迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和44年 (1969)          
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
1月7日
 妙信講、総本山大石寺に七百名代表登山。平沢法華講連合会委員長、「三大秘法抄・一期弘法抄に云われた戒壇が、いよいよ昭和47年に立つ」と講演。浅井昭衛本部長は、ただちに妙信講員を別室に集め会場を封鎖し、平沢講演を訂正した。
 [解説 浅井昭衛]「妙信講の代表七百名は、午前八時なつかしき三門の前に勢揃いした。… 午前九時半、大講堂で連合会の指導会が行われた。全国の法華講員五千名に交って、妙信講員も出席した。講員にとっては初めて連合会の指導に接する機会であった。やがて平沢委員長が登壇した。彼は初めて集会に加わった妙信講を明らかに意識していた。…
 彼は重大な発言をした。「本年は正本堂の定礎式が行われる。… 正本堂こそ、三大秘法抄・一期弘法抄に"時を待つべきのみ"と云われた事の戒壇である」と。妙信講員は初めて"御遺命の歪曲"を耳にしたのである。心ある者は我が耳を疑ったであろう。… 大化城に戻るや … 私は云った。「正本堂が大聖人御遺命の戒壇とはとんでもないことである」。そして、御遺命の戒壇とはいかなるものかを、御書と歴代先師上人の仰せを引いて強く指導した。これが、妙信講員を前にして正本堂の仏法違背を論じた初めであった。…
 やがて妙信講員は粛然と襟を正して奉安殿に入った。まさに五年ぶりである。感泣せぬ者はなかった」(「冨士」第182号 )
(※ 小生の緊張の初登山であり、総本山での光景が断片的に記憶に残っている。櫻川 忠 )
1月12日
 宗門、法華講連合会。大化城安置本尊紛失につき、妙信講に嫌疑をかける。
 [解説 浅井昭衛]「下山して五日後、連合会総務部長・柳沢喜惣次より、一通の書面が送られてきた。文意は"登山当日、妙信講員がいた大化城の同階の空室において、安置されていた御本尊が紛失したから、登山に参加した全講員を至急調査してほしい"というものである。まことに不可解、未だ曽って聞いたこともない事件が起きたものである。さっそく返書を送った。「一月十二日附御問合わせの件、調査の結果、当講員は御安置の部屋の有るさえ知る者なく、依って当講参詣者は本事件とは何等関係なき旨報告します」と」(「冨士」第182号 )
1月12日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施(拓殖大学)、範囲は「四信五品抄」、受験者は109名。
1月13~15日
 妙信講、初級講習会開催(拓殖大学)。「三日間で延千三百余の参加」
 第一日目・日蓮大聖人の御一生、第二日目・仏法の実践、第三日目・宗教批判の原理等の講義が行われた。
1月19日
 妙信講、研修部。登用試験実施(拓殖大学)、範囲は「冨士4号」と「冨士63号」。
1月22日  創価学会、第20回社長会(於留園)開催。
 池田大作会長「皆んなは公私混同、公私混同と云うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
1月24日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「初陣の二月、開目抄の精神で」
 浅井昭衛本部長「これからの毎月の斗いは、学習会と総幹部会の二つを柱として進めていく。特に総幹部会は、いまゝでともするとその月のしめくくりの感を持っていたようであるが、これからはこれを改め、総幹部会は新しい斗いの出発の場としていく。即ち学習会において大聖人様の御書に接して御本仏大聖人様の御徳がわかったならば、この仏法の何たるかがわかったならば、大聖人様の大衆救済のお手伝いをしていこう、こういう気持ちを持った人たちは幹部であろうとなかろうと、この総幹部会に馳参じて頂きたい」(「冨士」第66号 )
 本部辞令:長岡孝志、男子部幹事に任ずる。
1月25日
 宗門、第1回寺族指導会。細井日達管長、「昭和47年、法華講総講頭池田大作先生の大発願によって本門戒壇が将に建たんとしている」と。
2月8日  創価学会、京都文化会館入仏式奉修。
2月10日  創価学会、池田大作会長。関西幹部会において「妙法の一念三千論は、敷衍していけば、王仏妙合論となります」と。
 小説『人間革命』のラジオ放送始まる。
2月11日
 宗門、法華講連合会から妙信講に詰問。宗務院連合会連絡会議(法道院)で松本日仁師に、正本堂の意義等につき妙信講への「四箇条」の詰問を渡す。
 [解説 浅井昭衛]「二月十一日、法道院において、宗務院・連合会の連絡会議が開かれたが、平沢益吉はその席に松本日仁尊能師を呼びつけた。妙信講が、自分の頭越しに御登山したこと、またそれに関連したもろもろのいまいましさが、ここに爆発したのである。彼は御高齢の尊能師を嬲るように満座の中で詰問した。妙信講のことはすべて指導教師の責任であるとばかりに、まず「妙信講は正本堂の御供養と称して集めながら未だに出さないで蔵っているのは怪しからん」と丈丈しくかみついた。これにはさすが温厚な尊能師も顔色を更えて反論され、そのいきさつを説明して「すべては柿沼総監が知っている」と云われたそうである。
 次いで平沢は、用意していた妙信講に対する四箇条の質問を突きつけた。尊能師は「妙信講に尋ねてから返事をするから、質問を書いてくれ」と云われた。軽率にも、宗務院教学部長・阿部信雄は、宗務院の用箋を使ってこれを書きとめ、尊能師に渡した。それは次の如くである。
