迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和45年 (1970)          _
1月1日
 宗門、細井日達管長。大客殿前の噴水の「エンゼル像」について、「いかなる天使であろうが神であろうが妙法の使いとみなければならぬ」と。
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
 浅井甚兵衛講頭、年頭の辞「本年は妙信講の大切なる出陣の年である「師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくの如し、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」との御聖訓を旨に奉戴し、大勇猛心を奮い起し、信心折伏に決定いたさねばならない。一言以て新年の詞といたします」(「冨士」第77号 )
1月1日  新日本出版社、木谷八士著「疑惑のなかの公明党 ― 出版妨害と創価学会の体質を追う」刊行。
1月1日  心情圏出版、野村健二(著) 「現代幕末論 ― 歴史法則が予言する創価学会の運命」 発刊。
1月2日  創価学会、池田大作会長。総本山雪山坊の創価学会々長室に福島源次郎青年部長を呼び、「師への帰命」の使用禁止を申し渡す。
「『師への帰命』は、この者たち(原島嵩ら特別書籍局)がまずいと云うのだ」
1月5日  創価学会、副会長制施行。北條浩、秋谷栄之助、森田一哉が就任。
 竹入義勝と矢野絢也、創価学会の役職(総務)を辞任。
1月5日  公明党、記者会見。竹入義勝委員長、「出版会社に出版のとりやめを依頼したおぼえはない。… 自民党の実力者を通じて出版を取り止めるよう依頼した事実はない」
 矢野絢也書記長、「事実無根としかいいようがない。それを一方的に事実というのなら、立証責任は向うにある」
1月6日  朝日新聞、藤原弘達の談話掲載。「まぎれもない事実だ。電話の録音テープもあるし、国会での証言もいとわぬ」と反論。
 田中角栄幹事長、記者会見。「藤原弘達への執筆中止依頼は公明党に頼まれてではなく、つぶやきを聞き、おせっかいを焼いた」と発言、「出版妨害」に自身の関与の事実を認める。
1月6日  公明党、矢野絢也書記長、記者会見。「著者に対して正確な認識と客観的な批判を要望した事実は認められる」と、「事実無根」を撤回し反省の意を表明。
1月8日  公明党、北條浩。党副委員長を辞任、創価学会の職務に専念。
1月11日  公明党、渡部一郎国対委員長。創価学会の学生部幹部会で「言論の自由の問題について」講演、以下の暴言を発して 2月27日に国会対策員長を辞任。
「このバカバカしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷でかためたハナ紙みたいなものをもってきて、恐かつにくるアホウがまだいるということなんです」
「そうしたらまた社会党のうすバカどもが調子にのって『言論の自由の問題は … われわれもとりあげたい』… とにかくひがんだヘンな目つきして、傷だらけの傷病兵みたいなもんだ」
「そこへ民社党が、『あの問題はうちがいいだしたものだ … 』とかワイワイいう。… 気がちがってるとしか思われない」
「うちは自民党に"貸し"はあるけど"借り"はないですよ。… 最近は"角"とか"福"とかいう連中がつぎの総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも"黒い霧"のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちは握っとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(拍手)」
「また日本共産党は、自分自身がひどすぎるじゃないですか。… 共産党では、反対者はみな殺しです」
1月12~15日
 妙信講、初級講習会開催(豊島振興会館)。
1月16日  創価学会、聖教新聞「論説」に、正本堂の意義を掲載。
「三大秘法抄にいわく『戒壇とは … 』、ここに「勅宣・御教書」とは天皇・将軍(幕府)の命令書のことだが、これは古来、戒壇が勅許であった例にならわれて、当時の民衆の機根にあわせて大聖人がかく仰せになったものである。建立の本意が全民衆の幸福にあることは、末法万年変わらぬ宗祖の御遺命である。そして民主政体の今日、それは民衆立であるのが、大聖人のご真意であり、権力の魔性に身に寸鉄帯びず斗われた御本仏の心にかなったものといえよう。御書を逐条的・訓話注釈的に読み、御教書を国会の議決とみるのは、まだ皮相的であり、国会の議決などの形式は不要なのである」
1月 日
 宗門、常在寺にて時局懇談会開催。
「創価学会から和泉覚・辻武寿らが出向いて、『国立戒壇を言い続けたら、創価学会はおろか、日蓮正宗も弾圧され、潰される』『国立戒壇論は憲法違反である』等と説明して、協力と了承を求めた」(「あの頃のこと」山崎正友 )
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 本部辞令:大久保力 本部幹事に、佐藤新太郎 本部参議に、小木義馬 財務部長に、白石秀一 研修部長に、田島豊年 本部庶務に任ずる。
1月28日  創価学会、会員世帯数750万世帯に、総務会で折伏活動の中止を決定。
(※ 戸田会長が作り上げた教団モデルの根本的改変であり、この決定により創価学会の爆発的な大躍進は終焉した。中止の決定で成長がピタっと止まったということは、ノルマとプレッシャーをかけなければ教団組織の過剰な拡大がないことの、何よりの証明である。日本の現代史において、「創価学会を斬る」の刊行が果した役割は大きい。櫻川 忠 )
2月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「御在世の信心に還れ」
