昭和59年 (1984) _ |
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1月1日 | 顕正会、元旦勤行。本部会館で8回に分けて厳修、4千余名が参加。
浅井昭衛会長、年頭の辞「大闘諍と広宣流布」
「これらの聖文を拝すれば、大蒙古の侵略によって日本が風前の灯のごとくなった時、本門戒壇の大御本尊は日本国に立ち、また将来第三次世界大戦の大渦まさに日本を襲わんとする時、この大御本尊が国立戒壇にお出ましになること、一点の疑いもない。
すでに第三次世界大戦の序戦は始っている。昨年より世界各地に頻発する「国際テロ」がそれである。このテロは個人的・偶発的なものではない。組織的かつ国際的であり、その背後には国際共産主義運動が存在している。ゆえに年々歳々この「国際テロ」は激しさを増し、やがて第三次世界大戦に至るのである。大闘諍が刻一刻と迫るならば、広宣流布もまた駸々と進まぬはずはない。いま正系門家において広布を推進する者は誰か。御遺命を曲げてこれを為し得る道理はない。されば、大聖人への忠誠心のゆえに国立戒壇の正義を死守し貫いた顕正会以外には、これを為す者は断じてない。顕正会こそ仏勅に応え奉り、大衆救済に敢然と立つ唯一の団体である。
一国広布へ出陣して第二年、いまや全国各地に澎湃として広布の人材が出て来たのも、まさしく「時」のゆえである。いよいよ明年の武道館大総会をめざし、十万達成と全国広布の基盤確立へ、体をぶつけて猛進しようではないか」(「冨士」第243号 ) |
1月2日 | 宗門、阿部日顕管長、池田大作を法華講総講頭に再任。(「聖教新聞」1月4日付 ) |
1月4日 | 宗門、法華講連合会初登山、阿部日顕管長「今まで法華講の組織のなかにおいて総講頭という重要な役職が欠けておりましたので、本年のこの新しい発足の時に当たりまして、創価学会の池田名誉会長を本年の1月2日に、法華講総講頭として任命いたしました。この総講頭という職は、さきほども申しましたように法華講連合会あるいは創価学会、そのすべてを一丸とした日蓮正宗の法華講信徒という立場の、すべての束ねといたしましての重要な役目でありますが、そこに改めて法華講総講頭の役職を任命いたしまして、これからの宗門の様々な前進の事態に備えることにいたした次第でございます」 |
1月6日 | 宗門、阿部日顕管長。全国末寺住職・寺族初登山で、池田大作名誉会長の総講頭任命につき釈明。(「大日蓮」2月号 ) |
1月8~10日 | 顕正会、初講義、板橋文化会館で2回に分けて開催。参加者 3,431名。浅井昭衛会長「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講義。 |
1月15日 | 顕正会、成人式、本部会館で行う。参加者2百余名。 |
1月16日 | 顕正会、教学部。三級昇格試験、全国10ヶ所で執行、1,025名が受験。 |
1月22日 | 顕正会、教学部。登用試験、全国31ヶ所で執行、1,403名が受験。 |
1月23日 | 創価学会、「大ブロック制」から「地区制」に移行。 |
1月24日 | 山崎正友恐喝裁判(東京地裁)、正信会の浜中和道師(伝法寺)が証言。 |
1月26日 | 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「2月は十万の初陣、3千の大折伏をなしとげよ」 |
1月26日 | 創価学会、池田大作名誉会長、第9回「SGIの日」記念提言。全人類が「世界不戦」の意志を結集、第1段階はNGO(非政府機関)レベルで「世界不戦宣言」を国連決議として採択等。 「私どもは、これまで恒久平和主義を掲げた日本国憲法を一貫して守り抜く姿勢をとってまいりました。… 私が日本国憲法の擁護運動を若き青年、学生に託したのは、憲法自体が国家という枠を超えて人類全体に対する信頼感に貫かれているからにほかなりません。第九条を憲法に盛り込むことによって、歴史の流れを先取りした英知と先見は、やがて歴史がはっきりと証明していくでありましょう」 |
2月1日 | 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「初陣二月 … 顕正会の歴史において、十万達成は期を画する大節である。思えば、宗門において御遺命の正義が消え失せんとした時、この正義を死守したゆえに解散処分の弾圧を受けた顕正会が、大聖人の御守護を蒙り、いままさに十万の大法城を築かんとしているのである。一国広布の上から、この意義は計り知れない。そしてこの法戦の初陣こそ二月である。油断して後れを取ったら必ず悔を残す」(「冨士」第244号 )
支部班長会開催、浅井昭衛会長「衆生無辺誓願度の大願に立ち、広布を推進せよ」 |
2月1日 | 正信会、宗務院に公開質問状を送付。(「継命」2月15日号 ) |
2月7日 | 顕正会、日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「日興上人の御願業はただ一つ、大聖人の御遺命のまま、富士山天生ヶ原に国立戒壇を建立することである」と。 |
2月8~10日 | 顕正会、学習会、「佐渡御書」を拝読。3,687名参加。(全国) |
2月15日 | 顕正会、教学部入部式開催(豊島公会堂)、1,160名が参加。浅井昭衛会長「日寛上人の御指南は今日のため、日本第一の教学部築き御奉公を」
「いま前代未聞の大闘諍は刻々と近づき、広布の前夜たることは疑いなし。されば日寛上人は今日の私達のために、大事の御法門を残して下さったと申しても、過言ではありません。ならば今こそ、広布のための大教学が興らねばならない。ここに顕正会教学部の果すべき大使命があるのであります。