「一、妙信講の帰途、大化城のそばで青年部が注意した処『生意気云うな、不祥事の起らぬように気をつけろ』と浅井昭衛氏が云ったことについて、之がどう云うイミか聞くこと。
 一、今の正本堂は事の戒壇ではない、奉安殿が狭くなったので、広い処へ移すためだけのものである。
 一、公明党を結成し、政治運動をすることは御書のどこにもない、邪道である。
 一、猊下は現在の大聖人とは拝せられない、法の番人である。
 以上の事を妙信講で指導していると、はっきり聞いた人がいる」(原文のまま)
 以上四箇条を指導教師として妙信講に確認し、釈明せよというのである。そしてさらに平沢は「返答の次第によっては、総講頭に伝えて妙信講をとりつぶして見せる」と凄んだ」(「冨士」第182号 )
2月12日
 宗門、松本日仁師、妙信講に四箇条の返答を問う。
 [解説 浅井昭衛]「私は、第一条に関しては状況説明と共に嫌疑をかけた非礼を謝罪するよう求めた。また第二条以下はまず質問内容を確認すべく、平沢と直接会いたいと申し上げた」
2月14日
 妙信講、松本日仁師に託し法華講連合会に、「四箇条」への返書を提出。
 [解説 浅井昭衛]「尊能師はそのまま書かれて、自らの報告として平沢に送附された。ところが、あれほど威張っていた平沢はウンともスンとも云ってこないのである。狐の限界はもうこれまでであった。私も連合会ごときを相手に重大法義を論ずるつもりは初めから無かった。以後連合会は妙信講の前から姿を消した。「人をよくなすものはかたうどよりも強敵」と、連合会は大事の御奉公をなす妙信講を鍛える役目を立派に果したのであった。次は宗務院である。数日して早瀬総監が会いたいと連絡してきた。」
「ただ第二条だけは重大である。これは連合会の云いがかりではない。まさしく、正本堂を御遺命の戒壇に非ずとするは、妙信講のいのち賭けての所信であり、すでに御登山で公言言したところでもあった。いま連合会は公式の席で"正本堂を事の戒壇と云うか、云わないか"と、妙信講に二者択一を迫って来たのである。私はこの詰問に大聖人の御仏意、厳たる御命令を感じた。今までともすれば"いつの日か猊下が歪曲をお摧きになるであろう、また重大法義へのたやすき容喙は恐れ多い"とためらっていたことがこれでふっ切れた。もう躊躇は全くなかった。佐渡御書の「師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」の御金言で全身が熱くなった。ついに「時」は来たのである」(「冨士」第182号 )
2月18日
 宗務院、法道院にて妙信講と正本堂につき会談。
 [解説 浅井昭衛]「宗務院側は早瀬総監・阿部教学部長・藤本庶務部長、こちらは松本尊能師と父と私が出席して会談した。その中で正本堂について強く問い糺したところ、結局阿部信雄は「猊下は未だ一度も正本堂を事の戒壇といわれたことはない」と釈明した。宗務院は妙信講の決意を不気味に感じたのか、三月四日再び会いたいと云ってきた」(「冨士」第182号 )
2月19日  創価学会、第21回社長会(於プチモンド)開催。
 池田大作会長「『科学と宗教』はどうだ。いい名前だな。息の長い潮新書になるな。ロングセラーだな。あれも最初、森田康夫と二人でやった。三年かかった。森田が途中でやれなくてやめてしまい、苦労した。やっぱり東大出は駄目だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
2月23日  創価学会、第1回婦人部総会開催。日本武道館に、1万数千人が参加。
 池田大作会長「今"全体人間"というのも、その究極は輪円具足の事の一念三千の御本尊と境地冥合することにほかならない。すなわち、我が身即一念三千の当体とあらわれることが"円人"即ち円融円満の人格であり、真実究竟の"全体人間"なのである。… 今、日蓮大聖人の全生命は、創価学会という一個の生命に、そして、そこ生きる学会員の皆さん一人一人の生命に脈々と流れている …
 創価学会を守ることは大聖人の仏法の血脈を守ることであり、すなわち、汝自身の生命に、妙法の血脈を流れ通わしめることに通ずる。… されば、創価学会を離れて、末法の仏法の全体も、修行の一切も、真実の悟りも、絶対にない。また、人生も、社会も、文明も、ことごとく、仏の血脈を離れた根無し草であり、かわって、魔の血脈となってしまうことを、ここに断言しておきたい」
2月25日
 妙信講、研修部入部式開催。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「七千世帯達成は五月」、2月度折伏成果 149世帯、総世帯数は 6,651世帯となった。
 浅井昭衛本部長「御仏智と表現するしか云いようのない初登山以来、1月2月の前進のなかに、この妙信講がいよいよ立たなければならぬという使命をひしひしと感じている。そこに4月に開かれる第十三回総会が非常に重大なる意義をもってきた。… 七千達成の暁に於ては、いつでも妙信講は大聖人様の御命令あり次第堂々と立ち上ろうではないか」(「冨士」第67号 )
2月26日  創価学会、7百万世帯となる。
3月2日  珍宝島事件、中ソ国境紛争起きる。中ソ国境のウスリー川(黒竜江支流)の珍宝島(ダマンスキー島)で、両国が軍事衝突した。中国側の攻撃によりソ連の国境警備隊32名が戦死、25日にはソ連側が反撃して中国側に68名、ソ連側に58名の戦死者が出て、その後もにらみ合いが続いた。
3月4日
 宗務院、法道院にて妙信講と再び会談。
 [解説 浅井昭衛]「そして、次の三つのことを申し入れるのであった。