「出陣の本年を迎えて、今や恐れる何ものもない。… 講中7千6百有余世帯の命運を賭して、いささかも諂わず御意に叶わん御奉公を熱顧するのみ。…
 大聖人の御意のままに正直に法を説き、世間の失一分も無くしてなお一国の謗りを受けるならば、まさに末法当鉾の法難の純乎たるものにして、上は大聖人の御賞歎を蒙り下は逆謗の二人に下種結縁の益を蒙らしむる事ともなるではないか。…
 所詮、一人の大聖人の御眼を恐れるのが道心である。道心が薄れれば見愛を増し、恐れるは一人の御眼ではなくして大衆の受けが気になるものである。今こそ御本仏の御守護を蒙る御在世の信心に宗門僧俗は立たねばならぬ」(「冨士」第78号 )
「編集後記:前号の「御在世の信心に還れ」の巻頭言、宗門に大なる反響を呼んだ。連日のように届く封書・葉書を手にしながら、ひしと胸に迫るものがあった」(「冨士」第79号 )
2月初旬  創価学会、池田大作会長。国会証人喚問が取り沙汰される中、創価学会の箱根研修所へ一部側近のみを連れ逃避行
「公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は二月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。… この時、原島と一緒に上田雅一現副会長も同行していた。そして、二人は逃避行中の池田大作の真の顔、ふしだらな女性関係をまざまざと見せつけられてしまう」(「池田大作の素顔」、藤原行正 )
2月9日  五木寛之・生島治郎・戸川昌子・梶山季之・野坂昭如・佐野洋・結城昌治の7作家、"出版妨害問題が解決をみるまで、創価学会系の出版物・雑誌等への取材・執筆をさし控える"との趣旨の文書を、『潮』『週刊言論』編集部に手渡す。
2月18日  共産党、米原 昶(いたる)衆院議員。特別国会の代表質問で、創価学会の"出版妨害問題"を追及。
2月23日  言論・出版の自由に関する懇談会、1月11日の公明党渡部一郎国対委員長の講演全文を記者会見で発表。
2月24日  日本共産党、「赤旗」に渡部一郎国対委員長の講演(1月11日)全文を掲載。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)。2月度折伏成果 162世帯、総世帯数は 7,687世帯となった。(「冨士」第79号 )
2月27日  日本共産党、不破哲三衆院議員、国会で公明党・創価学会の"出版妨害"を追及。
 公明党、渡部一郎衆院議員。「講演内容に穏当を欠くところがあった」として、公明党国対委員長を辞任。
2月28日  民社党、塚本三郎議員。衆議院予算委員会で「国立戒壇・王仏冥合は憲法違反」として、池田大作会長の国会証人喚問を要求
「たくさんのいわゆる犯罪の数々というものが、不幸にして創価学会さんのものがあまりにも私は目につきました。… この際、創価学会池田大作会長を証人として喚問することを、委員長に要求いたします」
3月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「大法弘通」
「大聖人の御法が政治の濁流によって大きく誤解されている。内・外の政党の党利党略に正法が弄されている感じである。… 仏法守護の為には党の一つや二つはつぶしてもよいではないか。その因って来る所に思い至れば、深い憤りと憂いを懐かずにはいられない。…
 法を惜しむ一念があるならば、宗門人は今こそ身を捨て、大聖人様に仕え奉るべきである。星霜七百年、先師上人の身を削る御苦心によって化儀・化法一点の汚濁もなく、清純に伝えられて来た宗門である。いまこそ化儀・化法御在世のまゝに正し、国中の謗法を責め全邪宗と対決すべきである。誰に謳う必要があろう。文永免許の折の毅然たる御本仏の御振舞いを拝すべし。謗法も責めず暖衣飽食は恥ずべきである」(「冨士」第79号 )
3月2日  社会・民社・共産の3党、「調査特別委員会設置」を要求。池田大作・田中角栄・竹入義勝等、12名の証人喚問を検討。
3月3日  共産党、谷口善太郎代議士。衆議院予算委員会で、創価学会が目的として来た「国立戒壇」について糺した。
3月14日
 宗門、正本堂建立記念出版委員会設置。委員長に早瀬道應師が就任。( 「大日蓮」第291号 )
 3月14日 ~ 9月13日  日本万国博覧会開催、9月13日までの183日間、 大阪府吹田市の千里丘陵で開催、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。
3月15日
 妙信講、研修部。「三大秘法禀承事」講義開始。
3月17日  社会・民社・共産の3党、「出版妨害問題真相究明議員集会」を衆院第一議員会館で開催。藤原弘達、内藤国夫など証人8人に質問する。3党、「この集会を出発点として院内外で出版妨害に対する究明を続行する」と表明。
3月18日  カンボジア王国、ロン=ノル将軍がクーデタ蜂起。シハヌークを追放し大統領に就任、親米右派政権を樹立した。シハヌークは北京にあって赤色クメールと提携、"反米・反ロン=ノル"の闘争を開始、カンボジア内戦が続いた。
3月19日
 宗門、知法寺(北海道)落慶入仏式奉修。
 細井日達管長「今日世間では、この学会が非常にさかんに折伏して信者を増していくことに対して、非常に妬んでいろいろとあげ足をとって悪口を書いて、問題になっております。色々の言論妨害だとか出版妨害だとかいって、表向きは大きな問題にしようとしておりますが、実はその裏をかえせば、まことに情けない、ただ自分らの感情の表われである。… ただ学会が大きくなった、正宗の信心が世界に流布していくということを恨んで、いろいろと策謀しておる。一種の悪魔であります。これを魔民と申します」
3月24日  創価学会、渋谷研修所で、「竹入委員長談話」について会議。