これからの教学部の展望を少し述べておきます。来年の一月には久々に二級の昇格試験を行います。… そして来年はこの二級部員を対象に六巻抄を講義し、やがて一級昇格試験を行いたい。現在教学部の組織は、一般部員・三級部員・二級部員・一級部員となっているが、将来その上にさらに講師を作り、この五段階を以て顕正会教学部の究極の組織としたいと思っております。すでに広宣流布の時であれば、顕正会教学部に、信心強き俊秀が続々と集うことを私は確信しております。どうか全員が真剣に学び、日本第一の教学部を築き、以て大聖人様に本格的な御奉公を申し上げようではありませんか」(「冨士」第244号 )
顕正会、高知会館の土地・建物を賜入。
(※ 論理学の基礎、"A ならば B"、そのとき(対偶) "B でなければ A でない" は、真である。
"広宣流布の時ならば、顕正会教学部に俊秀が集う"、されば(対偶) "顕正会教学部に俊秀が集わなければ、広宣流布の時ではない" が成立する。
今や "日本第一の教学部" は夢物語、"広宣流布" は夢のまた夢である。櫻川 忠 ) |
2月15日 | 創価学会、聖教新聞「ミラドール・イケダ(パナマ共和国・池田展望台)除幕式」、「ノリエガ将軍は … SGI会長の国際的な平和の足跡を熱知、市民の幸せを願って行動する日々と、その指導に深い共鳴を寄せていた。同将軍によって命名された『ミラドール・イケダ』は、そうしたSGI会長との友情に満ちた平和会談と、訪島の意義を未来にとどめるものである」(「同」2月17日 ) |
2月17日 | 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 水谷秀旭師・稲葉海道師を擯斥処分に付す。 |
2月27日 | 顕正会、2月度総幹部会開催。浅井昭衛会長「いま日本は、内には心の病、外にはソ連の脅威がせまっている。岩に矢の立つ一念心で広布を推進せよ」
男子部長に加藤昌昭、男子部主任幹事に小川善紀任命さる。 |
2月28日 | 宗門、一乗寺新築落慶1周年記念法要(サンパウロ市)
(池田大作名誉会長は)「仏・法・僧の三宝を敬い、供養申し上げることは、信徒としての根本であるとし、仏宝とは御本仏・日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経即ち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられることを述べた。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされていることに言及。本門戒壇の大御本尊を信し、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本となると語った」(「聖教新聞」3月1日号 ) |
3月3日 | 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「壮年は支部の重鎮・柱である。重厚の信心を以て、壮年が壮年を折伏せよ」 |
3月8~12日 | 顕正会、学習会開催。「松野殿御返事」を拝読、4,071名参加。(全国) |
3月14日 | 宮本邸電話盗聴事件裁判、第22回口頭弁論。証人・内藤国夫、被告・山崎正友へ原告側の尋問。 |
3月15日 | 顕正会、教学部、「三大秘法抄」の講義開始 (豊島公会堂)。 |
3月20日 | 創価学会、聖教新聞社説「真の回向とは何か」、「日蓮正宗以外の宗教では成仏への善根は積めない。それどころかかえって不幸への悪業を積んでいく。そうしたものをもつて回向すれば、精霊の生命はますます苦しむ。… お彼岸の日には、とくに諸精霊の心情を思いやり、日蓮正宗寺院に参詣し、塔婆を立てて、回向していきたい」(「同」3月20日号 ) |
3月26日 | 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 3,328名。浅井昭衛会長「初陣の勝利は十万達成の瑞相、4・5月再び3千突破を成し遂げよう」
関西地方部を解消、四国地方部・九州地方部を新設。本部幹事に森本征昭、四国地方部長に村岡長治、九州地方部長に加藤礼子任命さる。 |
3月31日 | 宗門、大石寺開創七百年記念慶祝準備会議開催。
池田大作名誉会長、二百ヶ寺の建立・寄進を発願、「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。いまここに大石寺開創七百年の出発にあたり、御当代日顕上人猊下の御慈悲を拝することは、無上の喜びであります」(「聖教新聞」4月1日付 ) |
4月2日 | 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「空海ブーム」について指導。 |
4月3日 | 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「定業亦能転」について指導。 |
4月3日 | 潮出版社、池田大作著「仏法と宇宙を語る」(全3巻)刊行。 |
4月4日 | 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長「仏法の眼で世界の動きを見つめよ」 |
4月6日 | 宗門、霊宝御虫払大法会、阿部日顕管長「今日、この一切衆生即身成仏の大法たる妙法が日本ないし世界に弘まり、創価学会インターナショナル会長・池田大作先生は、広く世界にその足跡を印し、正法広布の指導と激励、さらには世界平和の大目的に向って正宗信徒として、偉大な精進努力を重ねておられることは、まことに本仏大聖人の聖意に適う姿であると信じます」 |
4月9~11日 | 顕正会、学習会開催。「撰時抄」を拝読、4,170名参加。(全国) |
4月26日 | 顕正会、4月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「広布の責任感は大聖人への忠誠心より生ずる。仏弟子に極楽トンボはいない」 |
