迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館で9回に分け厳修。浅井昭衛会長、年頭の辞「三大秘法抄身読の時
「現在、世界各国に蓄積されている核弾頭はその数すでに数万発、その爆発力は広島の原爆の百万倍以上といわれている。もしその一部でも使用されれば、人類の絶滅は火を見るより明らかである。… その行きつく先に思いを廻せば、慄然として肌に栗を生ずる思いである。これが御本仏が予言警告し給うた末法人類の最終戦争なのである。… 未だ大事の御遺命は達成されていない。 このゆえに三年前、思いをこめて一国広布へ出陣したのである。本年はその第三年。二十三年後を見つめ、盤石の基礎を築くべき大事な年である」(「冨士」第253号 )
1月1日  創価学会、副会長に平野恵万、野間浩、北野佑一郎の3名が就任、副会長の総数は56名となった。(「聖教新聞」1月4日号 )
1月1日  新雑誌X、丸山実の「新・山崎恐喝問題とマスコミ 山崎正友への論告求刑を考える」を掲載。(「同」2月号 )
1月 日  プレジデント 2月号、藤原弘達(司会)、俵孝太郎、内藤国夫の座談会記事掲載。
「(内藤)池田大作の究極の目的は、天下取り、権力を握ることですが、そのためには、どんなことをしてもいいわけ」
「(藤原)創価学会では、国民的コンセンサスのべースになんかならない。その点は、これまでも何度も指摘しているところなんだが、日蓮正宗―創価学会は、ホメイニを戴くイスラム教シーア派のようなものだと受け取るほかあるまい。アラブ的紛争を日本に持ち込む危険性のほうが大ありさ」
「(俵) 僕は、モグラのように公明党・創価学会が尻尾を出すたびにポソポソ叩いていればこっちも年をとるけど、敵も年をとる。結局たいしたことにならないで、まあ日本国は安泰だろうと思うんだけどね」
1月7日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「本年は23年先を見つめた盤石の基盤を築く。盤石の基盤とは、人材で打ち堅めた十万法城を築くことである。この十万法城が築かれれば、一国広布は必ず成る」
1月11日
 顕正会、初講義、板橋文化会館で開催。浅井昭衛会長「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。
1月13日
 顕正会、教学部、三級昇格試験。全国12ヶ所で実施、1,256名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式(本部会館)、参加者2百余名。
1月20日
 顕正会、教学部、登用試験。全国34ヶ所で実施、1,751名が受験。
1月25日
 顕正会、1月度総幹部会開催。.浅井昭衛会長「『折伏』の二字に奮い立たぬ者は仏弟子ではない」と。
1月26日  創価学会、池田大作名誉会長、SGI発足10周年記念提言。米ソの核軍拡競争をストップさせる契機となる "米ソ首脳会談" の開催、"アジア・太平洋時代" の文明史的意義について提言。
2月3日
 顕正会、藤沢事務所、神奈川県茅ヶ崎市に開設さる。
2月4日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「信心修行と職業」について。
「本年は二十三年先を見つめ、組織も生活も盤石の基盤を築くべき年である。ことに組織においては、青年部の力強い前進と相呼応して壮年部・婦人部の本格的な体制を整えたい。また幹部は、後顧の憂いなく広布の御奉公ができるよう、自らの生活・職業を、しっかり堅めてほしい。…
 三大秘法を修行して広宣流布を推進する立場が本来の姿であり、職業にたずさわっている立場は世を渡る仮の姿である。… 一生成仏を遂げさせて頂くのが人生の目的である。ゆえにこの目的を忘れ、金儲けを、仕事を、人生の唯一の目的と勘違いしたら、本末転倒と云わねばならない。…
 しかしまた、軽薄に考えて職業をおろそかにしたら、仏道修行もできなくなる。在家の身として、職業がきちんとしていればこそ仏道修行も叶うのである。… 大聖人様は「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」と仰せられる。… 仏道修行を助けるための職業である。だから職業を大切にしなければならないし、また仏法のための職業だからこそ御本尊の御守護を頂くのである。かくのごとく信心修行と職業との関係を見つめた上で、仏法のため"いざ"という時には、職業も、いや身命も捨てて悔いなしの決意を秘めているのが、大聖人の真の弟子なのである」(「冨士」第255号 )
2月4日  創価学会、池田大作名誉会長。愛媛県の幹部会で「正信会の姿こそ謗法であり、最大の悪」と講演。
2月8/11日
 顕正会、2月度学習会、「種々御振舞御書」を拝読。参加者 4,817名。
2月 日  政界往来、「創価学会の帝王・池田大作の錬金術」と題して、創価学会の資金ルートと、金に執着する池田名誉会長の実像を追求。(「同誌」60年新春号 )
2月15日
 顕正会、教学部大会開催(豊島公会堂)、1,264名が参加。浅井昭衛会長「御書全集・日寛上人の御筆記・解説書を発刊
「いま日本国において、日蓮大聖人の三大秘法の甚深の御法門を、このように真剣に正しく研鑽しているこれほど大きな集団は、断じて他にありません。… 絶えざる求道心を持ち続けてほしい。もし慢心したり、求道心を失った時、その人の成長はたちまちに止まり、腐敗堕落が始まるのであります。… いよいよ二十三年先を見つめての基盤確立を、教学上においてもなすべき時と、私は感じております。よって本日の教学部大会において、その構想を発表いたします。構想は三つあります。
 まず顕正会において、いよいよ日蓮大聖人の御書全集を発刊しようと決意しております。… 広宣流布のため、内容がより正確で、かつ大きな活字で読み易い御書を、顕正会において発行すべき時が来たと私は思っておりますが、どうでしょうか。(大拍手) もとよりこれは大事業で、短時日にはできません。A五判で全三巻にしようと思っておりますが、本年の四月からこの編纂事業に取りかかり、明年中には第一巻を出したいと思っております。
 次に構想の第二として、日寛上人の御筆記を刊行したい。すなわち六巻抄と重要御書の文段です。… まず六巻抄を本年八月十九日、日寛上人の御命日までに発行しようと思っております。
 次に構想の第三として、広布推進のため、三冊の解説書を単行本として出して行きたい。その三冊とは、すでに「富士」に掲載された「南無日蓮大聖人」と「御遺命守護の戦い」、またそれに加えて「折伏の理論書」、これは月々日々の戦いに追われて発行が遅れておりますが、広布推進に最も大切でありますから、必ず刊行いたします。…