「池田大作の他、北条浩、竹入義勝、秋谷栄之助、山崎尚見といった最高首脳と共に私も呼はれ、さらに、かつて特別顧間だった塚本素山氏と、その顧問弁護土の橋本公旦法学博士がいた。… 橋本氏は、極めて強気の方針を述べて会議をリードし、そのため、談話の内容は 「けっして言論妨害ではない。しかし、そのように受け取られたことについては、遺憾に思う」という、従来の強行突破路線を維持することになった。…
 会議後、私を、専用車に乗せ … 池田大作は、さらに、「あれで世間の学会批判は収まると思うか」とたずねた。
 私は、意を決して口を切った。「そうとう思いきって引くしかありません。ある程度、覚悟して、思いきって頭を下げ、そして、この際、これを契機として、すべての面で思いきった改善をして、やり直した方が、かえってやりやすいのではないでしょうか … 」
 池田大作は、膝をたたいて大きくうなづき、「負けるが勝ちだな。君もそう思うか。じつは、私もそれしかないと考えているんだ。よし、そうしよう。謝ってしまおう。… たしかにやり過ぎもあった。体質を変えるチャンスだよ」」(「自由の砦」山崎正友 2001年2月10日号 )
3月25日
 宗門、法道院、所蔵の真筆曼荼羅(日禅授与本尊)を大石寺に奉納。
3月31日  よど号ハイジャック事件、共産主義者同盟赤軍派が起こした、日本初のハイジャック事件。日本航空351便(羽田空港発 板付空港(現・福岡空港)行き)が、赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされた。犯人グループは北朝鮮に向かうよう要求、福岡空港と韓国・金浦国際空港を経由し、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着、犯人グループはそのまま亡命した。
4月1日
 宗門、永井善次郎(土浦本妙寺信徒)、所蔵の真筆曼荼羅を大石寺に奉納。
3月25日
 妙信講、「正本堂に就き宗務当局に糺し訴う」を、宗務当局並びに創価学会中枢の12箇所に送付。
「この書の内容は、正本堂が御遺命の戒壇すなわち「事の戒壇」ではないことを、法義上からは四つの理由を以て論証し、次いで池田が唯一の拠り所とする細井管長の第一回正本堂建設委員会における説法を、「猊下は未だ事壇とは仰せられず」と会通し、さらに池田の誑惑と大聖人を軽んずる慢心を強烈に破し、最後に宗務当局に対し、正本堂を事壇ならずとせば、学会の御遺命歪曲を速かに推き猊座を守るべしと糺し訴えたものである」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
「此処に黙す能わず、敢えて麁語を構え微衷を訴えんとするものであります。只畏るは宗門に幾多の大徳・賢哲あり。而も未だ言を為し給わぬに、在俗愚痴の小身を以て濫りに大事に言及し、その上権威を侵し奉る。その僭越の甚しき、まさに万死に値するかとも思うものであります。されば今生、為にいかなる苛戮を受けるとも、敢えて辞する所に非ず。只只、御当局の賢慮を煩わし奉るのみであります」(「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」浅井昭衛 )
3月下旬  創価学会、山崎正友。創価学会本部別館"五月荘"で、広野輝夫学生部主任部長らと相談し、電話盗聴が技術的に可能であることを確認。北條浩副会長に、計画実行の許可と資金提供を依頼。
3月27日
 宗門、早瀬道應総監、妙信講に「4月3日、本山に出頭せよ」と連絡。
4月2日  創価学会、大石寺で戸田城聖前会長十三回忌大法要奉修。
 池田大作会長、「今まさに広宣流布実現の表徴ともいうべき、三大秘法、事の戒壇たる正本堂が、清浄なる富士の裾野に、その雄姿を現わさんとしております」
4月3日
 宗門、細井日達管長、妙信講 浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長を本山に呼ぶ。
 対面所にて、「よく書けてますね。私にもこうは書けませんよ。この本は本当に宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統のままです。一分の誤りもありません。… 国立戒壇は当然であり、場所は天母山である。… 正本堂は最終の戒壇ではありません。… だから私は『須弥壇は蔵の形にする』と説法したのです」
「最後には「諌めてくれたのは妙信講だけです。浅井さんの信心に私は負けました」とまで、率直な言葉を吐かれた」
 その上で、妙信講の登山を「8月に」と許可。
「しかしこれより以後、細井管長は態度を二転三転させる。私と会えば貫主としての本心を取り戻し、池田と会えばまた魔の手先となるという変節を、最後まで繰り返されるのであった」(「折伏理論解説書」第十章 )
4月5日
 妙信講、細井日達管長に礼状を送付。
「深甚の御説法を承わり、愚痴の身といえどもその御内意しかと窺い奉った思いでございます。その上、御自ら歪曲の徒を教誡し給わるとの御意に接したもったいなさ、今は小輩等ただ口を慎み身を調えるばかりでございます。但し、万万一にも猊下の御本意をないがしろにし、御教誡にも背き奉り、なお私曲を広言する輩を見るにおいては、その時こそ一死以て御本意を守り奉り捨て石たらざるべからずと、秘かに胸に決するのみでございます」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会奉修。
 細井日達管長「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕したならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉る」と、正本堂が御遺命の戒壇ならざることを明言。
4月8日  共産党、谷口善太郎代議士。「国立戒壇」につき、質問趣意書を国会に提出。
「国立戒壇」は憲法違反であり、かつ宗教団体が、違憲の国立戒壇の実現を目的として政治活動を行うとすれば、その活動も憲法違反ではないかとして、政府に答弁を求む。