4月26日 | 創価学会、沖縄研修道場で「世界平和の碑」を除幕。 |
4月27日 | 顕正会、浅井甚兵衛顧問 逝去。「日蓮正宗顕正会顧問・妙信講初代講頭であられた浅井甚兵衞先生には、四月二十七日午後九時三十五分、常盤台の御自宅で安詳として御逝去された。悲報は波のごとく全顕正会に伝わり、三十日・一日の御通夜・告別式には三千有余の会員が涙の中に参列。さらに五月十日、追悼大法会が板橋文化会館において執り行われ、代表幹部千七百余名が真心の唱題と共に、顧問先生の遺徳を心からお偲び申し上げた」(「冨士」第248号 ) |
4月28日 | 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「大聖人は建長5年4月28日に『我が身即妙法蓮華経』と知り給い、その後不惜身命の御修行により、ついに竜の口において久遠元初の自受用身と顕われ給うた」 |
5月3日 | 週刊サンケイ、グループSの創価学会内部告発小説 「小説・聖教新聞」の連載を開始。(「同」5月17日号~8月30日号 ) 実在の人物の名を少し変え、彼等の悪行数々を告発。のちに単行本「小説聖教新聞」(グループS)として出版。執筆した聖教新聞社の幹部は、突き止められ粛清された。 「ところが会員は、われわれが書いている虚像のPを慕っているんだ。純粋な信仰心なんてないというのがPの実像だよ。あの人は事業家なんだ。それも信仰を利用した事業家だよ。組織を拡大し強大にすれば、それだけマーケットも広がると考えているだけさ。つまり、会員はだまされているわけで、われわれはそれに加担しているわけだ」 |
5月10日 | 顕正会、顧問・浅井甚兵衛先生追悼大法会、板橋文化会館で執行。代表幹部 1,700名が参列。 |
5月14日 | 創価学会、人材グループ合同結成式(福島文化会館) 池田大作名誉会長「我が日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存知の通り本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本専を代々受け継がれる御法主上人がおられ、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。自らの信心の濁りや、驕慢から、その根本軌道を失い、同体異心となってはならない。『正信会』が、その一つの最たる例といってよい。このような事は、過去にもあった。現在もあった。未来もまた、あるかもしれないが、よくよく正しき信心を、見失ってはならないのである」(「聖教新聞」5月16日号 ) |
5月19日 | 宗門、全国宗務支院長会議開催。阿部日顕管長、正信会僧侶の反乱について「宗門古来、かって無いような情けない、不幸なことであります」と。(「大日蓮」6月号 ) |
5月19日 | 英紙「ザ・ガーディアン」、故トインビー博士の孫娘ポリー・トインビーの寄稿掲載。 「祖父がそれほど老齢でなく、池田自身の怪奇な背景を知ったうえで彼と会っていたならば、彼を支持するようなことはなかっただろう。… 池田氏ほど絶対的権力の雰囲気にあふれた人物には会ったことはない。私は池田の名声をたもつために利用された。池田は無教養な、小さなデブの権力者」と。(「同紙」5月19日号 ) |
5月19日 | 月刊「諸君」、創価学会がブラジルで、"マスコミを金で抱き込んでいる" との記事を掲載。 「学会は、日伯毎日新聞社社長中林敏彦氏を鈴木琢郎会長室長が訪問し7千ドルを。バウリスタ新聞には、3千ドルを。サンパウロ新聞には1万ドルを。この外 学会は、プラジル日本文化協会やサンパウロ日伯援護協会に対しても、池田訪伯ムードを盛り上げるために各1万ドル寄贈した」(「同」5月号 ) |
5月20日 | 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行。全国代表3千名が参加、「明年7月16日までに十万達成」
浅井昭衛会長「一昨年の第一回武道館大総会において、私は、日本の破局が経済崩壊と食糧危機そして世界動乱によってもたらされることを断言いたしましたが、今日、この三つは月々日々に加速度を増し、不気味の様相を徐々に表わしつつあります。
まず経済崩壊の引き金となるであろう国際金融不安でありますが、ここに来てその深刻さを一段と深めております。… …
また食糧危機も足元に迫っております。… …
さらに世界動乱の不気味な地鳴りは、このところ急速に高まっております。… …
そして思うことは "顕正会の前進がもし破局のテンポに遅れたら、まことに大聖人に申しわけない" ということであります。… 顕正会は顕正会のためにあるのではない。広宣流布のためにあるのであります。ゆえにもし、日本の破滅に間に合わぬ顕正会ならば、広宣流布に役立たぬ顕正会ならば、この世に存在する必要は毛頭ないのであります。…
では、この十万をいつまでに達成するか。いよいよこれを具体的に決めるべき時がまいりました。 私は、明年の七月十六日、立正安国論御建白のその日までに、断じて十万を達成したいと決意してお りますが、皆さん、いかがでしょうか。(大拍手) そしてこの十万達成を機に、明年秋、第二回の武道館大総会を開催したいと思っております。いま宗門一同が、悲しいかな、魔縁にたぶらかされて国立戒壇の御遺命を見失っている時、ただ正直に御本仏の仰せを実践する不惜身命の十万の大集団が、いよいよ明年、この日本国に出現するのであります」(「冨士」第248号 )
全国20箇支部の陣容整う。男子部幹事に深谷健次・浅井克衛、第三隊長に海老原秀夫、第五隊長に浅井克衛、第七隊長に小峰勝彦、任命さる。