 一、妙信講の正本堂御供養は受け取る。
 二、連合会からの質問四箇条は取り消しにする。
 三、妙信講から連合会への希望・意見があれば宗務院が取り次ぐ。
 えらい変わりようである。
 私は尋ねた。「三年前には妙信講の御供養を不浄の金のごとく突きかえし、いま急に受け取るといわれるのはどういうことなのか」。総監はバツが悪そうに沈黙した。その時、傍にいた阿部信雄が突然興奮して「猊下が受け取るというのに妙信講は不服なのか」と大声を出した。私は「三年前には、猊下の任命せし平沢会長に従わぬからと突き返された。妙信講は今も少しも従っていない。然るに突然受け取るといわれるのは、いかなる理由があってのことかと総監に尋ねているのである。事情も知らぬ者が、その横柄な態度は何ごとか」と強く詰った。彼は黙ってしまった。
 しかし御供養はもともと猊下に納めまいらせるものであるから、その取り次ぎを早瀬総監に託した。納むべきは納め、諫むべきは徹底して諫めんとの意であったのである。
 宗務院のいま一つの申し出である連合会の四箇条質問の取り消しについては「第一条の無礼の嫌疑は連合会が謝罪すべきである。但し、正本堂に関する質問は、妙信講の日頃の所信であるから、少しも取り消す必要はない」と答えた」(「冨士」第182号 )
3月5日
 宗門、妙信講への詰問 取り下げ。阿部信雄教学部長、妙縁寺を訪れ法華講連合会からの「四箇条」を取下げる旨、文書を持参。
3月8日
 宗門、妙信講の正本堂御供養を宗務院として正式に受理。
 [解説 浅井昭衛]「どうしたことか、管長猊下が「受け取る」との意向を伝えられた。よって四十四年三月八日、法道院において早瀬総監に定期預金の証書のまま、元利すべてを手渡した。この時はもう正本堂の誑惑は隠れなき事態となっていた。妙信講はすでに一死を賭して歪曲を糺さんと決意を堅めていたのであった。恐らくこのことを知った池田大作が、管長にこの処置を取らしめたのであろうが、御供養は初めより猊下に申し上げるつもりで集めたものであるから納むべきは納め、諫むべきは徹底して諫めようと、金子を早瀬総監に渡したのであった。まもなく総監からは「フクサ」が多数届けられた」(「冨士」第181号 )
「四日のち、再び早瀬総監と法道院で会った。総監は「どうか連合会の質問を書きとめた阿部のメモを返してほしい」と云った。私は「これは重大なものである。よってコピーならお渡しするが原本は返せない」と拒絶した。 宗務院の真意はここにあったのである。連合会の愚劣と悪意に満ちた質問を傍観していたのみならず、その尻馬に乗って宗務役僧がこれを筆記して迂闊にも妙信講に渡した。もしこれが重大な問題に発展したら、池田大作に対してどう申し開きしたらよいか、宗務院は心配になってきたのであろう。 ともあれ、立つべき時は到来した。「試練と忍従」はここに終ったのである。まさしく五年ぶりの御登山こそ、大聖人のお呼び出しであった」(「冨士」第182号 )
3月15日
 妙信講、研修部会開催。「撰時抄」の講義始まる。
3月16日  創価学会、第1回壮年部総会開催、広布流布大願成就祈念勤行会。
 池田大作会長、「六巻抄講義序文」に「戸田会長も、常々"教学は日寛上人の時代に帰れ"と述べられていた。事実、われわれの教学研鑽の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといって過言ではない」
3月19日  創価学会、第22回社長会(於つくし)開催。
 池田大作会長「今度羽吹さんに葬儀屋をやらせる。白蓮社を作ってやらせる。仏壇も一諸にやらせる。もう、死んだ時だけ邪宗に頼む必要はないよ。こっちでやろう。…
 その時によって大事なものがある。今は何か、今は文筆家が大事だ。文筆家がどれだけいるかどうかがこれからの鍵だな。議員は沢山いるが、文筆家はいない。仕方がないから、私が小便から血の出る様な思いをして書いている」(「社長会全記録」継命新聞社 )
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「第13回総会へ総力を結集」、3月度折伏成果 96世帯、総世帯数は 6,747世帯となった。
 浅井昭衛本部長、第13回総会について「唯一筋の信心だけで立つ妙信講が、いま異体同心の団結を持って、いつでも大聖人様のご命令とあらば身を捨てて立たんと、その決意をご照覧いただくのである」と。(「冨士」第68号 )
3月28日
 妙信講、法華講連合会からの「四箇条」詰問に対し、反論の書を早瀬道應総監に手渡す。
4月1日  創価学会、「前進」に池田大作会長寄稿。
「天下を盗ろう、それまでがんばろう。今まで諸君を困らせたり、学会をなめ、いじめてきた連中に挑戦して、最後に天下を盗って、今までよくも私をいじめたか、弱い者をいじめたか、ということを天下に宣言しようではないか。それまで戦おう」(「前進」4月号 )
4月2日  創価学会、創価大学起工式。
4月初旬  エール出版社、内藤国夫著『公明党の素顔』出版。
「内藤、呼び出され笹川良一事務所へ行く。笹川、「私は前に公明党に借りがあるので、この際、その借りを返したい。そのためにあなたの本を全部買い取りたい」と申し入れるが、内藤これを拒否。笹川、エール出版社に一括買い上げを申し入れるが拒否され、複数の書店から約9千冊を購入」(『実録創価学会=七つの大罪』)
4月6日
 宗門、御虫払法会。細井日達管長、「法華講総講頭池田大作先生が大願主となり、事実上の本門戒壇堂である正本堂の建立が進行中」と。
4月17日  創価学会、第23回社長会(於柳光亭)開催。