4月9日  文部省、質問趣意書を承け、東京都を通して創価学会に対し、正式に「国立戒壇」について照会。回答期日は、4月23日であった。
「池田会長と創価学会首脳が、テンヤワンヤの大騒ぎになったであろうことは、想像に余りある。… 政府への回答となると、これは正真正銘、公的なものである。"国立戒壇否定、正本堂即事の戒壇"は、日蓮正宗内の統一見解でなければ、回答はサマにならない」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
4月14日  創価学会、池田大作会長。早瀬道應総監・阿部信雄教学部長を創価学会本部(聖教新聞社応接室、第二青葉寮)に呼び、「政府照会」への対策会議を開催。創価学会側は、池田大作会長、秋谷栄之助副会長、小平芳平、辻総務、原島崇教学部長。そこで、
 一、宗門が公式に国立戒壇の永久放棄宣言をすること、
 二、宗内でひとり国立戒壇を主張する妙信講を抑えこむこと、
が合意された。このときの『阿部信雄教学部長の直筆メモ』が、後日流出。
 池田大作会長「国立と云うと追いつめられる恐れがある。先手をとりたい。日淳上人にも現猊下にも国立の言あり。… これは違憲になる。… 猊下より宗門の定義として大日蓮に発表して頂きたい。そうでないと私の独創になってしまう。… この件につき宗門内の統一を願いたい。…
 浅井によく云って下さい。… 本山も危いのだということを、よく云って下さい。… 浅井に、憲法違反で潰されてよいかということを云って下さい。猊下より、民衆立は自分が(始めに)云ったんだと、むしろ云って頂きたい。…
 浅井の件、どうか、しっかりたのみます」(「折伏理論解説書」第十章 )
4月16日
 宗門、細井日達管長「政府照会対策会議」を受け、常泉寺に下向。
 妙信講 浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長に共産党の「質問主意書」を見せ、「国立戒壇を捨てて下さい。国立戒壇をいうと、日蓮正宗は潰される」と述べるも、妙信講の諫めを諒として池田大作会長に誑惑を訂正させると約す。
4月17日
 宗門、細井日達管長。妙信講に電話にて「四ヶ条」を示し、従うよう命令。
  一、日蓮正宗を国教にはしない。
  二、国立戒壇とはいわない、民衆立である。
  三、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
  四、今日はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も立つ。
4月18日
 妙信講、「正本堂に就き宗務当局に糺し訴う」を宗門の全国末寺住職に発送し、松本日仁師に報告。松本能化は柿沼前総監に報告し、細井日達管長の耳に達した。
4月19日
 宗門、細井日達管長。電話にて妙信講に「今が広宣流布の達成ということと、正本堂が最終の戒壇であるということは取り消す」と通告。
4月20日  創価学会、北條浩副会長。山崎正友に対し、共産党への電話盗聴を承認し、工作資金として3百万円を渡す。同年5月末までの間、2回目2百万円、3回目5百万円を渡す。(「盗聴教団」山崎正友 )
4月下旬日  創価学会、箱根研修所で第33回本部総会の池田大作会長講演原稿の討議。
4月22日
 宗門、宗内合意のため総本山大客殿にて「臨時時局懇談会」開催。共産党の「質問主意書」配布の上、創価学会・辻武寿総務室長が登壇、「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている。国立戒壇をいえば宗門はつぶされる」と述べた。
 それに対し、妙信講・浅井昭衛本部長が「なぜ潰されるのか、その法的根拠を示してほしい」と質問、辻室長は返答できず降壇。国立戒壇放棄の宗内合意ならず。
4月23日  創価学会、「国立戒壇の意義」についての政府照会に対し、「正本堂の建設 … これが本門戒壇にあたる」とし『国立戒壇否定』の回答書を政府に提出
「一、本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
 二、既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行なわれており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
 三、一時、本門戒壇を"国立戒壇"と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって国家権力とは無関係である」
「この回答文の原案は、私と原島嵩氏が中心となって作成した。それをもとに、北条浩らの首脳と公明党書記長(当時)矢野絢也氏らが、中央大学憲法学教授の橋本公旦氏を招いて、創価学会太田会館において作り上げたものである」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年1月15日号 )
4月 日
 妙信講、早瀬道應総監を介して創価学会・森田一哉副会長を法道院に呼び、三者で会談。
 浅井昭衛本部長は「猊下に正本堂を事の戒壇などと云わせ奉っては絶対にいけない」と、森田一哉副会長に迫った。論議の末、早瀬道應総監は「その旨を猊下に取り次ぐ … ただし猊下の仰せの『事の戒壇』とは御遺命の戒壇を意味しない」と。
 しかし創価学会は、「事の戒壇」だから「御遺命の戒壇」である、としたいのである。浅井本部長が森田副会長を問い詰めると、森田副会長は「その時は全学会員が誤解せぬよう、自分が責任を取る」と。
4月27日
 宗門、責任役員会開催、「国立戒壇の名称不使用