「今の浅井昭衛氏は、かつての栄光の美酒にいつまでも酔っていたいのであろう。そして無謀なノルマを会員に課して、職場や家庭での会員の生活基盤を崩し、多くの顕正会員の人生を狂わせ、かけがえのない時間を奪っている。… 浅井昭衛氏が過去の栄光に耽溺したいなら、自分一人でそうしていればよいのである。前途ある青年を巻き添えにすることは、もう止めてもらわなければならない。… 浅井会長は慢心と執着によって、自らせっかくの功績を台無しにしてしまった。顕正会の目的は一国広布・戒壇建立、目的達成の方途は教学研鑽・異体同心である。この肝心の目的と手段を、浅井会長は違えてしまった。… 宗門に本来の戒壇義が示されるいま、顕正会はすでに存在意義を失ってしまったと言わざるを得ない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ) |
5月22日 | 創価学会、島根記念県幹部会開催(島根文化会館)。 池田大作名誉会長「利害と毀誉褒貶の心をもつた人は、いつしか、とうとうと流れゆく広宣流布の大河から沈んでしまうものだ。そのよき例として、増上慢の限りを尽くした正信会がある。また、彼らと一体となって宗門と学会を狂気のごとく撹乱しようとして去った幹部もいる。御法主上人猊下に師敵対し、同志を裏切り、仏法を全く知らず、信心も全くなき邪道邪心の面々は、必ず去り沈んでいくものである。… 私どもは原理原則をふまえ、永遠に僧俗和合をしていかなければならない」(「聖教新聞」5月24日号 ) |
5月23日 | 月刊ペン事件裁判、第二審公判開催。 |
5月26日 | 顕正会、本部会議開催、4・5月の折伏成果 3,286名。5月末総会員数、81,905名に達す。 |
5月27日 | 正信会、法華講第9回全国大会、名古屋市民会館で開催。 |
5月27日 | 継命新聞社、「池田証言ハイライト - 偽りだった謗法さん悔 -」発行。 |
6月4日 | 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「顕正会の歴史において、第一の戦いは妙信講再建の時、第二の戦いは御遺命守護、そして第三の戦いは一国広布の戦いである。この第三の戦いこそ最後の法戦である」 |
6月5日 | 創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国の北京大学より名誉教授を授与さる(4番目)。池田大作名誉教授、同大学で「平和への道・私の一考察」講演。 |
6月8日 | 創価学会、聖教新聞社説「広布史に意義深き米国御親修」、「総本山第六十七世御法主日頭上人猊下は、五日間にわたるアメリカ御親修の全旅程をつつがなく終えられ、六日、御健勝のうちに帰国された。… 今回、御親修されたサンフランシスコの地は、御法主日顕上人猊下が宗門の教学部長に就かれていた昭和三十八年三月、宗門にとって初の海外出張御授戒のため、現・大村寿顕教学部長とともに渡米された折、訪問された地でもある。今から二十一年前に出張御授戒が行われた時に入信したメンパーも今回の落慶入仏式に参列。新寺の誕生をことのほか喜んでいる姿が見られた」(「同」6月8日号 ) |
6月9~11日 | 顕正会、6月度学習会開催、「妙法尼御前御返事」を拝読。4,389名が参加(全国) |
6月9日 | 創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国の復旦大学より名誉教授を授与さる(5番目)。 |
6月12日 | 創価学会、秋谷栄之助会長、腸閉塞で倒れ入院。病室に監視役が付く。矢野絢也書記長との電話で、池田大作名誉会長への面従腹背をにおわす。 |
6月13日 | 顕正会、横浜事務所を開設。 |
6月14日 | 顕正会、顧問・浅井甚兵衛の四十九日法要、本部会館で厳修。 |
6月15日 | 創価学会、マレーシアで法人認可。 |
6月17日 | 顕正会、大津支区大会、滋賀会館で開催。176名が参加。 |
6月20日~ | 宗門、イタリア・イギリス・西ドイツ・スペイン・フランス・デンマーク出張授戒。 |
6月25日 | 顕正会、6月度総幹部会開催(板橋文化会館)、「一回一回の法戦に勝とう」
浅井昭衛会長 「私は日本の傾きをじっと見つめながら、必ずや破局に間に合うべく、顕正会の月々の前進を決定しております。よって「破局のテンポに遅れない」ということは、月々の一回一回の法戦に勝つことであります。いよいよ十万達成の明年七月まで、あと一年」(「冨士」第249号 )
女子部幹事に浅井昌子 任命さる。 |
6月26日 | 宮本邸電話盗聴事件裁判、口頭弁論で山崎正友元顧問弁護士が証言。「学会の教えでは、仏法と国法と世法の三つがあり、仏法にそむけば地獄におちる。それを守るためなら、国法、世法は破ってもいいとされている」 |
6月28日~ | 宗門、香港・マカオ・インドネシア出張授戒。 |
6月29日 | 宗門、日蓮正宗護法局設置。(「大日蓮」第462号 ) |
7月3日 | 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「罪障を消滅せずして成仏なし。折伏の功徳により重罪も消滅」 |
7月4日 | 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「大聖人が起こし給うた立正安国の戦い未だ終らず、いま立正安国の仏勅に応え奉り実践する者は、ひとり日蓮正宗顕正会のみ」 |
7月9~11日 | 顕正会、7月度学習会開催、「立正安国論」を拝読、4,168名(全国、以下同じ)が参加。 |
7月12日 | 週刊新潮、宗務院渉外部長 秋元広学師の脱税記事掲載。(「同」7月26日号 ) |
7月13日 | 創価学会、結審間近となっていた原島嵩元教学部長への "資料(北条報告書等)持出し" に対する賠償訴訟を、無条件で全面取り下げ。(「継命」8月5日号 ) 聖教新聞では「窃盗男・原島」と罵ったが、裁判では創価学会の完敗に終わった。 |