 以上構想を述べましたが、御書全集と日寛上人御筆記および広布推進の三部作が整えば、教学面においての一国広布の基盤はここに確立されると、私は確信しております。私は本年このことに没頭していきたい。全教学部員はこの意義をよくよくわきまえ、自覚を以て各自が学び、そして広布の先陣を切って戦って頂きたい。以上。(大拍手)」(「冨士」第256号 )
2月 日
 顕正会、「立正安国論」「開目抄」の本文ならびに講義録再版さる。
2月23日
 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長、地方学習会の開催基準ならびに地方拠点の御本尊について重要指導
2月25日
 顕正会、2月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「学習会こそ顕正会の誇るべき伝統行事、顕正会の歴史を貫く根幹の行事である。3月はいよいよ5千名突破の学習会を開こう。顕正会の学習会が日本の潮流となる日が必ず来る」
(※ 今や、「学習会」に参加したことのない会員が、ほとんどだろう。昭和59年2月、浅井昭衛会長は「教学部の組織は、… 将来その上にさらに講師を作り、この五段階を以て顕正会教学部の究極の組織としたい」と、構想を述べていた。"歴史を貫く根幹の行事" であれば、自身で講義するのが大変なら "講師"に任せればよいだろう。しかし、頭角を現す幹部を排除する会長が、自分に取って代わる "講師" を設けることはなかった。本気で "広宣流布・国立戒壇" を目指すなら、顕正会に"講師"が百人・千人と、輩出しなければならない。浅井昭衛会長の「必ず来る」は、 "必ずしも来ない" で終わる。櫻川 忠 )
2月28日  東京高等裁判所、正信会僧侶 山口法興師(妙真寺)の地位保全仮処分の控訴審において、一審(静岡地裁)判決を破棄し、双方の仮処分申請却下の判決を下す。この判決により同住職は当面、妙真寺の退出を免れた。
3月1日  新雑誌X、丸山実の「新・山崎正友恐喝問題とマスコミ(完)"大風呂敷的"ハッタリに弱いマスコミ」を掲載。(「同」4月号 )
3月4日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「広布に通ずる祈りは必ず叶う」
3月8~11日
 顕正会、3月度学習会、「刑部左衛門尉女房御返事」を拝読。参加者、初めて5千人を突破、5,561名に達す。
3月12日  ソビエト社会主義共和国連邦、新書記長にミハイル・ゴルバチョフが就任。
3月15日
 顕正会、教学部、「立正安国論」の講義開始。講師、石原康一教学部長。
3月16日  国際科学技術博覧会、科学万博つくば'85開催(~9月16日)。「人間・居住・環境と科学技術」をテーマとし、日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加した。総入場者数は 2,033万4千人で、特別博覧会史上最高入場者記録となった。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 3,925名。浅井昭衛会長「予定を早め、5月までに十万を達成しよう」
 第十隊長に伊東信昭、第十隊幹事に坪田敏任命さる。
3月26日  山崎正友恐喝事件裁判(東京地方裁判所)判決公判、3億円恐喝事件で 3年10ヶ月 75回に及ぶ審理の結果、山崎正友元顧問弁護士に懲役3年の実刑判決下る。山崎正友はただちに控訴。
「(判決文)被告人自身の捜査段階における供述と対比しても、被告人の前記公判供述は信用できない。… 被告人の供述に右のような矛盾が生ずるのは、その供述が虚構を重ねたものであることに起因すると認められる」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
4月1日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「十万達成は歴史的法戦であれば、歴史的信心でこれを成し遂げよ」
「御書全集」の編集委員に、加藤礼子教学部一級部員、小川善紀二級部員、浅井克衛三級部員任命さる。
(※ 10年後の平成7年、顕正新聞には "「御書全集」の編纂いよいよ始まる"として、「このほど三名の編集委員が正式に任命され、… すでに作業は現在急ピッチで進められつつある。… 新任の編集委員は小泉修、斉藤千鶴、浅井城衛の三氏で、それぞれ男子部・女子部において要職を務め、数学部においては二級部員であり、強盛な信心と明晰な頭脳を持つ若き俊秀である。… 顕正会版の御書は、大聖人一代御化導を順次に拝せるようにと編年体となっており全三巻、第一巻の発刊は来年の予定。サイズはA五判、文字は十八級とのこと」(「顕正新聞」平成7年6月5日・15日合併号 )との記事が掲載されている。顕正会版「日蓮大聖人御書全集」発刊、どうも "日本の破局" には間に合いそうもない。櫻川 忠 )
4月1日  徳間書店、央忠邦著「池田大作の軌跡」発刊。「学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。私から北條第四代会長へもそうでした。いわんや会則のもとでは絶対にありえないことです。念のために申し上げれば、長男は高等学校の教員、次男は大学の職員です。三男坊はまだ大学生です。いずれにせよ、まったく論拠のない推測記事でしょう」(※ 央忠邦は当時 朝日新聞記者 )
「だが、その長男博正は、組織的にはなんらの実績もなかったにも関わらず、今や副総合青年部長、SGI会長秘書、創価大学ロス分校主事、創価学園理事、そして池田大作の名代として南米各国をまわり勲章、称号を受け、大統領と会談し、会員を指導している」(「グラフティ創価学会の現実 PART3」継命新聞社 90年7月16日 )
4月1日  日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社 (NTT) に、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社 (JT) に民営化された。
4月2日  創価学会、創価大学と同じ敷地内に、創価女子短期大学開学。
4月3日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「青年部の逞しい前進に相呼応して、 何としても壮年・婦人部が立たねばならぬ。幹部大会を期して、壮年・婦人部の本格的体制を整えようと、私は決意をしている」
4月5日  大石寺宿坊に散弾銃が打ちこまれる。(「読売新聞」4月7日号 )
「85年4月には日蓮正宗総本山・大石寺に散弾銃が撃ち込まれ、同11月には東京・信濃町の創価学会本部の文化会館に短銃2発が撃ち込まれている。11月の事件では、後藤組組員が現行犯逮捕された」(「週刊現代」97年11月22日号 )
4月6日  創価学会、聖教新聞社説「御虫払大法会と富士の正統」