「かくて「宗教法人・日蓮正宗」の責任役員会の議決として、代表役員(管長)細井日達、責任役員(総監)早瀬道応、同(重役)佐藤日成の三人連署の議事録が作られたのであります。 その責任役員会議事録には「第一号案」として「本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当につき、今後一切使用しないこととする」が示され、「全員異議なく原案通り承認可決した」と記されている」(「顕正新聞」第1182号 )
4月28日
 妙信講、4月度幹部会開催(音羽・本部)。4月度折伏成果 284世帯、総世帯数は 7,971世帯となった。新宿の安田生命ホールで行われる予定であった総幹部会は、当日の"沖縄デー"の騒乱により急遽班長以上の幹部会に変更、文京・音羽の本部で午後7時から開かれた。
 浅井昭衛本部長、1970年代の展望と現在の宗門に於ける妙信講の立場、そして為さねばならぬ御奉公、さらに「本門戒壇」の大事について数十分にわたり重大の指導。
広宣流布の日まで、我々に栄光の二字はない。… 今の時に若し褒められるなら、大聖人に叱られる。この妙信講八千世帯は、純粋なる御在世の信心に毅然と立ち、猊下の御内意を守るために生まれてきたものである。この3月・4月に、妙信講始まって以来の重大な御奉公を申し上げたが、本来の御奉公はまだまだこれからである。5月から先のことは考えていない」
5月1日  創価学会、「大白蓮華」5月号に北条浩副会長の「三大秘法完結の時代を迎えて」を掲載。
「すでに大聖人御在世中に、"慧"たる本門の題目、"定"たる本門の本尊は建立された。そして、ただ"戒"たる本門の戒壇のみが「時を待つべきのみ」と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。… ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義 …」
5月3日  創価学会、内外注視のもと第33回本部総会開催。池田大作会長は、言論・出版問題、正本堂の意義、創価学会と公明党の関係、王仏冥合の原理、共産党に対する態度、創価学会の体質問題等について1時間27分にわたって講演、そこで「私は猊下におうかがいしたうえで、国立戒壇という表現を使わない」と述べ、国立戒壇否定の責任を細井日達管長に転嫁した。
「一、広布は『教勢拡張』から『大文化運動』の時代へ
 二、言論・出版問題の公式謝罪
 三、これまでの"国立戒壇・国会議決"を正式に否定
 四、創価学会・公明党の『政教分離』を宣言
 五、公明党を誕生させた理由
 六、共産党に対する態度
 七、創価学会の体質問題
 八、創価学会は"創価文化"の母体」(「大白蓮華」6月号 )
「その原稿の草案は、箱根研修所で先生のご指示のもと、桐村泰次氏(現教学部長)と私の二人でつくらせていただきました」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
「五月三日、ようやく箱根から出てきた池田大作は日大講堂を埋め尽くした数万人の創価学会員を前に、言論出版妨害事件に対して初めて正式に釈明した。左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。『どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!』、重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえったままだった。『では、やめては困るという人、手をあげてください!』、『ハァーイ』と、会場全体を揺がすほどの大歓声が上がった」(「池田大作の素顔」、藤原行正 )
 細井日達管長、「国立戒壇という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しない」と、“国立戒壇否定”の公式宣言。さらに「本門戒壇の大御本尊安置のところは、すなわち事の戒壇であります。… 正本堂は本門事の戒壇であります」と。
5月4日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「師子王の心」
「宗祖大聖人佐渡御書に宣給わく「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し、智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる、諛臣と申すは是なり。強敵を伏して始て力士をしる。悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜む心の強盛なるべし」と。この御金言よくよく拝せよ。時に当りて万感胸に迫って筆紙進まず。御本仏大聖人は必ず御照覧である。いま妙信講を除きて誰人か身を捨ててこの大事の御奉公を為さんとするや」(「冨士」第81号 )
5月5日  創価学会、第34回社長会開催。
 池田大作会長、言論妨害問題につき「竹入に今迄以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか。… 何もかも一切終わったら、断然やろう、まず内部だな。… ざまあ見ろと云うには10年かかるな、でもやろうよ」と。
5月20日
 宗門、細井日達管長。聖教寺にて「三大秘法抄の戒壇は、未来の理想の戒壇」と。
5月20日過ぎ  創価学会、北條浩副会長。山崎正友・広野輝夫に対し、宮本顕治宅電話盗聴のゴーサインを出す。
「北条氏の他、秋谷栄之助、原島嵩、中西治雄の各氏、そして私が集まり、会議を開いた。… 秋谷氏と原島氏は、消極論だった。… 北条氏は、決めかねていたが、黙っていた中西氏が 「日本が太平洋戦争に負けたのは、情報戦で負けたのですよ。… 共産党にウチが敗けているのも、情報で遅れをとってとっているからですよ」… かくて、中西氏の発言をきっかけに、会議の結論は"実行"へと決着した」(「自由の砦」山崎正友 2001年5月10日号 )」
5月24日