7月17日 | 宗門、日蓮正宗護法局第一回理事会開催、局長に藤本栄道師就任。(「大日蓮」第462号 ) |
7月17日 | 横浜地方裁判所、佐々木秀明師 (小田原教会主管)の地位保全裁判、判決が延期される。(「継命」8月1日号 ) |
7月18日 | 東京高等裁判所、月刊ペン事件裁判差し戻し控訴審で、隈部大蔵被告の控訴を棄却。被告は最高裁に上告。 |
7月19日 | 週刊新潮、創価学会の選挙用 "住民移動" ならびに "替え玉投票" について、特集記事掲載。(「同誌」7月19日号 ) |
7月19日 | 週刊サンケイ、"池田スキャンダルの証言者は、渡部通子の実姉で藤原行正(公明党都議)の妻の郁子だった" との羽柴増穂(元創価学会文芸部主任)の発言を掲載。(「同」8月2日号 ) |
7月25日 | 顕正会、7月度総幹部会開催、折伏成果 2,597名。浅井昭衛会長、弾圧十周年の意義につき「御遺命を守り抜いた妙信講が、御遺命を達成すべき顕正会と生れ変った不思議の十年」と。 |
7月25日 | 朝鮮民主主義人民共和国への帰還事業が終了。1959年より行われた在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)による帰還事業、6,839人の日本人を含む総勢 93,340名が北朝鮮に渡った。 |
7月28日 | ロサンゼルスオリンピック開催、7月28日から8月12日までの16日間、アメリカ合衆国のロサンゼルスで開催された夏季オリンピック競技大会。この大会は税金を使わずに行われ、テレビ放映料・スポンサー協賛金等でおよそ400億円の黒字で終了、"商業五輪" と呼ばれた。 |
8月1日 | 顕正会、顕正寺住職に村松禎道師が就任。
(※ 昭和55年8月、浅井昭衛講頭(当時)の要請により顕正会本部職員となり、顕正寺住職代行として葬儀等の法要を執行。平成17年11月末日を以て、顕正会本部職員を解雇された。) |
8月9日 | 顕正会、弾圧十周年記念幹部会、豊島公会堂で開催。浅井昭衛会長、解散処分に至るまでの経過を説明し「学会が音を立てて崩れるのは時間の問題である。しかし御遺命を曲げた者が亡んだだけでは事は終らない。御遺命を守り抜いた者こそ、御遺命を達成すべき義務がある」と。 |
8月11日 | 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「いま顕正会は、宗門の中で御遺命を守り抜いた立場から、いよいよ日本国において御遺命の正義を顕わす立場になってきた。やがて顕正会の行く手には、国家権力等の三類の強敵が立ちはだかるであろう。それを乗り越えなければ広宣流布はできない。その時、一人も退転せぬよう強き信心に立て」 |
8月12日 | 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「将来一国において、邪宗の者・政治家・学者・文化人等がこぞって顕正会を批判し潰そうとする時が来る。この三類の強敵が現われれば、いよいよ広宣流布は近い」 |
8月13日 | 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「たとえその時は未だ入信していなかったとしても、御遺命守護の大精神を知り、歓喜し、一国広布の決意に立つ者は、その時居たと同じ真の同志である」 |
8月15日 | 顕正会、村松禎道住職代行が、顕正寺住職に就任。
(※ 村松禎道師は、昭和55年8月に浅井昭衛講頭(当時)の要請により顕正会本部職員となり、顕正寺住職代行として葬儀等の法要を執行。昭和59年8月に顕正寺住職に就任、平成17年11月に顕正会本部職員(顕正寺住職)を解雇された。) |
8月19日 | 顕正会、高知会館落成御入仏式を執行。浅井昭衛会長「高知支部の皆さんは、嬉しい時も悲しい時も、苦しい時も楽しい時も、この会館に詣でお題目を唱えよ。そしてこの高知会館を根城に、四国広布を進めよ」
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。… 妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人、五十四代日胤上人、五十五代日布上人、五十六代日応上人、六十代日開上人、六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである」(「顕正新聞」昭和60年3月15日号 )
(※ 高知会館は顕正会として、初めての地方会館開設であり、日布上人書写の常住本尊が安置された。櫻川 忠 ) |
8月22日 | 顕正会、婦人部班担当会開催。浅井昭衛会長「なんとしても支部を強くしたい、そのカギは婦人部にある」と。 |
8月22日 | 創価学会、会長代理に森田一哉・山崎尚見が就任。 |
8月25日 | 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「御遺命守護の精神と経過を知ることは、過去の追憶ではない。国立戒壇建立へ新たなる決意を固め、将来の三類の強敵に備えるためである」 |
8月27日 | 顕正会、8月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「顕正会の歴史を大きく区分すれば、第一が『試練と忍従の時代』十二年、第二が『宗門諫暁の時代』十二年、第三がいま戦いつつある『一国広布の時代』の二十有余年である。この第三の戦いこそ顕正会にとって最後の御奉公、この最後の戦いに勝たなければ日本は亡びる、また人類は核戦争で絶滅する」