 池田大作会長「忘れないよ。中川をアメリカにやり、呼びよせ、立候補させたのも全部私の操作なんだよ。私は恐ろしい男だよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
4月27日
 妙信講、文京公会堂に3千名を参集し第13回総会開催。
 浅井昭衛本部長、「こゝで最後に一言申し上げます。再建以来 … その間すでに十二年、正法を行ずるしるしとして堪え難き魔障・屈辱にも堪え抜き、遂に今日七千世帯にも達する所まで参りました。… よって今回五月の七千世帯突破を大きな節として、それ以後に於て、若し客観状勢がその必要を迫るのなら、それこそ日蓮大聖人の御命令なりとして、妙信講の命運を賭しても、いつでも法の為、国の為、宗門の為に敢然と立ち上らんと、いまこゝに堅く意を決するものであります。(大拍手)」(「冨士」第69号 )
(※ 総会開催は創価学会本部総会(5月3日)直前であり、法華講支部の一講中として大檀越の横暴を強く牽制した )
5月1日  創価学会、メキシコ合衆国で機関誌『トリビューナ・デ・メヒコ』創刊。
5月3日  創価学会、第32回本部総会開催。池田大作会長、「本門戒壇たる正本堂の定礎式を…」と、細井日達管長臨席の元で講演。
 辻武寿総務、「中外日報」紙上で四日後に開催予定の「日蓮聖人展」を賞讃した。
(※「日蓮聖人展」参加が、国政選挙進出の創価学会の主導であることは、明白であろう )
5月3日  中外日報、「日蓮聖人展」を讃嘆する創価学会辻武寿総務の記事掲載。
「現代日本の最大の苦悩は、政治と教育の行き詰まりだと思います。… その意味において、今回の『日蓮聖人展』が、国民大衆に大いなる啓蒙の役を果たしていただきたく、深く期待している次第であります。… 日蓮正宗大石寺では、今回の聖人展に七百年来の伝統を破って、門外不出の御書数点を出品されました。大事な『秘すべし秘すべし』の法門も、今日、広宣流布の時代を迎えて、いよいよ山外に出ることになったわけであります」
「同じページに、片山日幹(身延)・藤井日達(日本山妙本寺)・長沼基之(立正佼成会)・田中香浦(国柱会)・田中日晨(仏立講)などの談話が、写真入りで掲載されていた。いずれも日蓮宗系宗派で、日蓮正宗では邪宗と断じている。その邪宗とあえて同座するのは、池田の対世間融和工作であろう」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
5月5日  創価学会、第24回社長会(於松野茶屋)開催。
 池田大作会長「とにかく正本堂を作って大学を作って、高校を作って、政党を作った人なんかいないよ。どの一つだけでもたいしたものなんだからな …
(念珠について)出来るだけ早くやりなさい。… もう内の人達が使うもので、外部に儲けさせる事はない。線香もローソクも東洋精光でやんなさい。正本堂のみやげものも作れ、とにかく作るものは全部東洋にやらせる。仏壇もプラスチックで出来るだろう …
 しきみの造花もやれ、赤沢の80円は安いな。一応赤沢を呼んでしきみ造花は赤沢と東洋精光にやらせると契約書を作りなさい。一社にすると変なことをするから」(「社長会全記録」継命新聞社 )
5月7~21日  毎日新聞社主催「日蓮聖人展」、池袋の東武百貨店で開催。大石寺、興師御影像を出展。
5月12日
 妙信講、「日蓮聖人展」への御影像出展の即時中止を、書状を以て宗務院に訴う。
5月18日
 妙信講、「日蓮聖人展」につき、二度目の諌訴状を宗務院に提出。
5月21日
 宗門、阿部教学部長。法道院で妙信講と面談。妙信講、謗法同座の違法を責め、即時中止を迫る。
5月24日
 妙信講、臨時班長会開催。「重大発表に全員熱涙を以て決意」
広布への御奉公にきわめて重大なる発表を三十分間に亘ってされ、一同に深い覚悟をうながされた。場内はこの間水をうったように静まりかえり一言も聞きもらさじと全身を耳にした一同は、いよいよ重大なる広布への大使命と講頭先生、浅井先生の総本山への忠烈なる赤誠・法を惜しむ一念に感きわまり、滂沱と流れる涙をぬぐいもせず割れんばかりの拍手で、運命を共にして御奉公せんとの強い決意を示し、表現しがたい興奮が場内に渦まいた」(「冨士」第70号 )
(※ 浅井昭衛本部長、「日蓮聖人展」の謗法同座と宗門への諌訴の事実を明かす )
5月31日
 宗門、寺族同心会で細井日達管長「日蓮聖人展」の釈明。「不開門を開いて、筵を敷く意味は謗法の供養を受けるため」と。
6月1日
 妙信講、7千世帯突破。
 浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「師子の子は生れるや否や、千尋の谷に蹴落されてその資質を試されるという。妙信講の過去十二年間はまさにその試練であった。… 不思議な程の謂れなき悪罵・中傷・妨害の数々、だが今や師子王の子はよじ登った岩壁の上で身震いして立ち上ったのである。… 大事な法戦場に馳せ遅れなかった事を唯々有り難いと思うものである」(「冨士」第70号)
(※ 名実共に宗内最大の法華講支部であり、創価学会の圧倒的な影響下にあった宗門において、権勢(宗務院、連合会、創価学会)に媚びない7千の単独講中の意義は大きい。櫻川 忠 )
6月1日  創価学会、臨時社長会(満月開店記念)開催。