「御本仏・日蓮大聖人の仏法を寸分も誤りなく紹継された日興上人の正法護持、令法久住への御尽力があったればこそ、また御歴代の御法主上人並びに数多くの清信の僧俗の戦いがあったからこそ、今日、我々が大聖人の仏法を正しく信行することができることを忘れてはならない」
4月8~10日
 顕正会、4月度学習会、「法蓮抄」を拝読。参加者6,480名。
4月10日  創価学会、婦人会館に火炎ビン投げこまれる。(「サンケイ新聞」4月11日号 )
4月12日
 顕正会、臨時支部長会開催。浅井昭衛会長、壮年・婦人部の抜本的改革について 重要指導。
4月22日  宮本邸電話盗聴事件裁判(東京地方裁判所)の判決公判、有罪の判決が下り創価学会が敗訴。創価学会首脳の関与を認定し、教団の組織的犯行を認め、前会長・北條浩ら4被告にそれぞれ 100万円の慰謝料支払いを命じた。(第一審)
「昭和60年4月22日、東京地方裁判所民事第12部は、北林芳典以外の被告の犯行を認定し、すでに、北条浩は、昭和57年7月に死去していたから、遺族達に対して、合計金百万円、山崎正友、広野輝夫、竹岡誠治には、各百万円の支払いを命ずる判決を言い渡した。私を除き、創価学会側の被告はただちに控訴したが、控訴審においても、昭和63年4月26日、控訴棄却の判決が下された。創価学会側の被告は、最高裁判所に上告したが、途中で上告を取り下げ、損害賠償金を一方的に供託した。これにより、一審控訴審判決は確定し、宮本邸盗聴事件が、北条浩の指示による創価学会の組織的犯行であることが、公式に認定されたわけである。創価学会側被告は、自らこれを認めて、損害賠償金を自発的に支払った。ちなみに、私は、心からの謝罪と贖罪の意を認められ、宮本氏側から、損害金の支払いを免除された」(「自由の砦」山崎正友 2002年1月10日号 )
(※ 東京地方裁判所は、被告山崎正友らが "妙信講への盗聴" を重ねたことも、併せて事実認定している。櫻川 忠 )
4月23日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長の "宮本邸電話盗聴事件裁判" 判決への談話を掲載。
「審理は、約四年四カ月にわたって続けられてきたが、山崎は故北条氏がすでに他界し反論できないことをよいことに、巧みに虚構をデッチ上げた供述を繰り返してきた。今回の判決では、遺憾ながら、その点を看過して、不当にも故北条氏の関与を認定したものである。故北条氏の遺族は直ちに控訴する、といっている。なお、被告の一人とされた北林芳典氏については、請求が棄却された」
4月 日  創価学会、"電話盗聴事件の判決は、創立55周年を迎えた創価学会への、最大の魔である"、との非公式な見解を会員にくちコミで流す。
4月26日
 顕正会、浅井甚兵衛顧問一周忌法要、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「十万の法城を築き、一国広布を力強く推進することこそ、顧問先生に対する真の報恩・謝徳である」と挨拶。
4月27日
 顕正会、4月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「十万法城はまさに屹立せんとしてい る。この5月、歓喜し、決意し、戦わぬ者は顕正会員ではない」
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、報恩抄の「日蓮が慈悲曠大ならば、 南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし」について講演。
4月28日
 正信会、法華講第10回全国大会、日比谷公会堂で開催。
4月 日  フランス国民会議、文書「フランスの宗派(セクト)」を発表。フランス共和国で社会問題を引き起こしている "ニセ宗教団体"として、統一教会(世界基督教統一神霊協会)と創価学会を挙げる。
「このニセ仏教宗派の特徴は、フランス仏教会からつねにきびしい非難を浴びている」
5月3日  創価学会、聖教新聞社説「不滅の"5月3日"を晴れやかに」
「東京会館で開催中の創立55周年『創価学会特別記念展』は意義が深い。代々の会長が総本山を外護し、会員を守るために、一人心血を注いできた激闘の跡をしのばせる展示品の数々。そしてまた、その不惜の実践に全幅の信頼を寄せ、温かく慈愛を注がれてきた御歴代御法主上人猊下と創価学会との僧俗和合の姿を如実に示す重宝類 …『偉大なる指導者ありて広布また 道にこころし進みゆくらむ』とは、御当代第六十七世御法主日顕上人猊下から池田名誉会長が賜った御染筆で、これも特別記念展に展示されている」
5月5日  創価学会、創価学園出身者の集い "第一回鳳友会" 開催。
「この会は藤原行正氏の次男・範昭氏潰しを目的として、池田氏自身が招集を命じたもの。池田氏が講演を終え移動中、範昭氏が「池田先生、お話があります!」と声を掛け、用意していた質問書を手渡す。ボディーガードの目撃談によると、池田名誉会長は数秒間、うろたえ直立不動のまま、両目も完全に焦点が合わない様子だったと証言」
5月初旬  創価学会、宮本邸電話盗聴事件裁判につき控訴。控訴しなかった山崎正友、北林芳典については刑が確定。
5月12日
 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行。全国代表幹部3千名が参加。壮年・婦人部の組織改革断行、支区部長・地区長以上78名が抜擢さる。浅井昭衛会長「鉄壁の陣容整え一国広布へ
「この十万の法城が人材で堅められ充実した時、一国広布は必ず成る。ゆえに本年を「二十三年後をみつめて盤石の基盤を築くべき年」と定めたのであります。
 この本年、私はなすべきことを三つ考えておりました。一つには教学上の基盤確立。二つには地方広布の推進。三つには壮年・婦人部の本格的体制作りであります。
 第一の教学上の基盤確立については、すでに発表したごとく、日蓮大聖人の御書全集と日寛上人の六巻抄、ならびに解説書の刊行であります。この大事業はすでに本年四月より着手され、数年以内に完結することになっております。
 第二の地方広布の推進は、各地で開かれる地方大会と相まって、現在地方の学習会が燎原の火のごとく全国に広がりつつある。これを月々に力強く推進することこそ、即地方広布の推進であります。
 そして第三番目が壮年・婦人部の本格的体制作りであります。… 壮年は支部の柱、また婦人部は支部の母体たるべきです。しかるに現状は青年部と比べて余りにも弱体のところが目立つ。もしこのまま放置すれば、将来広布の推進にも支障を生ずる恐れがある。よって本大会を機に、抜本的改革を決断したわけであります。この改革は、支部組織における顕正会始って以来の革命的改革であります。… 壮年・婦人部の広宣流布へ戦う体制は、ここにその骨格が始めて整ったのであります。…