(※ この年は、浅井昭衛会長の "最後の御奉公"・"最後の戦い" の連呼が、これでもかとばかりに続く。そして "最後の戦い" は、平成19年(2007年)に期限を迎えている。"閉店大セール" を謳っていつまでも営業を続ける、"閉店詐欺" さながらの浅井商店である。櫻川 忠 ) |
9月1日 | 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「将来首都圏を巨大地震が襲うなら、それが日本の破局の序曲・号鐘である。この国土の大難を信心で乗り越え、広宣流布を推進しなければならない」 |
9月2日 | 宗門、早瀬日慈師、日蓮正宗重役に再任さる。(「大日蓮」10月号 ) |
9月10~12日 | 顕正会、9月度学習会開催。「上野殿御返事」を拝読、参加者 4,584名。 |
9月12日 | 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「刀杖も及ばず、国家権力さえひれ伏した大聖人の厳然たる竜の口の御尊容を拝する時、立正安国論の『仏国それ衰えんや。乃至、宝土何ぞ壊れんや』との仰せが実感としてわかる。国立戒壇が建立されれば日本は仏国となる」 |
9月23日 | 顕正会、第1回福岡大会、福岡県国保会館で開催、参加者 150名。 |
9月26日 | 顕正会、9月度総幹部会開催。折伏成果 3,518名。浅井昭衛会長「誇りと確信を以て遥拝勤行を」
「これが本宗の伝統であります。この遥拝勤行の功徳は、御本尊の前で申し上げる勤行と 少しも変らない、… そのことをいま道理・文証・現証を挙げて説明すれば、次のごとくです。
まずその道理とは、遥拝申し上げる戒壇の大御本尊は世界総与の大御本尊であられる。… 「我も総与の中の一人」として、富士大石寺の方に向って遥拝申し上げる時は、 必ず戒壇の大御本尊に通じ功徳を頂くのであります。また信心に距離は全く関係ありません。… ゆえに「心こそ大切に候へ」と仰せられるのであります。また大石寺の歴代御法主上人は、七百年来丑寅の勤行を客殿で遊ばされているが、その勤行のあと、必ず客殿の中の遥拝所に座を移し、その窓から、遥か遠く御宝蔵にまします戒壇の大御本尊を拝みまいらせる。すなわち遥拝勤行をなさっておられる。いま私達は、我が家において、この遥拝勤行をさせて頂くのであります。
次に功徳全く同じという文証を挙げれば、日寛上人は「正しく本尊に向って妙法を唱え奉るは即ち是れ読なり、本尊に向わずして妙名を唱うるは即ち是れ誦なり」(依義判文抄)と。… すなわち御本尊を見て唱え奉るお題目は「読」に当り、遥拝勤行における唱題は「誦」であると仰せられる。どちらも御本尊を信じ唱える題目であるから「本門の題目」であり、功徳は全く同じであるということであります。
次に現証を挙げれば、あの熱原の法華講衆は未だ一度も大聖人様にお目にかかれず、また御本尊を頂戴することもなく、全員が遥拝勤行に徹したまま、法難に身命を捨て、ついに戒壇の大御本尊の願主として、大聖人様よりその名を末法万年に留められたのであります。このこと、よくよく思うべきであります」(「冨士」第251号 )
青森地方部長に加藤礼子、九州地方部長に森本征昭、任命さる。 |
9月27日 | 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長「破局のテンポを上回る本格的前進がいよいよ始まってきた」と。 |
9月28日 | 大阪地方裁判所、正信会僧侶 久保川法章師 (蓮華寺住職)の「地位確認請求」を棄却。「主文 一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。二 被告の請求を棄却する」 久保川法章師、即日控訴手続。 (※ 昭和61年5月6日の控訴審では、「原判決を取り消す」との判決となった。 ) |
9月30日 | 創価学会、甲子園球場で第4回世界平和文化祭を開催。 |
10月1日 | 顕正会、支部班長会開催。浅井昭衛会長、人材抜擢について「顕正会においては、年功序列も、年令も、男女の別もない。ただ信心強く、広布を推進する力ある人材を抜擢する。さもなければ広宣流布はできない」と。 |
10月2日 | 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「一人一人が功徳実証の人に」 |
10月3日 | 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「早く男子部の全国組織を作れ」 |
10月3日 | 創価学会、池田大作名誉会長の次男、池田城久急逝。 「池田名誉会長の次男・城久氏は三日夜、胃かいようのため東京・豊島区の癌研究会付属病院で逝去した。享年二十九歳。九月中旬ごろ胃痛を訴え検査したところ胃かいようとの診断で、九月二十五日から治療をしていた。三日午後、容体が急変し同病院に緊急入院し、手術したが、出血のため逝去した」(「聖教新聞」10月5日号 )」 「池田大作はドクター部幹部である婦人科医院に偽名で入院させるが、様態悪化のため癌研究付属病院に転院。実際は胃穿孔という早い措置なら治るはずの病気で死去」 「ジャーナリストの乙骨正生氏はこう解説する。『性格も身体つきも自分と似ている城久が池田は可愛くて仕方がなかったのでしょう。創価大学在学中から、"いずれ4代目になられる方"と皆が言うほど、城久は後継者としての扱いを受けてきました。… 池田は城久が在学時代から、自分のお眼鏡にかなった27人からなる"ご学友グループ"をつけ、城久の側近作りに余念がありませんでした。それだけ彼は将来を嘱望されていたのです』」(「新 創価学会を斬る」山田直樹 週刊新潮 2003年12月25日号 ) 「次男の葬儀の場で、池田氏は竹入公明委員長らと自民党総裁選の二階堂擁立に関与、自公連合を仕組む話し合いをする」 |
10月9~11日 | 顕正会、10月度学習会開催。「上野殿御返事」を拝読、参加者 4,476名。 |