 妙信講、8千世帯突破、第10回総会開催。浅井昭衛本部長、「大聖人の御遺命を曲げては宗門も国家も危うくなる。妙信講は講中の命運を賭しても、誑惑の訂正を迫る決意である」と、御遺命守護の決意を述べた。
「大聖人の御理想とせられる本門戒壇がいかなる規模を持つものか … 時来らざる以前の宗門や一部民衆の手で立てられるべき性質のものではない。これは何も国家の予算とか財政とかいう金銭上の問題を云っているのではありません。大切なのは一国の絶対帰依、いのちがけの信心によって立てられるべき戒壇が本門事の戒壇であるということであります。かくして始めて国家そのものの祈りとなるのではありませんか。…
 若し妙信講の云わんとしている事が仏法の道理に照らして正しいならば、法の為・国の為虚心に取り入れて頂きたいと私は心から念願する。また若し、云っている事は正しいが妙信講は憎いとならば、遠慮なく妙信講をつぶし抹殺したらよい。但しこの云わんとする正しい道理だけは断じて取り入れて頂きたい、さもなければ国が持たない」(「冨士」第82号 )
5月26日
 宗門、法道院で早瀬道應総監と阿部信雄教学部長が浅井昭衛本部長と面談。早瀬総監は妙信講の捨て身の決意に驚き、「私達ではどうにもならない。この上は猊下と池田会長と浅井さんの三人が、膝詰めで話しあって頂くほかはない」と。
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 本部辞令:白石秀一 青年部参謀に、水野初美 女子部長に、加賀陽子 女子部幹事に、吉田久美子 女子部参与に任ずる。
5月26日  創価学会、山崎謀略師団。宮本顕治日本共産党議長宅前の電柱に、発信器式盗聴器を仕掛ける。
「その日、午後になって、広野から「今夜やります」と連絡を受けた。… その夜、自宅の二階で、電話機を脇に置いて寝ずに待っていた私のところへ、広野から明け方3時頃、「無事、作戦は終了しました。異常ありません。… 朝になったら、受信、録音が始まると思うので、また報告します」と、報告の電話が入った」(「自由の砦」山崎正友 2001年5月10日号 )
5月29日
 宗門、細井日達管長臨席の元、総本山対面所で妙信講代表と創価学会代表が諭判、正本堂の意義について激しい諭義を交わした。理に詰まった創価学会側は、「すべて猊下の御指南を頂いた上で発言している」と開き直ったが、浅井昭衛本部長は細井日達師の文意を会通して創価学会の誑惑を破折、議論の帰趨は明白になった。
 細井日達師は論議を総括し「正本堂は未だ三大秘法抄に御遺命の戒壇ではない。未だ広宣流布は達成していない。どうか学会は訂正をして下さい」と、創価学会代表に対し訂正を指示した。このときの創価学会代表は、秋谷栄之助副会長、森田一哉副会長、和泉覚理事長である。秋谷副会長等は血相を変え「これほど重大なこと、自分たちの一存では決められない。後日改めてご返事申し上げる」と、憤然と席を立った。
5月31日
 宗門、第13回寺族同心会大会開催。細井日達管長「国立戒壇名称不使用」について釈明、「大変あちらこちらで不平の方もあったらしい」と。
5月 日  創価学会、山崎正友を顧問弁護士とする。
6月1日
 宗門、八木直道師が「御伺書」を宗務当局に提出。「もし正本堂が事の戒壇ならば、天生原に建つべきではないか」と質問。
6月日7  創価学会対策連絡協議会(創対連)、東京・三宅坂の社会文化会館で結成。
 表向きは、創価学会脱会者の被害者同盟であり、理事長の稲垣和雄は元・立正佼成会の青年本部付、元・創価学会員である。
「機関紙『創対連』の編集者・野村力は日本共産党幹部でもある。相談役として植村左内。結成大会には社会党・民社党の代表も出席。『新宗教新聞』の清水雅人、紙上で『創対連』を良心的な市民運動としてマスコミ各誌に紹介する」(「創価学会=七つの大罪」吉良陽一 )
6月9日
 宗門、宗務院。八木直道師の「御伺書」に回答。
「法主上人は去る四月六日御虫払法要の砌の御説法中に『有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じわるのであります』と仰せられ、明かに三大秘法抄の事の広布を未来に属せられ、かつそれを信じ奉ると明言なされている。猊下の御示しはまた即ち宗門一同の義であると信ずる。乃至宗門において天母原の戒壇について否定したことはない。先に述べたごとく将来天母山にいかなる建物が建てられるかは未来のことであって今は想定できない。宗門は現在の立場において奉安殿より更に大きく事の広布に近ずく大前進の象徴である正本堂建立にあげて邁進しているのである。乃至正本堂が三大秘法抄等に示し給う最極の戒壇でない以上、奉安殿に引き続いてより大なる、戒壇御本尊格護の殿堂として建設する場合、大石寺境内またはそれに隣接する地所を撰ぶことが諸般の実状と便宜上当然のことである」
「少し物足りないが正論です。学会自身が訂正を誓った時だからつい当局も正しいことを書いてしまった。文中、正本堂が三大秘法抄等御遺命の戒壇でないこと、当局自ら天母原と天母山と同じに扱い、未来究極の戒壇建立の地と暗に認めていること、正本堂は奉安殿の延長であること、だから大石寺の境内に建設されるのも止むなし等々の見解。みな正論です。歯切れは悪いが妙信講が宗門声明に求めた三ヶ条と同趣旨です。だが一たび学会の意を受けるや、手のひらをかえしたようにネジまげ … 」(「冨士」第105号 )
6月11日
 宗門、創価学会・妙信講代表が本山で細井日達管長に目通り。森田一哉副会長、細井日達師に「猊下の仰せを守り、今後学会は絶対に『正本堂は御遺命の戒壇』、『広布はすでに達成』とは言いません。あらゆる出版物からこの意の文言を削除し..」と、恭順の態度で誓う。
 細井日達師、「浅井さん、これでいいでしょう。とにかく宗門でいちばん大きいのと、いちばん強いのがケンカしたのでは、私が困ってしまう。これからは仲よくやって下さい」と。
 浅井昭衛本部長、将来の違約なき事を期してその内容を書面にすることを求めたが、創価学会代表は即座に拒絶した。
