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創価学会第三十三回総会 池田会長講演
正本堂の本義
( 恒久平和と幸福を祈願する大殿堂 )
この御聖訓および日寛上人の解釈に明らかなごとく、横には全世界、全人類の崩れざる平和、縦には未来永遠にあたる生き生きとした幸福の確立こそ日蓮大聖人の終極の目的なのであります。
そのための三大秘法の仏法であり、決して一時期の、そして、限られた人々のためのものでないことは、あまりにも明白なのであります。されば、大御本尊は、一閻浮提総与と相伝あり、大聖人の仏法が世界の大白法であることも、諸御書に厳然と書かれているところであります。
三大秘法抄にいわく「三国並に一閻浮提の人・懺悔(ざんげ)滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して踏み給うべき戒壇なり」(御書全集一〇二二頁)と。
すなわち、本門の戒壇は、日本、中国、インド、更に全世界の人々の懺悔滅罪の道場であるのみならず、世界のあらゆる指導者も、平和のためにここにつどいくるであろうとの断言であり予言書であります。
戒壇の戒とは、元来、防非止悪すなわち非を防ぎ、悪をとどめるの義であります。今、末法事の戒は全人類の悲惨の根源に迫り、生命に内在する非道と根本悪を防止することにあります。したがって、本門戒壇の本義は「全人類の恒久平和と幸福を祈願する大殿堂」という点にあることを、明確に熟知していきたいと思うのであります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
池田会長は「本門戒壇の本義」を百も承知の上で、あたらこのように「本義」を隠しては卑劣な歪曲・欺瞞に徹するのでありました。
では、あらためて「本門戒壇の本義」を示しておきましょう。日蓮大聖人は「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法」の文の前に、何と云われていただろうか。「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」であり「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」でありました。そして、その文の後には「時を待つべきのみ」(三大秘法抄)と。
「時を待つべき」ゆえんは、もし一国同帰以前に「本門戒壇」を建立すれば、一国において邪正肩を並べて謗法容認となり、仏国実現が..行いては安国実現が不可能となるからでありました。
「破邪・立正・安国」が大聖人の仏法の原則であって、「破邪」とは「一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し」(如説修行抄)であり、「結句は勝負を決せざらんの外は、此の災難止み難かるべし」(治病抄)でありました。
「立正」とは、「法華折伏・破権門理の金言なれば終には権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗となって妙法一人繁昌せん時」(如説修行抄)、「王仏冥合」して「王臣一同」に三大秘法に帰依し、「勅宣・御教書」の国家意志の表明を以て公的に建立される「本門戒壇」にあたるのでした。
さて、池田会長が云う「本門戒壇の本義は全人類の恒久平和と幸福を祈願する大殿堂」がいかに笑止千万であったかは、その現証を見るにしかず..でありましょう。
正本堂建立一周年記念法要の御開扉の直後、正本堂の東側広場において池田会長は一山の大衆を率いた細井管長を、その大衆の面前で怒鳴りつけて金品を要求したのでした。さらには、やがて会員の本山登山を停止し宗門への経済封鎖実施という事実に照らしたとき、正本堂とはどのように「平和と幸福を祈願する大殿堂」であったと言えるのでありましょう。
「三国並に一閻浮提の人」どころか、蔵の宝を抛って正本堂建立基金の御供養に参加した純信の信徒すら参詣することが叶わない「大殿堂」とあっては、正本堂は池田会長の説く「欺瞞の本義」にすら悖る、欺瞞に欺瞞を加え誑惑に誑惑を重ねた、惨憺たる「本門戒壇」でありました。
やがて、池田会長の宗門支配の野心・本心にようやく気づいた細井管長はついに覚悟を決め、全僧侶を本山に集め「このままでは、ひさしを貸して母屋をとられる」(蓮華・昭和四十九年六月号)と反発するに至り、これを契機に紆余曲折あって宗門と創価学会は、「防非止悪」どころか憎悪と悪口と訴訟に明けくれる天敵となり、「全人類の恒久平和と幸福を祈願する大殿堂」であるはずの私に建てた宗門立・民衆立の「本門の戒壇」・「事の戒壇」たる正本堂においては、信仰を共有するはずの宗内の「平和と幸福」すら祈願することあたわずして、ついに今日の解体・崩壊の結末をむかえたのでした。
(
平成十四年四月十三日、櫻川
記 )
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