10月12日 | 日本共産党、「赤旗」、言論弾圧問題の記事掲載。藤原弘達「15年前、田中角栄が創価学会・公明党の意を受けて『創価学会を斬る」の出版をやめろ』と乗り出した」と。(「同誌」10月12日号 ) |
10月13日 | 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「一心欲見仏・不自惜身命・時我及衆僧・俱出霊鷲山」
「『我常住於此 ·以諸神通力·令顛倒衆生·雖近而不見』御本仏の御法魂、この日本国に、そして富士大石寺にましますといえども、信心なき輩には全くわか らない。近しといえども而も見えざらしむです。
『衆見我滅度・広供養舎利・咸皆懐恋慕・而生渇仰心』これは未来広宣流布の時の姿です。日本国の一切大衆が日蓮大聖人の大慈悲にめざめ、御本尊を信じ、 恋慕渇仰の心を生ずる時が必ず来るのです。
『衆生既信伏・質直意柔軟・一心欲見仏・不自惜身命・時我及衆僧・俱出霊鷲山』 日本国の一切大衆すでに大聖人に信伏し、一心欲見仏・不自惜身命の大信心に立つ時、「我れ及び衆僧」等とは十界互具の本門の本尊です。本門の本尊が霊鷲山にお出ましになるというのです。すなわち一国に不惜身命の大信心みなぎる時、戒壇の大御本尊は国立戒壇にお出ましになるということであります。… 御在世においては、熱原の法華講衆の不惜身命によって戒壇の大御本尊は御出現遊ばされた。そして広宣流布の時、この大御本尊を守護し奉るにおいては身命も惜しまぬとの大信心一国にみなぎる時、戒壇の大御本尊は国立戒壇にお出ましになるのであります。
私は、その時が決して遠くないことを確信しております。そのゆえは世界の最終戦争はすでに迫っている。もう広宣流布しなければならぬ時、そして大聖人の御威徳により、やれば必ず出来るという時を迎えているゆえであります」(「冨士」第251号 ) |
10月14日 | 顕正会、第5回大阪支部大会開催(守口門真商工会議所会館・市民ホール)、517名が参加。 |
10月16日 | 日本共産党、第9回中央委員会総会開催。宮本顕治議長、「創共協定は死文化」として同協定の廃棄を表明。「協定そのものは世界平和、民衆福祉のため、双方が反共主義をとらず、社会のどんな段階でも信教の自由を尊重するという、まったく正当で立派なものであった。… しかし発表直後からこれほど相手側から不誠実に扱われた協定はないといっていい。… したがって協定は完全に死文化され、辱められたものである。… 死文は死文として葬り去るというのが歴史への誠実であると考えている」 |
10月21日 | 顕正会、第7回高知支部大会開催(県民文化センター)、1,075名が参加。浅井昭衛会長「この山多き不便の高知で千名結集ができたということは、いかなる県でもできるということである。まさしく高知支部の前進こそ、全国広布のモデルケースである」 |
10月26日 | 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「全員、間もなく発刊される『富士』記念特集号を心肝に染め、御遺命達成への大情熱を燃やせ」 |
10月27日 | 二階堂進、自由民主党総裁選で執行部との会談の席上、公明党・竹入委員長らの "二階堂進擁立工作" を明かす。「公明党の竹入委員長から何回も連絡があった。『池田大作名誉会長を含め全創価学会、全公明党を代表して』といって今朝も電話があり『現在の政治の状況を憂い、不満を持っている』といってきた。… 『竹入個人ではなく、全創価学会、全公明党の意見である』ということだった」(「田中支配」朝日新聞政治部 ) |
10月28日 | 顕正会、第1回青森大会開催(弘前市中弘教育会館)、137名が参加。浅井昭衛会長「たとえ大法に値うとも信心の腹を決めなければ功徳は出ない、また決意しなければ広宣流布は一歩も進まない、青森大会も決意したからこそ出来た。日本の広宣流布もいつかは出来るだろうとだけ考え、決意せぬ者は仏弟子ではない」 |
10月30日~ | 宗門、カメルーン・ガーナ・ナイジェリア・コートジボワール・リベリア・トーゴ出張授戒。 |
10月30日 | 自由民主党総裁選、任期満了による総裁選で、中曽根康弘総裁が無投票再選。11月1日に、第二次中曽根改造内閣が発足した。 任期満了に伴う中曽根康弘総裁の再選を阻止するため、鈴木善幸前首相・福田赳夫元首相らが、野党も巻き込んで木曜クラブ(田中派)大番頭の二階堂進自由民主党副総裁を擁立しようとしたが、金丸信・田中角栄の反対で立ち消えになった。 |
11月1日~ | 宗門、デンマーク・イギリス・オランダ・西ドイツ・イタリア・オーストリア出張授戒。 |
11月1日 | 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「仏弟子ならば力を持て、力は決意から生ずる」 |
11月5日~ | 宗門、ニュージーランド・オーストラリア出張授戒。 |
11月7~8日 | 顕正会、11月度学習会開催。「法華証明抄」を拝読、4,838名が参加。 |
11月11日 | 顕正会、第1回藤沢大会開催(藤沢市民会館)、558名が参加。浅井昭衛会長「相模の国こそ御本仏の発迹顕本の重大な国土、異体同心して神奈川広布を進めよ」 |
11月12日 | 東京地方裁判所、宮本邸盗聴事件裁判 第24回口頭弁論。創価学会側、山崎正友証言を崩せず。 |
11月15日 | 顕正会、「冨士」記念特集号「御遺命守護の戦い」発刊。 |
11月17日 | 日本共産党「赤旗」、「公明党の結党以来二十年の歴史は、十転万転の変転史、流れ流れて自民党の派閥化」と、公明党の無節操を批判。(「同」11月17日号 ) |
11月17日 | 創価学会、「創共協定は共産党が一方的に破棄した」と見解を発表。 |