 池田大作会長「戸田先生の時代に、26、7歳の時、3年かかってかせいだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で200万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金をかえしたが、戸田先生は少しも有難とうなんて云わない。… 本当に先生に仕える事はむつかしい事だった。金は払わない、こき使う、どなりつける、これではついてこないよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
6月2日
 宗門、能化会議開催。総本山大奥に細井日達管長 能化・重役等が参集、「日蓮聖人展」につき協議。浜中和道師によれば、議事内容(要旨)は以下の通り。
 一、正法顕揚のために必要なこととして、(宗務院独断で)御影像を出した。
 二、展示会に出す前に、宗務院から長老に連絡していなかったこと、遺憾とする。
 三、妙信講 浅井甚兵衛父子が、これを謗法与同として攻撃している。
 四、松本日仁 指導教師、柿沼学林長、千種支院長、以上三人で妙信講の説得に当る。( 「元妙信講問題について」、浜中和道 )
6月3日
 宗門、能化会議の使者三名。妙縁寺にて「日蓮聖人展」につき妙信講を慰撫。
6月9日  創価学会、第25回社長会(於伊豆長岡・三養荘)開催。
 池田大作会長「本当にやっている人は何も云わない。篠原さんや北條さんや中西君も何も云わないよ。本当に真剣にやっている人はわかるよ。警備の中では竹入君だな。真剣勝負で生命をかけている。藤原や渡部も真剣にやる。戸田先生のもとで真剣勝負で育てられた者だからな …
 日大は定員の4倍を募集して、80億かせぐ。早稲田は1.5倍で良心的。創価大学は1.1~1.2倍位でゆく。創価高校出身者200名で、外部より300名。試験は初年度4学科。2年度より6学科とする。創価高校出身は内申書に推薦書をつけるが、同じ様に受験する」(「社長会全記録」継命新聞社 )
6月15日  創価学会、学生部有志を主体に「大学立法粉砕全国連絡協議会」(全協)結成。
6月18日
 妙信講、「日蓮聖人展」につき三度目の諌訴状を宗務院に提出。
「もし宗務当局にして違法なしとするなら妙信講と対論すべし」として、その末文にはこう認められていた。
「万一にも外圧有るありて、更に為す事あらば、我等護法の故に許さず。外圧の如何なるを問わず、実力を以て之を阻止せん。既に我に千五百の男子精鋭あり、而も仏法守護の刀杖すでに持す。隠忍の過去十二年、枚を啣(ふく)み鳴(なり)を鎮めて鍛えし捨身の精鋭なり。一朝事あらば、自ら率いて在家の本分に殉ぜんのみ。此の事永く忘れ給う可からず」(「冨士」第106号)
(※ 千五百の男子精鋭はハッタリで、精鋭と呼べるのはその一割に満たなかったが、鍛え抜かれた捨身の存在があったのは事実である。宗務院への「外圧」とは、創価学会に他ならない。櫻川 忠)
6月25日  創価学会、杉並公会堂で全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)結成大会。全国180大学、代表1,600名が参加。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「7月は身引締まる安国論御建白の月」
 浅井昭衛本部長「大聖人様は「家に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり」… との仰せであられる。今、仏法の柱、大聖人様が日本の国に立っていないからこそ、右往左往するばかりで、亡国に至る道を歩んでいるのである。そこに今、我等が声を大にしていうことは、なにはさておき宗教の正邪を分別し一人々々の胸に正法の信を植えつけ、やがてこの大聖人の三大秘法を国家の力でもって立てる、所謂、本門戒旦の大御本尊を国家の力をもって守れ、という事を云い切るのである」(「冨士」第71号 )
 本部辞令:浅井信衛 青年部企画部長に任ずる、長岡孝志 男子部長に任ずる。
6月30日
 妙信講、早瀬総監に内容証明を送付。三度の抗議に宗務院からの返答はなく、妙信講は内容証明を以って「日蓮聖人展」問題の決着を通告。
7月13日  東京都議会議員選挙。公明党は、25名の候補者全員が当選し、第2党となった。都議会第1党だった社会党は、議席を大幅に減らし第3党に転落。自民党は第1党となったが過半数に至らず、共産党は選挙前の議席を倍増した。
7月13日  創価学会、選挙妨害の練馬事件を起こす。
 東京・練馬区の選挙投票所(豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた2人が投票できなかったことを理由に、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者に百数十人の創価学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人4人に集団暴行を加えて流血させた。
7月20日  アポロ11号、月着陸船イーグルが初の有人月面着陸成功。アームストロングとオルドリンは、21時間半を月面で過ごした後、月周回軌道上で司令船コロンビアに合流し地球に帰還した。
7月21日  創価学会、第26回社長会(於三崎会館)開催。
 池田大作会長「共産党も葬儀屋をやっている。うちもあらゆる分野に根を張らなければならない。… 又病院の中に菅原えい子も最近入って、敵の情報を全部つかんで闘った」(「社長会全記録」継命新聞社 )
7月23日  創価学会、全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)、明治公園で大学立法粉砕大抗議集会開催。