 さて、目を外に転ずれば、世界動乱の兆はますます盛んであります。… ことに極東に対する軍事力の強化は目すべきものがある。ソ連軍唯一の奇襲上陸部隊も極東に配置されている …。またソ連と通ずる北朝鮮の動きも、最近まことに不気味であります。いずれにしても、仏法の鏡の照らすところ、謗法の日本が、将来他国侵逼の大難を招くことは避けられぬところであります。…
 もしこの破局に間に合わぬなら、仏弟子として大聖人様にまことに申しわけなく、顕正会のこの世に存在する意義は全くないのであります。明年の武道館大総会こそ、十万の確証を得た顕正会がいよいよ一国をゆさぶる大目標を掲げ、驀進を開始する重要なる節であります」(「冨士」第258号 )
5月17日  男女雇用機会均等法成立、法の下の平等の理念にのっとり、雇用の均等な機会及び待遇の確保を図り、妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進する。
5月18日~
 宗門、フランス出張授戒。
5月18日
 顕正会、宿願十万ついに達成。
5月27日
 顕正会、5月度総幹部会開催、折伏成果空前の 5,018名。5月末会員数、101,195名となる。
 浅井昭衛会長「死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が十万になったという現証は只事ではない。これ『仏勅ここに下る』の確証、一国広布の大瑞相である。本日よりは明春の武道館大総会を見つめ、この十万法城を人材で打ち堅め、いよいよ大聖人様のお待ち遊ばす一国広布へ、敢然と立とうではないか」
5月30日  創価学会、池田大作名誉会長、パナマ共和国・ノリエガ将軍と会談(聖教新聞社)。
「将軍は会談に先立って総本山大石寺に拝観、… 名誉会長は『世界の指導者の中にあって、閣下は、まだお若く、二十年、三十年の未来が待っておられる。その意味で、一生涯パナマと中米の"柱"として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方であると私は信じている』と語った」(「聖教新聞」5月31日号 )
 池田大作「パナマと中米の"柱"として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方である」
 ノリエガ「昭和56年訪問の際、パナマと中米平和の未来を語り合ったフラメンコ島は、今やその意義をとどめて『ミラドール・イケダ(池田展望台)』と命名した」
 池田大作「大変に光栄です。… 中米諸国で内乱とか紛争のある国が多いなかにあって、将軍の指導されるパナマの国にそれがないことは、まことに喜ばしいことである」
(※ 池田大作は、白糸研修所に「ノリエガ庭園」を造成しノリエガ将軍を招待したが、ノリエガが失脚するやただちに閉鎖した。)
(※ ノリエガ将軍は83年に国防軍司令官に就任、事実上の最高権力者として政治の実権を掌握した。反政府活動家の弾圧に加え、自らを解任しようとした大統領を罷免に追い込むなど「独裁者」として振る舞った。隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマからアメリカ合衆国へコカインなどを密輸するルートを私物化した。1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言、直属の私兵組織を動員し反対者を鎮圧した。その5日後、麻薬の不正浄化、在パナマ・アメリカ軍兵士殺害、選挙結果の不履行を理由に、アメリカ合衆国・ジョージ・H・W・ブッシュ大統領によるアメリカ軍のパナマ侵攻を受け、パナマ国防軍は敗北・投降した。ノリエガ元将軍は、麻薬密輸の罪で懲役40年(後に30年に減刑)の判決を受け、2017年5月29日 83歳で死去した。Wikipedia 参照 )
5月 日  公明党・田代富士男参議院議員、全国砂利石材転用船組合連合会(大阪市北区)から、国会質問趣意書提出の依頼を受け、謝礼として1,000万円を受領。全国砂利石材自家用船組合連合会の顧問であった田代富士男議員は、自家用船から営業船への転用をめぐって営業制限の撤廃を求める、利益誘導のための国会質問趣意書を提出した。1991年11月21日、大阪地方裁判所で結審し、92年に田代富士男元議員の有罪が確定している。
6月1日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま十万を達成して、地平線のかなたに、一国広布のゴールがほのぼのと見えてきたような気がする」
(※ 平成10年には「最終段階の戦い開始」、平成12には「広布の最終段階」、平成20年には「広布最終段階」、平成23年には「広宣流布はすでに直線コース」、平成25年には「広宣流布はギリギリの最終段階」、平成26年には「国難元年」、平成31年には「広宣流布の決戦場」と、ゴールはどこまでも後退して行く。櫻川 忠 )
6月5日  横浜地方裁判所、正信会僧侶 佐々木秀明師 (小田原教会)の訴えを棄却し、寺院の明け渡しを命ずる。
6月5日  山口組系後藤組々員、大石寺「五之坊」発砲事件で逮捕さる。
6月 日  週刊サンケイ、創価学会の選挙違反記事掲載、都議会議員選挙における「創価学会」の組織的住民移動登録の証拠を暴く。(「同誌」7月4日号 )
6月10/23日
 顕正会、6月度学習会、「四条金吾殿御返事」を拝読。参加者 7,794名 (全国42会場)
6月16日
 顕正会、第2回福井大会、鯖江市勤労青少年ホームで開催。187名が参加。
6月18日  正信会機関紙「継命」と「中央区選出都議選の公正を見守る有志の集い」(代表 佐藤芳行)、東京都選挙管理委員会に創価学会員による架空住民票移動の疑惑を告発。創価学会関係者とおぼしき架空転入者7件・10名、他に疑惑が持たれるもの13名。
6月 日  公明新聞、「継命」紙等の "架空住民票移動疑惑" の告発を、「またもデマだった!」として独自調査の結果を掲載。
6月25日  公明党都議会議員・藤原行正、池田大作名誉会長を「学会・党を私物化している」と公然批判。(「週刊新潮」8月29日号 )
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「いま日本国において、大聖人の御聖意のままに立正安国論を実践している団体は、ただ顕正会のみ」
6月26日
 顕正会、本部会議開催。壮年・婦人・男子・女子、各部の所属基準決定さる。
6月27日  創価学会、聖教新聞社説に「金銭貸借禁止令」掲載。「最近、金などの現物まがい商法や、株にまつわる詐欺事件など悪徳商法が横行し、お年寄りや主婦の間で被害が急増し、大きな社会問題となっている。… 学会においては『同志間の金銭貸借は厳禁』が伝統である。金銭の問題で同志を苦しめ、負担をかけることは厳に戒めたい」