11月18日 | 顕正会、第1回会津若松大会開催(会津若松商工会館)、250名が参加。 |
11月18日 | 創価学会、創立55周年記念勤行会(創価学会本部)。 副会長に小林宏、吉田要、佐藤武彦、川田洋一、桐村泰次、木村勝、芳賀昭人、松山久夫、上田金治郎、宮川斤也、斉間武、松岡資、宮川清彦、鈴木琢郎、細谷昭の15名が就任。副会長の総数は、53名となった。(「聖教新聞」11月19日号 ) |
11月23日 | 創価学会、第4回全国未来会(東京・広宣会館) 池田大作名誉会長「学会員はすべて日蓮正宗の信徒であり、仏法の師は、代々の御法主上人であられる。それを根本として仏意仏勅を自覚し、広宣流布をば誓願した学会である。… ここ数年来、策略や陰謀、そして迫害の連続の難をうけたが、ことごとく勝利することができた。彼らは『法華経に勝る兵法なし」いう大法理を知らなかったのである。諸君はその原点を深く知らねばならない」(「聖教新聞」11月24日号 ) |
11月25日 | 顕正会、第1回佐渡大会開催(佐渡島総合開発センター)、242名が参加。 |
11月26日 | 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 4,232名。浅井昭衛会長「武道館大総会は再来年4月に開催する。来年は23年先を見つめて盤石の基盤・態勢を整える年」 |
11月27日 | 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「破局のテンポを上回る広布の大潮流は、ここにとうとうと流れだした」 |
11月30日~ | 宗門、阿部日顕管長、北米親修に出発、12月5日帰国。
聖教新聞、「日顕猊下 ニューヨークヘ親修」、池田大作名誉会長、理事長らが歓送。
「池田名誉会長は諸天も寿ぐ平安な天気のもと、五たびとなる御法主上人猊下の海外御親修の御出発にあたり、信徒一同を代表してお祝い申し上げた。… また世界の中でのニューヨークのしめる重要性に触れ、今回のニューヨーク御親修は末永く宗史に残る御壮途と拝すると語り、つつがない御親修であられるようごあいさつ申し上げた」(「同」12月1日号 ) |
11月30日~ | 宗門、インドネシア・フィリピン・マレーシア・シンガポール出張授戒。 |
11月 日 | 龍年光公明党都議会議員、財団法人「土と人間の蘇生の会」を設立。 内藤国夫、「財団法人設立には、確かに億単位の金が必要だった。だが、竜氏は、学会組織にも党組織にも頼らず、昭和59年11月、独力で法人設立にこぎつけた。法人のパンフにも、「公明党や創価学会に一切関係なく独自の立場で設立」と明記されてある」(「週刊文春」91年2月28日号 ) |
12月4日 | 公明党第22回党大会開催、竹入義勝委員長「政権獲得をめざしてガンバロー」と勝どきの音頭。 「先の自民党総裁選にさいして公明・民社両党が二階堂擁立で動いたことについて、「中曽根政治が変わり、特定人物による政治支配の構図が打ち破られるというのであれば、それは国民にとっても大変に歓迎すべきである。… 中曽根氏と二階堂氏の二人を冷静に比較した場合、どうみても二階堂氏の方が"よりまし"な考えの政治家のようであり、政治改革の突破口となるであろうとの見通しから、いわゆる外野席からハンカチを振った」と改めて説明した。… 11月1日の拡大中執委で「つぎのチャンスでは上着を脱いでやる」と発言したことを引用しながら、「そのときには党内のしかるべき正式機関での論議を詰めて、政治改革に正面切って突き進むという決意」だと強調して、連合政権実現への意欲を示した」(「公明新聞」84年12月5日付 ) |
12月7日 | 宗門、阿部日顕管長、顕正会の国諫 (56年11月20日)について「政府の当事者はまだ信心していない。その謗法の者に向って国立戒壇を建てろとは、筋道が立たない」と批判。 |
12月10日 | 顕正会、教学部、「三大秘法抄」の講義終了。 |
12月16日 | 東京地方裁判所、宮本邸電話盗聴事件裁判、結審する。 |
12月19日 | 香港返還合意、イギリス(マーガレット・サッチャー首相)と中華人民共和国(趙紫陽国務院総理)が、香港返還合意文書に調印。これにより1997年7月1日に、香港が中国に返還されることになった。 -中国は97年7月1日から香港に対する主権行使を回復(第1項) -英国は97年7月1日香港を中国に返還(第2項) -香港を特別行政区とする(以下第3項) -香港は高度の自治権を享受 -香港には行政権、立法権、独立した司法権と終審裁判権が与えられる -香港政府は現地人によって構成、行政長官は現地で選出、中央政府が任命 -現行の社会・経済制度、生活様式を維持 -国際金融センターの地位を保持。香港ドルも使用。 -これらの方針と政策は50年間変更しない。 |
12月20日 | 電電公社民営化法案成立、国内通信は日本電信電話公社によって,国際通信はKDDによって独占されていたが,新規事業者による通信事業への参入が可能になった。 「日本電信電話株式会社法」、「電気通信事業法」、「関係法律の整備等に関する整備法」は、まとめて「電気通信改革3法」と呼ばれ,翌年4月に通信自由化がスタートしNTTが発足した。 |
12月24日 | 顕正会、11月度総幹部会開催。 |
12月28日 | 創共協定、期限の10年目を迎える。双方とも、協定延長の意思なし。 |
12月 日 | 公明党・池田克也衆院議員、リクルート社・辰巳雅朗社長室長から、政治資金の提供を受ける。のち、リクルート事件として発覚。 |
12月 日 | 創価学会、"接遇" 活発化。この頃から、名誉会長への "池田詣で" が活発化する。長谷川重夫が介在人としての役割を果たし、一躍名誉会長の側近となる。接遇品の高価な物は名誉会長が独り占めし、その他は本部幹部らに分け与えられ、更に会員に「先生から」と配られた。 |