 聖教新聞、『旗を持ち行進の先頭に立つ池田会長』の記事。ヘルメットに覆面スタイルで、大学立法粉砕抗議集会デモ参加の池田大作会長の写真を掲載。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「8月は指導と下種をのびのびと」、7月度折伏成果 105世帯、総世帯数は 7,108世帯となった。
 浅井昭衛本部長「徳川三百年のあのワクの中においても、日寛上人の指導によって強烈な折伏が進められ、富士門流の信心は各所に浸透していった。そのために幕府の大老より、何度も折伏の禁止のふれが出たというのです。今は時にあたり全く折伏に対しても弾圧はない、… 法華講の代表としてこの使命ある妙信講に於いて、やがてひと月に五百・千の折伏ができないはずは断じてない!」
 本部辞令:高山清人 筆頭参議に任ずる、神村信勝 本部庶務に任ずる。(「冨士」第72号 )
7月26日  創価学会、第6回全米総会をロサンゼルスで開催。富士鼓笛隊、海外初公演で参加。
8月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「火の信心と水の信心」
「信心の強弱は逆境の時に現れる。順境の時は燃え立つばかりの確信を述べても、少し逆境になればすぐに意気消沈して持続しないのは火の信心である。水の信心とはたとえ派手ではなくとも、いかなる逆境も乗り越えたゆまず貫き通す信心の姿である。… いま広宣流布の重大なる時を迎え、妙信講の使命を思う時、派手さはなくとも水の如き不退転の強信者が続々と出ねばならない。かかる人材の団結によってこそ、始めて大事は成し遂げられるのである」(「冨士」第72号)
8月12日
 妙信講、研修部会開催、「撰時抄」講義。会場が、新たに豊島区民センターとなった。24、25日にも開催される。
8月12日  創価学会、第1回世界学生平和会議を日比谷公会堂で開催。
8月15日  創価学会、第27回社長会(於松山)開催。
 池田大作会長「原爆は残虐だ。キリスト教はよくない。憎しみの宗教だ。… ここは創価学会の最高会議だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
8月21日  創価学会・公明党、世界連邦身延大会に参加申込み。 (※ 仏教各宗派、神道、キリスト教等の代表が身延に集まる集会 )
8月24日  創価学会、香港本部結成大会開催、代表2,300名が参加。
8月24~25日
 妙信講、研修部会開催(豊島区民センター)、「撰時抄」講義。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「三大秘法広宣流布の八文字を胸に」
 浅井昭衛本部長、4年前に行われた正本堂建立御供養に対し、今回その志をめでられて猊下より袱紗を賜ったことを発表。「妙信講の清純なる前進に魔障が起こるというのは、これ大事な使命あるが故である。乞い願わくば、将来は外部の信心なき権力者・邪宗の者共より強き怨嫉を受けるまでに修行したきものである。我々はこの袱紗を通して、猊下の御意を有り難く頂き、妙信講の使命を益々強く確信し、この9月を戦いぬいていこう」(「冨士」第73号 )
8月30日  創価学会、創価青年会館落成入仏式。
8月31日  創価学会、藤原行正渉外第一局長。池田大作会長の指示で、藤原弘達氏邸を訪問。「創価学会を斬る」の出版に際し、「五項目の依頼」を提示するも拒絶された。
 一、できれば本の出版そのものを取り止めてもらいたい。
 二、それが無理なら『創価学会を斬る』という刺激的な題名を変更してもらいたい。
 三、出版時期を延期してほしい。
 四、それも駄目なら事前に原稿を見せてほしい。
 五、最後、もっとも重要な依頼項目として、池田会長への言及を遠慮してもらいたい。(「池田大作の素顔」、藤原行正)
9月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「三大秘法広宣流布」
「もしこの三大秘法が末法に出現せねば、人類は自らの欲と怒りと愚痴の三毒によって破滅せざるを得ない。科学技術は加速度的に進歩しても、用いるのは人の心である。いまや大量殺戮兵器である恐るべき水爆・細菌兵器は三毒の心に握られていつ爆発するかも知れぬ状態にある。… 国の将来を担う青年、とりわけ学生が酔えるが如く狂えるがごとくである。「造反有理」とて全国で自らの学舎を毀し、彼等の恩師を集団でこづき廻している。…
 野獣の如き隣国は既にあり、しかも国内には悪鬼乱れ入りて酔えるが如く狂えるが如き現状を見れば、日本の将来を深く憂えずにはいられない。七千以後の法戦こそ、妙信講の御奉公の正念場である。たとえ限りある身は倒れようとも、三大秘法広宣流布は大地を的として外れぬ御仏意である。大聖人様の御照覧のもと、為すべき使命を只々身を捨てて貫かんのみ」(「冨士」第73号)
9月1日  創価学会、第1回第三文明展開催。
9月8日  創価学会、第28回社長会(於ホテル大倉)開催。
 池田大作会長「第三文明展、出品作をー社10万円位で購入しなさい。東洋も買いなさい」(「社長会全記録」継命新聞社 )
9月14日  創価学会、藤原行正・秋谷城栄が藤原弘達宅を訪問。ここでの約1時間40分におよぶ会話内容が隠しマイクで録音され、言論妨害の動かぬ証拠となった。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「遂に月間弘通200世帯を突破」、9月度折伏成果 204世帯。
