 日  山崎正友元顧問弁護士、正信会活動から離脱。「血脈否定してからの正信会は、どんどんおかしくなっていきました。… 他の正信会僧侶たちも、もう一国一城の主になった気分で、信者を上から締めつけて支配し、それでいて、自分達はゴルフ・カラオケ・いう体たらくになっていったのです。… これでは誰もついて行かない。だから、最初は賛同者も含めれば80万人近い勢力になりつつあったのに、次第に30万になり10万になって、最近では2・3万しかいないのではないですか。そこで私は、佐々木秀明らに「こんなことをしていて、いいと思っているのか」といって糾弾したのです。 その時は、渡邊広済たちが頭を下げて、「何とか収めてほしい」というので、一旦は収まりましたが、これによって昭和58年以降、私は正信会と完全に一線を画しました。もともと私は、正信会の中で禄を食んだりしておりませんし、原島さんみたいに辛抱強くないから、とても正信会の人達と一緒にはやっていけない、と思ったのです」( 山崎正友「慧妙」2003年10月1日号 )

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