6月16日~
 宗門、宗務当局立合いの元、「確認書」をめぐって妙信講と創価学会の論判開始。
6月18日  日本共産党、宮本議長秘書が盗聴器を発見。
「熊谷秘書が、宮本邸への電話引き込み線を調べた際、宮本邸の前の電柱「厚生九・七六―八五」の端子函の上に直径3センチほどの円筒形の異物を発見 … とりつけた犯人を捕らえるため、盗聴器をそのまま放置して監視を続けた」(「自由の砦」山崎正友 2001年11月10日号 )
6月25日  公明党、第8回党大会開催、「政教分離」を決定。
「王仏冥合の大理念を高く掲げ」「地球民族主義により世界平和」「人間性社会主義により大衆福祉」「仏法民主主義による大衆政治」… 等の党綱領を改訂、仏教用語・創価学会用語を削除し「日本国憲法をまもる」と明記。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 浅井昭衛本部長「妙信講の過去13年は、試練に耐え抜いた忍従の時代であった。だが第14回総会を了えたいま、いよいよ大聖人の御馬前に於いて捨て身の御奉公を為すべき立場にある」(「冨士」第83号 )
6月28日
 宗門、総本山大講堂で「戒壇について」の研究発表会を開催。5名の発表者のうち2名が発表を辞退、八木・青山両師は「国立戒壇こそ宗門伝統法義」と論じて妙信講の主張を支持し、もう一名は国立戒壇否定の論陣を張った。
 細井日達管長、「国立戒壇の名称不使用」につき釈明。「日興遺誡置文」の新解釈を示し、「大坊棟札」「紫宸殿本尊」「天母山戒壇説」を否定。
7月9日  創価学会、山崎謀略師団。共産党側に盗聴器を発見されたことを察知、ひそかに盗聴器を撤去。
7月11日  日本共産党、盗聴器取りはずしに気づき、東京地検に対し犯人の捜査と処罰を求め、有線電気通信法違反と公衆電気通信法違反などで犯人不明のまま盗聴犯人を告訴。また、電電公社も同様の趣旨で告訴した。
「共産党は氏名不詳の犯人を刑事告発したが、幸いなことに共産党は"公安筋のしわざ"と決めつけており、警察も日頃敵意をもっている共産党の告発を受けて、本気で捜査する気配がなかった」(「自由の砦」山崎正友 2001年10月10日号 )
7月12日  マスコミ各社、「共産党宮本議長宅で電話盗聴器発見」を報ず。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。7月度折伏成果 79世帯、総世帯数は 8,050世帯となった。
8月4日  創価学会、先般の約束を違える。細井日達管長への誓いを破り、再び聖教新聞に「正本堂は御遺命の事の戒壇」と掲載。
8月19日
 妙信講、創価学会の違約を面詰。創価学会、ついに二度と歪曲せざる誓状を猊下に奉るむね、妙信講に約束す。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。8月度折伏成果 71世帯、総世帯数は 8,121世帯となった。
9月3日
 妙信講、浅井昭衛本部長。合意書の案文チェックのため、要請を受け創価学会本部に出向く。屈辱を和らげるため多くの文言が費やされていたが、浅井本部長は余分な言葉を文面からすべて削除させた。
9月11日
 宗門、早瀬道應総監、「確認書」を細井日達管長に納める。
 法道院において、早瀬道應総監・阿部信雄教学部長・藤本栄道庶務部長立ち会いのもと、創価学会の和泉覚理事長・森田一哉副会長・秋谷栄之助副会長と、妙信講の浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長が「御報告」に署名した。
「御報告
 お互い信者の間で話し合いの結果、誤解がとけ相互に友好的な理解と合意に達したので、御報告申し上げます。
 一、正本堂は、三大秘法抄一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない
 こゝに、猊下の御宸襟を悩まし奉ったことを深くお詫び申し上げるとともに、今後異体同心にして広宣流布達成をめざして邁進することをお誓い申し上げます。
 昭和四十五年九月十一日
 和泉覚 森田一哉 秋谷栄之助 浅井甚兵衛 浅井昭衞」
 森田副会長は「御報告」の署名に先立ち、「この文書が公開されたら、学会は直ちにこれを取り消す」と、立会いの早瀬主管に何度も念を押した。
(※ 誑惑の主犯・創価学会とこれを糺した妙信講が署名し、与同の宗務当局が立会って管長に納め奉り、ここに誑惑訂正の全宗門的合意形成なる。しかしこれは密約であり、一般信徒も宗門僧侶も存知しない )
9月15日
 妙信講、臨時班長会開催(音羽・本部)。
 浅井昭衛本部長より、御遺命守護にかかわる「重大発表」。同時に6年振りとなる総登山が、10月25日に挙行と発表された。
9月28日  創価学会、聖教新聞社新社屋(地上7階、地下3階)完成。
10月1日  創価学会、池田大作会長、「大白蓮華」10月号で「本門戒壇」に言及。
「大御本尊の前で全世界の人々が世界平和を祈願するとき、そこが本門の戒壇なのです。この戒壇に事と義があり、事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊の安置される場所であり、義の戒壇とは各家庭で御本尊が安置されているところで、戒壇の義に通ずるのです」
10月 日  創価学会、本山登山者に配る「しおり」に誑義掲載。
「正本堂建立の意義は、あらためていうまでもなく、大聖人の御遺命の事の戒壇であり、仏法三千年史上空前の大偉業であります。… 大聖人の御遺命たる戒壇堂の建立は、今や正本堂として47年に完成を見ることになっており、その上棟式が今年10月12日に行われるのです。思えば仏法三千年の悲願が池田会長の手によつて完成されんとする現在 … 」
10月5~8日  創価学会、日本武道館「’70東京文化祭」開催。
10月12日
 宗門、正本堂上棟式奉修。