 浅井昭衛本部長「七千達成で仏法上の発言の資格を得てより、いよいよこれからは力をもって御奉公をせねばならぬことをひしと感ずる。故に一万、十万、百万の実力を得よう。そういう事から従来の如く月に七十、八十或いは百の折伏では御奉公は出来ない。是非とも月に二百、三百、五百、千という爆発的な折伏が出来なければならない」(「冨士」第74号 )
10月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「仏法は体、世間は影」
「病人を治するに当たって、対症療法と原因療法ということがある。… いま一国の社会を対象として見た時、その乱れに対して政治的策を加えるのは対症療法であり、仏法を以て民衆の生命を革命するのは原因療法に当たる。… 既に三大秘法の正法は此の国に在り、しかるに用いず。故にひとごとにすでに謗法あり。この生命の濁りにより、もろもろの災難を招来しているのである。… 日本の興亡盛衰の原因を真に知っているのは、仏法の正系門流たる我ら富士の一門だけではないか。… 妙信講は七千世帯を本年6月に突破して不思議なる御奉公の節を迎え、… すべては御本仏大聖人の御守護による以外には考えられない。よき時、よき国、よき講中に縁して、大事な御奉公の叶うのもお互いの宿縁である」(「冨士」第74号 )
10月10日  創価学会、第29回社長会(於松野茶屋)開催。
 池田大作会長「御念珠が出来たか、よかった。… 男・女、大きさを異えて、金箔押しで「御念珠 創価学会」といれて呉れ、男・女共170円で納めてほしい。… 次の5,000連は博文堂にお願いしなさい。京都の業界がさわいだら、贈呈用の物をどうしてもたりなくてやっていると云って、あまり刺激をあたえない様に当分やろう」(「社長会全記録」継命新聞社 ) 
10月12日
 宗門、総本山で正本堂建立定礎式奉修。表白文に「此の正本堂は一閻浮堤総与の大御本尊を安置し奉る法華本門事の大戒壇である」と。
10月12日  創価学会、池田大作著『政治と宗教』(新版)を潮新書として出版。小説『人間革命』第5巻発刊。
10月15日  創価学会、池田大作会長 盗聴。赤坂の料亭「千代新」で、藤原弘達と田中角栄自民党幹事長が一回目の会合。池田会長、隣室で田中・藤原会談の話を盗み聴く。後に、サンケイ新聞政治部記者 俵孝太郎に、その事実をスッパ抜かれた。
10月19日  創価学会、全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)を解消し「新学生同盟」(新学同)を結成。代々木公園で結成大会開催、7万5千人が参加。
「北條浩氏から呼ばれた私は、『学生運動をやりなさい』といわれて、一瞬、耳を疑った。… あたりさわりのないスローガンをかかげ、形だけはヘルメットやタオルで、左翼の運動と同じスタイルを真似ることにした。… 10月末に、代々木公園で10万人の大集会を行なったが、集まった人数のうち、8割は一般青年部のメンバーだった。学生は2万人にも満たなかったのである。… 池田大作は、この頃から秋にかけて、すっかり学生運動スタイルにかぶれ、夏季講習会の学生部の集会には、みずから赤ヘル、タオル、マスクのゲバスタイルで参加し、シュプレヒコールの音頭をとる、という悪のりぶりだった。… この「新学同」も、10月末の結成集会が最初で終りの活動となり、11月からの総選挙、そして言論出版妨害事件の騒ぎの中で、いつのまにか立ち消えてしまった。そして新学同機関紙局のメンバーは、私の下で、盗聴などをもっぱらとする"情報師団"に衣がえしていった」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 ) 
10月23日  田中角栄幹事長、藤原弘達を赤坂の料亭『乃婦中川』に呼び、「創価学会を斬る」出版断念要請の二度目の会談。
『「なんぼ出せばいいんだ?」「金でやるんじゃない」と断ったら、次は地位だ。『潮』に書かしてやるとか、連載させるとか、あげくには「オレは権力があるんだからNHKの解説委員でもどうだ」とか。… 「頼む、頼む」と手を握って放さない』(『創価学会に未来はあるか』藤原弘達・内藤国夫 )
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「いよいよ本年最後の大法戦」
 浅井昭衛本部長「私達は愚痴を言わず、日妙殿の如き不惜身命の信心に立ち、信じぬいていこう。…かくの如くよくよく信じ切る男女を、諸天が放っておくわけがない、必ず不可思議な守護がある。これを私達が、自分の短かい七十年の人生の中に於いて味わうのが、最大の目的ではないか。… 今の日本を見、妙信講が立たなければどうするのか。まず1970年代の10年間こそ、法華講の代表たる妙信講の御奉公する場所であり … 」(「冨士」第75号 )
11月9日 『時事放談』(TBS)で、小汀利得が藤原弘達著『創価学会を斬る』を推薦。
11月10日  日新報道出版部、藤原弘達著『創価学会を斬る』を発行。
「(創価学会の)やりくちは、およそ人間の内面に自然にくいいる宗教とは無縁な、はなはだ強権的、高圧的なものなのだ。ひとことでいえば、まことに攻撃的性格をもっている … 一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。それ故に創価学会が危険であり、公明党が危険である、と断言するのである」(「同書」)
(※ 「創価学会を斬る」は言論出版妨害問題が大きな話題となり、結果的に百万部を超える大ベストセラーとなった )
11月10日  創価学会、池田大作会長「学会を大きくしてがっちり固めたら、いよいよオレは政界入りする。その時には公明党委員長じゃなく公明党総裁に変えてやろうじゃないか」