「昭和60年6月27日付けの「社説」が言及している「金などの現物まがい商法」とは、金のペーパー商法で多くの被害者を出した豊田商事事件のことだが、この事件では、刺殺された永野会長が創価学会員だったのをはじめ、多くの会員が被害者となった。幹部が会員を利殖で誘うマルチ商法が会内で横行したのである。そこには当然、金銭貸借がからんでいたのだ」(「週刊実話」97年8月21・28日号 )
6月30日
 顕正会、第1回長野大会、長野全逓会館で開催。豪雨の中、198名が参加。浅井昭衛会長「豪雨に打ち勝って開かれた長野大会こそ、まさしく信州広布の幕明けである」
6月30日  日本共産党「赤旗」、選挙関係の創価学会内部文書を暴露。座談会での模範演説文、「創立55周年の大きな時節に行なわれる都議選におきましては、先生が示して下さった "広布の縮図" を何としても作っていく第一歩の戦いととらえて戦う … 」など。
6月 日  公明新聞、81年那覇市架空住民票移動事件の調査結果を掲載。架空転入者のうち創価学会員は2名だけで、しかもその2名も保守系候補を支援するためだったと主張、これにより「一部政党のデッチ上げ体質が指弾されるにとどまらず、これまでの一部マスコミを含めた公明党に対するいわれなき住民票移動呼ばわりに完全に終止符が打たれた」と。
7月1日
 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長、立正安国論の月に因み「近づく破局・他国侵逼を誰一人気づかず、ただ目先の安逸をむさぼっている今の日本は、まさにタイタ ニック号の乗客と同じ」と。
7月3日
 顕正会、婦人部班長会開催、浅井昭衛会長「活動する組織を作ったいま、全幹部が呼吸を合わせ団結せよ」
7月4日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「壮年は支部の柱、一家の柱である。壮年が毅然たる信心に立つ時、支部も家庭も盤石となる。もし壮年に決意がなく、力がなけれ ば、頼りない支部、暗い家庭となる。壮年部は 大奮起せよ」と。
7月4日  創価学会、第5回世界青年平和文化祭開催(ハワイ・ホノルル市)。
 阿部日顕管長夫妻、藤本栄道総監、池田大作名誉会長、ノリエガ将軍(パナマ共和国)、アリヨシ州知事らが出席。(「聖教新聞」7月6日号 )
(※ ノリエガ将軍は83年に国防軍司令官に就任、事実上の最高権力者として政治の実権を掌握した。反政府活動家の弾圧に加え、自らを解任しようとした大統領を罷免に追い込むなど「独裁者」として振る舞った。隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマからアメリカ合衆国へコカインなどを密輸するルートを私物化した。1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言、直属の私兵組織を動員し反対者を鎮圧した。その5日後、麻薬の不正浄化、在パナマ・アメリカ軍兵士殺害、選挙結果の不履行を理由に、アメリカ合衆国・ジョージ・H・W・ブッシュ大統領によるアメリカ軍のパナマ侵攻を受け、パナマ国防軍は敗北・投降した。ノリエガ元将軍は、麻薬密輸の罪で懲役40年(後に30年に減刑)の判決を受け、2017年5月29日 83歳で死去した。Wikipedia 参照 )
7月5日  創価学会、池田大作名誉会長、ホノルル・パンチポールの丘の太平洋国立記念墓地に献花。ノリエガ将軍、プラッドレー・ロサンゼルス市長、マカカ連邦下院議員、アリヨシ州知事夫人らが出席。(「聖教新聞」7月7日号 )
7月7日
 顕正会、群馬大会、群馬県民会館で開催。325名が参加。浅井昭衛会長「本日の群馬大会こそ、わずか1年でも、やればできるという証拠を示した意義深き大会である」
7月7日  東京都議会議員選挙、2期目の鈴木俊一都政に対する中間評価、公明党は2議席を増やし29議席を獲得した。
7月9~28日
 顕正会、7月度学習会、「四条金吾殿御返事」を拝読。 6,712名が参加。(全国47会場、この7月より重複参加は算入せず)
7月19日  公明党・田代富士男議員、自家用砂利船転用についての質問主意書を提出。
「第92回国会(特別会) 砂利石材船の一元化に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。昭和五十五年七月十九日 田代富士男 参議院議長 徳永正利殿 …
 四年有余にわたつて、日本内航海運組合総連合会(以下「総連合会」という。)と全国砂利石材自家用船組合連合会(以下「全自連」という。)との間で話し合いが進められてきたが、今日なお問題の結着をみるに至つていない。…」
7月21日
 顕正会、第1回札幌大会、札幌市教育文化会館で開催。157名が参加。浅井昭衛会長「北海道の広宣流布こそ急がねばな らぬ。6百万道民の運命をになって、北海道の同志は立ち上がれ」
7月24日
 顕正会、7月度総幹部会開催、折伏成果 2,465名。浅井昭衛会長、六巻抄の発刊につき「広宣流布の日のために留め置かれた秘蔵の御法門書を、いま時来るがゆえに、顕正会員はほしいままに拝読することができる。まことに有難いことである」と。
 本部幹事に橋本幸郎 任命さる。
7月29日  第三文明社、創価学会青年部反戦出版委員会「戦争を知らない世代へ」、シリーズ全80巻が完結。
8月2日  公明新聞、中曽根康弘首相の靖国神社参拝を批判。かしわ手を打たず、公費支出も玉ぐし料ではなく「供花料」名目なので問題なし、としたことについて「参拝する側の手ぶり一つでパッと相手は宗教でなくなる、などという宗教解釈を正気で国家の見解にできるだろうか」と。
8月4日
 顕正会、「長野事務所」開設さる。
8月11日  創価学会、戸田記念墓地公園(厚田)で、北海道広布記念碑を除幕。
8月12日
 顕正会、橋本幸郎本部幹事、ハワイに赴き初の折伏弘通、7名が入会。
8月15日  公明党、中曽根康弘首相の靖国参拝について、政策審議会長談話を発表。「いかなる参拝方式であれ、靖国神社が宗教団体である以上、憲法第20条に抵触することは明らかであり、供花料の公費負担も憲法第89条からみて疑義がある」
8月15日  週刊新潮、公明党都議会議員・藤原行正が、"池田大作名誉会長に反乱" と報じる。(「同」8月22日号 )
8月16~23日
 顕正会、青年部を中心に特別講習会「なぜ信心せねばならぬか」(ビデオ)開催。参加者 3,084名。
8月19日
 顕正会、日寬上人第二百六十遠忌御報恩勤行会、本部会館で厳修。「六巻抄」刊行さる。
 浅井昭衛会長「日寛上人こそ、未来事の広宣流布に備えて、教学上の完璧なる御用意を遊ばすために出現された超凡絶倫の聖者」と挨拶。
8月24日
 宗門、布教研修会編「正しい宗教と信仰」刊行。
8月24日  潮出版社、松山善三著「ああ人間山脈」(「フォーエバーセンセイ」取材の旅)を出版。
8月26日
 顕正会、冨士巻頭言、浅井昭衛会長「靖国公式参拝に思う