10月25日
 妙信講、晴れて6年ぶりの総登山、参詣2千有余名。
 御開扉の後、大講堂にて浅井昭衛本部長「妙信講にとって試練と忍従の十三年は終った。すでに大聖人の御馬前に於いての斗いである。いつ倒れようと悔いはない。本年出陣と銘打って、一身はもとより講中の命運を賭して御奉公を続けて来たが、5月の第十四回総会に於いて宣言したことも大聖人の御守護を蒙り、遂に9月11日を以て決着がついた、正義は遂に貫き通された。 … 今日よりは十万達成に向って前進を開始する」
(※ 停止されていた登山が許されたのは、4月3日の約束にもとづく。浅井昭衛会長が、以後多用する「大聖人の御馬前」の第1号である。櫻川 忠 )
10月29日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。10月度折伏成果 122世帯、総世帯数は 8,244世帯となった。
11月18日  創価学会、創立40周年。これを記念し『創価学会四十年史』を発刊。
11月19日  創価学会、第40回社長会開催。
 池田大作会長、「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」と。
11月25日  三島由紀夫、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、割腹自殺。三島は "楯の会" の会員4人とともに総監部に押し入り、益田兼利総監を縛り上げたうえ、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を促す演説を行った。その直後、三島と楯の会の隊員1人が、割腹自殺した。
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。11月度折伏成果 125世帯、総世帯数は 8,370世帯となった。
11月29日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
 松本日仁指導教師「出陣の年の妙信講の重大な御奉公がつらぬかれ、また6年ぶりの総登山が叶い、誠に喜ばしいことである。今後も、一筋の信心に一層はげまれるように」(「冨士」第88号 )
12月13日
 妙信講、女子部大会開催。
12月20日
 妙信講、男子青年部大会開催。1千名が豊島公会堂に集結、「師と運命を共に」
 浅井昭衛本部長、「教条主義との非難甘んじて受く、御金言のままの実践こそ如説修行、一筋に謗法厳禁と国立戒壇を一国に叫ばん」と。
「ここに正法治国・邪法乱国の問題こそ、国立戒壇の問題こそ、一国永遠の繁栄の為に超党派で取り上げさせねばならぬ重大事であります。当然始めは一笑に附そう、のちには未曾有の大反対があろう。だが世論を換起し、繰り返えし繰り返えし毅然として云い迫る所に、漸く一国に信謗彼此決定して、冥々のうちに国土に変化がおきてくるのであります。すべてはこれ御本仏の御力用であります。凡慮には及びがたし。… 妙信講が再建以来一貫して「在野の諫暁団体」と云い貫いて来た所以もここにあるのであります。
 私はこの8月、ある人から面白いことを云われた。云く「妙信講は教条主義である」と、… 私は喜んでその批判を受けたい。大聖人の仰せを一分も違えずに云い貫く事が教条主義であるというのなら、むしろ名誉であります。… 教条主義とは如説修行に対する怨嫉の言ではないか。もし世間からは寛容である、物わかりがよい、人格者である、平和主義である等とほめそやされるとも、大聖人の御眼より見て不審なりとお叱りを蒙むるならばこれほど恐しいことはない。逆に世間からは時代を知らぬ、偏狭なり、独善なり、排他なり、或いはまた思わざる筋より教条主義などと云われようとも、大聖人御一人の御うなずきを頂けばそれでよい。
 妙信講は誰がなんと云おうとも、御本仏大聖人の御本願そして歴代御法主上人の御悲願たる謗法の禁断と国立戒壇の建立をただ一筋に一国に叫んでいく決意である。… この七十年代に妙信講の死身弘法は必ず十万世帯に達する。その時、男子青年部は一万人の国士を以て集ってもらいたい。いよいよ大聖人様の御照覧のもと、その御馬前に死すの決意を以ってこの九ヶ年を堂々と斗おうではないか。(大拍手)」(「冨士」第89号 )
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
12月 日  創価学会、貞永昌靖をアメリカ日蓮正宗理事長に任命、桐ケ谷章を顧問弁護士とする。
 文化本部(教育・学術・芸術・ドクター・文芸・国際の各部)を結成、国際部を結成。。
12月 日  創価学会、山崎正友・八尋頼雄・桐ヶ谷章の3弁護士、正本堂事業会計の帳簿を精査し改竄作業を始める。
「池田大作は、本来、創価学会の会計でまかなうべき費用を、さまさまな名目で、正本堂事業会計から支出させた。… 幹部の顕彰や行事のための費用、あるいは、創価大学建設のための費用、一部職員の給与、会食費などを「正本堂会計から出すように」という池田大作のツルの一声で、創価学会の支出が、正本堂会計から支払われていたのである。はっきり言って横領である。
 私と、八尋頼雄、桐ヶ谷章の三人の弁護士は、十名近い本部職員を使って、会計処理のすべてを洗い直し、本来の姿に修正する作業に3年近くを要した。そのために、会計帳簿や伝票はむろんのこと、宗教法人創価学会の理事会議事録、正本堂建設委員会の議事録まで、すべて一いち作り直した。…
 裏で、このような狡猾な"着服"をしていながら、池田大作は、さも、宗門のために献身的な奉仕をしているかのように振舞い、宗門に恩を着せ続けた」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
12月 日  創価学会、755万世帯。

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