11月23日  創価学会、第30回社長会(於芝・松山)開催。
 池田大作会長「世の中で一番悪い奴は評論家だな。… 正本堂建立の時、いろいろの美術品をあげよう。篠原さんに印籠をあげよう。印籠は薬入れと同時に印鑑であった。1つ48万円だよ。篠原さんと中西君、それに北條さんに印籠をあげる。八矢、横松に刀を上げる」(「社長会全記録」継命新聞社 ) 
11月25日  角川書店、田村芳朗著(東洋大学教授)『日本仏教史入門』を出版。
「学会渉外総局から部長、部員が来社、原稿の閲覧を要求、… 角川書店が原稿閲覧を拒否すると、「中小出版の一つや二つどうにでもなる」と言い、その後も電話で原稿閲覧を再三にわたり要求」(『実録創価学会=七つの大罪』)」
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「いよいよ明年は"出陣の年"」、11月度折伏成果 213世帯、総世帯数は 7,523世帯となった。
 浅井昭衛本部長「一万世帯達成の事でありますが、前々から昭和45年に達成すると申してまいりました。… 今一年伸ばしまして、再来年の46年に一万世帯を達成していきたい、これを皆様にお図りしたいのですがどうでしょうか。(大拍手)
 如何なる理由があるにしろ、かつて2年前豊島公会堂の幹部大会に於きまして、昭和45年までには断じて達成すると自ら誓った事が、片時も忘れられないのであります。1年間延びるということは誰の責任でもない、本部長をつとめる自分の責任であります。… 恥を感じております。若し許される事ならば責任を取らせて頂きたいと、この間から悶々と考えてまいりました。だがそれはあまりに安易に過ぎる。さればこの十年間に身を捨てる御奉公を申し上げ、その御奉公を以て一万達成の遅れた事を、大聖人様にお詫び申し上げたい所存であります」(「冨士」第76号 )
(※ 「45年一万達成」の言葉は、小生の脳裏に刻み込まれている。男子部の班長会では、登壇の最後は皆必ず「45年一万達成」で締めくくった。櫻川 忠 )
10月26日  創価学会、第4回欧州総会をパリで開催。
12月1日
 妙信講、早瀬道応総監に書状を提出。「法華講全国連合会の不法を糺し、妙信講の単独登山を許さるべき」と。
12月 日  展望社、隈部大蔵著『創価学会・公明党の解明』を出版。
「隈部、前回・前々回の体験から創価学会員のいない印刷、活版、製本屋を自力で探し、自費出版同然に同書を完成する」(『実録創価学会=七つの大罪』)
12月7日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
12月9日  創価学会、池田大作会長、言論問題を「王仏冥合の戦いにおける魔の働き」と。
12月10日
 妙信講、学習会開催。「学習会の参加ついに一千を突破、豊島公会堂を埋める求道の熱気」
「去る12月10日、躍進の年の最後の学習会で遂に参加者は千名を突破。池袋の豊島公会堂の一、二階は、御書を手にして熱心に浅井先生の講義に聞き入る、1千60余人の人々で埋め尽くされた」(「冨士」第77号 )
12月13日  NHK、特別番組 公明党・共産党討論『日本の進路』を放送。
 共産党の松本善明衆院議員、『創価学会を斬る』の出版妨害をとりあげ公明党・正木良明議員を追及、正木議員は「そんなことはしていませんよ。すべてウソです」と否定。
 創価学会の言論妨害、藤原行正・秋谷栄之助が藤原弘達に出版中止を要請、その会談内容がテープに撮られていた。全国の創価学会員に非難の手紙を書かせ、送りつける嫌がらせ行為を実行。潮出版幹部・池田克也は、大手取次ぎ各社・大手書店に圧力を加えた。さらに、公明党・竹入委員長は、田中角栄幹事長に事態収拾を依頼。
 仏教タイムス、『創価学会・公明党の解明』の広告掲載。「虚偽、秘密主義! 閉ざされた深い霧の中に躍動、国土を崩壊の危機に巻込まんとする黒く巨大な塊! 圧力! 暴力! 買収? 行為をえらばない」
12月14日  日本共産党、機関紙『赤旗』で創価学会の言論弾圧への批判キャンペーン開始。
 内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版)、 植村左内著『これが創価学会だ』(しなの出版)、竹中信常著『創価学会』(労働法学出版)、隅田洋著(隈部大蔵)『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(東北出版)、塚本三郎著『公明党を折伏しよう』(名南経済振興会)、森ごろう著『創価学会をあばく』(日本出版センター)、梶山季之著『小説・創価学会』等も出版妨害されたとする。
12月15日  日本共産党、赤旗記者・木谷八士、赤坂プリンスホテル別館ロビーで藤原弘達に取材。藤原弘達、妨害関与者として田中角栄自民党幹事長の名を、初めて明かす。
12月17日  日本共産党「赤旗」、六段見出しで「藤原弘達談話」を掲載。創価学会の言論弾圧に、田中角栄幹事長が関与と報道。
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
12月23日 「言論・出版の自由に関する懇談会」(代表世話人・草鹿外吉)、声明文を発表。
12月28日  第32回衆議院議員選挙。公明党は言論問題にもかかわらず、前回の25議席から衆院勢力を47議席に伸ばし大躍進、第3党になる。社会党は大惨敗。
12月 日  創価学会、741万世帯。
 

                前年   一覧    翌年