「終戦記念日の八月十五日、中曽根首相以下各閣僚が戦後始めて公人の資格で靖国神社を参拝したことが、いま大きな論議を呼び、秋の政争の焦点の一つにもなろうとしている。社会・公明・共産等各野党の反対理由は、公式参拝は政教分離を定めた憲法に違反し、また侵略戦争の肯定にもつながるからというものである。
 この問題の本質を考えるに、まず二つの視点がある。一つには戦没者の追悼儀式を国家が為すことの当否、いま一つはその追悼をいかなる方法を以て行うかということである。
 一について云えば、… これら戦争犠牲者に対しては、国家が追悼の儀式をなし、国家を代表して天皇陸下、そして総理大臣がこれに参列するのは、当然のことと云わねばならない。
 しかし問題はいま一つ、いかなる方法を以て追悼するかということである。ここに法の邪正が問題となって来る。これこそ最も重大なことと云わねばならぬ。… 後生を助ける正法はただ三大秘法の一法のみである。…
 仏法有縁の妙国日本であれば、近き将来必ずや三大秘法受持の本化国主も出現されよう。国立戒壇建立の大機運は冥々のうちに進んでいる。すべては顕正会の戦いにかかっているのである。それにしても、憲法違反だけを反対理由として、法の邪正を一言も云わぬ創価学会・公明党とは、まことに不思議な団体である。顕正会の使命は重い」(「冨士」第260号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、立正安国の大精神を忘れ世間の名利を求める池田大作の堕落を指摘し、「顕正会こそ、大聖人の御心のままに、一筋に日本の広宣流布・国立戒壇建立に驀進せねばならぬ」と。
9月2日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま十万の節を越えた。次の節を越える時、顕正会は日本を動かす団体となる」
9月3日
 顕正会、女子部班長会開催、 浅井昭衛会長「早く顕正会は力を持ち、大聖人様の立正安国の大師子吼を、全日本人の目に入れしめればならない。急ごうではないか」
9月4日
 顕正会、婦人部幹部会開催。浅井昭衛会長、六巻抄の拝読につき「十年・二十年、いや生涯をかけてわからせて頂きたいとの、 重厚な信心の姿勢で拝読せよ」と。
9月5日  創価学会、9月度全国県長会議開催(東京・広宣会館)。副会長に長谷川重夫、神谷巌、梅林二也、確井昭雄、久松忠、八谷洋一、辻仁志、新山士朗、井上正路、小島宏章の10名が就任、副会長の総数は66名となった。(「聖教新聞」9月6日号 )
9月6日  創価学会、聖教新聞「名字の言」、「太平洋と大西洋を結ぶ "第ニパナマ運河" が実現へ一歩動きだした。… パナマ運河の入り口にある景勝の地・フラメンコ島は、ノリエガ将軍から『池田展望山』と命名された。同地は四年前の二月、池田SGI会長と将軍の友情に満ちた平和会談の思い出をとどめている。新運河には平和と信頼を運んでもらいたい」
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、開目抄の「子丑の時に......」の深意について講演。
 浅井昭衛著「宗教批判の原理」発刊。
9月22日  プラザ合意、先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議でなされた、為替レート安定化に関する合意。各国の外国為替市場の協調介入により、ドル高を是正しアメリカの貿易赤字を削減することで、アメリカの輸出競争力を高める狙い。この後、日本は円高不況を経て、バブルへ向かう。
9月23日
 顕正会、9月度学習会、「種々御振舞抄」を拝読。参加者 6,839 (全国49会場)。
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開催、折伏成果 3,456名。9月末会員総数、106,902名。
 浅井昭衛会長、二度にわたるソ連の北海道上陸を想定した演習について言及、「今はまだ演習であるが、このようなことが事実となるのはいつか。… ゆえにこそ立正安国を一国に迫る唯一の団体たる顕正会の前進が急がれるのである。私は必ず間に合うと確信している」と。
10月1日
 顕正会、冨士巻頭言、浅井昭衛会長「歓喜の遥拝勤行を
「勤行には直拝勤行と遥拝勤行がある。すなわち御本尊を直接拝して南無妙法蓮華経と唱え奉るのが直拝勤行であり、遥か遠くから拝みまいらせるのが遥拝勤行である。… 共に御本尊を信じ唱える本門の題目である。… 遥拝勤行において最も大切なことは、眼前に御本尊ましますとの思いを以て、至心に勤行申し上げることである。… 御在世においては、入信早々の信者は一人の例外もなく遥拝勤行であった。弘安元年に入信して翌二年の熱原の大法難に身命を賭された熱原の法華講衆も、遥拝勤行に徹してあの大仏事を成ぜられたのである。… 御在世の信行を今に移す歓喜の遥拝勤行に励もうではないか」(「冨士」第261号 )
 男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま顕正会は十万、あと一段階前進した時、一国諫暁の戦いに立たねばならぬ。この時一国は必ず動く。この御奉公こそ顕正会にとって最後の御奉公であり、これが、"第三の戦い"である」と。
10月4日
 顕正会、壮年部幹部会開催、浅井昭衛会長「幹部会を人材養成の熔鉱炉に」
10月5日  創価学会、石田次男、「池田大作は外道であって地獄に堕つる」と批判。(月刊「現代」11月号 )
10月10日
 顕正会、第8回高知支部大会、県民文化ホールで開催。参加者 1,188名。
 浅井昭衛会長「いま全国広布は着々と進み、もう日本全国いかなる県でも、百名結集ができるようになった。この地方広布の先陣を切っているのが、この高知支部である」
10月11/27日
 顕正会、10月度学習会、「聖人御難事」を拝読。参加者 6,305 (全国56会場)
10月12日
 宗門、大石寺開創七百年記念第2回慶祝準備会議開催(総本山)、両委員会が発足。「慶祝奉修委員会」、藤本栄道委員長、早瀬日慈副委員長。「慶讃委員会」、池田大作委員長、秋谷栄之助副委員長。
 池田大作委員長「総本山を荘厳申し上げる意義から、私どもは一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします正本堂を、本格的に補修整備いたし、荘厳申し上げることが何よりも根本と思うものでございます。… 大石寺開創七百年を慶祝する、この計画の記念事業は、万代にわたる極めて意義深きものがあると思っております。これからも現下の御指南をいただきながら、万遺漏なきよう宗開両祖のお心に叶う、すがすがしい真心の結晶とさせていただきたいと念願する次第でございます」(「大日蓮」11月号 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、富木殿御返事の「事相たる故に一重の大難之れ有るか」の一節を引き、令法久住について講演。
「三大秘法のうち本門の本尊と題目は御在世に流布するも、本門戒壇の一事のみは滅後に建立されることを密示されている。この「富木殿御返事」は短い御消息であるが、まことに重大な御書であります。… 戒壇の滅後実現は、御化導の始めよりの御聖意であられる。その文証がこの「富木殿御返事」であります。
 では、なぜ大聖人は本門の戒壇を御在世中に成就し給わなかったのでありましょうか。蒙古の襲来も大聖人を境として起こり、また竜の口においては法界も大感応を示し国家権力もひれ伏している。かかる御本仏の御威徳を以てすれば、御在世中の広宣流布・国立戒壇も実現しないはずはないと思われる。しかるにその実現を滅後に遺命し給うた御聖意は那辺にあられるか。凡慮の及ぶところではないが、伏して拝し奉るに、偏えに令法久住のためと拝すべきであります。もし大聖人の仏力により御在世中に簡単に国立戒壇が実現したら、大衆はこれを軽く見てしまう。この大法を当り前のように思い、有難さをいのちに染める深刻さに欠ける。… 無数の仏弟子の死身弘法と深刻なる国家体験を経て、始めて国中に命がけの帰依がみなぎり、その時「勅宣並びに御教書」も申し下され、本門戒壇は実現する。かくて建立された本門の戒壇は永遠に日本の魂、世界の中心となる。まことに戒壇建立の滅後実現の御聖意、深く深く拝すべきであります。…
 では滅後の広宣流布はいつ実現するのか。それは、広宣流布せねば日本が、人類が、破滅する時であります。ならば、今まさにその時といわねばなりません。ゆえに私はくり返し「もう広宣流布せねばならぬ時、また大聖人の御威徳によりやれば必ず出来る時」と叫んでいるのであります」(「冨士」第262号 )
10月15日  日新報道、藤原弘達著「創価学会・公明党をブッた斬る」を発行。
10月17日  東京高等裁判所(第4民事部)、宮本邸電話盗聴事件裁判控訴審の第1回口頭弁論。
10月20日
 顕正会、第1回千葉大会、千葉県教育会館で開催。参加者 664名。
 浅井昭衛会長「千葉は大聖人の御誕生の地、また初めて三大秘法を弘通遊ばされた地である。この国土世間に誇りをもち、房総広布の大潮流を起こせ」
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、武道館大総会の日程を「明年の4月27日、意義深き宗旨御建立の前日に決定」と発表。
10月27日
 顕正会、第6回大阪支部大会、京都労働者総合会館大ホールで開催。参加者 518名。
 浅井昭衛会長「広宣流布は、東京と大阪が日本列島における二つの眼として、共に立たなければいけない。現在東京に比べ、大阪がまだおくれている。大阪支部は奮起して、この遅れを取り戻せ」
10月31日  創価学会、池田大作名誉会長、狭心症の疑いで東京女子医大へ入院。(「読売新聞」11月6日号 )
「10月31日から11月10日までの10日間、名誉会長は東京女子医大病院に入院した。原因は糖尿病からくる心臓疾患。当時は気温が25度を下回ると発作が生じるということで、名誉会長が出席する会合には、すべて温度を25度以上に保つための空調機器が選びこまれた」(「週刊実話」平成6年8月4日号 )
「85年10月31日、池田氏は東京女子医大病院に入院した。最終的に創価学会は11月6日になって「風邪と疲れのため」と入院した事実を認めたが、当初は東京・新宿区内にある東京女子医大病院に詰めかけた報道陣に対し、事実を否定し続けたのである。このため、マスコミは、創価学会の情報統制にてんてこ舞いさせられたのだ。同様に、84年に池田氏の次男城久氏が29歳の若さで急逝した際にも、創価学会は池田城久氏の死去の報を1日公表しなかったため、事実確認のために報道陣は右往左往させられた」(「週刊実話」2003年1月23日号 )
11月2日  創価学会、石田次男、池田大作を批判して「学会は仏罰製造会社だ」と内藤国夫に語る。(「諸君」12月号 )
11月8日  創価学会、新版「仏教哲学大辞典」刊行。
11月10日  創価学会、池田大作名誉会長、東京女子医大病院を退院。(「聖教新聞」11月12日号 )
11月11/23日
 顕正会、11月度学習会、「大田入道殿御返事」を拝読。参加者 6,855名 (全国57会場)
11月12日  創価学会、信濃町の文化会館に短銃二発打ち込まれる。犯人 山中清史は、山口組系暴力団 後藤組々員。警備の創価学会員に捕り押えられ、駆けつけた四谷警察署員に逮捕された。山中清史は「学会の問題で頭に来ていたので脅しに撃った」と語る。(「週間サンケイ」11月12日号 )
「藤井(富雄)さんが後藤組長と接触する直接のきっかけは、学会本部が右翼・暴力団の街宣車に悩まされたことでした。それを抑えるため藤井さんは元警視総監らの仲介で後藤組長に会い、彼とのパイプをつくった。それ以来、藤井さんは学会の裏の仕事を引き受けるようになり、『醜の御盾』、つまり学会の裏社会に対する防波堤として力をつけていったんです」(「野中広務 権力二十年戦争」魚住 昭 「現代」2004年2月号 )
「これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で"パン"って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、侘びを入れてきたんだ」(「フライデー」 後藤組元組長 平成22年5月28日号 )
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、日目上人が最後天奏の時に所持された申状を奉読。
「この申状の一文一句には、大聖人様の御遺命に応え奉らんとの、日目上人の命がけの御一念がこめられております。… 途上で命尽きるを御存知の上で、あえて国諫に立ち給うたこの御振舞いこそ、大聖人に対し奉る大忠誠心、そして滅後門下の我々に身を以て示し給うた死身弘法であります。… 「先師の地望」とは、大聖人が胸に懐き給うた国立戒壇の大願であります。この大願を遂げんがために日目上人は国諫あそばしたのであります。 而して六百五十三年後の今日、この「先師の地望」は、未だ遂げられていない。未だ国立戒壇は建立されてない。「いま広布の前夜、御遺命を守護しまいらせた顕正会こそ、日目上人のこの御精神を鑑として「先師の地望」実現に、体をぶつけて御奉公せねばなりません」(「冨士」第263号 )
11月18日  創価学会、池田大作名誉会長、創価学会創立五十五周年記念祝賀表彰式に欠席。(「聖教新聞」11月19日号 )
11月18日  地震予知連絡会、茂木清夫副会長、「東海沖に48年以降マグニチュード4.2以上の地震がなく、地震空白域を形成、東海地震の前兆と思われる」と指摘。(「日本経済新聞」11月19日号 )
11月20日
 顕正会、松戸事務所(千葉県松戸市)開設さる。
11月21日  東京高等裁判所(第八民事部)、正信会より提訴の「管長の地位不存在確認請求訴訟」の訴えを棄却。正信会、直ちに最高裁へ上告。(「継命」12月15日号 )
「日顕上人の血脈を否定する者(岩瀬正山ほか百七十三人)が、日顕上人等に対して日蓮正宗の管長、代表役員の地位不存在確認の本訴と、それらの職務執行停止を求める仮処分の裁判を起こしていたが、東京高裁第八民事部(鈴木重信裁判長)は21日、宗門側の主張を全面的に認め『控訴棄却』の判決を言い渡した」(「聖教新聞」11月22日号 )
11月21日  創価学会、池田大作名誉会長、総本山大石寺御会式に欠席。(「聖教新聞」11月21日号 )
11月21日  週間文春、創価学会と山口組系暴力団後藤組との「黒い交際」を暴露。(「同誌」11月28日号 )
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 3,479名。11月末会員総数 110,381名。浅井昭衛会長「11月法戦の勝利により、大総会への道は大きく開かれた」
11月27日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「男子部・女子部の逞しい弘通と相呼応して、壮年部・婦人部も力強く立ち、ここに23年後を見つめての四者肩を並べた盤石の基礎は大総会までに必ず整う見通しが立った」
11月 日  創価学会、池田大作名誉会長,インド共和国のラジブ・ガンジー首相と会談。
 ガンジーの祖父はインドの初代首相・ジャワハルラール・ネルー、母はインド首相のインディラ・ガンディー、母の死に伴い1984年10月31日に40歳でインドの首相となった。1991年5月21日、スリランカの反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)による自爆テロで暗殺された。
12月3日
 顕正会、婦人部幹部会開催、参加者 416名。浅井昭衛会長「婦人部は、戦う婦人部として団結が出来てきた」
12月4日
 顕正会、壮年部幹部会開催、参加者 363名。浅井昭衛会長「やがて壮年部で、五百、千、二千の折伏をなす時が、遠からず来る。… 壮年部は団結し、"同期の桜" の心意気で立て」
12月4日  創価学会、創価新報、正信会を "狂気のさた" と批判。
「日顕上人は、54年7月22日の日達上人の御遷化にともない、第67世法主・管長に就任。以来1年半にわたって、彼ら(※ 正信会)も日顕上人を法主と仰いていたのである。また、彼ら自身、かっては法主の地位や血脈相承についてうんぬんすることは甚だしい謗法である、と明言していた。こうした経緯からも明らかなように、彼らの訴えは要するに、自分たちの思い通りにならない日顕上人を法主の座から追い落とそうとした、タメにするものに他ならない。いかにタメにするものとはいえ、御法主上人の血脈を否定し、あまつさえ裁判に訴えるなど、日蓮正宗の仏飯をはんだ者には、およそ考えられない所業であり、狂気のさたとしかいいようがない」(「同」12月4日号 )
「現在も、日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下を御守り申し上げる決心である。彼ら(※ 正信会)は、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(「広布と人生を語る」池田大作 )
12月4日  公明党、第23回党大会開催。竹入義勝委員長、質疑応答で「国民の期待にこたえるものならば、護憲、反軍拡を条件に、集団、派閥、党を問わず、だれとでも連合協議に応じる」と、連合政権づくりに積極的に臨む考えを明らかにした。中曽根康弘首相の「戦後政治の総決算」路線について、「"改憲"に結びつくものとして見過ごしにはできません」と批判。路線問題では、(1) 憲法はあくまでも擁護、(2) 軍拡路線を志向しない、「この二点、すなわち現憲法を擁護する姿勢を明確にした勢力であれば、……『話し合い』は避けるべきではない。… 一定の条件が満たされるならば、日本の将来について党派を超えて政策的な話し合いをおこなってもよいのではないか」
12月8日  創価学会、池袋サンシャインビルで「世界の教科書展」を開催。
12月11日
 顕正会、教学部会、浅井昭衛会長「開目抄」を講ず。
12月16日
 顕正会、教学部会における「立正安国論」(講師石原康一教学部長)の講義終了。
12月20日  自由民主党と公明党の幹部が極秘会談。自民党 ― 金丸信、竹下登、小沢一郎、公明党 ― 竹入義勝、権藤恒夫。
「公明権藤国対委員長に会館に呼ばれる。… 竹入委員長の退陣を確実なものにするための、矢野さんのゆさぶりである。竹入側近の権藤さんが、大勢の前で恥をかかされたということになる。矢野派と竹入派の亀裂はどんどん深まった。矢野さんは中曽根側に、竹入・権藤ラインは、自民党の反中曽根勢力である金丸・竹下・小沢ラインに接近し始めたのだ。…
 12月20日、自民党から金丸、竹下、小沢、公明党から竹入、権藤の5人で、青山墓地の裏手にある小料理屋で極秘会談を行なった。私は参加していないが、ここで自民―公明の提携構想が動き出すのである。しかし結局この構想も実現はしなかった。中曽根さんが61年、「八増七減案」を無理やり成立させて、衆参同日選挙を実施したからだ。自民党は大勝利し、中曽根さんは自民党単独政権を作り上げたのだ」(「公明党「汚れた裏面史」全真相」平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催。 婦人部参与に寺田富士恵、高知支部担当に黒岩マキ任命さる。
12月 日  野村沙知代、「明日晴れたら」で潮賞を受賞。新しい着眼点の作品を顕彰する潮出版社の賞で、小説とノンフィクションの2部門がある。2001年、第20回で中止となった。
「沙知代容疑者が、サッチーとして社会進出するきっかけとなったのは、実は学会の外郭企業である潮出版社が設けているノンフィクション賞を受賞したことが契機だった。… これを契機に彼女は、苦難を乗り越える強い女というイメージで、テレビなどに進出することになった。…
 創価学会の元本部幹部が次のように言う。「サッチーが『潮賞』を受賞した’85年前後に、学会では創価学園の野球部の強化が図られていた。… 強化策の中心となったのが、サッチーがオーナーを務める港東ムースからの選手スカウトだった。創価学園では部外生という制度を設け、非学会員である港東ムースの選手を受け入れた」
 創価学園の元関係者も次のように言う。「野村沙知代が創価学園に港東の選手を送り込むにあたって、謝礼が支払われているという噂はずいぶん前から確かにあった」
 もしもこうした噂が本当ならば、少年野球チームの選手の進学に際し多額の謝礼を要求する沙知代容疑者の銭ゲバ手口は、このときに確立されたものだともいえる」(「週刊実話」2001年12月27日号 )
 

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